このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

ゆめうつつに、こい。

 どうして主は二振り目である自分達を顕現したのか。理由を知っているかと鶴丸に問うたことがある。いつ目覚めるのかがわからないとはいえ、新たに二振り目を顕現しなければならなほどに、戦力が不足しているわけではなさそうだった。互いに気まずい瞬間、気を遣う瞬間がどうしたって発生するだろうに、それがわかっていてどうして、と。
 ――それが、一振り目たちの願いだったからさ。
 軽い口調で言い放つ鶴丸であったが、どこか投げやりであるように聞こえたことは気のせいではあるまい。捻じ曲がり絡まり合った感情を整理してようやく寄り添うことを決めた二振りは、一方が仮に折れた時には、後進を育てた後であれば後追いを許そうと、そんな話をしていたことがあるらしい。一振り目の鶴丸国永が目覚めなくなった時、一振り目の一期一振が思い出したのは戯れのようなその会話だった。目覚めぬままに本丸の荷物となるばかりであるならばいっそ、と。そうして待ち望み顕現されたのが二振り目の鶴丸国永で、一振り目は己を眠らせてくれる二振り目をずっと探し求めていたのだという。けれども願いが叶う前に一期一振もまた、目覚めなくなってしまったのだ、と。仕える今の主のそばに控え続けるべきであろうに、色恋沙汰にうつつを抜かし、後を追うことをを願うとは。主も主だ。そんなものの願いを聞き入れてしまうだなんて。
 なんだかんだと理由をつけて戦闘へと出させてもらえないのは、育ちきってしまえば一振り目達が戻ってこなくなってしまうと思われているのではないだろうか。そのような疑いを抱いた己が嫌であったし、そのような疑いをもたらした一振り目が嫌いだった。眠り続ける無様な姿を眺めながら己を整理することは、一期一振が一期一振で在り続けるために必要な作業であった。自分はこのような姿を見せるまいと、波打つ心を鎮めつつ。
 懇々と眠り続ける一振り目を眺めていると、どうして自分がこんなにも振り回されているのだろうかと腹立たしくなる瞬間もある。仮にここで怒りに任せて一振り目をへし折ったところで、本丸の皆を悲しませ、己の居心地が悪くなるばかりで何も変わらないのだということを知っている。それこそ顕現順という歴史を変えない限り、どうしようもないのだから。
「……君も、飽きないなぁ」
 集中をしすぎていたのだろう。唐突に掛けられた声に対して、反応が遅れてしまう。とはいえ、相手も気配を完全に消していたのだ。その存在を示すつもりはなかったところ、不意に言葉がこぼれ落ちてしまったようである。失敗した、という表情を隠しもしない鶴丸は、果たして部屋に足を踏み入れてもよいものなのかとためらっている様子だった。こちらをじぃと観察しては、ひとつひとつの感情を暴いていった鶴丸のことだ。一期一振が見られたくないと思っていることなんて、ずっと前に暴いてしまっていたことだろう。
 とはいえ、じっとそこに立っていることも不自然である。一期一振は鶴丸がこの部屋に入りづらさを感じていることを知っているし、鶴丸は一期一振がこの部屋を見られたくないと考えていることを知っている。だから立ち去ってしまっても良いというのに、鶴丸は覚悟を決めた様子で部屋へと足を踏み入れる。居処には僅かに悩んだ様子で、しばし視線をさ迷わせたのち、一期一振の斜め後ろへと腰を下ろした。背を向け続けるのも、と振り返り座り直せば、どこか居心地の悪そうな鶴丸の姿が新鮮である。
「おや、隣でも構いませんのに」
「勘弁してくれ」
 直視することは耐えられないのだと苦笑する鶴丸は、本当にそんなことを考えているのかどうか。まあ、こんな状況でもなければ己の寝顔を眺める機会などそうそう訪れることはないだろうし、それなりに仲睦まじく在ったらしい存在と並んで眠っている様をその同位体と共に目にする状況ともなればなおさらである。ただ、この鶴丸がそんなことを気にするとは思ってもみなかったので、意外だった。
「意外と繊細、なのですね」
「君が図太すぎるだけだと思うんだがな」
 失礼な、とは形ばかり噛みついておくものの、それ以上の言葉を重ねなければ鶴丸も
それ以上続けようとはしなかった。
「まったく、何か御用があったのでは」
