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二次log

 ぱしり、ぱしり。乾いた音を響かせるそれを用いた仕草のひとつひとつに意味があるのだ、と話していたのは絵巻物たちであった。子女に好まれたものたちは自然と女性の姿を形取り、自身に描かれる物語が関係しているのか色恋話に花を咲かせていた。彼女らの話題のひとつに、扇言葉があった。
 元は西班牙だったか独逸だったか、とにかく欧州で花開いた文化であるらしい。異国との交流を続けるうちに元の持ち主が学んだだとか、己は本場でそのように使われてきたのだとか、そんな話を仕入れてきたものたちが、奥ゆかしい色恋の駆け引きを真似ては遊んでいた。戯れに言葉を投げかけられては、弄ばれたものだ。誰に教わったわけでもないが、そうやって自然と身につけてしまったことを思い出してしまったのは、向かいに座るものの仕草が原因である。
 扇子を開いては閉じ、開いては閉じ。ぱしり、ぱしりと乾いた音に乗せるのは「貴方はひどい」という批難の言葉。
 もっとも、扇言葉など知らずともその機嫌がよろしくないことは容易に理解できた。だって、表情が抜け落ちている。いつも笑みを浮かべている印象が強いだけに、感じ取ってしまう負の感情は強烈なものであった。
(……オレに、どうしろと?)
 温度のない眼差しを向けられていてなお、幸せそうに饅頭を頬張っている強靭な心の持ち主の名は山姥切長義。餡子たっぷり、ずっしりとした重さの饅頭はそこそこの大きさで、お上品に食べているつもりであるようだが口周りに白い粉が満遍なくついている。指摘してやらねば後で文句を言われることは分かりきっているのだが、下手に手を出すことで、無言の圧を掛けてきている御仁の気に障ってしまうことの方が恐ろしい。そっと隣の腐れ縁から目を逸らし、ついでに現実からも目を逸らした南泉一文字は、己の取り分として皿に乗せられた饅頭をそっと手に取った。小さく、ひとくち。こんな場面でなければもっと美味しかったのだろうな、と危うく現実に戻ってしまいそうなところを踏みとどまる。お饅頭が、とても、美味しい。
 ことの発端はほんの数分前、廊下を歩く山姥切長義が珍しく少し困った表情をしていたことに気がついてしまったことにある。自信満々余裕綽々が通常運転である彼にしては珍しいな、と声を掛けてしまったことが運命の分かれ道であったと言えるだろう。茶請けとして用意した饅頭が、思った以上に大きかった。かといって大勢に分けられるほどの量があるわけでもなくい上に、消費期限は本日である。うまい具合に分けろ、と他に渡しても良いが、余剰となるのはふたつだけ。茶を取りに来つつざっと確認した限り、非番を三振り以上で過ごしているものたちばかりで、さてどうしたものか、と考えていたという。消費期限も言ってしまえば「美味しく食べられる」として定められた期間に過ぎず、それなりに丈夫な刀剣男士であれば何日か過ぎてしまったところで大きな影響がないことくらい分かっている。だが、せっかくならば美味しく食べたい。だって、そこそこのお値段がするものだから。
 本丸へようこそ、というお祝いというか歓迎というか、そんな理由で山姥切長義が一文字則宗のために用意した饅頭は、贈答用にもよく用いられる最高級の一品であった。食全体に拘りを持つもの、甘味に対して拘りを持つもの、ありとあらゆる物を食らい尽くしたものたちからの支持を長年集めているそれは、ひとつひとつが職人の手作りであることもあって、直営店のみで一日の数量限定で販売されるという幻の品である。南泉一文字自身、美味しいらしいという話は聞いたことがあったが実物は目にしたことがなかった。故に、食べるのを手伝ってくれという言葉に頷いてしまった。饅頭は一文字則宗の部屋に置いてきてしまったというから、素直に着いて行ってしまった。それが運の尽き、であるとも知らず。
