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ぼくのかぞく

 世間は少しずつ、少数派にも目を向けるようになったらしい。辞書に書かれていた色恋沙汰にまつわる単語からは、性別を明記した表現が除かれることも検討されているそうだ。恋愛は男女で行うばかりではない。愛し合う二人によって育まれるものなのだから、と。
 ただの学生でしかない国見や金田一にとって、そういった情報を手に入れる場所はネットや友人たちとの会話であった。国見はネットで、金田一は休み時間に友人から。偶然にも同じ日にそれを目にし、耳にした二人の間で話題となったのは当然だったのだろう。
「国見はさ、どう思う?」
「恋愛観のこと?」
「そ」
 マイノリティであった恋愛感情にまつわるそれに対し、世界は本当に少しずつではあるが寛容になってきている。相変わらずマイノリティではあるけれど、バラエティ番組やドキュメンタリー番組においては好意的に描写して放映されることもあるし、辞書における記載の件もそうである。嫌悪感を抱く人や認めないと口にする人の方が大勢いるのだろうけれど、世界は本当に少しずつ変わり始めているのだ。
 やらなければならない課題は互いに抱えているけれど、夕飯の直後だから、と自分たちを誤魔化して一時間経つ。取りとめもなく話だけを続けていて、その流れで金田一から放たれたのが先の言葉であった。国見の恋愛観とはどのようなものなのか、と。
 大学生にもなって色恋沙汰を金田一と取り扱うことになるとは思わなかったと考えつつ、国見は言葉を探し始める。胸の奥底に眠っていた感情をそっと窺い、果たして、それを目覚めさせても良いものかと。もっとも、そう悩んでしまった時点で答えは既に決まっているのだけれど。
「じゃあ正直に言わせてもらうけどさ」
「……なんか、その前置きの時点で察したんだけど」
「きゃー、ゆーたろーくんのえっちー」
「何でだよ」
 二人でくすくすと笑い合って、それからそっと息を吐く。金田一はきっと勘違いをしているのだろうから、国見はそれを正さなければならない。しかし国見は自分の感情の動きを的確に言い表す自信など微塵も無かった。国見は自分のそういった方面での思考回路が他の人間とは異なった形を成しているのだということに気が付いてしまっている。だからこそ外に出すことなどこれまでなかったものだから、柄にもなく緊張してしまっているのだ。自分でもよく分かっていないものを上手く説明することのできる人間なんて、きっといない。
 金田一は国見が迷っている間ずっと口を噤んでいた。長年共に過ごしてきた相棒がこれから何を話そうというのかという不安、というよりはこれまで相棒の抱えてきたであろう困惑や苦しさを全く知らなかった自分が下手に口を挟むべきではない、と考えていたからである。明言されたわけではないけれど、あの前置きはきっとそういうことだったから。クラスで可愛い子の話、彼氏彼女ができたという話、将来結婚するとしたらなんて話を国見はどんな気持ちで聞いていたのだろうか、なんて。
 国見がようやく感情の整理をつけて金田一に意識を向けてみると、金田一は金田一でぐるぐると何かを悩んでいるようだった。その内容については粗方の見当がついてしまうほど同じ時間を過ごしてきたから、国見は静かに腕を上げる。そして。
「いてっ」
「知恵熱出すぞ」
 デコピンを一発。噛み付こうとした金田一も、国見の心が定まったらしいということに気が付いたのかぐっと堪えた。言葉なんてなくても、二人はこうして通じ合える。それが心地良い。金田一の軽い問いかけと国見の答えによってそれが壊れてしまう、なんて未来は二人とも描いていなかった。それは二人で育んできた信頼だ。
「まずは勘違いを正しておくけど、別に、俺、男が好きってわけじゃないからな」
「えっと、好きになったのが偶々男だったとかそういう」
「違う」
 やっぱり、と国見は漏らしてしまった。最初に間違いを正しておいて良かったと思う。もっと後になって勘違いを正しているようであれば、きっと面倒なことになっていただろう。前提条件が二人の間で異なっていると、会話だって変なことになる。
 あまりよく分かっていないらしい金田一に対し、国見はやはり言葉に迷いながら問いに対する答えを導いていく。自分の言いたいことを的確に言い表す単語はどこにあるのかと。
「その、正直さ」
「おう」
「愛とか恋とか、よく分からん」
「……おう」