「用、と言えば用ではあったが」
 良い茶葉を押し付けられたから一緒にどうだと誘いに来ただけだ、と。犯人は案の定鶯丸、かと思いきや今回は大包平だそうだ。鶯丸にと買った土産ではあったが、既に同じものを持っていたので分けてやろう、とつい先ほどに。
「それは、……よく見ているのか見ていないのか」
「当の鶯丸は気にしないと思うんだが、それでは駄目なんだそうだ」
 ともかく、そのような経緯で手元にやってきた茶葉であるので、美味しくないはずがない。ならば、と一期一振を探してみれば、この部屋に辿り着いたのだ、と。
「声をかける気なんてさらさらなかったんだが、思わず、な」
 本当は黙って待っているつもりだったのだと。見られたくはないだろうし、邪魔もされたくはないだろうと。それでも、言葉が飛び出してしまったものだから、入らざるを得なくなってしまったのだと言う。入らずとも済むのならばと、これまでは進んで入ろうとはしなかった部屋だ。確かに、一期一振の知る限りでは鶴丸がこの部屋へと入ったことは、初めてこの場所へと一期一振を導いたあの日だけであった。部屋の前で過ごすことは多いが、二振りで過ごす際には部屋の中に入る必要性も感じずに背を向けるばかりでった。縁側に腰掛けると居心地が良いのだと理由をつけて。それでも、一振だけであればこうして向き合う時間を持っている一期一振とは異なって、やはり鶴丸は、むしろ一振だけであるのならばこの部屋からは距離をおきたいらしい。理由は簡単で、ここが、一期一振の部屋だから、である。眠る鶴丸に話しかけながら、一振り目の一期一振がしばらく過ごしていた部屋だ。その当時から、部屋を訪ねるには少しの勇気が必要だった。決して一振り目と混同しようとはしなかったけれど、だからこそ、この部屋に、この部屋の前に足を運ぶことを決めるまでには相当な覚悟を要したのだと。
「求められていたのは初めから一振り目。二振り目なんて代用品にすぎない。それをまざまざと見せつけられるようでな」
 主にそんなつもりはなく、主も、本丸の皆も、どちらも大切にしてくれているのだということは分かっている。それでも一振り目の一期一振が待ち望んでいたのは一振り目の鶴丸国永だけであって、それを改めて自覚させるようなこの部屋が苦手だったのだと。
「君が見ているのは一振り目の一期一振であるとはわかっているんだ。それでも」
 この部屋に眠るものに対して向き合う一期一振、という姿を改めて見てしまうと駄目なのだと力なく笑う。
「俺にとって、君に認められないということは思いのほか苦痛であったらしい」
 異なる存在であることを分かっているはずなのに、どうしても重なり、思い出してしまうのだと。二振り目として最も嫌なことであることは痛いほどに分かっている。故に、部屋からはますます遠ざかっていったのだと。
 一振り目に対して抱いていたというその思いは、顕現するよりも前からずっと長らく共に在るからであろうか。そうであれば良いと願ってしまう。何か別の、もっと個人的な、そう、例えば顕現してから得た感情に由来するものが理由となるのだとするならば、それはひどく。
(……ひどく、何だ)
 悔しいのだろうか。悲しいのだろうか。自身の感情の整理がつかず、一期一振は思考を止める。そういった時にはいつだってぼんやりと一振り目の姿を見つめてきたものだけれど、今ばかりは、失策であったように思う。
(……ああ、なるほど)
 鶴丸の苦痛が顕現する前に在った時間に由来するものであるならば、一期一振にも何とかできるものであるはずだ。それが、それがもしも、一振り目の一期一振と過ごした時間に由来するものであったとしたら。それを癒すことができるのは一振り目だけなのだ。こうして枕元で話し込んでいても微動だにしない、そのくせ穏やかな表情で眠り続けるこの男。なるほど、確かにこれは苦痛だった。同じであって同じでない。この部屋ではそれを強く実感してしまう。一期一振が求めていたことはまさにそれであったはずなのに、どうしてだか、今は胸が苦しい。
「今もまだ、満たされませんか」
「いつの間にか、考えることをやめていたからなぁ。正直、よくわからん」
 満たされたと言ってやるのが正しいんだろうがな、と申し訳なさそうに、それでも笑う鶴丸は悪くないというのに。形ばかりの慰めを与えられたところで、それはただただ虚しいだけなのだから。
