二次log
なんで、と男は項垂れる。
なんで、と男は嗤う。
「……ああ、これのせい?」
己の首に緩く巻かれたチョーカーを、指で軽く引いて嗤う。本当は要らないと思っているし、実際、不要であろうことを皆が知っている。それでも余計な火種は無い方が良いからと贈られ、余計な心労は掛けるべきではなかろうと受け入れたものだ。だというのに、噛み付いてくる輩は度々現れる。弱ければ喰らい尽くされる世界のトップがそう簡単に膝を着くわけがないというのに。
イタリアでは最大規模と言っても良いマフィア、ボンゴレのボスとして君臨する沢田綱吉はSubである。
その情報ばかりが一人歩きでもしているのだろうか。従属的で、Domに対して強くは出られない印象が強いのだろうし、そのような性質の人間が多いこともまた事実である。こればかりは本人の意思ばかりでどうにかできるものでもなく、性質の強さや相性によって望まぬことを強要される事件も後を絶たない。歴史を辿ればSubが虐げられていた時代もあり、その当時から残る格差や意識はなかなか根深いものである。それが裏側の世界であるならば特に。
何をとち狂ったのか、Glareをぶつけてきた目前の男もまた「勘違い野郎」であるらしかった。名前は知らないし見覚えもない。もう、必要もないだろう。人気のない場所とはいえ、そもそもここはパーティー会場の一角だ。同盟ファミリーの子ども同士で婚約が決まり、その祝福にと招かれた場所。何となく何かがあるような気がして、夜風に当たってくると言う名目で抜け出してみたらこれだ。釣り上げた魚の大きさとしては随分と小さい気もするが、それでも、心配性な面々から色々と苦言を呈されそうなのでむしゃくしゃもする。
「オレが繋がれているのはボンゴレファミリーという組織だよ。たかだか一人、それもそんな弱々しいGlareでどうにかできるとでも思ったの」
今どき、Subにも選ぶ権利があるのだと習うだろうに。そんなことも分からない人間であるからこそ、今になってようやく青ざめているのだろうが。
マフィアを名乗ってはいるが、極力、人は殺したくない。甘ちゃんだとか偽善者だとか、色々と吼える声は聞こえてくるものの、在り方を変えないままにここまで来た。その「極力」についてどこで線を引くかという論点については、過去に数え切れぬほどの衝突を重ねてきたところである。
今回のような「ボスが不躾にもGlareをぶつけられた」という問題は、決着までに時間をそれほど必要としなかった事案のひとつであった。Dom同士ならば攻撃の手段として許容することもできただろう。しかしながら今代のボスはSubであり、それを知りつつもGlareをぶつけるということは謀反も同然であると、それが守護者をはじめとした大多数の意見である。なるほど、と納得する反面、ぶつけられたところで大した影響もないそれにいちいち目くじらを立てるのも、とは正直思った。ただ、それを許容してしまえばあまり耐性のない他のSubにも被害が及ぶ。ボンゴレのボスに対して牙を向けることができるということは、その他大多数の「弱者」を簡単に蹂躙できるも同然であるので。
それでも命まで奪うのは、と難色を示したところで提案されたのが「Domとしての格の違いを見せつけてやればいい」というものである。要は、こちらもGlareをぶつけてやればいいのだと。全力で。人により程度の差こそあれど、ファミリーに所属するDomにとって、ボスにちょっかいをかけられた、イコール、己の領域を侵された、になるらしい。ボスに対して「庇護欲」とまではいかないが、やはり己の縄張りに在る存在に手を出される不快感はあるもの。故に正当な報復となるのだから問題などあるはずもなかろう、と。
正直なところ、その辺の感覚はよく分からないので完全にDomの面々の裁量に任せている状態である。その他の分野で譲歩してもらったこともあり、この分野では言われるがまま。ボスとは何だったのか、ただひたすらにイエスと頷き続けていたような気もする。命あっての物種、とは魔法の言葉。癖の強さと比例するようにDomとしても優秀な方々が全力でGlareをぶつけた結果、プライドをへし折られて日常生活にも支障を来すような人が生まれることもあるようではあるが、こんな業界なのだ。死なないだけマシでしょう、と。
