花人
お前はいつも無表情だね、と言われ続けたものだから、きっと自分はそういうものなのだろうと思うようになった。自分で思っているよりもずっと、表情筋は頑固らしい。それを抜きにしたって、赤葦には負い目があった。
――おれを、あいして。
ずっと昔、始まりの魂がそれを願って息絶えた。どうして死んだのか、遠い記憶のことだから忘れてしまった。その願いに応えたのが、数多の花達だった。ある者は桜、ある者は百合、そして赤葦の魂は、桔梗。
赤葦京治、という名前は今の器に与えられる筈の名前だった。生まれ落ちる前に魂の抜けてしまったその場所に、桔梗が別の魂を埋め込んだ。そうして生まれたのが、今の赤葦京治なのだ。
それを知っているから、赤葦はどうしたって考えてしまう。本当なら、この場所にいる「赤葦京治」は別の存在であった筈なのに、と。もしかしたら、そのせいで表情筋は上手く動いてくれないのかもしれない。魂に刻まれてしまった性質なのか、いつの時代も難しく考えてしまって生き辛いものだった。
赤葦が初めて自分以外の「花」と出会ったのは、高一の夏休みだった。姿形は「人間」であるけれど、人が犬、猫、そして人とを見分けるように、会えば「人」と「花」との違いが分かってしまう。
けれど、最初は勘違いだと思ったのだ。初めての判断だったから、間違えてしまったのだと。彼は、同じ季節を生きられない存在であったから。
――まだ、愛を見つけられないの。
その花は、椿に愛されていた孤爪研磨という同級生は、不安定になり始めていた赤葦に対してそう呟いた。
赤葦を愛してくれていた桔梗の花が散ってしまうのは、きっと二学期が始まって少し経ってから。後もう少しだけだからと、一緒に汗水を流していたいと願いつつも、花の終わりが近付くにつれて不安定になる身体が追い付かない。
赤葦の苦しみを「一年生故の焦り」であると上級生がそっとしておいてくれていることをいいことに、今なら誰にも邪魔されないね、と孤爪は赤葦と並んで座ってくれた。そして、言うのだ。まだ愛を見つけられないの。
花にも色々とあるようで、器が変わるごとに魂の記憶がリセットされてしまうもの、記憶が継続されるもの。赤葦と孤爪は二人揃って時によって様々な記憶の状態だった。
周囲にはそうそう漏らせない内容であるせいか、心なしか、会話が弾んでいたようだ。遠くから様子を見ていたらしい先輩たちに、少し驚いた様子で言われた言葉をよく覚えている。
笑っているところ、初めて見たかもしれない。
失礼な、と声を合わせながらも不快ではなかった。出会ったばかりではあったけれど、同じ存在と言葉を交わせたことが赤葦の思っていた以上によく作用していたのかもしれない。すっきりとして梟谷の部屋へと戻った赤葦を待っていたのは、何故だかしょぼくれモードに突入した木兎だった。
「えっと、これは」
「お前のせいだからな、責任もてよ」
「はい?」
木葉曰く、赤葦と孤爪が仲良さげに話している様子に嫉妬した、とのことである。嫉妬というよりは、お気に入りの玩具を取られてしまったと癇癪を起こした子どもの心理状態に近いのかもしれない。木兎の場合は癇癪ではなくしょぼくれモードとしてそれが表出しているのだが。
既に次の主将は木兎で行くかという話は出ているのだが、如何せんこの大エース様は感情の起伏が激しすぎる。三年生にも二年生にも御しきれないそれを主将として据え置いても良いものか、と副主将の人選が定まるまでは保留状態にある。そんな良くも悪くも影響力の大きな人間に気に入られてしまったのが、赤葦であった。
人付き合いが苦手だと自覚のある赤葦は、木兎に気に入られていると分かってはいても打ち解けるまでに時間が掛かってしまった。花の時期にしか人として在れない赤葦の不在については都合よく記憶が誤魔化されているのだが、それにしたって、四月、五月、六月の中旬辺りまでは壁があったのではないだろうか。それに対して孤爪とは会ってすぐに笑顔で会話するまでに打ち解けてしまった。なるほど。この単純なエース様が落ち込むのも分かる気がする、と赤葦は分析した。
