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やほよろづ

 目が覚めたのは、狭くて暗い場所だったように思う。身動きは取れなかったものの、優しい温もりに包まれ、優しい声に包まれ、幸せだった。壁の向こう側は時折騒がしかったけれど、穏やかな時間の方がずっと長かった。
 どれほどの時間が経ったのか。呼ばれたような気がした。行かなければならないような気がした。どこへ、なのかは分からない。それでも、出なければ、と。本能のままに体を動かし、そして壁が薄かったことを知る。いつでも破ることができたのかと気が付いた時には、外へと飛び出していた。
 初めて見た世界が眩しくて、思わず目を閉じる。初めて触れた風の動きがとてもくすぐったかった。壁の向こう側は思っていたよりも随分と静かな場所で、あの温かな声はどこにいったのだろうと、置いていかれてしまったのだろうかと、考えていたのはそんなことばかりだった。
 眩しい、と閉じた目が開けない。目の奥、頭痛へと変わるその痛みは、決して世界が眩しかったからばかりではない。確証は無かったものの、何となくそんな気がしていた。信じたくないことには気がつかなかったふりをして、新しい世界に戸惑っているだけなのだと信じようとした。

 頭が、体が、翼が、足が。
 目が、喉が、羽が、心が。

 全てが痛みを訴えていて、それなのに、誰も傍へは来てくれない。暗闇に包まれていた頃は、それでも、優しい温もりが傍に在った。狭い世界でも、外からは優しい声が聴こえてきていた。大好きだったのに、それだけで良かったのに、世界は冷たくて、そして無音だ。

『元気に生きてな』『辛いことがあっても、頑張りや』『皆が敵でも、お母さんは味方やから』『絶対、誰かが愛してくれるから』『元気に生まれてや』『どんな恐ろしいもんからも、お母さんが守ったるから』『なあ、一緒に空を飛ぼうな』『どんな顔をしとるんか、早よ見せて』『どんな声なんか、早よ聴かせて』『お母さんは、あんたの幸せを願っとるよ』『なあ、早よ生まれてきてや、愛しい子』

 安心できたあの温もりが、傍に無い。安心できたその声が、聴こえない。
 探したくて、傍に行きたくて、そのためにはまず、目を開けなければならなくて。少しでも動かせば鈍痛の響く身体がままならず、ゆっくりと開いた視界に飛び込んできたのは、黒い翼。初めて見たそれも、何故か安心できるもので。痛む体を震わせ、ゆっくりとその翼に体を寄せる。そして、己の身体にも小さいけれど同じものがあることを知る。それは少し嬉しかったのだけれど。
(――冷たい)
 あの温もりとは程遠い。
 温もりの在り処を探したくて、それでもその翼から体を離したくなくて、結局、そのままそこに座り込む。体を寄せたまま見える範囲を見渡すと、自分の出てきた場所――割れた卵が目に入る。
(……何やろ、白い)
 自分にはないそれが気になって、ゆっくりと卵に添えられたそれがどこに続くのかを目で辿る。すると、どうやらこの黒い翼の下から生えているようで。
(……何やろ)
 翼の下に潜り込めば、何か分かるのか。ああ、でも、痛くて今は動けそうにない。
 纏まらない思考を何とかしたくて、けれど、どうすれば良いのかが分からなないまま、黒い翼に体を預けた。いつかきっと、あの温かな声が迎えに来てくれるのだと、そう信じて。
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