◇
かつかつと爪先が鳴らす音がひどく耳につく。無意識、ということはないだろう。髪の先まで意のままに操ることができるのだと言われたって信じられるくらいには超人で、無駄なことは一切しない人だということを知っている。まあ、おふざけにも全力で取り組むものだから無駄がない、という評価に繋がっていることは否定しない。
(爪、伸びてるのかな)
音を立てる、ということはそういうことだ。いざという時には爪とて十分に凶器となる。それでも、彼の主な得物は拳銃である。武器として爪を伸ばすタイプではないことを知っているし、むしろ、こまめに短く整えていることを知っている。伸ばすタイミングは本人曰く「気紛れ」であるが、それが己のためであることを薄々と感じている。前回の「気紛れ」からの期間を考えるに、その予想はあながち間違いでもないのだろう。ただ、今回はこちらがあまりそれを欲してはおらず、そのことを感じ取ってしまったがために指先が行き場をなくしてしまった。そんなところだろうか。Commandを求めるほどではないが、それでも日常に紛れる程度の細かなやり取りではSubとしての本能が物足りなさを感じ始める頃に、いつの頃からか右手の人差し指を与えてくれるようになった男は今、窓辺で外を眺めながら、何をする訳でもなく窓枠に爪を打ち付けているらしい。モールス信号の類かとも考えたものの、特にそういった意図は読めなかったので無視を決め込んでいる。頼りになる相棒、超直感様も「特に意味は無い」と断じてくれていたので。無視が正しい選択であるのかについては、沈黙を貫かれてしまったが。
なまじSubとしての力が強かったせいで、子どもの頃はその辺に転がっている程度のDomでは欲求を満足させることができなかった。駄目なりに色々と考えて誤魔化してはいたものの、それでも上手く付き合いきれずにいた「ダメツナ」を導き、整えてくれた家庭教師様である。ある日、唐突に整えてみろと差し出されるようになったのは、僅かに伸ばされた右手の人差し指の爪だった。他人の爪など整えたこともなく、初めは深く切りすぎてしまったり不格好な形になってしまったり、それでも、よく頑張ったじゃねぇかと褒められることで満たされたのは、それが彼の人差し指であったから。一流のヒットマンとして名を馳せる彼がトリガーに掛ける指を任せてくれたのだという、そのことが嬉しくて誇らしかったのだとばかり思っていた。
無言の圧が飛んでくる窓際の対角、設置している応接用のソファに深く腰かけて腕を組み目を閉じているのは最強と名高い雲の守護者。最凶、最恐と言っても良いだろう。彼が静かにしているだけでどこか不安になってしまうのはなぜだろう。彼もまた、一定のサイクルで声を掛けてくれる程度には気に入ってくれている。強引に連れ出して、いつも以上に少しだけ甘やかしてくれて。誰かに見られたならば二度見どころか十度見くらいはされそうだけれど、小さな動物を好み可愛がるという一面も持つ男なのだ。その範疇に入れられていることは素直に喜び辛いが、それでも、可愛がってもらえることは仄かな優越感を与えてくれる。どうでも良い存在であれば容赦なく切り捨てる一面も知っているので。
ボンゴレ十代目の関係者でDomと言えば、と問えば迷わず名の出る二大巨頭。どこか不機嫌に見える二人を前にしながらも平然と仕事を続ける己へと、信じられないものを見るような目を向けるのはもう一人のDom、ランボである。他の二人同様にDomとしてはトップレベルの力を有しているはずなのに、幼い頃からの力関係であったり認識だったりが影響してか、どこか気後れをして怯えた姿をしている可愛い弟。ボスと守護者の関係性としてはあまり甘やかしてはならないのだけれど、どうしたって可愛がってやりたくなるのだと漏らせば、どちらがDomだか分からないと笑われた。仕方がないだろう。いつまでも、弟は弟のままなので。成長して身長も伸び、守護者としての自覚が出始めるとどこか寂しくなったものだ。
