復活×探偵
地元の常連客は勿論のこと、いわゆる「一見さん」と呼ばれるような新規のお客様も途切れることのない喫茶店が、ポアロである。毛利探偵事務所の真下という立地も、最近は売上に貢献している要因のひとつであろうと感じているところだ。かの有名な「眠りの小五郎」の姿を目にすることができるかもしれないし、運が良ければ彼が来店するかもしれない。そんなファンの方々は、誰かが来店する度にそれとなく入口へと目を向けるものだから分かりやすい。最近は安室さん目当ての方も多いんですよ、なんていう言葉については、少し頭を悩ませているところであり、聞かなかったことにしたい。本来の職務を考えると、あまり目立ちすぎることはよろしくないので。
それでも、この「平和」が形を持ったような空間で過ごす時間は悪くなかった。むしろ大切だ、と言った方が正しいか。表の仕事に裏の仕事。休む間もなく双方向から殴りかかってくる厄介事を、ほんの少しだけでも忘れさせてくれる。守るべき世界を思い出させてくれる、なんて格好付けたことは言わないが、いつまでも変わらずに在り続けてほしいと、そう願う場所である。
そんな大切な場所なので「仕事」のことは忘れてしまいたいのだけれど、訪れた人がどのような人であるのかを観察してしまうことは、一種の職業病であるのかもしれない。せめて喫茶店の店員として、でありたいのだけれども、どうなのだろうか。捜査官として、或いは探り屋として、その人となりを観察してはいないだろうか。頭上に名探偵が居るからだろう。そこそこの頻度で、悩みやら面倒事を抱えた人が店内へと足を踏み入れる。ここまで来たものの最後の一歩が踏み出せない、という人の背をそっと押すこともまた、眠りの小五郎を師とする安室透の仕事となっていた。
ともかく、だ。そんな事情もあったので、初めて店内へと足を踏み入れた客に対していつも以上に意識を傾けることは当然であった。あわよくばポアロの常連となり売上に貢献してもらいたいし、本来であれば上の階へと足を向けていたはずの人であるならばその背を押すか、まあ場合によっては自ら解決のため手を出すことだってある。片親として実子と居候の面倒を見ている師の家計を助けたいとは思うものの、そのせいで当の大黒柱が倒れてしまっては意味が無いのだから。半人前の探偵がどこまでできるのかという調整は少し面倒だけれども、言い方は悪いが「縛りプレイ」も日常のスパイスにぴったりなので。最悪は「運が良かった」とか言いながらの本気を出せば何とかできると知った上での所業であるため許してほしい。
ランチタイムの僅かな慌ただしさも落ち着き始めた十四時前。初めて店を訪れたらしいその客は、入口から少し店内を見渡してから「カウンターでもいいですか」と尋ねてきた。食事後にゆったりと会話を楽しむ人が疎らにテーブルを埋めているが、カウンター席はちょうど最後の一人が店を出たばかり。問題があるはずもなく「お好きな席へどうぞ」と笑いかけた。
入口から最も遠い端の席を選んだ青年の前に、水を入れたグラスを置く。手頃な価格をウリとした服飾ブランドの紙袋は、隣の座席を居所として定めている。店内が混みあってくれば荷物カゴ等で対応するが、今の状況であれば問題ないだろう。
「ご注文はお決まりですか」
「んー、えっと、……うん、コーヒーで」
メニュー表に目を走らせたものの、無難なところへと落ち着いたらしい。とりあえずそれだけで、と言いながらも、他には何があるのかとページをゆっくりと捲っている。パスタ、と小さく呟いたので、もしかすると遅い昼食の注文が入るのかもしれない。
来店時にまず確認するのは、客の顔だ。相手がどこを見ているのかはさておき、接客の基本は目を合わせての挨拶。合うか合わないかは相手によるが、少なくともこちらからは、いらっしゃいませ、の言葉は相手の目を見るようにしながら投げかけることになる。故に、まず最初の印象は「随分と明るい髪色の人だな」であった。日本人らしからぬ随分と明るいその色は、果たして何色と評するべきか。はっきりと言ってしまえば一般的ではないその色を纏う人が随分と平凡に見えてしまったものだから、少し意外だった。勝手な偏見だが、変わった外見を敢えて作る人間は、それなりに個性が顔つきや表情、立ち居振る舞いに出てくるものだと思っていたので。とはいえ、ここまで近くに来てみると分かる。染めたのではなく、地毛なのだ。彼もまた、その髪色のせいで苦労をしたのかもしれない。
