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復活×探偵

 小さな白い皿の上に乗るティラミス。ほぅ、と息を零した青年は、丁寧にも「写真撮ってもいいですか」と問うてくる。無言でパシャパシャと撮影会を始める客が多いだけに、それだけで高ポイントである。何のポイントなのかはよく分からないが。恐らく、店員の独断と偏見と好みにより貯められていく顧客ポイント。ある程度溜まったらスマイルゼロ円だとか日常会話イベント解放だとか、恐らくそんなものである。許可を得て始められた撮影も消音カメラなのか音は聞こえないほどで、これまた高ポイント獲得案件であった。
 何枚かをいくつかのアングルで撮影して満足したらしい青年は、そっとフォークを手に取ると垂直に差し入れる。反発するように僅かに沈んだもののじわじわ潜り込み、皿にぶつかる小さな音と共に動きを止めたフォークを軽く傾けると、そのまま掬い上げるように欠片を口へ。その瞬間からもう幸せそうな空気が漂っていて、美味しかったんだな、とすぐに分かった。味わいつつも飲み込んだ後、しみじみと呟くように零された「美味しい」の言葉。提供までに己の携わった作業としては皿への盛り付けだけであるというのに、幸せな心地になるのだから不思議なものである。

「コーヒーもケーキもこんなに美味しくて、なら、パスタもきっと美味しいんでしょう」
「ええ、勿論。ですが……」
「まだいける、と思うんですよね」

 勘ですけど、と続けながら青年は再びフォークをティラミスへ。その「いける」は胃袋の容量の話だと思いたいのだが、時間の余裕という意味合いであればあまり信じるわけにもいかなかった。その選択にこちらの意図を挟む余地は無いのだけれど、中途半端に青年を取り巻いている事情を知ってしまった今、知らない顔をして食事を提供し続けられるほどに図太い神経は……まあ、しているような気もするが、顔も声も知らないあの電話の相手に対して少し申し訳なさを感じているのも事実である。
 とはいえ、パスタはさすがに冗談であったらしい。また機会があればその時に、と。

「そこは、嘘でも次だとか今度だとか言ってくださいよ。機会があれば、なんて随分とまあ確率が低そうだ」
「ふふ、オレに嘘はつけませんよ」

 どの口が、とはっきり返せるほどに相手を知るわけではないが、少なくとも、その言葉が本気でないことくらいは分かる。満面の笑みを浮かべながらの言葉の、なんと白々しいことか。
 嘘じゃないんだけどなぁ、と呟いた青年は、でも、と続ける。

「普段はイタリアで過ごしてますし、日本に来るとしたら仕事か実家への帰省くらいなんですよね」
「なるほど。つまり、今後、再びここへ来る確約ができない、と。今回はお仕事ですか」
「一割は」
「一割は」

 思わず、同じ言葉を繰り返してしまった。残る九割は何なのだと突っ込み損ねたのだが、もしかしたら仕事の割合はそれ以下かもしれない、などと続けられた言葉を受けてようやく自らの言葉が戻ってくる。

「あの鬼電はそれで、ですか」
「一応ね、やるべき仕事は終わらせてきたんですけど」

 一応、と初めにつく時点で駄目なのでは、とは口にしなかった。区切りの良いところまでは終わらせたのだ、と果たして胸を張って良いものなのかも分からない宣言をしながらコーヒーカップに指を掛ける姿に、胸の詰まる思いがする。覚えがあるのだ。定時、なんてものを設定しておきながら定時後に、定時前を締切とする重要な業務連絡をしてくる輩に。潜入先ならばまだしも、本来の職場ですら横行している所業に、爆発してしまえと考えた回数は両手両足の指だけでは足りない。嫌な想像だが、組織の命令で爆発物を設置して、職場の命令でそれを解体する羽目になるという、意図しないマッチポンプが実現する未来があるかもしれない。本当に、嫌な想像だが。やけにド派手な演出の好きな裏の組織のことなので、可能性がゼロだと言い切ることができないのも、嫌な話である。
 終わることの無い書類の山。低くなったと思えば追加される様子は、椀子蕎麦ならぬ椀子書類。おなじ「わんこ」なら子犬をもふもふしたい、癒されたい。何度そう考えたことだろうか。忙しいとわかっていながら野良犬を拾った己の選択は間違ってなどいなかった。今ならば胸を張ってそう言える。
 書類の山だとか、今時アナログな承認作業だとか、そんなことをぐちぐちとボヤく青年に対して親身に相槌を打っていれば、ふと視線に気がついた。好奇心の塊、小学一年生の男の子からの熱い視線である。青年もこちらの反応で気がついたのか、振り返りその視線を受け止める。

「ごめんね、うるさかったかな」
「全然。ね、ボクも混ざっていい?」

 宿題が終わっているならいいよ、と笑う青年の言葉に元気よく終わったと返すと、手際よく荷物を纏めて一抱えに。散らかしたまま、机を占領したままにしない辺り、きっちりとしつけられているのだろう。
 すぐ横の座席に置いていた紙袋の移動先として、カウンター越しに荷物カゴを渡す。ひとつ隣の席へと移動しても良いのだけれど、いくら客入りの少ない時間帯とはいえあまり座席を塞いでしまう行為は好まない人であるような気がしたので。