音駒の黒尾と木兎は昨年から仲が良いのだということについては合宿前から聞いている。そして黒尾と孤爪が幼馴染であるということや、孤爪は人間関係の構築に難があることも。そういった諸々が、何か関係しているのかもしれない。
木葉を初めとした他の部員たちは「赤葦のせいだ」というスタンスを貫くつもりらしく、我関せずという様子で明日の準備であったり歓談であったりに向かっている。四面楚歌。孤軍奮闘。この状況を言い表す四字熟語とは何だろうか、と現実から目を背けてみたところで周囲からの期待と目の前のしょぼくれエースは消えてくれない。赤葦は軽く息を吐き、気持ちを整えた。
「木兎さん」
「孤爪くんとさー、仲良さげだったじゃん?」
「まあ、同級生で同じポジションですし」
本当はそれ以外にもあるのだけれど、その辺りの秘密をぶちまけてしまう勇気はまだ無かった。
「俺は同じ高校の先輩だし……」
「パワハラですか」
「ちげーよ」
軽口を叩く辺りは赤葦なりの親愛の証なのだけれど、それが木兎に伝わるとは思っていない。他の部員たちが相手であったとしたら話は違うのかもしれないが、今の相手は木兎なのだ。
隣に腰を下ろし、そっと肩を触れ合わせてみる。予想外だったのかびくりと身体は跳ねたものの、拒絶の言葉はない。そのことに少しだけ安堵して、体重を少しずつ掛けていく。どこまでならば、許されるのかと。
「……俺たち、似てるところが多かったんです」
もう少し。
「学年とかポジションとかもですけど、その」
あと、少し。
「上級生からのやっかみとかも、その、ありまして」
本当は隠しておきたかったのだけれど、隠したいことを全て隠したままでいることは素直に好意を向けてくれている木兎に対して失礼であるような気がした。だから、秘密の一部を明け渡してみる。どこまでならば、許されるのかと。ここが、今の赤葦の限界だった。
畳に向けられていた目をそっと木兎に向けてみると、同じように赤葦を見ていたらしい木兎と目が合ってしまう。気恥ずかしくて赤葦はすぐに逸らしてしまったけれど、木兎は違ったらしい。視界の端で木兎は動かない。これほどまでに真っ直ぐな視線は、赤葦の記憶には無いものだった。気付けば思った以上に木兎に体重を掛けてしまっていて、身を引こうとする。しかし、木兎の方が速い。
「赤葦!」
「ちょ」
赤葦が身を引こうとしたからなのか、或いは単純な木兎のことだから自分の知らぬところで戦っていた赤葦を慰めようと考えたからなのかは分からない。しかし、がばり、という効果音が目に見えるような勢いで抱きすくめられて、赤葦にはどうすれば良いのかがわからない。赤葦はストレートな愛情表現に弱いのだ。愛してほしくて、まだ愛を探している魂だから。きっとそうなのだ、と赤葦は自分を納得させている。
木兎が大声を出したせいで視線を集めてしまったのだけれど、あの二人か、とすぐにそれは各々の興味関心へと戻される。しょぼくれエースは復活した、ということさえ確認できたら良いのだ。
「えっと、木兎さん?」
「心が狭くてごめんな!」
「はあ」
同級生との交流も大事だよな、でも俺のことも頼ってくれよ、なんて勢いに任せてぶつけてるく木兎を流しながら、赤葦は昼間の会話を思い出す。人に愛してもらえたのだ、と小さく笑ってみせた椿の花。
――まだ、愛を見つけられないの。
――まだこわいよ。
――そうやって目を逸らすの。
――なんのこと。
――かわいそうだね。
――あわれまないでよ。
――お前じゃないよ。
――え。
――器と、お前を愛してくれている人。
――それ、は。
――本当は気付いているくせに。
――うるさいな。
――ごめんね。
そう、本当は気付いている。愛の在処がどこなのか。けれどそれに捨てられでもしたら、と思うと直視することは恐ろしく。
「赤葦」
「はい」
「俺のこと、面倒? 嫌いになった?」