不躾な視線が不快であることは身をもって知っているので、あまり注視していないつもりでいた。それでも、向けられた当人としては気がついてしまうのだということも知っている。
「先祖にイタリア人が居るんですよ。だから隔世遺伝、ですかね」
いっそ先祖返りの方が正しいかも、と朗らかに笑う彼は、そういったやりとりを何度も繰り返してきたらしい。明らかに「同類」である相手であっても「あなたは」などと聞いてこない。それだけでも、なんと素晴らしいことか。少しサービスをしたい気分になる。どうせなら気前よくパスタを振る舞いたいところであるが、さすがにそれは迷惑だろう。例えチョコレートを数粒であったとしても、かなり気にされそうだ。となれば、会計時にこっそりと割引するくらいだろうか。店にはポケットマネーから補填すれば問題ないので。
表面に水滴の浮かび始めたグラスを手に取ると、彼は氷でかき混ぜるように回す。からからという涼やかな音を立てるその動作は行儀が悪いはずなのに、随分と似合っている。こんな昼間の喫茶店よりも、夜のカウンターの方が似合いそうだ。そっと口をつけて喉を鳴らす姿は、どうしてだろうか。目を引き付けて仕方がない。
どこか名残惜しさを感じながらも、仕事をしなければ、と動き出す。彼が座るのがカウンター席で良かった。他の客には一連の動作が見えなかったことだろう。カップにフィルターをセットして挽かれた豆を計り入れる。立ち上る香り、さく、さく、と計量スプーンが立てる音は心地が良い。そっとお湯を注ぎ、蒸らしながら待つ時間が好きなのだ、と言うと果たして何人が共感してくれるのか。
いつもよりも丁寧な作業となったことは否めない。始めて訪れた彼がそれに気がつくはずもないのに、失礼します、と声をかければ小さく感謝の言葉を述べてくれるのだから世界は優しい。
淹れたては熱いだろうに、そっと啜って目元を緩ませたその表情から、どうやら満足してもらえたらしいことを判断する。提供の際に見えてしまった紙袋の中身は少し気になるところだけれど、誰にでも何かしらの事情はあるものだ。暴かれたくないものだってあるだろうし、トリプルフェイスなんてやっている自分にはそれが痛いほどよくわかる。お手頃価格がウリの店で買ったにしては、随分と上質な服に見えた。むしろ、今着ている服の方がその中に収まるには相応しい。買ってその場で着替えた、のだろうが、果たしてその理由は何か。
少なくとも今は探らずとも、と意識の外へと放り投げたというのに、すぐさまその興味は戻ってきてしまう。
「おや、何か嫌な連絡でもありましたか」
カウンター内で作業をしていると、目に飛び込んできてしまった彼の表情。取り出したスマートフォンを確認した途端に顰められたものだから、思わず声をかけてしまった。短時間とはいえ、来店してから穏やかな表情しか目にしていなかっただけに、まさかそんな表情をするのか、と驚いてしまったというのもある。店員に話しかけられることを嫌う人もいるために失敗したかとも思ったが、そういった人はカウンター席なんて選ばないだろう。彼もまた、気にした様子もなく答えてくれる。
「いやぁ、職場からの鬼電がちょっと」
あまりにもさらりと口にされたものだから冗談かと思ったのだが、カウンターに置かれたスマートフォンの画面が着信を表示しては消え、すぐさま再び着信を表示して。
「暇潰しにでもネットサーフィンしようと思ったのに、これじゃあできないですよね」
どうしようかなぁ、とは言いながらもそれほど困った様子のない彼に、論点はそこではないだろうと言うべきか否か。
「ええと、出なくて大丈夫なんですか。トラブルとか」
「トラブル、と言えばまぁトラブル、なのかな。でも、叱られると分かっていて出るの、嫌じゃないですか」
「それはそうですけど」
少なくともこの店にいる間は出ないと決めた、と宣言する姿に、何も悪いことをしていないこちらの方が不安になってくる。宣言をしたその口で「デザートも頼もうかな」なんて言わないでほしかった。その間もスマートフォンは絶えず光り続けている。平凡な人だという第一印象が、覆されてしまった。平凡ならば、トラブルだと分かっている職場からの電話を前にしてここまで平然とはしていられない。