どこかぴりぴりとした空気なのは、大人気なくもリボーンと雲雀がGlareを放っているからか。直接向けられる対象ではないし、薄らと察した理由のおかげでむしろ、落ち着いているSubとしての己が歓喜に満たされている。怒り、というよりは領域を侵されたという不快感。その「領域」として抱え込まれていることを自覚して喜ばぬはずもない。
書類の確認も区切りの良いところまで終わった……ことにしても良いだろう。どうせ、あともう少しすればまた増えるのだから。ようやく書き慣れたサインを終えて万年筆を置く。そのまま腕を休めようと机上に置けば、かつり、と音が響く。びく、と肩を揺らす姿に庇護欲がそそられ、しかしきっと大人気ない二人にはそれもまた面白くないのだ。
「……ふふ」
「何だダメツナ、疲れすぎて頭がイカれたか」
「どっちかって言うと、酔った、かなぁ。この部屋、他の人達がしばらくは近寄れないんじゃない?」
「静かでいいんじゃないの」
良くないです、という小さな呟きは黙殺されていて、いつかの自分の姿に重なってしまい思わず名を呼ぶ。ランボ、とたった三文字であるのに一気に空気が重くなったような気がするものだから本当に大人気ない。どうしたってマフィアとしても守護者としても歳若い部類に入る仲間に対し、大人からの圧に屈しないだけの力や自信をつけてほしいという理由もあるようではあるが、所詮はそれも後付けである。なにせ、手加減など知らぬ、弱い方が悪いのだ、を地で行くような方々なので。
手招きをしてやれば素直に近付いてきた頭に腕を伸ばし、わしゃわしゃと髪をかき乱してやる。わ、と声を漏らしながらも、やりやすいようにと腰を落としてくれるのだから可愛らしい。ここまで近付いてしまえばちゃんと分かる。侮られようとも彼もまた十代目ファミリー雷の守護者で、Domなのだ。どこまでならば許されるのかを探るように、それでも確かにちゃんとGlareを放っている。これが勢いよくばんと放てるだけの強さを持ってほしいところではあるが、まあ、まだまだ成長途中の身であるので捩じ伏せられて終わるのだろう。身の程を知っている、身の振り方を分かっていることは、この世界で生き抜くために必要な力のひとつである。
それにしても。弱々しくも己のSubを護ろうとするGlareを間近で感じてしまってはもう駄目だった。腕を首裏へと回して引き寄せて、その肩口へと額を寄せる。重なり合う腕の小さな違和感。右手首に巻かれたブレスレットが気になって、そっと左手でその革に触れる。大きく息を吸い込むと腹の奥底がどこかざわついて。ああ、まだ足りない。
「ランボ、ねえ」
「ほら、そこまでだ」
いつの間に移動したのか、それぞれの服の襟首を掴んで引き剥がすリボーンと雲雀のせいで少しだけ冷静さが戻ってくる。ぴりりとした二人のGlareに可愛らしい子どものそれは紛れてしまい、勿体ないような。今ならば集中さえすれば捉えることもできるのだろうけれど、これ以上、火に油を注ぐこともないだろう。
雲雀に連れられるまま椅子から立ち上がり、彼の座っていたソファへと。本能を引き出されSub寄りに傾いた状態では少し居心地が悪いのだけれど、再び深く腰かけた彼が軽く両手を広げて見上げてくるものだから。
「失礼、します」
「失礼じゃないでしょ」
「……お邪魔、します?」
「邪魔なら叩き落としてる」
ならば何と言えというのか。む、と口先を尖らせてみせても態度は変わらず、背に回された手がとんとんと軽く叩いてくる。三人のGlareに逆立っていたSubとしての本能を宥めるように。ならば構わぬのだろうと力を抜いて身を預けてやれば、声を出さぬまま小さく笑う振動が擽ったい。
二人きりであればこのまま軽くプレイでも混ぜ込んで互いの欲求を満たすところであるが、幸か不幸かこの部屋には他にも2人のDomが居る。さすがに見られながらでも求めるほどに切羽詰まっているわけでもない。そっとそちらへと目を向けてみれば、先程まで僅かにリードしていたはずのランボは身を引くことに決めたらしい。ぐ、と唇を噛んでいる。
「いい気になるなよ、アホ牛が」
「はっ、自分にはできないからって負け犬の遠吠えですか見苦しい」
