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輪廻の縁で逢いましょう

「さて、突然で悪いのだけれど、僕らと契約してママになってくれないかな」
「何て?」
「さて、突然で悪いのだけれど」
「繰り返せってことじゃないんだよなぁ!」
 いつぞやの再来。静かに携帯のカメラをこちらへと向けながら、面白がる様を隠そうともしない親友の姿がある。そして、その隣でなんとも言えない表情のままに虚空を見上げる姿。喜びと、戸惑いと、あとは羞恥と嘲笑か? いや、最後のひとつは言い過ぎかもしれない。面白がって、はいる気がする。加えて申し訳なさだろうか。
 虚空を見上げているのは、現実を直視したくないからだろう。分かっていて、強引にその思いを捻じ伏せる。
「あっ、いたっ、ちょ、こまりますおきゃくさま!」
「困らされているお客様に対して、監督責任を果たすべきではないかな」
「こちらは方向性の違いで別行動を選択した身だ。あまり我がある……ある……彼女を困らせないでくれ」
 なるほど、野良活動をしている刀剣男士であったか。それでも記憶に引っ張られたのか、主人として抱く言い回しをしかけ、何と呼ぶべきか迷った末に「彼女」へと着地した姿。なんというか。
「……可愛いと思った? ようこそ水心子の沼へ」
「可愛いとか言わないでくれ我が主!」
「かわいいよね」
「かわいい!」
「ほら、みみななも可愛いって」
「ぐっ」
 二振りに手を引かれてこちらを窺っていた少女たち。可愛い、の言葉に反応して「すいしんし」とやらを可愛いと言う彼女らを、否定することもできずに何とも言えない表情で堪える姿。可愛い、と言わずして何と言う。
 みみなな、と呼ばれた彼女らに親指を立てて頷いて見せた神倉がまとめて進行してくれたならば良かったのだが、全く期待ができそうにないのでここは夏油が口火を切るしかない。
「……可愛いかとかママになるかどうかとかは別として、まずは事情を聞かせてもらわないと」
 そう、まずは説明を求める。そうしなければ何事も進められないだろう。彼らは本当に「刀剣男士」で良いのか。彼らの連れている少女らは何者なのか。そしてようやく、発言の真意。いくら「クズ」だと言われる男である自覚があるとはいえ、無責任に子種をばら撒くような所業に心当たりはないのだ。……いや、まあこの業界であるので、意図せぬところで何かしらの意志によって無断で回収されていない、と言い切ることができないあたりが業界の闇ではあるのだけれど、まだ大丈夫だと信じていたい、というのがつい先日の親友との会話である。辛い。教室でそんなことを話していた自分たちも悪いのだろうが、精子の段階から術師と非術師に差異があるのか見たいからサンプル提供しろ、と家入に真顔で言われたことも辛かった。神倉が刀剣男士のものもいるかと口にした時の思わぬ流れ弾っぷり、奴らは術式の類だからいらないと返された時の安心した様子――から一転、術式で人を模す輩のどこまでが人と同じであるのかを知りたいと言われた瞬間の張り詰めた空気を、夏油は決して忘れない。猥談は何も生み出さない。いや、そもそもの始まりは切実な問題であったはずなのだけれども。
 未登録の呪力の流れを感知した高専のアラートに、またお前達かと言わんばかりの形相で飛んできた夜蛾の姿。目にした少女たちの反応が、敢えて触れないようにしていたけれども彼女たちの出立ちが、どういった環境に生きてきた子どもであるのかを示しているようで、驚かせないよう、そっと屈み込む。縦に図体ばかり大きくなりやがって、と口にしたのは誰だったか。平均身長よりも高く伸びた背、制服であったので全身が真っ黒の大男を見上げる色に、警戒が混ざっていたのも当然のことであろう。
「ごめんね、びっくりさせて。あの人、ぬいぐるみの大好きな優しい先生だから、怖がらないで」
「ぬいぐるみ?」
「ふわふわ?」
「ん、ふわふわもたくさんあるよ」
 呪力コントロールの鍛錬のため、気を抜けば即座に殴りかかってくるような可愛くない機能が組み込まれてはいたけれども、それでも、ふわふわであることに変わりはない、はずだ。ふわふわ、ふわふわ、と小さく繰り返す二人はどう見たって大人たちに虐げられてきた子ども、悲しいことに、任務でそのような存在は何度も目にしてきたが、これは。
「……何なんですか、その目」
「いや、ね。本能の赴くままにこちらへ来たとはいえ、君に、君たちに任せて良いものなのか、本当に悩んでいたんだよ」
 それでも、そうやって屈んでやれるだけの人の心があるのならば大丈夫だろう、と笑う。
「みみ、なな」
「なぁに、神様」
「あの人にぬいぐるみを見せてもらおう」
「いいのかな」
「ぬいぐるみに埋もれるみみななを、水深 心子も見たいんだって」
「清麿!?」
「神様、見たいの?」
「ぬいぐるみと、みみなな?」
「う……あ、んむぅ……み、たい、と思う、よ」
 じゃあ、行こう! と小さく笑う様子に、彼女らが「神様」と呼ぶ二振りとの信頼関係が窺える。碌でもない環境に置かれていたのだろう。そんな中に現れた、文字通り「神様」たち。けれど、彼らがそんなにお綺麗なだけの存在ではないことを知っている。本能に刻まれているのは、歴史の流れを守るということ。そんな彼らの行動理念は、神倉美琴の安寧を守ることが第一である。そのはずだ。いくら「野良」を名乗っていても、その在り方は変わらないはずの彼らが、彼女らを助け、ここまで連れてきた理由は何か。
 夜蛾と共に「ぬいぐるみ部屋」へと消える双子と一振りを見送り、残った一振りの表情は常に貼り付けたような微笑みだ。緩く笑みを浮かべたまま変わらぬそれがどこか不気味で、立ち上がってしまえば己よりも小さな身形の存在である彼に、どこか気圧される。
「そんなに難しいことじゃないんだ」
 ただ、蝶も生きているのだということを知っただけ。たかだか蝶の羽ばたき程度で散ってしまう花など、そのまま枯れ果ててしまえばいい。そう思ったから籠を壊し、蝶を解き放つことにしたのだと。
「……蝶?」
「そう。ほら、なんて言うんだっけ。ばたふらい、えふぇくと?」
 どうせ、正しい未来を知らぬ世界だ。世界に修正力という作用があるとするならば、それこそが刀剣男士である。本能が拒否反応を起こさない限りは許容範囲であるのだろう、と、そう判断した。意思あるものは、自由に在るべき。そう、教えられたから。