「私がいつか、満たされたと言わせてやれば良いだけのこと。燃えますな」
「……は、なるほど。それは楽しみなことだな」
 敢えて明るく言い放ってやれば、鶴丸もことさら明るく笑みを浮かべて。ただ小さく続けられた、優しいなぁ、という言葉は聞こえなかったことにする。鶴丸に対する優しさなんてどこにもなくて、ただ一期一振が己のために紡いだ言葉でしかないのだから。
 これ以上この部屋にいてはきっと駄目になる。そう考えたのはどちらも同じであったようで、どちらからともなく立ち上がる。鶴丸が一期一振を探すきっかけとなった茶葉と茶器一式は既に廊下へと用意されているらしく、今からでもいつものように飲もうか、と。
「このうっかり屋な口さえなければ、もう少し早く飲めたんだろうが」
「そうですな、いっそ縫い付けてしまいますか」
「まさかそう返されるとは、驚きだぜ……」
 並び立って部屋を出ながら、一期一振は浮かび上がりかけた言葉をそっと静かに沈め込む。言っても仕方のない言葉はいつだってそうしてきたものだ。違う、違うと否定をしたところで、根源は同じということか。その在り方のなんと無様なことだろう。

❁

 苺大福のうちのひとつの中身を、唐辛子の塊に入れ替える。そんな悪戯を添えた茶菓子を用意されたものだったから、一期一振は抜刀こそしていないものの中々に鬼気迫る勢いで鶴丸を追いかけていた。すれ違ったもの達は後に語る。あれはまさに鬼であった、と。
 いつぞやに聞いた抜け道を駆使して先回りを目論むも、相手は同じく抜け道を用いて更に先へと逃げ延びる。そんな一進一退を続けるうちに、どうやら室内ばかりでは逃げ切れぬと判断したらしい。鶴丸が庭へと飛び出す姿を見た、あちらへ向かった、という情報を頼りに方向を変えてから、もしやこちらを撹乱するための罠だったのではないかと考えるも、ひらりと木陰に揺れる白を見つけ足を早めた。いくらか遮るものの減った新たな戦場は、まさに太刀としての力量を試される場でもある。
 建物から飛び出してしまえば途端に辺りは静かになって、ただひたすらに逃げる獲物の居所を探るべく神経を尖らせるばかり。人の身体を得て生活する時間は長くなったが、それでも戦闘経験には埋められぬ差が未だ残る。まさかこのような場所で実感するとは、と思いながら、やはり負けたくないという思いはあるものだ。とはいうものの、舗装されていない傾斜はそこそこの距離を走り続けた足腰へと容赦なく一息に襲いかかってくる。足取りは途端に遅くなり、息も上がり、そうなってしまうと、果たしてここまで意地になって追いかけ回すほどのことであったのか、と。少し冷静になってしまうと先程までの熱量を取り戻すことは難しく、それでもまあここまで追ってきたのだからと、足は止めることなく山道を登る。そう、山道だ。
 本丸は現世にある場所を模しながらも、時空間の狭間に存在している。故にある程度は望むものを反映させての増改築も可能となるわけだが、この山もそうやって設置されたものだ。山伏国広はかなり早い段階からこの戦いに力を貸している刀剣男士の一振であり、彼にとって山は馴染みのある場所である。当然、戦いが第一ではあるものの、雑談の中であったり、今後の希望調査であったり、何かしらの機会において、山があれば、と呟く姿が見られたという。彼の世話になっている審神者も多かったことから、かなり早い段階で改造要素のひとつとして山が加えられ、山を戦場とした訓練の場になるだとか、駆け回り遊ぶ場になるだとか、うまく馴染めば迷い込む野生動物に癒されるだとか、様々な意見の後押しによって本丸における山はみるみるうちに充実したのだとか。この本丸の山も、山を愛する面々の熱意によって進化を続けている場所である。
 暇潰しに遠足めいたことをしてみたり、もしもに備えての食べられる山の幸についての勉強会をしてみたり、そんな形で山に入ったことはあったものの、こうして一振だけで歩くというのは新鮮だった。正確には少し先に鶴丸がいるはずなのだけれど、途中で歩き始めてしまったせいか、その姿はもう見えない。
「……いっそ、置いて、いや、それでも折角なので山頂からの眺めを堪能してから」
「おっと、そいつは酷いな!」