……身を引く、と決めても言われっぱなしではいられなかったらしい。反射的に噛み付いて、即座に銃口を向けられホールドアップ。この部屋の中での乱闘は禁止していて、少なくとも今までは頑なに守られている数少ない決まり事であるので、本当に撃たれる可能性は低いと言っていい。それが分かっていても、怖いものは怖いのだ。身に染み付いた習慣、反射と言ってもいいだろう。気持ちはよく分かる。
他所に目を向けていることが不快だったのか、僅かに雲雀の纏う空気が硬質になったことを肌で感じる。ゆっくりと向き直りその表情を伺うと、ただひたすらに無。機嫌を損ねたことは分かる。しかし、どの程度のものなのかが分からないことは怖い。宥められた筈のSub性が小さく震えたような気がして、ひゅ、と息を飲んだのは無意識だった。
「……いいよ、大丈夫。仕方ないのは分かってる」
緊張を解すように背筋を撫でられ、合わせるように呼吸を一度、二度、三度。膝の上、という場所がどうも不安定で落ち着かず、もっと安定の良い場所に腰を落ち着けたくなるような。気が散ってしまい仕方がない。
落ち着き始めた本能を逆撫でした自覚はあったのだろう。それぞれに放っていたGlareは抑えられ、項垂れ乱れた髪をそっと整えられる。顔を上げずとも手つきで分かる。思うところこそ解消されていないものの、争う場はここではない、と一区切りをつけたらしい。
「……リボーン」
「謝らねぇし、これくらいは覚悟の上だろ」
わざわざ整えた髪を乱雑に掻き乱してから離れる手。恨みがましく見上げてしまったのも仕方がないだろう。ちらりと確認したランボは、視線が合うと小さく頷く。覚悟の上、というのは本当らしい。
「まあ、お互いに納得の上でならいいんだけど」
やりすぎない程度に、と釘を刺せば明確な返答こそないものの拒否はされなかった。あとは信じるのみである。
「それにしても、そんなに気になるもの?」
未だ許容されているのならば、と雲雀の膝の上に居座ったまま、右腕を掲げる。二重に巻かれた黒い革。肌触りは良いのだけれど、今朝に受け取ったばかりのそれはどうしてもまだ慣れない。明日には変わっているのだろうか。
「別にオレ、二人から贈られたら同じように付けるんだけど」
「それは当然。これは一番を取られたのが癪なだけだよ」
「そういうもの?」
「そういうもんだ」
ランボも全力で頷いているが、お前が言うな、とリボーンに頭を叩かれている。なかなかにいい音が鳴った。叩かれた場所を押さえながら、ランボは唸る。
「だって、そのチョーカー」
チョーカー。ボス就任と同時に、ボンゴレから贈られたもの。選んだのはリボーンと雲雀であると聞いていて、ああ、と納得した。
「ランボにとって、一番はこのチョーカーか」
デザインを決めた当時、ランボはまだ幼かった。Domとしても力を発現し始めたばかりであったし、マフィアとしての仕事も、ようやく少しずつ本格的に慣らしている段階であった。蔑ろにしていたわけではないが、ランボが携わったのは「これに決めたが構わないな」という最終段階の確認のみであったと聞く。個人としてではなく組織として贈る「首輪」であったので、メインで動いた二人もさほど時間を掛けて選んだわけではなかったようだ。最低限、組織のトップに立つ人間の首を飾るに相応しく、様々な装束に合わせ引き立てられるようなもの、という選び方をしたのであって、自分から贈るのであればもっと別のものがよかった、とは聞いたことがある。具体的にはどのようなものだったのか、とは聞いていない。贈られる予定が、少なくとも今はないので。
それでも、ランボにとってはずっと心に引っ掛かっていた出来事であったらしい。これをつけてほしい、と手渡されたものはブレスレットだと聞いたのに随分と革が長く、まさかColorとしての首輪として用意されたのかと焦ったのは内緒だ。可愛い可愛い弟が、随分と大きく育ってしまった。
「ブレスレットだなんて、人目によく触れる場所を選ぶなんてなぁ」
「こ、これでもボンゴレのDomですし」
組織に所属する、という意味なのか、それとも沢田綱吉の、という意味なのか。どちらでも嬉しいが、叶うならば後者であってほしいと思う。ある日突然にパートナーを紹介でもされてしまうと、倒れてしまうかもしれない。それよりも今はまだ、お兄ちゃん子であってほしいのだ。
なんで、と男は嗤う。