 双子の生きていた村には、覚えのある澱みが広がっていたのだという。正しい流れを知らぬ身ではあるけれど、お陰でそこが大きな流れの転換地点であることを理解する。きっと、何かがそこで起こる。それによって、この世界にとって大きな変革が起こる。それをどうにかしたいのだという想いが、そこに澱みを生み出していた。
 きっと、何度も歴史修正が行われた場所であるのだろう。遡行軍が現れるのか、はたまた歴史修正主義者が現れるのか。いずれにせよ敵であることに変わりはなく、半ば呪霊のような存在となってしまっているのだけれども元は刀剣男士として在った身だ。歴史を守るために刀を振るう未来に、きっと「心」が歓喜に震えた。
 一週間待ち、二ヶ月待ち、そして三年、四年と待った。改変の兆しは見えず、幼子の身に傷だけが積み重ねられる。そしてふと、これ以上は待てない、と思った。大人たちが小さな子どもに寄って集って。見殺しにする自分たちも、そう変わらないと「感じて」しまったから。だから彼女らの手を引いて逃げ出してきたのだ、という姿に絆されてしまった夏油は二人を引き取ることにしたのだけれど。
「……美琴、その、護衛に刀剣男士をつけてくれるのは嬉しい、んだけどね?」
「ん?」
「色々と際限なく二人に買い与えるのは止めるよう言ってくれ……というか、そもそも君も悟も硝子もね、面白がってカードを彼らに渡すのは辞めてくれ」
「いいじゃん。みみななは欲しいものが手に入る、それで喜んでる姿にこっちも嬉しい。ウィンウィンでしょ?」
「その額が問題なんだよ!」
 ダンッと机を叩く夏油の両隣で、少女たちは笑っている。けらけら、けらけら、と。

 君たちは、こで死ぬべきではない。だから、僕らが来たんだよ。
 そう言って笑う男の人たち。痛いことをしないし、酷いこともしない不思議な人――だと思っていたのだけれど、どうやら彼らもまた「普通の人」には見えない存在なのだと気がついた。落胆しなかった、と言えば嘘になる。どう足掻いたって「普通の人」は助けてくれないのだと思い知らされたようで。けれど、同時に救われたこともまた、事実だった。薄暗く閉ざされた世界の中で、彼らは確かに神様だった。
 初めは自由に出歩くことが許されていたのだと思う。青空も、吹き抜ける風の匂いも土の感覚も知っていたから。それが変わってしまったのは両親がいなくなってから。事情は分からない。ずっと遠くに行ってしまった、と聞いている。それが文字通りのことであったのか、死の暗喩であったのかは分からない。今となっては確かめる術もないし、確かめたところで、庇護から外れてしまったこと、それによってもたらされたものは変わらない。小さくて狭い檻の中、二人揃って押し込められた。薄気味悪いと言いながらも、殺してしまうことは躊躇われたのだろう。死なない程度に食事は与えられ、衣服も与えられ、何日かに一度は入浴も連れ出され。けれど、それだけ。自由に駆け回ることも、甘いお菓子を食べることも、誰かと触れ合うことも許されなかった。身を寄せ、息を潜めて静かに過ごす。だって、そうしなければ怒られるから。
 昨日の昼食を持ってきたお爺ちゃん、随分と黒い靄が纏わりついていたようだけれど。
 そんな囁きは誰にも聞かれていない筈だったのに、何人かで騒々しく喚き立てるのは、お前たちが何かしたんだろう、面倒を見てやっているのに、どうして殺した、どうして殺した、どうして殺した――何もしていないのにね、靄のことを伝えたところで信じないくせにね、怒鳴るくせにね、とは口にしない。火に油を注ぐだけであることは嫌というほどに知っていたし、言いたいことさえ吐きだしてしまえば、あとは悪態をつきながら帰っていくばかりであることを知っているので。
 ――靄を払ったら、助かったのかな。
 ――どうやって払えばいいのかな。
 ――悲しいね。
 ――寂しいね。
 まだ外にいた頃に、抱き上げてくれた。歩き疲れて泣いた時、二人同時には抱えられないと手を引いてくれた。嫌いな野菜はこっそり食べてくれたし、内緒だからなと飴玉をいくつも握らせてくれた。そんな、優しい人だった。それがどうしてこうなってしまったのか、誰も答えを教えてはくれなかったのだけれど、ただぼんやりと、自分たちが悪かったのだろうな、とは察していた。他の誰にも見えていない存在であるならば、それは居ないも同じことだった、だからこそ、その存在を口にしてはならなかったのだ。そのことに気がついた頃にはもう、手遅れだったのだけれど。

 ――僕らのこの選択が、万が一にでも悪い結果をもたらすとしたら、その時はその手で折ってくれる?
 ――万が一にでもありえないけど、それで安心できるのなら約束してあげる。
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