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二次log

 夜のお仕事です、というと邪推する人が一定数は存在するのだけれど、私の職場はごくごく普通のバーである。都内に複数店舗を構えており、ごくごく普通で一見さんが気楽に入りやすいカジュアルなバーを基本としつつ、ダーツバー、ミュージックバーは序の口で、ガールズバーにボーイズバー、ハプニングバーにまで手を伸ばしつつ、伝統的なスタイルのオーセンティックバーを手掛けている、という点では、もしかしたら普通ではないのかもしれない。店のコンセプトは勿論、名前も全く異なるので、系列店であることを知る人もそうそういないだろう。
 バーテンダーとして店に立つこともあるのだけれど、主な仕事は幅広くなりすぎている感の否めない店舗群全体の事務系統全般――の、統括である。人事給与に服務管理、福利厚生に物品管理。更には財務会計経理の全ての監督を一手に担うという、一体全体何を考えてくれているのだと言いたいレベルの仕事量である。勿論、各店舗ごとにそれぞれの担当者はいる。彼らのまとめた書類に不備がないか、誤りがないか、誤魔化しがないか、そういった最終チェックを担う「だけ」だ、と言い放ったやつには書類の山をプレゼントしてやった。速攻燃やされたが構わない。どうせシュレッダー行きになるゴミクズの山だったので。
「ほんと、就職先ミスったわぁ……」
 生活費と学費を稼ぐため、未成年でも働くことのできる場所、実家から通うことのできる場所、という条件に絞ってお世話になった三年間。自分のやりたいことは何か、憧れは何か。自身に問いかけ、お世話になった職場に頭を下げて飛び込んできた業界が、まさかこんなにもブラックだとは思わなかったのだ。
 高校を出た時点では未だ未成年。当然のことながら、アルコール類を実際に味わって技術を磨くことは許されなかった。それでも場の空気を、店の伝統から学んでいきたいのだ、という思いを笑って受け止めてくれたのが、私にとって大切で大好きで尊敬するお師匠様である。
 初めの一年間は店内の清掃と軽食の提供、そこに少しの会計事務。二十歳の誕生日には常連さんも一緒になって飲酒の解禁を祝ってくれて、そこから本格的にバーテンダーとしての技術を教え込まれた。その頃には他の新人さんに清掃や軽食の仕事が与えられたので、経理事務が少し増えた。そろそろどこに出しても恥ずかしくないレベルに達したかと、どこか寂しそうに言うお師匠様から財務系の書類を渡されるようになった頃になってようやく、何やらバーテンダー以外の仕事も教え込まれていたな、と察してしまった。まあ、お師匠様も二店舗目、三店舗目を狙っているのだと聞いたことがあったので、その手伝いをさせてもらえるのではないか、とか、独り立ちも視野に期待をかけられているのではないか、とか、色々と考えていた頃の自分に辞表を叩きつけてやりたかった。お前の進む先は真っ黒だ。業界が悪いとは言わないので、せめて修行先には別の店を選べ――と言いたいのだがやっぱりお師匠様にはお世話になりたいので、お師匠様が別の店を構えている世界線を探さなければ。
 何の前触れもなく、あの日はやって来た。
 いつも通りに出勤し、制服に着替えて店へと出た瞬間に、帰りたくなった己を根性で押さえつけて「いらっしゃいませ、お帰りはあちらです」と丁寧に対応した私を褒めてやりたい。と言ったらその元凶から頭をぐしゃぐしゃに掻き乱されたので、お前じゃねぇしそうじゃねぇ、と一発入れた。硬かった。