 監査官時代に相棒関係にあったのだという二振りは、互いに「あのお饅頭を一度でいいから食べてみたいね」と話していたことを覚えていたらしい。そしてたまたま同じ日に別の店舗でそれぞれが相手のためにと買ってきてしまった饅頭は、ひとつが大太刀の拳大程度。ずっしりと餡子が詰まっていることもあって、ひとつだけでもかなり胃にくるものが合計四つ。二振りとも大食らいというわけではないので、ふたつも食べてしまっては他が入らなくなってしまう。流石に「おやつを食べ過ぎてしまいました」なんて理由で夕餉を断ることなんて申し訳ないし情けないからね、なんて言いつつ案内された部屋に待ち受けていた一文字則宗の姿を、南泉一文字はしばらくの間、夢に見そうだと思った。
 少し薄暗い部屋の中、並んだ四つの饅頭をどこか幸せそうに眺めていた姿。未だこの本丸に来たばかりであるためだろう。南泉一文字の接近には気がついていなかったようで、山姥切長義と共に現れた姿を見て、一瞬、固まっていた。すぐに復活はしていたが、目線だけで問われた「お前も来たのか」は、少なくとも歓迎してのものではなかった自信がある。あっこれまずいところに来たな、食べ切れずともそれも含めて二振りで共有したかったんだろうな、と気付いたところで後の祭りである。というか、ここに来て遠慮するなとばかりに強引に腕を引いてきた山姥切長義からは逃れられなかった。同胞を排除するような大人気なさは見せられないとでも思ったのだろうか。言葉ばかりは歓迎して「坊主も手伝ってくれるのか」などと紡がれていたが、副音声までしっかりと聞こえた。曰く、とっとと食べて出て行け。
 悲しいことに、饅頭である。一気に頬張ったところで飲み込むまでに時間がかかるし、何より、こんな状況ではあるが幻の一品をそんな勿体無い食べ方で味わいたくない。四つ用意されていた饅頭はひとつずつ皿に盛られ、余ったひとつは後で分けようね、と楽しそうに笑っていた山姥切長義の精神は玉鋼であるに違いない。いや、まあ刀剣男士であるので元は鋼であるのだけれども。
「ふふ、坊主たちは本当に仲がいいなぁ」
「まあね、猫殺しくんとは腐れ縁だから」
「……にゃあ」
 そこで目線を送ってくるな、とも言えないので相槌を打つことしかできなかった。なるほど、と頷いた一文字則宗はようやく扇子を机に置くと饅頭を一口。ほのかな甘さにほっと空気が和らいだ。
 はっきりと聞いたことはないし、藪を突く気もないのでわざわざ確認する予定もないのだが、どうやら己の祖と腐れ縁はただならぬ仲であるらしいことを割と早い段階で南泉一文字は察していた。慶応甲府における特命調査が決まった時点でどうもふわふわとしていたようであるし、聚楽第へ向かう際のやり取りのお返しにと歓迎の一発で手入れ部屋送りにして以降、本丸では先輩だからと寄り添って色々と教えている姿があった。勿論、他との交流の機会を奪うようなことはせず、加州清光や大和守安定を筆頭とした幕末刀を筆頭に、また、同じく「じじい」仲間だろうと平安刀の元へと連れて行き仲を取り持ったりと、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
 一文字則宗は一文字則宗で、一家のあれこれからは隠居したからと一歩引きつつも、山鳥毛や日光一文字に声を掛けてはからからと笑っていたし、お前があの写しかと山姥切国広をまじまじと見ては軽やかに笑っていた。口下手なお前も悪いが口の悪いあいつも悪いからなぁ、と慰めなのか擁護なのか、よく分からない言葉を掛けていたことが琴線に触れた、のかどうかは不明であるが、山姥切国広の心をがっちりと掴んでいたようである。一文字則宗を挟んできゃんきゃんと噛み付き合う山姥切たちの姿が見られるようになったのは、果たして良い方向へと向かうのだろうか。ともかく、そうやって独自の関係性も着実に構築していながらやっぱり山姥切長義がそばにいるとどことなく嬉しそうであるし、どこぞをじっと見ていると思えばその先には、なんてことも多い。仲良しの相棒だったんだねという派閥と、いやいやそれ以上だろうよという派閥、更には両片思いキタコレな派閥まで生まれているようであるが、面倒事は嫌なので誰がどの派閥にいるのかなんて知らないし、実際のところどんな派閥があるのかすらはっきりとは把握していないのだが、そろそろ、真偽を問う周囲の視線も鬱陶しくなってきた。当事者たちが何とかしてくれないかと願う今日この頃である。
