このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

二次log

 揃いの指輪、というものに憧れないわけではなかったが、実現できるかどうかを考えるとそれは難しいことだった。
 同じ職場で働く五条鶴丸と粟田口一期。二人は独身女性からの熱心なアプローチが途切れない程度には顔立ちが整っていて、自身が女性たちから様々な意味合いで観察されていることをよく理解していた。それまで付けていなかった「指輪」なんて暗喩性の高いものを二人が揃って付け始めたとしたら、それは部署内のみならず会社中の女性達が共有する情報となるだろう。世間では少しずつ受け入れられ始めているとはいえ、二人には自分たちが恋人関係にあるのだ、ということを公言する勇気は無かった。
 しかし、いくら秘めておくべき関係性であると頭では理解していても、感情がそれに納得しているかと問われると難しいところであった。人並みに独占欲はある。嫉妬心だって、そこに由来する束縛欲だって、確かにある。男女という「一般的」な恋人たちの行く末には結婚というものがある。それなのに、自分たちの関係性にはそれが無い。海外に行けば、と考えることはあるけれど、それはあまり現実的な話ではない。辛うじて、養子縁組という形で家族になる、くらいしか。最近では公的機関が同性のパートナーという存在について許容する姿勢を見せ始めてはいるけれど、まだまだマイノリティであることの変わりはないのだ。それが、酷くもどかしかった。
 故に、鶴丸は考えた。どうすれば、己の欲望を満たすことができるのだろうか。大切な伴侶を好奇の目に晒さず、けれど、自分に一生縛り付けるための方法はないものだろうか。考えて、考えて、そして、ある一つの方法に辿り着いたのだ。
「なあ、一期」
 自身も忙しく疲れているだろうに、弟たちへ食事を作っていたし慣れているから、と一期は今日も台所に立っている。大学生の頃から「ルームシェア」は続けられているのだが、彼が台所に立たなかったことなんて、数えるほどしかないだろう。それも、正確に言うならば立たなかったのではなく「立てなかった」のだ。帰省していたり、体調を崩していたり。もっと頼ってくれてもいいのに、一期は頑なに役目を譲ろうとはしてくれない。
 並んで一緒に調理をすることもあるけれど、今夜のメニューが「粟田口家特製勝利祈願メニュー」であるために鶴丸は野菜を洗うことすら許してはもらえなかった。鶴丸と一期自身に何かがあるわけではなく、一期の弟たちが明日からテスト週間に入るらしい。勝利祈願メニューとは銘打っているけれど、何かしらのイベントごとに出されていたらしいそのメニューに関してだけは、一期は鶴丸の関与を一切許さなかった。そのために鶴丸は椅子に座ったまま、話かけるタイミングを待つ以外にやることがなかったのだ。
 勝利祈願メニューと言うだけあって、メインは何かしらのカツである。今夜は豚。定番中の定番だ。一期は今、共に盛り付けるキャベツの千切りに取り掛かっている。話かけても振り向くことなく返事がくることなんて、想定済みであった。しかし、今回ばかりはその方が好都合なのだ。気の置けない仲ではあるけれど、あらためて顔を突き合わせて話をするには恥ずかしすぎる提案を、鶴丸は胸の内に秘めている。
「聞き流してくれても構わん内容だからな、是非ともそのまま夕飯作りを続けてくれ。腹が減った」
「あともう少しでできますからね、フライングでお菓子とかはやめてくださいよ」
「分かっているとも」
 以前、どうしても我慢ができなくなってチョコレートを一口だけ、齧ったことがある。一口だけだ。一口だけで、一期は臍を曲げた。その日は前日から続く喧嘩をしていて、会社では他の社員の結婚が発表されて、それに影響された女性陣によって鶴丸も一期も想定外の余波を喰らってしまっていて、そんなあれこれが積み重なった結果であったのだけれど、それでも変わらず台所に立ってくれていた一期は、見事に臍を曲げた。それはもう盛大に臍を曲げた。複雑に積み重なってしまった問題を一括して清算するきっかけにはなったけれど、あんな思いはもう懲り懲りである。
 閑話休題。
 「聞いてますからね」と水を向けてくれる一期に感謝しつつ、鶴丸は喉元から逃げ出そうとした言葉たちを捕まえて、放り投げることを決意する。こういうことは勢いに任せて言いきってしまう方が良いのだということは、経験で知っていた。
「一つ、提案なんだがな」
「はい」
 とんとんとん、と規則正しい包丁の音。お手本のように美しい千切りを包丁一本で作り上げてくれるこの男は、間違いなく「優良物件」である。料理だけではない。仕事も、プライベートも、どちらでも頼れる優れたポテンシャルがあり、そして自分だけに甘えてくれるのだという優越感まで与えてくれるという素晴らしさ。自分に縛り付けてしまって本当に良いのか、と頭のどこかで良心が囁いてはいるけれど、知ったことではない。そんな「常識」とはこれまでに何度も争いを繰り広げて来ていて、自分自身が「非常識」な人間であることは自覚済みなのだ。鶴丸も、一期も。
