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二次log

 ――俺は、どうすればよかったのだろうか。
 忘れることもできない鮮烈なステージを目の当たりにした数日後、それを発したのは、自分よりもずっと近い場所でその光景を見続けることしかできなかった同級生だった。
 五奇人、などと一括りにされたお陰で知り合うことのできた先輩たち。彼らから学び取ったことはとても多くて、それはきっと逆先の同級生であり、あの望まれた物語に巻き込まれてしまった氷鷹も同じであっただろう。その素行はともかく、演劇に対するその姿勢には学ぶべきところが多くある、とはいつの言葉であっただろうか。
 演劇部に身を置き、きっと、演者としての日々樹渉という存在を尊敬していた彼。そのせいで、目を付けられてしまったのだ。無関係であったはずなのに、敗北の舞台上へと連れ出され、無様に切り捨てられる憧れの血を間近に浴びる。
 もしかしたら、真相はもっと悲惨であるのかもしれない。あの処刑台へと上がるためには、人手が必要だった。人がいなければ、あの物語は成立しなかった。氷鷹北斗という少年は、尊敬する存在へ刃を向けるために巻き込まれただけだった。きっと、それは逆先と同じ役割だった。単なる人数合わせとして。なんと酷い先輩たちだろう。
 氷鷹の言葉に自分が何と返したのか、逆先は思い出すことができずにいる。慰めることも、同じ状況へ次に陥った時にどうすれば良いのかと助言を与えることもしなかったことは確実だった。それだけはあり得なかった。
 だって、逆先自身も失敗してしまったのだ。
 氷鷹は、もう一人の自分だった。そんな彼を、どうして慰めることが出来ようか。次など、どこにもないというのに。求めた幸せの種は、芽吹くことも許されなかった。凍り付いてしまったそれを手放すことができないのは、我儘な子どもでしかなかった逆先にとって最後の抵抗だった。