 もそ、もそ、と最後の一欠片を口に運んでいれば、口周りが白くなっているぞ、と一文字則宗が山姥切長義の口元を手拭いで拭ってやっているのが見えた。言ってくれたら自分でやるのに、と言いつつ逃げ出さないのは何でなんだろうなぁ、と考えつつ茶を啜る。縁側でのんびりとお茶を楽しむものが多く、彼らが選び抜いた茶葉が常に用意されているだけあって、今回の茶葉も程よい渋味がほっと緊張を和らげてくれる。此度の調査が甲府であることもあって、月替わり茶葉、今月は南部茶が用意されていた。戦国時代には河内領主穴山氏の文書で贈答用として用いられていたことが記されている、由緒正しきお茶。日向正宗印の梅干しも近くに用意されていて、京都では正月の縁起物として古くから伝わるというおめでたい「大福茶」にして楽しむことができるという、正月の監査官一文字則宗を歓迎する形で整えられていた。今回は饅頭を食べることが目的であるので普通のお茶として楽しむことになったが、次は大福茶を美味しくいただいてみたいところである。
「おや、南泉の坊主も白髭をこさえて」
 静かに気配を殺して味わっていたというのに、そんな逃げは許されないらしい。ごしごしと些か乱暴に拭われた気がするのは、きっと気のせいではないだろう。
「おやおや、自分で拭うこともできないのかい?」
「それ、自分に返ってくるって分かってっか?」
 則宗もついてるよ、と山姥切長義が己の手拭いを取る様を見て、ん、と身を乗り出す祖の姿を見ることなど誰が想像しただろうか。少なくとも長船の祖は見せない姿であろう。新々刀の祖は不本意ながらに見せてくれる気もするが。新刀の祖については、あえて考えないでおく。
 それにしても、と呟いた一文字則宗の言葉が向けられていることを感じ、南泉一文字はそっと背筋を伸ばした。
「本当に仲が良いなぁ……良いことだが、少しばかり嫉妬してしまうぞ」
 どちらに、なのかとか、少しばかり、なのかとか、突っ込んでしまいそうになるところをぐっと堪える。
「ほら、まあ、よく面倒見てたんで」
「見させてあげてたんだよ。だってほら、猫殺しくん、脇差だったから」
「お前のじゃねぇけどな」
 徳川の家では「脇差」として扱われていた事実はあるが、別にそれが山姥切長義――本作長義の脇差だったということではない。ただ、威勢の良い刀の付喪神がやって来て、打てば響く会話が楽しかったものだから。無代として格付けされた刀に噛み付いてくるものも珍しく、庇護してやっていたことは事実であるのだ。当時から切れ味は抜群であったものの、魑魅魍魎跋扈する徳川の蔵である。実力を見誤って自滅するのであれば自己責任ではあるが、刀剣仲間として可愛がってやっても良いか、と思うくらいにはその在り方を気に入ってしまった。決して、脇差として面倒を見てやる気質が働いただとかそんなことはない、はずだ。脇差としても使われた打刀であるので。最終的には「刀」となったので。ともかく、可愛がってやった後輩は紆余曲折を経て化け物のような心を持つ刀剣男士として顕現することになるので、過去を変えることが仮に許されるのならば、性格を矯正しておくべきだと全力で叫んでやるのだけれど。
 そんな過去はさておき、今である。ふうん、と軽く相槌を打つ一文字則宗の手には扇子が戻り、再び、ぱしりぱしりと軽い音を立て始めた。勘弁してほしい。その様を見てどこか楽しそうに笑う山姥切長義の心はやっぱり鋼鉄製で、行儀が悪いよ、と手を伸ばして扇子を抜き取ると、綺麗に閉じたまま顎先へと軽く添えた。
「だから、ちゃんとお返ししないとって思ってね」
「南泉の坊主の世話になったことを、僕に?」
「そう。祖たるあなたから彼は続くものだから」
 人間のような血縁関係ではないが、それでも、刀剣として流派の縁は大切なもの。祖たる存在であるならば尚更、敬って然るべき存在に違いない。