「まさか」
これが、赤葦の精一杯だった。今は、まだ。
――おれを、あいして。
ずっと昔、始まりの魂がそれを願って息絶えた。どうして死んだのか、遠い記憶のことだから忘れてしまった。その願いに応えたのが、数多の花達だった。ある者は桜、ある者は百合、そして赤葦の魂は、桔梗。
赤葦京治、という名前は今の器に与えられる筈の名前だった。生まれ落ちる前に魂の抜けてしまったその場所に、桔梗が別の魂を埋め込んだ。そうして生まれたのが、今の赤葦京治なのだ。
それを知っているから、赤葦はどうしたって考えてしまう。本当なら、この場所にいる「赤葦京治」は別の存在であった筈なのに、と。もしかしたら、そのせいで表情筋は上手く動いてくれないのかもしれない。魂に刻まれてしまった性質なのか、いつの時代も難しく考えてしまって生き辛いものだった。
赤葦が初めて自分以外の「花」と出会ったのは、高一の夏休みだった。姿形は「人間」であるけれど、人が犬、猫、そして人とを見分けるように、会えば「人」と「花」との違いが分かってしまう。
けれど、最初は勘違いだと思ったのだ。初めての判断だったから、間違えてしまったのだと。彼は、同じ季節を生きられない存在であったから。
――まだ、愛を見つけられないの。
その花は、椿に愛されていた孤爪研磨という同級生は、不安定になり始めていた赤葦に対してそう呟いた。
赤葦を愛してくれていた桔梗の花が散ってしまうのは、きっと二学期が始まって少し経ってから。後もう少しだけだからと、一緒に汗水を流していたいと願いつつも、花の終わりが近付くにつれて不安定になる身体が追い付かない。
赤葦の苦しみを「一年生故の焦り」であると上級生がそっとしておいてくれていることをいいことに、今なら誰にも邪魔されないね、と孤爪は赤葦と並んで座ってくれた。そして、言うのだ。まだ愛を見つけられないの。
花にも色々とあるようで、器が変わるごとに魂の記憶がリセットされてしまうもの、記憶が継続されるもの。赤葦と孤爪は二人揃って時によって様々な記憶の状態だった。
周囲にはそうそう漏らせない内容であるせいか、心なしか、会話が弾んでいたようだ。遠くから様子を見ていたらしい先輩たちに、少し驚いた様子で言われた言葉をよく覚えている。
笑っているところ、初めて見たかもしれない。
失礼な、と声を合わせながらも不快ではなかった。出会ったばかりではあったけれど、同じ存在と言葉を交わせたことが赤葦の思っていた以上によく作用していたのかもしれない。すっきりとして梟谷の部屋へと戻った赤葦を待っていたのは、何故だかしょぼくれモードに突入した木兎だった。
「えっと、これは」
「お前のせいだからな、責任もてよ」
「はい?」
木葉曰く、赤葦と孤爪が仲良さげに話している様子に嫉妬した、とのことである。嫉妬というよりは、お気に入りの玩具を取られてしまったと癇癪を起こした子どもの心理状態に近いのかもしれない。木兎の場合は癇癪ではなくしょぼくれモードとしてそれが表出しているのだが。
既に次の主将は木兎で行くかという話は出ているのだが、如何せんこの大エース様は感情の起伏が激しすぎる。三年生にも二年生にも御しきれないそれを主将として据え置いても良いものか、と副主将の人選が定まるまでは保留状態にある。そんな良くも悪くも影響力の大きな人間に気に入られてしまったのが、赤葦であった。
人付き合いが苦手だと自覚のある赤葦は、木兎に気に入られていると分かってはいても打ち解けるまでに時間が掛かってしまった。花の時期にしか人として在れない赤葦の不在については都合よく記憶が誤魔化されているのだが、それにしたって、四月、五月、六月の中旬辺りまでは壁があったのではないだろうか。それに対して孤爪とは会ってすぐに笑顔で会話するまでに打ち解けてしまった。なるほど。この単純なエース様が落ち込むのも分かる気がする、と赤葦は分析した。