 漏らした独り言へ、意識の外から答えがあったともなれば思わず腰元へと手を伸ばしながら振り返る。本丸内であるが故の気の緩みがあったとはいえ、その気配に気がつくことができなかったということがひどく悔しい。
「つ、るまる殿、いつから」
「割と早い段階から遠回りをして君の後ろに回ったからなぁ」
 歩き始めた頃からかと笑われてはそれ以上は怒る気力もなく、折角だから登りきってから下山しようという鶴丸に腕を引かれるまま、やや早足で坂道を登る。
「置いて行くだの、俺を追わずに山頂を目指すだの、君は時々、俺の扱いが雑じゃないか」
 そうだろうか。鶴丸が言うのならば、そうなのかもしれない。
「おっと、謝ってくれるなよ。俺はその雑さが案外気に入っているからな」
「……なるほど」
 随分と物好きな、とは言わずに秘めておく。趣味嗜好は千差万別であり、己に理解ができないからと否定することは最低の所業であるとは、顕現してから早い段階で教わることだ。いつだったか、どこかの本丸で抜刀騒ぎにまで発展したらしく、以来、刀剣男士に教えるべき事項のひとつとして暗黙のうちに定められているらしい。
 妙なことを考えられている気がすると言いつつも笑う鶴丸の足取りは軽く、同じように動き回っていたはずがここまで違うものなのかと、改めて感じる悔しさに頬を噛む。日々の生活や鍛錬によって多少なりとも変化はあるが、やはり手っ取り早いのは戦場で経験を積むことだ。未だ新たな刀剣男士を迎えるには至っておらず、一期一振の出陣機会は少ないままだ。
 後ろ向きになりそうな思考を止めるため、他のことへと目を向ける。確かあの葉は食べられたはず、あちらの花は育つ高度が限られていたはずだ、そしてあの木の幹にあるものは。
「鶴丸殿、この山には熊が」
「んー、ああ、あれか。あれを付けたのは誰だと言っていたか」
「誰、ですか」
「ああ、よくできてるだろう。少なくとも相手が人間であれば、いい人払いになる」
 故に、競って山に住む動物の付ける傷を真似た時期があったのだという。発起人は一振り目の鶴丸国永で、本物の牙と爪で傷を付けられる五虎退の虎達には敵わない、という結論に至ると途端に関心がなくなったかのようにその「遊び」をやめてしまったのだとか。
「そんな話をしながらな、一振り目とここを登ったことがある」
 鶴丸が顕現されたのは一振り目の鶴丸国永が眠ってしまってからであるために、その一振り目とは当然、一期一振のことだ。作為的に付けられた傷を見て熊だと興奮する鶴丸に水を差すように、どこか懐かしむ様子でそれを教えてくれたのだと。
 知らぬこととはいえ話題を間違えてしまったかと思ったが、鶴丸は案外と平気な顔をして先へと進んでいく。乗り越えたことなのか、本当にどうとも思っていないのか判別はつかないのだけれど、そうであるならば一期一振が過剰に気にしてやる必要もないのだろうと切り替える。あの傷もそうなのかと眺めていれば、それは本当に迷い込んだ野生動物の付けたものだ、いや嘘だ、などとからかわれつつも登っていけば、頂上まではあともう少しとなっていた。疲れていたはずなのに、話しながらであれば思いのほか足取りは軽く進むことができたような心地である。もちろん、この後は自力で下らなければならないし、そちらの方が足腰に負担がかかるということは知っている。そのことは、今はとりあえず考えないこととする。
 少し遅めの休憩を取っている中、仕事終わりの楽しみとしていた甘味で悪戯をされた。そこから全力での追いかけっこが始まって、色々と有耶無耶になったまま山を登り始め。食事当番が用意を開始した頃だろうか。そういえば休憩用の茶器等一式をそのままに飛び出してきてしまった。誰かが代わりに片付けてくれているところを、横目で確認したような気もするのだが果たして誰であったのか。
 太陽が思っていたよりも下にまで居場所を変えてしまったせいで木々の間をすり抜けて届く光は色をつけ始めているし、影は随分と長く伸びてしまっている。早いところ帰り始めなければ、日が落ちてから下山することになるだろう。本丸の中であることに変わりはないので大きな危険はないし、敢えて暗くなってから山を行き来したことだってある。一期一振と鶴丸が駆け回っている様子は多くが目にしていたので、時間になって広間に顔を出さなかったとしても、駆け回りすぎてどこかで力尽きたのだろうと判断されることだろう。助けに来てくれても良いものを、自業自得、とバッサリ切り捨てて放置されたことがあった。食事を取り分けておいただけでも感謝しろ、と。まったく、そのとおりである。今夜はせめてそうなる前に戻りたいのだが、鶴丸は頂上へと向かいたいらしい。