 それは紛れもない国見の本音だ。愛し合って結婚したはずの二人なのに別れの道を選ぶことがあることを国見は知っている。愛、なんて目に見えないものを指輪だったり婚姻届だったり、そういうもので表現して互いを繋いでいたはずなのに、いつのまにかその繋がりは解けてしまっていた。愛とはなんなのか、恋とはなんなのか。
 それが分からなくなってしまってから、国見はその場所でずっと愛の在処を探している。どこかにヒントが転がってはいないかと。今のところ、見つけられてはいないのだけれど。
 高校、大学と歳を重ねるごとに色恋沙汰の対象となることは増えていった。それは自慢ではなく事実である。同じクラス、同じ授業を受けたことのある相手ならばまだ理解できた。一目惚れしました、なんて見ず知らずの女子から言われたところでどうすれば良いのかが分からない。何よりもまず国見自身が愛とは、恋とは何ぞやという疑問を抱え続けていたから全ての想いにお断りを続けている。答えが見つかったならば何か変わるのかもしれないけれど、何も変わらず国見は独身貴族を貫くのかもしれない。
「そりゃ俺も男だから可愛い子がいれば可愛いって思うし、オカズにだってするけどさ」
「国見がオカズとか」
「健全な男だからな、俺。で、彼女って何なの? セックスしたい相手ってこと? そんなの、年ごろの奴らが色んな相手で妄想するやつじゃん。愛と性欲の違いって何」
「……はい、深呼吸。そんな、お前の口から生々しい言葉を聞きたくない」
「俺に夢と希望を抱くなよ金田一」
 お酒だって煙草だって認められる年齢になったというのに、それっぽい単語を聞くだけで真っ赤になってしまう金田一は本当に小さい頃から何も変わっていない。とても、可愛い。そう、可愛いと思えるのだ。
「そんな生々しいお話のあとで更に生々しい話を続けさせてもらうとな」
「まだあんのか」
「ぶっちゃけ、俺、金田一を抱けって言われても大丈夫だし金田一になら抱かれてもいいって思える」
「はい?」
 間抜けな表情を見せてくれる金田一の頭を、国見は軽く叩いた。内容が内容だという自覚はあるから怒りは無いが、早く立ち直らせて続く言葉を理解させる必要があるからだ。
「はい金田一くん、こっから重要だからな」
「お、おう」
「勿論、女子とそういうことやりたいっていう願望はあるし、可愛い子が彼女になってくれるって言ってくれたら嬉しい。でもさ、形振り構わずに一緒に居たいって願ったり一緒に居て居心地がいい相手だったり今後もずっと一緒に居たいって願う存在が好きな人なんだって言われたらそれは断トツでお前だって思うし、お前にそういう行為を望まれたとしたら相手しても良いなって思える」
「えーと、要するに」
「愛とか恋とか分からないなりに、俺の中では金田一の傍が一番落ち着くし今後も一緒に居たいと思ってます」
 言葉尻が丁寧になってしまったのは、恥ずかしかったからだ。愛情が何なのかなんて、今でも分かっていない。金田一に彼女ができたとして彼がそちらに構うようになってしまったら、きっと国見は彼女に対して嫉妬するのだろう。しかしそれは愛情に由来すると言い切れない。友情に由来して、俺の相棒を奪うなと言い放つ感情であるのかもしれない。
 国見に彼女ができたとして彼女と金田一のどちらを優先するのかと問われたならば、国見は自分が友情を選ぶ未来を鮮明に描いてしまう。傍にいることが当たり前になりすぎてしまったのだ。そこには愛情も友情も関係ない。ずっと傍にいて、大切にしたいしできることならば大切にしてほしい。何か良い表現があるのならば、国見が抱いているこの感情に良い名前を付けてほしいとすら思う。
 金田一の表情を伺うと、驚きこそすれ嫌悪感は無いようだった。そこには国見の願望も含まれているのかもしれないが、金田一は昔から感情がそのまま表情に出てきやすい性質だったからきっとその見立ては正しいのだ。そのことにホッとする。
「俺はそういう対象として国見を見たことないんだけどさ」
「一応訂正しとくと、俺だってお前オカズにして抜くとか無いからな。女の子万歳だから」
「ややこしいなお前」
「うっさい。で?」
「あー、うん。俺も、国見とこれからも一緒に居られたらいいなとは思ってる」
 何とも言えない空気になってしまいそうだったから、国見は意識して軽く言い放つ。
「なんだ、俺たちってば相思相愛か」
「おう」
 そして二人で笑い合って。
 そんな幸せな空間をこれからも共有することができたならばと願う相手との関係性を、無理矢理に既存の枠にはめて考えなくたって良いのかもしれない。世界はマイノリティへの意識を少し、変え始めてきているから。
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