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花人

 必ず一緒にコートに立ってやるからな、なんて言葉は限られた人数しか試合に出られない部活動に所属しているせいで、何度も耳にしてきた。それでも松川は、花巻がどんな思いを抱きながらそれを口にしたのかを、確かめることができずにいる。
 松川が花巻と初めて出会ったのは、中学一年生の時だった。大会も終わり、思わしくなかった結果に頭を切り替えることが出来ずにいた夏の夜。自主練が長引きすぎて見回りの教師に体育館から追い出されたその日、花巻はするりと松川の傍へとやって来た。
 練習をずっと見ていた。面白そうだと思った。どうか教えてはくれないか。
 細かい内容は忘れてしまったけれど、そんなことを口にされていたように思う。それまで話したどころか顔を合わせたこともない人間だった癖に随分と慣れ慣れしかった花巻は、松川の昼休みを奪う約束を取り付けて去っていった。
 練習が終わるまで待っていたのかとか、そういえばお互いに自己紹介もしていないのに何をとか、色々と松川の頭には言いたいことが渦巻いていたのだけれどそれは吐き出されることなく今も松川の内にある。
 結局、自己紹介は初めての「授業」がチャイムによって終わりを迎えたその時に行われることとなった。一組の松川と五組の花巻。一組から三組が二階に、四組と五組が三階に配置されているそのせいで、同じ校舎で学んでいながらも互いを認識していなかったらしかった。変な配置だよな、なんて笑い合った時に松川が感じたのは、こいつとはうまくやっていけそうだ、という小さな予感だった。そう、これからも長い付き合いになりそうだ、という。
 中学一年生夏の終わり、松川と花巻は出会った。松川の自主練を見て興味を持ったのだという花巻は、昼休みの「授業」を経て秋の終わりに入部した。いつか、必ず一緒のコートに立ってやる。一年生であるため未だコートに立てずにいる松川に、共に頑張ろうと花巻は笑っていた。
 中学二年生の夏、体調を崩してしまったレギュラーの代わりにコートに立った松川は、大きな後悔を残したままその年の大会を終えた。いつか必ず、一緒のコートに立ってやる。精一杯の声援の合間に、花巻はそう叫んでいた。
 中学三年生の夏、最初から最後まで出ずっぱりだった松川は全てを出しきり、しかし悶々とした感情を抱えたまま中学三年間の部活動に終わりを告げた。いつか必ず一緒のコートに。泣きながら花巻は慰めてくれた。
 高校一年生の夏、強豪校と名が知られているせいで強い選手が集まっていた。特に花巻は同じポジションにまさしく「エース級」と言うに相応しい岩泉という同級生がいたせいで、入部時点から弱気になっていた。一緒のコートに、立てるかな。松川の知る花巻らしい言葉ではなくて、思わず一発入れてしまったことは今でこそ笑い話にできているものの、当時は育んできた友情の危機だった。それを乗り越えて二人は今でも並んで立っている。
 花巻は二人きりになるとよく、口にしていた言葉があった。俺、花なんだよね。己の名に掛けて持ちネタとされた冗談の類であるのだろう、と笑い飛ばし続けていた松川であったが、何度も繰り返されるその言葉に「もしや」という思いが無いわけではなかった。その言葉を口にした花巻は、いつだって小さく続けるのだ。違和感を探して、俺を見つけてみろよ。
 松川は笑って誤魔化し続けていたけれど、ふとした瞬間に考えるのだ。桜並木を歩いた入学式、紫陽花と共に濡れた梅雨、向日葵に辟易とした夏、そして寒さに震えた冬。果たして自分達は何をしていたのだろうか、と。
 いつか同じコートに。変わらずに口にされるその言葉が現実となるためには、きっとあと一年だけしか猶予が残されていないという時期になってしまったその日。自主練のせいで完全に日が落ちてしまった道を歩きながら、花巻は松川に何気ない様子を取り繕いながら話し掛けた。それが演技であることくらい分かる程度には二人は共に過ごしてきたつもりであったのだけれど、何故だか緊張してしまっているらしい花巻にはそれが分からないらしかった。松川を誤魔化すことができていると信じた様子でそれを口にする。
「お前ってさ、オカルトとか信じる方?」
「実体験してないものを判断するのって難しくね?」
「……あー、そっか」
 普段の軽い様子とはどこか異なった様子でありながら、それを悟られまいとする花巻に松川はいつもと同じ様子で返すことができただろうか。できたにせよ、できなかったにせよ、心に余裕のないらしい花巻にはばれていなかっただろうが。
 どこかずれた解答になってしまったかと不安になる松川の隣で、花巻は「そうだよな」なんて納得した様子で口にする。何を言いたいのかがさっぱり分からないまま帰路の分かれ道にまで来てしまったものの、花巻が別れの言葉を口にすることなく立ち止まったものだから松川もそれに倣う。何が飛び出してくるのか分からないけれど、きっと、それは必要なことなのだろうと信じて。
「……すまん、言いたいことが纏まらんからもうちょい待って」
「了解した」
 立ち止まったまま何も言わない花巻に声を掛けた方が良いのかと悩んでいた松川に、花巻は先手を打った。お蔭で助かったような、手持無沙汰になってしまったような。何をして待っていたら良いのかも分からないので、とりあえず練習の内容を振り返っておくことにした。あの時、ああしていれば。あの先輩の癖は確か。そういえば次の練習試合の相手の特徴は。
 ぐるぐると考えながらゆっくりと周囲を見渡してみる。通い慣れた道。しかし、改めてじっくりと眺めてみると新たな発見がたくさんあった。夕食の匂い、飼われている犬の名前、植えられている花、自生している花。
 見つけた風景の欠片を共有したいのに、考え込んでいる花巻に声を掛けて良いものかが分からない。新たな悩みに直面した松川であったが、じっと一点を見つめているその様子に何かを感じ取ったのか花巻がその視線を辿った。そして行き付く。こんな住宅地の中にも彼岸花は咲いているのか、なんて。言葉はないままにそれを共有し、どちらからというわけでもなく視線は交錯する。
「とりあえず、言いたいことだけな」
「おう」
「来年は、一緒にコートに立ちたい」
 それが叶わなければ何もかもを諦めてしまうかもしれない、という花巻の表情は今にも泣きだしてしまいそうで、松川は何も言えなかった。それが高二の初秋の夜のこと。誰もが口にする「いつかコートに」という言葉であるはずなのに、花巻のそれは何かが違うような気がして。
 しかしその詳細を訊くことができないままに、松川は時折思い出すのだ。花巻の言葉。同じコートに。違和感を探せ。随分と冷たくなってしまった風に隣の男がいつか攫われてしまうのかもしれない、なんて漠然とした不安を抱えたまま松川は言葉を返すようになった。
 俺も同じコートに立ちたい。何かヒントを教えろよ。秋が終わってしまう前に、季節が変わってしまう前に、来年の夏が来てしまう前に。同じコートに立つことは、いつからか二人の夢になっていた。
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