「……いや、そこは素直にオレに返せよ、にゃあ」
「数えることも諦める程の長い時間を一緒に過ごしてやってるんだ。それで十分だろう?」
 そういうところが敵を作りやすいんだ、とは何度か指摘してやっていたのだが、割と早い段階で改善は諦めたように記憶している。他の付喪神たちには比較的温厚に接していたようであったし、その「口撃」を向けられていたのは強い、それこそ、今では刀剣男士として顕現することを求められるほどに強い力を持った刀剣の付喪神たちばかりであったので。勿論、被害の筆頭は今も昔も南泉一文字である。
「ともかく、猫殺しくんとは一緒にいて当たり前、みたいなところがあるのは自覚しているんだよ。本丸においては新参者の部類に入る仲間でもあるし」
 馴染めていないわけでもないのだが、他の縁ある刀剣は比較的早い段階から本丸で過ごしていたものたちばかりなので、それぞれに新たな縁を紡いでいる。そこにわざわざ飛び込まなくても居心地が良い場所は確保ができているし、というだけの話。
「……なるほど、うちの坊主の隣が実家のようである、と」
「そうそう。自室みたいな感じかな」
「いやいやいやいや、実家はともかく自室の経験はねぇだろお前」
「刀箪笥の中的な?」
「ああ言えばこう言う、にゃ!」
 そこまで落ち着ける場所であると言い切ってくれるのは嬉しいが、この場所以外で聞かせてもらいたかった。なにせ、この場には一文字則宗がいる。政府においては山姥切長義と共に監査官として悪事を切り裂き、一振りで奮闘する相棒の背を押して送り出し、こうして再び並び立つことを喜んでいる、仲の良さに嫉妬すると言い放った御仁がここにいる。しょうがない坊主だな、とでも言いそうな表情で山姥切長義を見ているくせして、ちらりとも南泉一文字という存在に目を向けないのだからその心情は察するに容易い。
「……俺は俺を俺たらしめる愛の全てを愛しているからね、この、南泉一文字との関係性も、理解して受け入れてくれると嬉しいのだけれど」
 小さくそっと伺いを立てる言葉に、おや、と思った。饅頭の消費も理由のひとつであったが、もしや、このために強制入室させられたのでは、と。何と返すのか、ここで決裂するようであれば己はどちらの側につくべきなのか、と一瞬で思考を巡らせた南泉一文字は、心を決めてその答えを待つ。まあ、山姥切長義を見つめる眼差しがあいも変わらず優しいことから、答えなんて分かりきっているのだけれど。
「僕たちをこう在らしめるのは数多の愛があってこそ、だからなぁ。僕の嫉妬も愛故と受け入れてくれ」
「ふふ、鬼にさえならなければ嫉妬も愛だからね」
 そいつはよかった、と笑う一文字則宗が山姥切長義の手から扇子を取り返す。そっと開き、胸元でゆっくりと閉じてみせた一文字則宗の動きを目で追っていた南泉一文字は、向けられる眼差しからちりちりとした敵意が消えたことにほっと息をついた。
「さて、そういうわけだがこれから蜜月というやつだからな。ちゃあんと部屋番として頑張ってくれ」
「……これから?」
「長義のが愛を乞うて僕が受け入れ、僕の愛を長義のが受け入れたのを見ただろう?」
 改めて言われると恥ずかしいね、と頬を染める昔馴染みの姿を見て、理解してしまった。なるほど、先ほどのやり取りによってようやく、情を交わす仲となったのか、と。
「……………………はー、なるほど、にゃ。腹一杯だわ、ごちそうさま」
 オレのいないところでやってくれ、とはいくら叫んだところで無駄でありそうな気がする。ひとまず、余計な嫉妬によって鬼が生まれるようなことは回避できたらしいので、そういった意味で身の安全が保障されただけでも良しとしよう、と考える。それでも、あとは若いおふたりで、なんて使い古された言い回しがぐるぐると頭の中を巡っている。いや、一方は若くなんてないじじいなのだけれど、せめて最後に残っているひとつの饅頭を二振りで分け合うところから始めてくれやしないだろうか、と。
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