このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

二次log

 次回はこれでやりましょうか、と日々樹が用意したシナリオは『山月記』であった。
 高校二年生で使用する国語の教科書にも掲載されている、自尊心と羞恥心から虎へと化してしまった知己と再会する男の物語。
 授業こそ受けていないものの、演劇のためにと読まされた文学作品のうちの一つであったために真白がそのように認識していた作品を、日々樹は原作に更に独自のアレンジを加えることで演劇部のものとして昇華させるのだ、と言う。
「原作、ですか」
「中国古典を元に中島敦が改変したものが、俺たちの知る『山月記』らしいな」
 真白の呟きに答えた氷鷹曰く、虎――李徴は、原作では愛する女性との逢瀬を邪魔された怒りから罪を犯した報いにより、変化してしまったのだという。物知りですね、と真白が感心すると、氷鷹のクラスを受け持つ国語教師がそういった雑学を好んでいたお蔭であるのだ、とどこか照れた様子で返される。
 それでも覚えているなんて、と尊敬の眼差しを向け続ける真白、照れる氷鷹、そして二人の様子をにこにこと笑いながら見守っている日々樹。いつもと変わらぬ演劇部の風景である。
 ある程度の事前知識確認が終わると、簡単に台本へ目を通していく。真白は自身が知っている作品だと侮っていたのだけれど、知らなかった「原作」の存在に、部長自ら手掛けたアレンジ。変態仮面だ、なんて罵ることは日常茶飯事であるし、迷惑を被っているのだと公言することだって数多い。それでも真白が演劇部に所属し続けているのは、尊敬する氷鷹北斗、という先輩ともう一人、やはり日々樹渉という尊敬できる先輩の存在が大きかった。不覚にも作品世界の中へと引きこまれてしまっていた真白は、ある程度読み進めていくうちにあることに気がついてしまった。
「あの」
「どうしましたか、友也くん。読み辛そうな漢字には全てルビを振りましたし、馴染みのない言葉には注釈まで。個人的には至れり尽くせりな台本を用意したつもりなのですが……流石に、その時の登場人物の心情について、までは対応しませんからね。その辺りを演者自らが考えることによって舞台に色が付きますし。さて、友也くんは私に国語の授業を願うつもりなのでしょうかね。できなくはありませんが、お断りしますよ」
「……いつまでもそれを引っ張らないでください」
 日々樹が先回りして拒絶した「国語の授業」であるが、この件について真白は強くは出ることができない。入部して初めて大きな役を貰った時、どうしても登場人物が何を思ってその台詞を口にするのかが分からなくなってしまった。直球で質問を投げかけ、返されたのは「国語の授業はお断り」である。
 理由はまあ納得のできるものであるし、何だかんだで、ヒントは与えてもらっている。これもまた、一年生を育てるための手法の一つであるのだ。しかし、それ以降も友也が登場人物の思考回路について悩むたびにその一件を持ち出してからかってくるものだから、過去の自分を殴ってやりたくなる事件である。
 とはいえ、今回は登場人物の考えが、なんてことでヒントを求めているわけではなかった。むしろ、それ以前の問題である。
「じゃなくてですね、その、俺の役、寡、という人になっていますけれども、もしかして」
「李徴の愛した女性ですが何か問題でも」
「問題しかないですね」
 欧米諸国の名前であれば、ある程度は性別を察することができるようになってきた。しかし、中国の名前となるとそれは難しい。故に、読み進めながらも何かの間違いではないかと思いたかったのだけれど、真白の読解力はそれを許してくれるほどに甘くはなかった。
「何で俺ばっかり女役なんですか。それでなくたって先輩は俺に女装ばっかりさせようとするし、いい加減、男物の衣装に袖を通したいんですけど」
「前回の舞台で通したでしょう」
「男装する少女の役でな!」
 諦めろ、と氷鷹の目は訴えかけているのだけれど、こればかりは真白も譲れなかった。譲ってしまっては、男としての沽券にかかわってくる気がするのだ。既に舞台上では半数以上、舞台と関係なくとも女装にまつわる攻防戦を校内で繰り広げ(て敗北し)てしまっている以上、手遅れである気がしなくもないがそこには目を瞑る。
 ここまでが演劇部においては日常的な風景となってしまっているために、氷鷹は早々に諦めて台本の読み込みに集中することとした。氷鷹は、虎と化した李徴と対話しつつ物語を進行していく主人公の役となる。常に舞台上で動き回るといっても過言ではないため、読み込みすぎて困るということはない。むしろ、取りこぼしの無いように読み込んでおく必要があったのだ。
 きゃんきゃんと吠える真白に溜息を吐いた日々樹は、ぱちん、と指を鳴らす。と同時にその手中に現れたのは数枚の写真。真白には裏側しか見えないそれを、日々樹はじっくりと見て一枚を抜き出す。
「ほら、可愛らしいでしょう。こんなに可愛らしい子がいたら、狼でなくたって襲い掛かって食べつくしてしまいたくなりませんか。案外、狩人だって自分が少女を食べてしまうために狼を殺したのかもしれませんよ」
 提示されたのは、いつかの公演で真白の演じた赤頭巾。日々樹扮する狼が今にも襲いかかろうと構え、怯えた様子を捉えた一枚である。続々と出されるのは、これまでに真白が扮した姿。
 可愛らしいもの、美しいもの。
 確かに、冷静な部分の真白は日々樹の言葉に頷いてしまいそうになる。自分の扮した彼女たちはそこで本当に生きているだろうと、そう自慢してやりたくなる。けれども、彼女たち、なのだ。そこだけが、真白にはどうしても引っかかってしまう。
「それでも、俺だってヒーローの役をやってみたい」
 目を逸らしては負けだ、と頭の中で誰かが囁いているような気がして、真白は日々樹の目をじっと見据える。その表情に心動かされてくれたのか、日々樹は「そうですね」と少しだけ考え込む素振りを見せて。
「仮に、仮にです。友也くんがヒーローに……そうですね、シンデレラの王子役をしたとしましょうか。その時のヒロイン、シンデレラは私です。さあ、イメージをどうぞ」
 目を瞑り、真白は脳内に思い描く。浮かんだのは物語のクライマックス、王子が跪き、シンデレラにガラスの靴を履かせる場面。
「では、王子とシンデレラとでダンスパーティーに参加しましょう。優雅な音楽、優美なドレスに身を包まれ、羨望の眼差しを受けながらも大広間の中心で王子と踊るシンデレラ。彼女は王子を愛おしげに見下ろし、そして、王子もまた、彼女を愛おしげに見上げることでしょう」
 ぱちり、と真白は瞼を上げる。そこまで言われてしまったら、もう、あとは分かってしまった。悔しさに思わず噛みしめてしまった唇を、日々樹は優しく人差し指でなぞる。
「……とまあ、これも理由ではあるのですが決定打ではありませんね。私ほどの天才になるとどうとでも出来るのですが、どうしたって、男の身体は女性的に見せることが難しくなってしまうんです。友也くんの場合、まだ身体が成長しきっていない。アンバランスで、男性的にも、女性的にもなれる。それならば、いずれは出来なくなってしまう、かもしれない女装を中心に今は経験させてあげたいという、そんな先輩心をどうか分かっていただけませんか」
 どこか寂しそうな日々樹の言葉に丸め込まれる真白。その様子を聞き流しながら、きっと真白に女装させるための攻防戦が楽しくなって話が持って行かれているだけだぞ、と氷鷹は心の中で思う。それを口にしないのは、氷鷹もまたその攻防戦を楽しみにしている人間の一人だからである。
5/27ページ
    スキ