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ばけものこいがたり

 決して自慢ではないのだが、大家おおや利生りおは己の存在が不特定多数の感情を波立たせるものであるということを知っている。好意も悪意も導き出される結論は何故だか同じで、等しく自らを害するものであるからだ。容姿の美醜については、整っている方向へと針が振り切れているらしいことは周囲の反応から理解していた。言葉にはしないが、迷惑な話だとは思っている。
 己を愛してくれているモノが何であるのかについては見当もつかないが、どうせ碌でもない存在なのだとは常々考えていた。それが神と呼ばれていようが、魑魅魍魎と区分されていようが、利生自身が不利益を被っているという事実は変わらないのだから。
 誰が言いだしたのかは分からないのだが、不運に愛された子、とはかなり気を遣った表現であるものの間違いではないだろう。道を歩いていて上から物が落ちてくることも、車が突っ込んでくることも、不審者や変質者と遭遇することも、幼い頃から利生とそのすぐ近くで過ごしている人間にとっては日常の一部であった。疫病神、死神と言われないだけマシだった。
 様々な対策を模索した結果として辿り着いた「御守」のお陰で随分と落ち着いてはきていたが、幼い頃からの習慣は拭いきることができずにいる。周囲への警戒と人間観察は、慣れた作業と化していた。そのお陰で「どうやら部活動における唯一の先輩は、随分と面倒くさい人間であるらしい」ということに早々に気がつくことができた。その点についてはこの体質というか、厄介なモノに好かれてきた人生のお陰であったと言っても良いだろう。それでも、いくらかマシになったとはいえ「不運に愛された子」であることに変わりはなく、すれ違いが重なった結果として、件の先輩と顔を合わせたのは入部届が受理されてから四ヶ月が経過してからのことであった。
 不運なすれ違いが生じてはいたものの、利生自身は気にも留めていなかった。どうやら利生を愛してくれているモノは、利生を殺してしまいたいわけではないらしい。不運の標的が利生以外であればその限りではないものの、死に直結するほどの不運に対しては「運良く」難を逃れる程度の加護らしきものがある。部室のある校舎南館に入った瞬間から空気が変わり、他にも居るはずの生徒と出会うことがなければ察するというもの。神隠しに遭ったというか、異空間へと呼ばれてしまったというか、そんな状況は過去に何度も経験していたし、あるかないかも分からない加護のお陰で死ぬことはない。どうやら放課後に南館へ入らなければ問題がないようであったので、そういった独自のルールを守ってくれる怪異であるのならば焦る必要もないくらいに慣れてしまっていた。
 南館が閉ざされるのは、終礼のチャイムが鳴ってから生徒の完全下校を促すチャイムが鳴るまでの間。校舎の出入りは自由で、校舎から出てしまえば広がっているのはごく普通の放課後の風景だ。迷い込んでしまった先で一度でも襲われたことがあれば、もっと違った反応になっていただろう。しかし、利生だけが迷い込んでしまう南館は、随分と静かなものであった。宿題や予習復習をするに相応しい空間で、唯一の難点をあげるとするならば、分からない箇所を質問したければ校舎を出て答えを知る人間を探せ、というくらいであったものだから。
 常日頃は利生専用の空間となっている放課後の南館であったのだけれど、ごく稀に、他の存在が迷い込んでいることがあった。
 それはとある一室。精巧なマネキンが椅子に座っていた。
 それはとある一室。可愛らしい雛人形が黒板の上からこちらを眺めていた。
 それはとある一室。綺麗なドレスで着飾った西洋人形が携帯電話を取り囲んでいた。
 現れる教室は様々で、出会うかどうかは運次第。出会ったところで何も起こらないのだから、彼女らの意図するところが全く分からない。
 彼女ら。
 そう、彼女ら。利生の確認した限りでは、男の姿をしたものはいなかった。言葉を交わしたこともないのだから確実にそうだとは言えないのだが、彼女らには利生という「男」をどうにかしてやろう、といった目的もなかったように思われる。ただ彼女たちの空間に招かれただけ。利生にとってはそんな認識であり、穏やかな放課後を謳歌しつつも唯一気にしていたことといえば、自らの提出した入部届が正式に受理されているのかどうか、であった。
 そもそも利生が放課後の南館へと足を運ぶのは、部活動に参加するためである。部員数の減少により、文芸部と新聞部、そして写真部が部室を合同で使用している、と聞いている。写真部を希望して部室の扉を叩いたはずが、気がつけば入部届は三枚書いていた。
 利生にとっては唯一となる先輩も、文芸部の扉を叩いて同じ目に遭ったらしい。兼部も楽しいけれど、同じ悲劇を繰り返さないようにそれぞれの部員を増やすことが目標であるとの宣言を最後に、利生は先輩と会うことができていない。理由は簡単。利生が神隠しに遭ってしまうから。
 利生が「こちら側」へと来ている間、先輩はひとりぼっちのまま部室で待ってくれているのだろうか。入部届を出したきり、一度も顔を出してこない後輩を待ってくれているのだろうか。待ってくれているのかもしれないし、もう諦めてしまっているのかもしれない。学年が違えば校舎内ですれ違うこともなく、確認ができないままにずるずるとここまで来てしまっていた。未だ一度しか会ったことのない先輩の元へ「入部届はどうなりましたか」なんて確認をしにわざわざ向かうだなんて、そんなことをする勇気は無かったのだ。
 もしかすると、利生以外にも入部した新入生がいて、彼らとの時間の中に利生の存在は埋没してしまっているのかもしれない。そんなことを考えたとき、ふと浮かんだ光景がある。
 夕暮れの教室に人影がふたつ。先輩と、自分と。
 客観的な視点からそれを捉えているのは、座っているのが自分自身ではないからだ。夕日を反射する、硬質な目。そこに居るのは己によく似た人形で、先輩は気にした素振りもなく時間を共有している。その空間を作り出すために、利生は神隠しをされた。先輩を愛してやまない人形たちの手で。
 そうであるならば、利生が彼女らの望む時間を壊さない存在であることを理解してもらえなければ、いつまで経っても部活動に参加することができないのだろう。仮説が正しいと信じるのであれば、やるべきことは決まっていた。自分はただ写真部として活動したいのであって、先輩を盗ってしまおうなどという不埒な考えは持っていないのだと、放課後に遭遇する教室の人形たちに滾々と語り続けること一週間。何の前触れもなく、南館の「怪異」は大人しくなった。
 ようやく足を踏み入れた写真部の部室で待ってくれていた先輩は、写真以外にもこき使ってあげるからよろしくね、と笑っていた。
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