戸惑うこちらの様子に気がついたのだろう。本当に大丈夫ですから、と苦笑いをした彼は、小さくため息をつくと側面のボタンを操作する。どう考えても、音量の調整ボタン。気のせいでなければ、かなり小さくしたようだ。うんざりとした様子で指をスライドさせて通話を始めたものの、スマートフォンは机上に置かれたまま。だというのに音漏れがないのは、かなり小さくどころか無音にまで音量を下げたせいだろう。そして、彼は。
「
ただそれだけを口にして、容赦なく通話を切った。相手の話を聞くこともなく、こちらの話は終わったとばかりに。たった一言では伝わるものもないだろうに。
それでも、本当にそれだけで解決してしまったのかぴたりと着信は止まったようだ。やっと画面を触れる、とどこか嬉しそうな様子はどこにでもいる青年なのに、電話の相手にしてみれば頭やら胃が痛くなる存在でありそうなので人は見た目にはよらないらしい。
「あー、一応、メールは入れておくんで。ほんと、大丈夫ですからね」
「いえいえ、お気になさらず……?」
返答として間違っている気はするのだが、それならば、果たしてどう返すことが正解なのか。深く追求することは避け、先の言葉に意識を向ける。英語ではなかった。あれは。
「イタリア語、ですか」
「御先祖の縁で、そっちで仕事してるんですよ。それで、ちょっと」
親戚の縁で、という話はよくあるが、御先祖の縁で、というのもすごい話である。聞いたらもう少し教えてくれそうな雰囲気であるし、今ならば紙袋の中身についても聞けそうだ、と思った矢先に店の扉が開かれる。少し残念に思いながらも、仕事は仕事だ。定型文となっている迎えの言葉を発しようと顔を上げれば、思ったよりも下の方に来店者の顔がある。
「いらっしゃい、コナンくん。空いている席ならどこでもどうぞ」
常連客の一人、江戸川コナンくん。毛利家の居候である彼は、家にも事務所にも人が居ない時にこのポアロで時間を潰すことが多い。仲の良い友人たちと遊び回っていたり、何かと面倒を見てくれている阿笠博士の元へ行ったりということもあるけれど、ポアロに来ることが比較的多いのではないだろうか。ひとたび事件が起これば大人顔負けの推理力を発揮する彼も、平時は小学一年生。仕事やら学校やらで誰の目も届かない場所に一人残すよりは、ということらしく、彼の飲食代は後日毛利探偵事務所へと請求される仕組みとなっている。彼自身はかなりしっかりとした子なので、お小遣いとしてお金を渡しても、とは考えたらしいが、周りも皆がそうだとは限らない。疑うようで申し訳ないとは思いながらも、まだ持ち歩かせるべきではないと判断したらしかった。
迷うことなくテーブル席へと向かった小さなお客様のため、アイスコーヒーの用意を始める。この場所で宿題をしながら保護者の帰りを待つ彼は、他の子どもが居ない時はいつだってコーヒーを頼んでいた。ホットかアイスかは日によりけりなものの、気温を考えればきっと頼まれるのはアイスだろう。今のところ、予測を外したことはない。カップを手に取りながらその様子を眺めていた青年は、よく来る子なんですね、と笑っている。せっせと教科書やプリントを広げる姿を見つめる眼差しはとても優しくて、きっと、子どもが好きな人なのだろうなと考える。
何かと好奇心旺盛な小さな探偵くんも、ごくごく普通の客を相手にまでその熱量を傾けることはない。これで目に見えて何か抱えていそうであるならば話は別であるのだが、ここに至るまでにこちらの琴線に触れたのは「紙袋の中身」と「職場からの電話への態度」だけ。紙袋の中なんて近くに来なければ見えないだろうし、電話もあれ以降かかってくる様子がない。余程のことがなければ、カウンター席の青年が抱える「秘密」は目に触れることがないだろう。
アイスコーヒーを運んだ帰り、青年に呼び止められて受けた追加注文に思わず聞き返してしまう。
「え、いいんですか」
「いいのいいの。オレがそう決めたんだから」
ちらり、と彼のスマートフォンを確認してしまったのも仕方の無いことだと思う。今でこそ沈黙をしているが、先程まで本当に途切れる間もなく鳴り続けていた様子だったので。
脱いで乱雑に折りたたまれているらしい上質な衣服といい、職場からのトラブルも一言で放置したことといい、目前の平凡に見える青年はどこぞの暴君であるのかもしれなかった。
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