「……ああ、これのせい?」
己の首に緩く巻かれたチョーカーを、指で軽く引いて嗤う。本当は要らないと思っているし、実際、不要であろうことを皆が知っている。それでも余計な火種は無い方が良いからと贈られ、余計な心労は掛けるべきではなかろうと受け入れたものだ。だというのに、噛み付いてくる輩は度々現れる。弱ければ喰らい尽くされる世界のトップがそう簡単に膝を着くわけがないというのに。
イタリアでは最大規模と言っても良いマフィア、ボンゴレのボスとして君臨する沢田綱吉はSubである。
その情報ばかりが一人歩きでもしているのだろうか。従属的で、Domに対して強くは出られない印象が強いのだろうし、そのような性質の人間が多いこともまた事実である。こればかりは本人の意思ばかりでどうにかできるものでもなく、性質の強さや相性によって望まぬことを強要される事件も後を絶たない。歴史を辿ればSubが虐げられていた時代もあり、その当時から残る格差や意識はなかなか根深いものである。それが裏側の世界であるならば特に。
何をとち狂ったのか、Glareをぶつけてきた目前の男もまた「勘違い野郎」であるらしかった。名前は知らないし見覚えもない。もう、必要もないだろう。人気のない場所とはいえ、そもそもここはパーティー会場の一角だ。同盟ファミリーの子ども同士で婚約が決まり、その祝福にと招かれた場所。何となく何かがあるような気がして、夜風に当たってくると言う名目で抜け出してみたらこれだ。釣り上げた魚の大きさとしては随分と小さい気もするが、それでも、心配性な面々から色々と苦言を呈されそうなのでむしゃくしゃもする。
「オレが繋がれているのはボンゴレファミリーという組織だよ。たかだか一人、それもそんな弱々しいGlareでどうにかできるとでも思ったの」
今どき、Subにも選ぶ権利があるのだと習うだろうに。そんなことも分からない人間であるからこそ、今になってようやく青ざめているのだろうが。
マフィアを名乗ってはいるが、極力、人は殺したくない。甘ちゃんだとか偽善者だとか、色々と吼える声は聞こえてくるものの、在り方を変えないままにここまで来た。その「極力」についてどこで線を引くかという論点については、過去に数え切れぬほどの衝突を重ねてきたところである。
今回のような「ボスが不躾にもGlareをぶつけられた」という問題は、決着までに時間をそれほど必要としなかった事案のひとつであった。Dom同士ならば攻撃の手段として許容することもできただろう。しかしながら今代のボスはSubであり、それを知りつつもGlareをぶつけるということは謀反も同然であると、それが守護者をはじめとした大多数の意見である。なるほど、と納得する反面、ぶつけられたところで大した影響もないそれにいちいち目くじらを立てるのも、とは正直思った。ただ、それを許容してしまえばあまり耐性のない他のSubにも被害が及ぶ。ボンゴレのボスに対して牙を向けることができるということは、その他大多数の「弱者」を簡単に蹂躙できるも同然であるので。
それでも命まで奪うのは、と難色を示したところで提案されたのが「Domとしての格の違いを見せつけてやればいい」というものである。要は、こちらもGlareをぶつけてやればいいのだと。全力で。人により程度の差こそあれど、ファミリーに所属するDomにとって、ボスにちょっかいをかけられた、イコール、己の領域を侵された、になるらしい。ボスに対して「庇護欲」とまではいかないが、やはり己の縄張りに在る存在に手を出される不快感はあるもの。故に正当な報復となるのだから問題などあるはずもなかろう、と。
正直なところ、その辺の感覚はよく分からないので完全にDomの面々の裁量に任せている状態である。その他の分野で譲歩してもらったこともあり、この分野では言われるがまま。ボスとは何だったのか、ただひたすらにイエスと頷き続けていたような気もする。命あっての物種、とは魔法の言葉。癖の強さと比例するようにDomとしても優秀な方々が全力でGlareをぶつけた結果、プライドをへし折られて日常生活にも支障を来すような人が生まれることもあるようではあるが、こんな業界なのだ。死なないだけマシでしょう、と。