 いつの間にか握りしめてしまっていた掌にじわりと汗が滲む。ここまで緊張するのは、果たしていつぶりであるだろうか。
「刺青、をだな」
「……はい?」
「入れてみないか、と」
「……すみません、最初から説明をお願いします」
 通常の会話であれば視線が合わずとも継続されたであろうが、流石の一期も今回ばかりは振り向かざるを得なかったらしい。鶴丸も一期に突然持ちかけられた提案が「刺青云々」であったならば同じ反応を返していただろう。規則正しく鳴らされていた包丁の動きは止まり、軽く手を洗った一期が台所を離れてしまう。夕飯は遠のいてしまったが、このタイミングでそこに言及することができるほど、鶴丸は図太い神経をしているわけではなかった。
 机を挟み、椅子に座った一期がふっと息を吐く。机の上には軽く組まれた手。部下であったり、弟であったり、とにかく誰かを問い質す際の一期お決まりのポーズである。傍から見ているだけならば様になっていて惚れ直すだけだというのに、己にそれが向けられているとなれば話が違ってくる。このポーズは「自分が納得できるまで、追及の手を緩めるつもりはありません」という意思表示でもあるのだ。厄介、いや、面倒な事この上ない。
「説明を」
「まあ、要約すると『一生ものの繋がりが欲しい』ってだけなんだが」
「……何となく、理解しました」
 頭の回転が速い人間が相手だと、本当に説明が楽でいい。何となくとはいえ理解してくれたのだからこれで終わり、かと思いきや、一期は納得してくれていないようだった。追及ポーズは、緩められていない。
「あー、ほら、俺たちってその、大手を振って『結婚しました』とか言えないだろ」
「確かにそうですが、その件については」
「互いにぶちまけ合ったから終わってるのは分かっている。分かってはいるが、ここは一つ、独占欲の強い男の戯言だと思って諦めてほしい」
「終わってないじゃないですか、それ」
「すまん」
 仕方がない人だ、とどこか呆れたように笑う一期の表情を見て、ほんの少しだけ心が和む。和んだところで状況は変わらないが、相手が仏頂面をしているか緩んだ表情をしているかということは話し合いにおけるプレッシャーという意味で非常に重要なのだ。
 婚姻届を提出するだとか、揃いの指輪をつけて行くだとか、そんな「当たり前」のことができない。その件については以前に一度だけ、話し合ったことがあった。本当に自分たちの選んだ道は、二人で幸せになることができる未来へと続いているのだろうか、と。間違っている間違っていないという問答は愚問であった。世間一般の大勢は「間違っている」と断じるだろうし、そのような中でも自分たちだけは「間違っていない」と信じている。だから、大切なのは「二人が本当に幸せになることができる選択であったのか」だ。互いに相手をマイノリティへと縛り付けてしまったという負い目があって、それらを包み隠さずにぶちまけてきたから、こうして二人で共に暮らし、同じものを食べて過ごしている。
 しかしながら、どうにかして「こいつは俺のものだ」と叫びたいという欲が無いというわけではないのだ。世間一般に知らしめることはもう諦めた。それでも、せめて自分たちが満足できるような、安心できるような証が欲しかった。それくらい、許してほしかった。
「例えば骨盤の辺りなら、真っ裸にならん限りはばれないだろう。そんな場所で良いんだ。俺たちに実現可能な一生ものの証明書的なものをと考えた時に、それしかない、と思ってしまって、だな、うん」
「一つの方向にしか目が向かず、説明時にしどろもどろ。そんな状態では企画の立案発表時だと負け戦確定ですよ」
「企画の立案発表ならな。だが今は」
「何が違うと」
「プライベートだ」
「棄却します」
 却下、とされなかっただけマシだと考えることにする。また、棄却の言葉と共に一期の追及ポーズが解かれたこともプラスに考える要因の一つとしよう。少なくとも、一期は鶴丸の言葉に納得してくれたらしいから。
 納得はしてくれた。となれば、残る不安は提案を受け入れてくれるかどうか、である。特に反応もなく台所へと戻る一期を見送る鶴丸の目は縋りつくようであった、と後に一期は語る。
「一期、その」
「企画の立案発表時であれば、と言いましたよね」
「つまり、それは」
「柄や場所については、まあまた後ほどに」
 一生ものの徴を望むのが自分だけであるなんて思わないでいただきたい。
 そう続けた一期の耳は、背後からでもよく分かるほどに真っ赤になってしまっている。鶴丸は緩んでしまう頬を隠そうともせず、愛しい恋人の元へと駆けた。
2/27ページ
    スキ