「ふふ、勉強お疲れ様。一年生かな」
「うん! 江戸川コナンだよ。そっちは安室透さん。お兄さんは?」
「オレは沢田綱吉です。自己紹介できて偉いね」

 にこにこと笑う沢田氏は本当に子供が好きらしい。その表情には、先程まで吐き出されていた仕事への恨みつらみなど欠片も残っていなかった。

「ふたりの話が聞こえてたんだけど、お兄さん、イタリアで仕事してるの?」
「そう。イタリア、分かるかな?」
「長靴の国でしょ? あと、ピザ!」
「そうそう。Pizza、あー、ピッツァの国、だよ」

 回答が正しいと受け入れつつも、訂正せずにはいられなかったらしい。ピザとピッツァ。同一視されがちだが、厳密には異なる食べ物であると言ってもいいだろう。他のイメージを問われてパスタと答えたものだから、パスタの種類を何個知っているか、という話に発展している。日本では「マカロニ」や「スパゲッティ」の二種でざっくりと括られてしまうことも多いけれど、本来はそれぞれショートパスタとロングパスタの一種でしかない。いくつか答えて打ち止めとなったものの、その歳でそれだけ知っていれば十分だ、という沢田氏の感想には共感しかない。本当に、知識に幅のある少年である。

「それにしても、お兄さんって凄いんだね!」
「オレが?」
「もう海外での仕事を任せてもいいって思われてるってことでしょ?」
「日本は出身国だしね。他にも何人かと一緒に動くし」

 そう言う割には、一人で行動している様子だけれど。突っ込みかけたところで、続く言葉に納得する。

「まあ、置いて来ちゃったんだけど」
「置いて?」
「イタリアにね。あ、今は雲の上かもしれない」

 鬼電の人ですか。鬼電の人です。
 言葉にせずとも、視線だけで会話は成立したようである。本来ならば、共に明日のチケットで日本に向かう予定であったそうだ。それがふと、馬車馬のように働き詰めた結果やるべき仕事は終わったのだから、ここらで少しばかり休暇を取ったって文句は言われないのでは、と思ったらしい。抱えていた面倒な仕事を終わらせるために訪れたオーストリア、音楽の都とも言われるウィーンに溢れる「音」へと耳を傾ける余裕が生まれた瞬間に、ふっと頭に浮かんでしまったのだ。青空に響くトランペットの音が、天啓をもたらしたらしい。財布もパスポートも手元にある。そうだ、日本に行こう、と。
 当然の事ながら、オーストリアでも同僚と一緒に行動はしていた。が、入り組んだ路地や人混みを利用して撒いたという。なんというアグレッシブさ。聞けば、その撒かれた同僚こそ今回の日本での仕事にも同行予定であり、現在は雲の上と思われるその人であるという。

「着の身着のままで飛行機に飛び乗ってしまってから、財布とパスポートと携帯しか持ってないな、と気がついてしまって」
「日本に来てから、カジュアルな服を買ってその場で着替えたんですね」

 紙袋の謎が解明された瞬間である。
 面倒な仕事が終わった直後の開放感と誘惑には心当たりがあった。この潜入が無事に終わった暁には、電波の届かないような秘境へふらりと身を隠してしまいたいと常々考えているところであるので。嫌な時代になってしまった。仕事があれば、電話一本、メール一通で呼び出されてしまうのだ。二十四時間気の抜けない仕事に従事しているところであるので、そんなご褒美がなければやっていられない。息抜きにそんな秘境をリストアップして眺めることが、小さな癒しとなっていることは否めない。虚しいけれど。
 路地を駆け抜け、人混みを掻い潜り、時には空を飛びながら同僚を撒いたという逃避行。小学生相手の冒険譚として誇張した所はあるのだろうけれど、語り口が上手く引き込まれてしまう。やっていることは、まあ、大人としてどうなのか、という逃亡劇ではあるが。

「とまあ、好き勝手やらせてもらってちょっとリフレッシュもできたしね、そろそろ合流しないとな、とは思ってるんだ」
「雲の上の人と?」
「いや、先にこっちに来てた人と」

 雲の上の人から、迎えに行けって指令が飛んだみたいだ、と笑う沢田氏。「先にこっちに来てた人」と合流するよう沢田氏に伝えるのではない辺り、と邪推しかけたが、続く言葉に否定される。休みが無かったことは事実であり、故の逃避行であるために、せめて合流までゆっくり休んでください、とのことである。優しいお仲間で羨ましい。

「というわけで、勝手に待ち合わせ場所にしてしまって申し訳ないんですが、しばらくの間、お邪魔します」
「大丈夫ですよ。ゆっくりお過ごしください」

 ケーキの最後の一欠片を名残惜しそうに口へと運ぶ姿からは想像もできないのだけれど、平凡な男にしか見えないこの沢田綱吉という人物は、世界を股にかけて逃亡劇を繰り広げる超アグレッシブな男であるらしかった。
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