◇
かつかつと爪先が鳴らす音がひどく耳につく。無意識、ということはないだろう。髪の先まで意のままに操ることができるのだと言われたって信じられるくらいには超人で、無駄なことは一切しない人だということを知っている。まあ、おふざけにも全力で取り組むものだから無駄がない、という評価に繋がっていることは否定しない。
(爪、伸びてるのかな)
音を立てる、ということはそういうことだ。いざという時には爪とて十分に凶器となる。それでも、彼の主な得物は拳銃である。武器として爪を伸ばすタイプではないことを知っているし、むしろ、こまめに短く整えていることを知っている。伸ばすタイミングは本人曰く「気紛れ」であるが、それが己のためであることを薄々と感じている。前回の「気紛れ」からの期間を考えるに、その予想はあながち間違いでもないのだろう。ただ、今回はこちらがあまりそれを欲してはおらず、そのことを感じ取ってしまったがために指先が行き場をなくしてしまった。そんなところだろうか。Commandを求めるほどではないが、それでも日常に紛れる程度の細かなやり取りではSubとしての本能が物足りなさを感じ始める頃に、いつの頃からか右手の人差し指を与えてくれるようになった男は今、窓辺で外を眺めながら、何をする訳でもなく窓枠に爪を打ち付けているらしい。モールス信号の類かとも考えたものの、特にそういった意図は読めなかったので無視を決め込んでいる。頼りになる相棒、超直感様も「特に意味は無い」と断じてくれていたので。無視が正しい選択であるのかについては、沈黙を貫かれてしまったが。
なまじSubとしての力が強かったせいで、子どもの頃はその辺に転がっている程度のDomでは欲求を満足させることができなかった。駄目なりに色々と考えて誤魔化してはいたものの、それでも上手く付き合いきれずにいた「ダメツナ」を導き、整えてくれた家庭教師様である。ある日、唐突に整えてみろと差し出されるようになったのは、僅かに伸ばされた右手の人差し指の爪だった。他人の爪など整えたこともなく、初めは深く切りすぎてしまったり不格好な形になってしまったり、それでも、よく頑張ったじゃねぇかと褒められることで満たされたのは、それが彼の人差し指であったから。一流のヒットマンとして名を馳せる彼がトリガーに掛ける指を任せてくれたのだという、そのことが嬉しくて誇らしかったのだとばかり思っていた。
無言の圧が飛んでくる窓際の対角、設置している応接用のソファに深く腰かけて腕を組み目を閉じているのは最強と名高い雲の守護者。最凶、最恐と言っても良いだろう。彼が静かにしているだけでどこか不安になってしまうのはなぜだろう。彼もまた、一定のサイクルで声を掛けてくれる程度には気に入ってくれている。強引に連れ出して、いつも以上に少しだけ甘やかしてくれて。誰かに見られたならば二度見どころか十度見くらいはされそうだけれど、小さな動物を好み可愛がるという一面も持つ男なのだ。その範疇に入れられていることは素直に喜び辛いが、それでも、可愛がってもらえることは仄かな優越感を与えてくれる。どうでも良い存在であれば容赦なく切り捨てる一面も知っているので。
ボンゴレ十代目の関係者でDomと言えば、と問えば迷わず名の出る二大巨頭。どこか不機嫌に見える二人を前にしながらも平然と仕事を続ける己へと、信じられないものを見るような目を向けるのはもう一人のDom、ランボである。他の二人同様にDomとしてはトップレベルの力を有しているはずなのに、幼い頃からの力関係であったり認識だったりが影響してか、どこか気後れをして怯えた姿をしている可愛い弟。ボスと守護者の関係性としてはあまり甘やかしてはならないのだけれど、どうしたって可愛がってやりたくなるのだと漏らせば、どちらがDomだか分からないと笑われた。仕方がないだろう。いつまでも、弟は弟のままなので。成長して身長も伸び、守護者としての自覚が出始めるとどこか寂しくなったものだ。
どこかぴりぴりとした空気なのは、大人気なくもリボーンと雲雀がGlareを放っているからか。直接向けられる対象ではないし、薄らと察した理由のおかげでむしろ、落ち着いているSubとしての己が歓喜に満たされている。怒り、というよりは領域を侵されたという不快感。その「領域」として抱え込まれていることを自覚して喜ばぬはずもない。