 どこか気まずそうに彼らを紹介してくれたお師匠様曰く、高校卒業と共に縁が切れたとばかり思っていた彼らこそ、この店のオーナーであるらしい。対外的にも名義的にもオーナーはお師匠様なのだけれど、店を作るにあたっての場所探しだとか、出資金だとか、その辺りでお世話になっていて、その上、間にひとつだかふたつだか派遣会社的なものを挟んでの雇われオーナーであるとかなんとか。多分、お師匠様も言葉を選んでくれていたのだろうけれど、お陰でただでさえややこしいあれやこれやが余計にややこしくなってしまったので、簡潔に「彼らこそ裏番長」と集約してしまった。オーナー様方はその認識で良いと笑ってくれたので、良しとする。
 学生時代からありとあらゆる方面に幅広く手を出していた彼らとその愉快な仲間たちではあるが、どうも「やんちゃ」ばかりしていた者が多いせいで、お金関係の仕事は苦手であるらしい。やむなく金庫番を任せた面々はすぐに辞めさせられることになってしまったのだというから、相当に見る目が無い。或いは運が無い。赤字に急転落するだけならばまだマシだった。金を持ち逃げする者、出納簿を誤魔化す者、後を絶たず。そろそろ数少ない担当者の負担がヤバすぎて暴動だか反乱だかが発生する、という段になって「彼女に店を任せてみたいのだけれど」とお師匠様がオーナー様方にお伺いを立てた存在こそ、私だったらしい。育て上げてくださったこと、そこまで信じてくださったことはとても嬉しい。ただ、それによって奴らに見つかってしまったのだという一点だけが、私を微妙な気持ちにさせてしまった。お師匠様は悪くない。用意されていた、飛び込んでしまった環境が悪かった。私の自業自得なのだ。
 「金関係を任せるには信頼関係が一番大事なんだよなぁ」としみじみ口にする兄には、「少なくともこちらから手は伸ばしていないので一方通行の信頼ですね」と返し、「残業代に、加えて特別手当とか出すから絶対辞めないでくれ」と縋り付くような弟の言葉には、「そんなことより定時に返してもらえた方がよっぽど嬉しい」と返した。未だにちょびっとだけ「やんちゃ」なうちの弟から、このオーナー様兄弟と愉快な仲間たちのエピソードがちらほら聞こえて来る時点で、色々と察してしまうものがある。それでも、一応は彼らの中にもルールというか線引きはあるようで、今のところはそれが守られているものだからずるずるとこのブラックすぎる仕事を続けてしまっている。だって、残業代も特別手当も、とても美味しい。
「蘭さんや、蘭さんや」
「はいはい、なぁに」
「ここに、お宅の竜胆さんがキープしているボトルがあります」
「キープってか、持ち込んだ、じゃなく?」
 ちょっと書類見るの疲れたなぁ、気分転換に店に出るかなぁ、と思い立ち、同時にその存在を思い出したところで、遊びに来たよー、とその兄がやって来たものだから「これは天啓だ」と思った。遊びに来たよ、の言葉通り「遊びに」くる灰谷蘭という男は、こちらがいくら忙しくしていようがお構いなしに絡んでくる。構え、遊べ、という暴君が来店した時点で私の勤務時間は終了だ。代わりに「灰谷蘭対応特別手当」なるものが支給されるので、時間はきっちり覚えておく。因みに、他にも何人か対応特別手当が発生する来客があるので闇が深い。私が今の仕事に引き抜かれるまで、金庫番総括を一手に引き受けていた上司様の苦労が偲ばれる。
 それはそうとして、ボトルである。ごとり、と机上に置いたのは未開封のワインで、どうも真っ当な取引先からいただいたプレゼントであるらしい。取引先について、真っ当な、とか余計な装飾をつけて紹介しないでほしい、と叱ったことは記憶に新しい。真っ当じゃない取引先とか、ちょっと知らない子なので。
「うちは灰谷家の冷蔵庫じゃありません、ということで開けて飲んじゃいたいんだけど一緒にいかがかな?」
「本音は」
「場所取って邪魔」
「とか言いつつもう栓開けてるのウケる」
「思い立ったが吉日だし鮮度が一番だから」