音駒の黒尾と木兎は昨年から仲が良いのだということについては合宿前から聞いている。そして黒尾と孤爪が幼馴染であるということや、孤爪は人間関係の構築に難があることも。そういった諸々が、何か関係しているのかもしれない。
木葉を初めとした他の部員たちは「赤葦のせいだ」というスタンスを貫くつもりらしく、我関せずという様子で明日の準備であったり歓談であったりに向かっている。四面楚歌。孤軍奮闘。この状況を言い表す四字熟語とは何だろうか、と現実から目を背けてみたところで周囲からの期待と目の前のしょぼくれエースは消えてくれない。赤葦は軽く息を吐き、気持ちを整えた。
「木兎さん」
「孤爪くんとさー、仲良さげだったじゃん?」
「まあ、同級生で同じポジションですし」
本当はそれ以外にもあるのだけれど、その辺りの秘密をぶちまけてしまう勇気はまだ無かった。
「俺は同じ高校の先輩だし……」
「パワハラですか」
「ちげーよ」
軽口を叩く辺りは赤葦なりの親愛の証なのだけれど、それが木兎に伝わるとは思っていない。他の部員たちが相手であったとしたら話は違うのかもしれないが、今の相手は木兎なのだ。
隣に腰を下ろし、そっと肩を触れ合わせてみる。予想外だったのかびくりと身体は跳ねたものの、拒絶の言葉はない。そのことに少しだけ安堵して、体重を少しずつ掛けていく。どこまでならば、許されるのかと。
「……俺たち、似てるところが多かったんです」
もう少し。
「学年とかポジションとかもですけど、その」
あと、少し。
「上級生からのやっかみとかも、その、ありまして」
本当は隠しておきたかったのだけれど、隠したいことを全て隠したままでいることは素直に好意を向けてくれている木兎に対して失礼であるような気がした。だから、秘密の一部を明け渡してみる。どこまでならば、許されるのかと。ここが、今の赤葦の限界だった。
畳に向けられていた目をそっと木兎に向けてみると、同じように赤葦を見ていたらしい木兎と目が合ってしまう。気恥ずかしくて赤葦はすぐに逸らしてしまったけれど、木兎は違ったらしい。視界の端で木兎は動かない。これほどまでに真っ直ぐな視線は、赤葦の記憶には無いものだった。気付けば思った以上に木兎に体重を掛けてしまっていて、身を引こうとする。しかし、木兎の方が速い。
「赤葦!」
「ちょ」
赤葦が身を引こうとしたからなのか、或いは単純な木兎のことだから自分の知らぬところで戦っていた赤葦を慰めようと考えたからなのかは分からない。しかし、がばり、という効果音が目に見えるような勢いで抱きすくめられて、赤葦にはどうすれば良いのかがわからない。赤葦はストレートな愛情表現に弱いのだ。愛してほしくて、まだ愛を探している魂だから。きっとそうなのだ、と赤葦は自分を納得させている。
木兎が大声を出したせいで視線を集めてしまったのだけれど、あの二人か、とすぐにそれは各々の興味関心へと戻される。しょぼくれエースは復活した、ということさえ確認できたら良いのだ。
「えっと、木兎さん?」
「心が狭くてごめんな!」
「はあ」
同級生との交流も大事だよな、でも俺のことも頼ってくれよ、なんて勢いに任せてぶつけてるく木兎を流しながら、赤葦は昼間の会話を思い出す。人に愛してもらえたのだ、と小さく笑ってみせた椿の花。
――まだ、愛を見つけられないの。
――まだこわいよ。
――そうやって目を逸らすの。
――なんのこと。
――かわいそうだね。
――あわれまないでよ。
――お前じゃないよ。
――え。
――器と、お前を愛してくれている人。
――それ、は。
――本当は気付いているくせに。
――うるさいな。
――ごめんね。
そう、本当は気付いている。愛の在処がどこなのか。けれどそれに捨てられでもしたら、と思うと直視することは恐ろしく。
「赤葦」
「はい」
「俺のこと、面倒? 嫌いになった?」
「まさか」
これが、赤葦の精一杯だった。今は、まだ。
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