書類の確認も区切りの良いところまで終わった……ことにしても良いだろう。どうせ、あともう少しすればまた増えるのだから。ようやく書き慣れたサインを終えて万年筆を置く。そのまま腕を休めようと机上に置けば、かつり、と音が響く。びく、と肩を揺らす姿に庇護欲がそそられ、しかしきっと大人気ない二人にはそれもまた面白くないのだ。
「……ふふ」
「何だダメツナ、疲れすぎて頭がイカれたか」
「どっちかって言うと、酔った、かなぁ。この部屋、他の人達がしばらくは近寄れないんじゃない?」
「静かでいいんじゃないの」
良くないです、という小さな呟きは黙殺されていて、いつかの自分の姿に重なってしまい思わず名を呼ぶ。ランボ、とたった三文字であるのに一気に空気が重くなったような気がするものだから本当に大人気ない。どうしたってマフィアとしても守護者としても歳若い部類に入る仲間に対し、大人からの圧に屈しないだけの力や自信をつけてほしいという理由もあるようではあるが、所詮はそれも後付けである。なにせ、手加減など知らぬ、弱い方が悪いのだ、を地で行くような方々なので。
手招きをしてやれば素直に近付いてきた頭に腕を伸ばし、わしゃわしゃと髪をかき乱してやる。わ、と声を漏らしながらも、やりやすいようにと腰を落としてくれるのだから可愛らしい。ここまで近付いてしまえばちゃんと分かる。侮られようとも彼もまた十代目ファミリー雷の守護者で、Domなのだ。どこまでならば許されるのかを探るように、それでも確かにちゃんとGlareを放っている。これが勢いよくばんと放てるだけの強さを持ってほしいところではあるが、まあ、まだまだ成長途中の身であるので捩じ伏せられて終わるのだろう。身の程を知っている、身の振り方を分かっていることは、この世界で生き抜くために必要な力のひとつである。
それにしても。弱々しくも己のSubを護ろうとするGlareを間近で感じてしまってはもう駄目だった。腕を首裏へと回して引き寄せて、その肩口へと額を寄せる。重なり合う腕の小さな違和感。右手首に巻かれたブレスレットが気になって、そっと左手でその革に触れる。大きく息を吸い込むと腹の奥底がどこかざわついて。ああ、まだ足りない。
「ランボ、ねえ」
「ほら、そこまでだ」
いつの間に移動したのか、それぞれの服の襟首を掴んで引き剥がすリボーンと雲雀のせいで少しだけ冷静さが戻ってくる。ぴりりとした二人のGlareに可愛らしい子どものそれは紛れてしまい、勿体ないような。今ならば集中さえすれば捉えることもできるのだろうけれど、これ以上、火に油を注ぐこともないだろう。
雲雀に連れられるまま椅子から立ち上がり、彼の座っていたソファへと。本能を引き出されSub寄りに傾いた状態では少し居心地が悪いのだけれど、再び深く腰かけた彼が軽く両手を広げて見上げてくるものだから。
「失礼、します」
「失礼じゃないでしょ」
「……お邪魔、します?」
「邪魔なら叩き落としてる」
ならば何と言えというのか。む、と口先を尖らせてみせても態度は変わらず、背に回された手がとんとんと軽く叩いてくる。三人のGlareに逆立っていたSubとしての本能を宥めるように。ならば構わぬのだろうと力を抜いて身を預けてやれば、声を出さぬまま小さく笑う振動が擽ったい。
二人きりであればこのまま軽くプレイでも混ぜ込んで互いの欲求を満たすところであるが、幸か不幸かこの部屋には他にも2人のDomが居る。さすがに見られながらでも求めるほどに切羽詰まっているわけでもない。そっとそちらへと目を向けてみれば、先程まで僅かにリードしていたはずのランボは身を引くことに決めたらしい。ぐ、と唇を噛んでいる。
「いい気になるなよ、アホ牛が」
「はっ、自分にはできないからって負け犬の遠吠えですか見苦しい」
……身を引く、と決めても言われっぱなしではいられなかったらしい。反射的に噛み付いて、即座に銃口を向けられホールドアップ。この部屋の中での乱闘は禁止していて、少なくとも今までは頑なに守られている数少ない決まり事であるので、本当に撃たれる可能性は低いと言っていい。それが分かっていても、怖いものは怖いのだ。身に染み付いた習慣、反射と言ってもいいだろう。気持ちはよく分かる。