 言いつつグラスをふたつ用意する辺り、人のこと言えないじゃん、と笑う。味わうようなものでもないので、適当に注いで、適当に乾杯、気が向いたので精一杯腕を伸ばし二人写り込むように自撮りを一枚。
「こら、蘭ちゃんは高いぞ」
「うるさいなぁ、一蝶ちゃんだって高いんだぞ」
 するりと手中から端末を抜き取られ、ほら、と呼びかけられるままに二枚目がぱしゃり。腕の長さのせいだろう。二枚目の方が写りがよく見えて、何やら負けたような気がして悔しい。悔しいけれども綺麗に撮れているので、ワインのお礼にと竜胆へ送りつける。添える一文は「でーとなう」。
「うわ、秒で既読付いたわ仕事しろ」
「はいはいブーメラン」
「お前もな」
 チーズ持って行く、と返信が来たので適当なスタンプで返す。なんとも言えないモンスターが、なんとも言えない体勢と表情を浮かべているという謎のスタンプを選択してしまったけれど、まあ、大丈夫だろう。
 味わう気なんてさらさらないらしい共犯者様のグラスが空いたので二杯目を注げば、そっちもさっさと、とボトルを強奪して圧を掛けられる。
「ほんと、店の金には手をつけないのにボトルには遠慮なく手をつけるよなぁ」
「キープボトルは個人の金だし?」
「尚更悪くね?」
 なんだかんだ許してくれると知っているので、遠慮なんてしない。オーナー様御一行は何となくのノリでキープしてそのまま存在を忘れることが多いのだと知っている。日付が変わるまでに来なかったら飲み干すね、と連絡を入れるだけマシではないだろうか。今回は順番が前後してしまったけれど、まあ許される。
「あ、そういやこの間、春くん来たんだけどさぁ」
 三杯目を注ぎつつ、その色を見て思い出してしまった。
「かなり奇抜なファッションで来店されたので、次それで来たら出禁って言っといて」
「あいつ『春くん』って呼ばれてんの何度聞いてもぞわっとする」
「そこかよ」
 奇抜な格好については、覚えていたら、そして相手がちゃんと話を聞ける状態だったら、という微妙な約束のされ方になったのだけれど、深くは聞かない。仕事に疲れてハイテンション? よくある話だ。よくある話。ちょっと色のバランスを考慮しない赤黒い柄に、鉄臭いというか、硝煙臭いというか、そんな奇抜な香水をまとって来店された時には頭を抱えてしまったけれど、他にお客様がいなかったのでそれだけが救いだった。まあ、そもそも営業時間外にハイテンションのままボトルを開けに来やがったのだが。それはもう諦めたので、せめて奇抜なファッションはやめてくれ、というお願いである。
「これでもね、この仕事はそこそこ楽しくて気に入ってるからオーナー様よろしくー」
 行儀なんてくそくらえ。カチン、とグラスをぶつけてから一口。ああ、ヒトの金で飲む酒の美味しいことと言ったら! ……投げ出し、中断した精算書類の山のことは明日以降の自分に任せることにした。弾薬だとかスタンガンだとか、内訳に記された品々がふざけているとしか思えないので、今回の書類の仕分け人は相当お疲れだったご様子。こんなふざけた書類を紛れ込ませるなんて、と上司様に訴えつつお疲れ様な担当者への休暇を進言してあげよう、とは思うのだけれど――歴代のお疲れ担当者さんたちはそれで長い長い休暇に入ってしまうので、次、が見つかるまではまた少し忙しくなってしまうことがひたすらに気が重かった。


◇灰谷蘭(オーナー様の姿)
弟の置いていったらしいワインをどんどん飲んでいる。

◇灰谷竜胆(オーナー様の姿)
置いて行ったワインが飲まれているので、追加の酒を見繕っている。

◇羽宮一蝶(バーテンダーの姿)
人の金で飲む酒は美味い。
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