「ああもウ、反吐が出るネ」
「ええ!? 気分が悪いんですか? 保健室に……あ、先にトイレで吐いちゃった方がすっきりしますよね。いや、そういえばビニール袋がその辺にあったはずで、ええと」
「黙レ」
 忌々しく吐き捨てた逆先の言葉に反応したのは、顔も見たくないと何度も伝えたにもかかわらず秘密の部屋にまで通い詰めている青葉である。地下にしまい込まれた書物に用があるのだ、という言葉に嘘偽りはないのだろうが、そこでどうして止まってくれないのかと小一時間問い質したい。用が済めば帰れば良いというのに、青葉は何度ののしられようとも、決まって逆先の孤城へと足を向けるのだ。ある時は無言で、ある時は合図と共に、またある時には手土産を携えて。
 逆先は、日々樹の言葉をきっかけとして香りに関する実験をしている最中だった。未だ、彼が己を、五奇人という存在を壊したfineへと参入したことについて心の整理が出来てはいない。しかしながら、魔法のように香りを自在に操ることができれば、それは何かしらに応用ができそうですよね、という囁きに耳を傾けてしまったのが間違いだった。
 ステージ上の効果に応用できそうな内容であるし、そもそも、日々樹の掲げる「世界に愛を」という在り方については賛同する部分も大きい。今回のこれもそうしたことに使われるのならば、と様々な香料と薬品について研究と考察を重ね、実験を行っている最中だったのだ。青葉が前触れもなく、部屋を開けたのは。
 購買部で見つけたんですけれども美味しそうだったので、と乱入者が携えてきたのは、唐揚げであった。食欲をそそるのであろうその香りは、いつも以上に秘密の部屋に持ち込まれたくない不要なもの。一瞬にして逆先の求めていた結果はかき消され、残ったのはただただ純粋な苛立ちだった。幸せ紡ぐブルーバード? 繰り返された言葉を理解できない鳥頭なんて、一緒に唐揚げにされてしまえ、というのが逆先の嘘偽りない本音である。
「夏目くん、その」
「それは早くどこかへやってくれないカ。においが移るだろウ」
 換気をしたところで、今日の実験はもう不可能だ。楽しくなってきて授業をさぼっていたのは逆先個人の感情に由来することであるものの、授業を犠牲にして得たはずの時間を返せと言いたくなってくる。目に見えてしゅんと項垂れる青葉の姿に先輩らしい威厳は微塵もなく、どうしてこんな奴に自分たちが、と卑屈な心が顔を覗かせ始める。
 しかし、青葉に悪意がないことも分かっていた。ここ最近の逆先は、日々樹に唆される前から秘密の部屋に籠りきり。時には食事を忘れていることもあって、それを知った青葉が差し入れをするというのが恒例となっていた。実験について説明をしなかったことも、最早日課となってしまっているらしいその行為について頭から抜け落ちてしまっていたことも、逆先の落ち度である、と言えなくもないのかもしれない。
 ただ、青葉の行動は全てが逆先に対する優しさで成り立っているから、調子が狂うのだ。お前が全てを壊したくせに、と詰ったこともある。それなのに、青葉は謝罪しながらも残酷に、それが必要な犠牲であったのだと口にする。そして逆先や愛する先輩たちの血で塗れた手を差し伸べながら、泣かないで、大丈夫ですか、などとのたまうのだ。そのバランスが、逆先はひどく恐ろしかった。お陰で、未だに青葉への対応を決めかねている。
 怒られた手前、部屋へ入ることもできずに立ち尽くしている情けない先輩のために、逆先は折れてやった。どうせ、今日はもう実験ができる状態にない。唐揚げそのものに罪もなく、そして、正確な時間は分からないものの朝から籠って昼食を取っていない自分の身体が空腹を訴え始めていることも、事実であったから。
「……換気をしてかラ、行くヨ。ソラも誘っテ、先にどこかで食べているといイ」
「夏目くん、外へ出る気になったんですね!? 絶対、絶対ですよ!? そうですね……あ、中庭の花が見頃なんです。そこで食べましょう。絶対、来てくださいね!」
「うるさイ」
「あうっ!」
 手元にあったボールペンを投げつけてやると、狙い通りに頭に当たったというのにどこか嬉しそうにして。最後にもう一度と念押しをしてようやく立ち去ってくれた青葉を見送り、静かになった小部屋の中で逆先はほっと息を吐く。
 自分たちに「悪」というレッテルを貼り、そして断罪した英雄たち。
 中心に立っていたのは青葉と天祥院の二人であり、物語の流れを理解し、そして求められる結末へと向けて見事に役割を演じきった二人でもあった。青葉はその返り血を浴びたまま、敵であったはずの逆先へと優しさを向ける。
 確かに、それは逆先にとって恐ろしいことだった。学院にはびこった闇を振り払うため、闇の象徴たる「悪」を打ち倒すための物語。英雄の行ったそれは、一種の魔法であった。その他大勢の幸福のために、少数が多大なる犠牲を払って成功させたもの。五奇人と呼ばれた自分たちも、そして革命を成し遂げた彼らも。
 逆先は、守られてしまった。終わった物語の先で、幸せの魔法を成功させよと、そう願われた魔法使いである。けれど、逆先だって、殺されなければならなかった「悪」であったのだ。守られてしまった、生きながらえてしまった自分が、果たして優しさを享受しても良いのか。何もしなかった、何もしてくれなかった民衆が何を思うのかなんて気にしたことはないのだけれど、ただ、自分を守りながら壊されていった兄たちが、共に愛する人の最期への引金となってしまったもう一人の自分が何を思うのか。
 逆先がただひたすらに求めているのは、今も昔も、そしてこれからも変わらず、ハッピーエンドただ一つだけである。民衆も、英雄も、そして悪者も、誰もが幸せになれる結末を。解放を望む民衆に希望を、疲れ切った英雄に癒しを、断罪された悪者に救いを。逆先の中で凍り付いてしまった、幸せの欠片。本来の色ではないのかもしれないけれど、それでもいつか、咲いているところを見たいと願う。それくらいは、許してほしかった。

 ――ボクは、どうすればよかったのだろうネ。
 そういえば、問いに問いで返したのだっけ。
 ふと思い出したやり取りを、逆先は秘密の部屋へと閉じ込める。
 ――舞台を降りたその後で、あの人たちの後を追えばいい。
 次代を望む先人のために、幸せの魔法を世界中へ。
 今はまだ新たな物語の途中だから。だから、完璧に演じなければならなかった。自分たちの憧れた、先輩たちのように。そしてこの物語が終わったら、その時にやっと、彼らに追いつくことができるのだと、そう信じて。
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