他所に目を向けていることが不快だったのか、僅かに雲雀の纏う空気が硬質になったことを肌で感じる。ゆっくりと向き直りその表情を伺うと、ただひたすらに無。機嫌を損ねたことは分かる。しかし、どの程度のものなのかが分からないことは怖い。宥められた筈のSub性が小さく震えたような気がして、ひゅ、と息を飲んだのは無意識だった。
「……いいよ、大丈夫。仕方ないのは分かってる」
緊張を解すように背筋を撫でられ、合わせるように呼吸を一度、二度、三度。膝の上、という場所がどうも不安定で落ち着かず、もっと安定の良い場所に腰を落ち着けたくなるような。気が散ってしまい仕方がない。
落ち着き始めた本能を逆撫でした自覚はあったのだろう。それぞれに放っていたGlareは抑えられ、項垂れ乱れた髪をそっと整えられる。顔を上げずとも手つきで分かる。思うところこそ解消されていないものの、争う場はここではない、と一区切りをつけたらしい。
「……リボーン」
「謝らねぇし、これくらいは覚悟の上だろ」
わざわざ整えた髪を乱雑に掻き乱してから離れる手。恨みがましく見上げてしまったのも仕方がないだろう。ちらりと確認したランボは、視線が合うと小さく頷く。覚悟の上、というのは本当らしい。
「まあ、お互いに納得の上でならいいんだけど」
やりすぎない程度に、と釘を刺せば明確な返答こそないものの拒否はされなかった。あとは信じるのみである。
「それにしても、そんなに気になるもの?」
未だ許容されているのならば、と雲雀の膝の上に居座ったまま、右腕を掲げる。二重に巻かれた黒い革。肌触りは良いのだけれど、今朝に受け取ったばかりのそれはどうしてもまだ慣れない。明日には変わっているのだろうか。
「別にオレ、二人から贈られたら同じように付けるんだけど」
「それは当然。これは一番を取られたのが癪なだけだよ」
「そういうもの?」
「そういうもんだ」
ランボも全力で頷いているが、お前が言うな、とリボーンに頭を叩かれている。なかなかにいい音が鳴った。叩かれた場所を押さえながら、ランボは唸る。
「だって、そのチョーカー」
チョーカー。ボス就任と同時に、ボンゴレから贈られたもの。選んだのはリボーンと雲雀であると聞いていて、ああ、と納得した。
「ランボにとって、一番はこのチョーカーか」
デザインを決めた当時、ランボはまだ幼かった。Domとしても力を発現し始めたばかりであったし、マフィアとしての仕事も、ようやく少しずつ本格的に慣らしている段階であった。蔑ろにしていたわけではないが、ランボが携わったのは「これに決めたが構わないな」という最終段階の確認のみであったと聞く。個人としてではなく組織として贈る「首輪」であったので、メインで動いた二人もさほど時間を掛けて選んだわけではなかったようだ。最低限、組織のトップに立つ人間の首を飾るに相応しく、様々な装束に合わせ引き立てられるようなもの、という選び方をしたのであって、自分から贈るのであればもっと別のものがよかった、とは聞いたことがある。具体的にはどのようなものだったのか、とは聞いていない。贈られる予定が、少なくとも今はないので。
それでも、ランボにとってはずっと心に引っ掛かっていた出来事であったらしい。これをつけてほしい、と手渡されたものはブレスレットだと聞いたのに随分と革が長く、まさかColorとしての首輪として用意されたのかと焦ったのは内緒だ。可愛い可愛い弟が、随分と大きく育ってしまった。
「ブレスレットだなんて、人目によく触れる場所を選ぶなんてなぁ」
「こ、これでもボンゴレのDomですし」
組織に所属する、という意味なのか、それとも沢田綱吉の、という意味なのか。どちらでも嬉しいが、叶うならば後者であってほしいと思う。ある日突然にパートナーを紹介でもされてしまうと、倒れてしまうかもしれない。それよりも今はまだ、お兄ちゃん子であってほしいのだ。
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