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二刀流になってからの話

 ぱちり、と目が合った。人混みの向こう側、そこだけが異空間であるように見えるのは、彼がただそこに立っているだけだからだ。忙しなく動き回る周囲の状況なんて気にもせず、じっとこちらを見据えてくる瞳。こちらが彼を認識したことに気がついたのだろう。ゆっくりと人の流れの間をすり抜けて近付いてくる彼に合わせ、僅かに己も移動する。人の流れの妨げとならないところへ。彼もまた、それに合わせて進路を調節する。
 とある本丸の刀帳にその名を記されていながらも、姿を消していた彼。審神者が居なくなったその日、いつも通りに過ごしていた他の男士と同じように外出し、そしてその先で行方が分からなくなってしまった太刀、髭切がそこに居た。
 数多の同位体が存在していながらそうであると分かったのは、その腕に模造刀が抱えられているからだ。彼の審神者が現世土産として持ち帰ったそれ。己の模造刀を、髭切はずっと気にしていたらしい。
 この子に何かが宿ったら、それはどんな姿をしているのかな。
 そんな話を審神者と交わし、そして時折持ち歩いていたという。だからその日も彼が「その子」と共に本丸を出たことは、問題のないことだった。いつも通りの光景であったのだと皆が口を揃える。
 審神者と髭切が気にしていたものだから、本丸中が件の模造刀のことを気にしていた。髭切は自身で動くことができるから問題は無いだろう。でも、あの子は。あの子は動くことができないのに。何か悪いことに巻き込まれてはいないだろうか。傷つけられてはいないだろうか。無事に帰ってきてくれるだろうか。
 審神者亡きあと、それだけを心配しながら還っていった彼らを見送った。だからこそ「模造刀を抱えた髭切が演練場にいる」という噂を聞いてからは、暇さえあれば演練場へと足を運ぶようになった。髭切がたった一振りで、あの子、と呼ばれる模造刀と共にさまよっている理由を確かめなければ、己の仕事は終わらない。
 髭切が出てから本丸を訪れた政府職員のうちの一人であるため、彼がこちらを知っているとは思えなかった。そうであるのにこうして相対することができたということは幸運であり、縁があった、ということなのだろう。何が気にかかるのか、分かりやすく疑問を表す髭切に「はじめまして」と投げかける。
「うんうん、やっぱりそうだよね」
 ほっとした様子で頷いた彼は、どこか懐かしい雰囲気を感じた相手が見ず知らずの人間であったことに戸惑ったらしい。髭切という太刀の特性か、記憶力に自信のない個体は多い。それを自覚している彼は、もしかすると自分が忘れているだけで実は会ったことがあったのでは、そうなると挨拶はどうするべきか、まあ気にしなくても良いか、と考えてくれていたようで。ああ、なんとお優しい御方だろうか。
 審神者亡きあとに本丸を訪れ、そしてそこに暮らしていた皆を見送ることが仕事だったのだと伝えると、納得したようだった。嫌な役割だっただろうにありがとう、とまで。仕事だ、と言うと望まないことであっても無理やりに、という印象を持たれてしまうのかもしれないが、自分では最期を看取る大切な役割であると自負している。むしろ見送らせてくださりありがとうございました、と伝えると、変わった人間ひとだね、と笑う。
 つられて笑いかけたところで、我に返った。談笑している場合ではないのだ。行方不明……と表現して良いのかは分からないが、ともかく、本丸から行方をくらまし、審神者の中で一種の都市伝説化しつつある二刀流の兄者こと問題の髭切を見つけ出して終わり、ではない。
「ところで、髭切様は」
 仕事に切り替えなければ、とその名を呼んだ瞬間に、空気が変わる。
「ああ、それなんだけどね。僕は髭切じゃないんだよ」
「ええと、それは」
「基本的には名前なんてどうでもいいとは思っているんだけれど、髭切は駄目。他なら好きに呼んでくれていいから」
 名前はどうでもいい、を豪語する髭切という太刀が、その名は嫌だと口にする。それも、審神者が彼を励起して契約を結ぶために定められた、刀剣男士としての第一の名を。
 彼は相変わらず笑っている。笑ってはいるけれど、少しでも返答を間違えたならば切り捨てられても文句は言えないような、そんな緊張感に指先が震える。緊張感、なんて可愛らしい表現では足りない。威圧感だとか、圧迫感だとか、そんな重量を持ったものが身を押し潰すようだ。そのような状況で、彼を表す幾つもの名のうちのどれを選び取れというのか。
「……そうだね、あんまり変な呼び方をされても切っちゃいたくなりそうだし、友切でいいよ」
「で、では、友切様と」
 なあに、と柔らかく返す髭切、いや、友切は何を思ってその名を選んだのか。そもそも、どうして髭切の名を嫌がったのか。聞きたいこと、そして確認しなければならないことはたくさんあった。だから。
「友切様、政府の専門機関へまいりましょう。顕現を続けられるにしても、一度そちらへ」
 よくもまあ、審神者を喪いながら単独で動けたものだ、と思う。これもまた、永く在り、永く人々の思いを集め続けた刀の付喪神であるからか。そう考えながら差し出した手は、しかし、彼に取られることはなかった。
「政府には行かないよ。何を今更って感じだし、僕もこの子も困ってないもの」
 この子、と愛おしげに撫でられた模造刀が、かたり、と音を立てた気がした。
 いや、きっと気のせいだ。
 意識を逸らそうと思うのに、彼がそのまま柄に手をかけて抜こうとするものだから、目が離せない。綺麗でしょ、と声がする。

 頷いたのか否定したのか。
 意識がそこで途切れてしまっているので、答えは分からない。こうして生きているということは返答が彼の気に入るものであったか、それとも見ず知らずの人間の言葉など気にも留めぬと振り切ってしまったのか。ただひとつ確実なのは、彼らが逃げ出したということ。手を振り払ったこと。人の手を離れてしまったこと。そう在ることを、彼が――彼らが選んだことである。
 政府には行かないと口にした友切の目は冷え切っていたし、何を今更とは吐き捨てるようであった。もしかすると、選択に至るまでのどこかで政府と何かがあったのかもしれない。或いは、何もなかったのかもしれない。なかったが故の選択なのかもしれない。もう、確認のしようもないことではあるが。一度は見逃してくれた彼が、二度目もそうであるとは限らない。そもそも二度目があるのかどうかすらも。
 願わくば、彼らが鬼へと転じてしまう前に全てを明らかに、と。鬼を切った彼が鬼として切られてしまうだなんて、なんと悲しいことだろうか。
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