「ああ、日が落ちてしまうな。急ごう」
 ならば帰ろうと言い出さない己も共犯かとぼんやり考えながら、一期一振は言われるがままに足を早める。前を歩く鶴丸が先へ進むと言うのならば、それに従うまでである。今日は鶴丸を追ってここまで来てしまったので。
 登りきった場所でくらいゆっくり休憩をしたいという声を反映し、頂上には東屋が設置されている。達成感からか楽しげに笑う鶴丸に押し込まれたその場所で、言われるがままに一期一振は目を閉じていた。理由を問うと鶴丸はあっさりと答えた。この時間の空がとても綺麗に見えるので、その一番綺麗な瞬間をまずは見てほしいのだと。
「移り変わる空の様もいいんだがな、綺麗な一瞬だけを、というのは二振りで来なければ見られないだろう」
「今か、まだか、と目をぱちぱちしてしまいますな」
「ふ、そうだな。ぱちぱちしちまうなぁ」
 視覚情報が遮られているおかげで、通り抜ける風により揺れる木の葉の音が随分と大きく感じられる。鶴丸の声の後ろで流れるざぁざぁという音に、夜の近付いてくる匂い。程よい疲労感もあるせいで、危うくそのまま眠ってしまいそうになる。その度に鶴丸が、まるで呼び戻すように話し始めるものだから目を開けそうになってしまい慌てて力を込めて堪える羽目になる。
「鶴丸殿、まだですか。まだ駄目ですか」
 このままでは本当に眠ってしまいそうで、まだか、まだかと問いかけること数度。その度に、まだだ、まだだと止められては話を逸らされ、これはもしや満天の星空を待つつもりではと疑い始めた頃にようやく、目を開けていいぞ、と待ち望んだ言葉。ゆっくりと瞼を上げれば、未だ残る光に目が眩む。しかし、思わず細めてしまった視界に刺さる、色。
 ――薄紫に、染まる空。
 僅かに顔をのぞかせる光も辺りを橙に染めるばかりで、慣れてしまえばその優しい色合いに、ほぅと息が零れる。静かに鶴丸へと目を向ければ、その真白を夕陽に染められながらも強い光が一期一振を射抜く。沈みゆく陽が、そこには静かに秘められていた。
「どうだ、驚いたか」
「ええ」
 間近なそれに焼かれてしまいそうで、一期一振は空へと目を逸らす。頭上は光が届かなくなり始めているのか紺に近く、漂う雲は光を反射してか不思議な色をまとっている。視線は確かにそちらへと向いているはずなのに、真横にある光がひどく眩しい。
 この山へと逃げ込んだ時点で、いい頃合いまで逃げ回ってこの空を見せようと思ったのだと話す声。その声がつい先程、この山を一振り目と共に登ったのだと話していたことをを思い出してしまう。
(……ああ、なんと無様な)
 この空を一振り目と共に見たのかと、尋ねることが恐ろしい。そう感じてしまう己が醜く、滑稽で、そして無様だった。

❁

 散々、詰って見ないようにしてきたというのに、結局は同じ穴の狢であったらしい。
 どうせ、一振り目が目覚めるまでの夢でしかないというのに。
 彼が認められたがっていたのは、己ではないというのに。
 そもそも、初めに彼に強烈な印象を与えたのは先に在る一振り目、新参者である二振り目に勝てる見込みがあるはずもない。負け戦を想定することは悔しいが、変えることのできぬ事実から目を背け続けるほどの愚かものでは在りたくない。ただ覚悟だけは決めておかねばと黒く落ち込む感情を飲み込みながら、一体いつからこのような面倒な感情を抱くようになってしまったのかと自嘲する。
 束の間の夢を楽しむだけで在るはずだった。ただ使われるだけの物として在るはずだった。人の真似事をしているうちに、誰かのそばを願う者に為ってしまった。それに鶴丸が気がついていないはずもなく、それでも何も言わないことは、彼の優しさに他ならなかった。彼もまた、己の身が泡沫の夢でしかないことを知っている。
「……ああ、いっそ。時が止まってしまえばいいのに」
 そうすればきっと一振り目たちは眠り続け、そして自分達は人の真似事を続けることができるのに、と。
9/9ページ
スキ