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ぼくのかぞく

 国見にとって、明かりのない部屋とはもう何の感慨も抱かない当たり前のものであった。しかし、溝口にとってはそうではなかったらしい。
 国見の家の事情を知ってからはなにかと気にかけてくれるようになった彼は、時折、国見を自宅に招くようになった。特別なものがあるわけではない。宿題について尋ねたとしても課目によっては明確な答えがあるわけでもなく、会話の内容がいつの間にかバレーに絡められた熱血指導論へと移ってしまっていることもある。国見にとっては何のメリットもない空間であるはずなのに、いつでも来い、と渡された合鍵を大切に持ってしまっていて、先に上がってまっておけと言われたら素直に従ってしまう。そのくらいには、国見は溝口のことを慕っていた。
 だから言われたとおりに待っているのだけれど、ついつい、自宅の感覚で過ごしてしまって薄暗い部屋で家主を迎えてしまうこともあった。明かりがついていなければ不安になる、落ち着かない、なんて溝口は言うのだが、明るい部屋では国見がどこか落ち着かない。しかし、一応は家主の意向を尊重しなければならないだろうと、極力、明かりはつけて待つようになった。体育と部活動が重なってしまうとどうしても体力が奪われてしまって明かりのないままに眠り込んでしまうこともあったのだけれど。
 眠るため、或いは眩しすぎる光を少しでも遮るため、溝口の家で国見はタオルケットを被って過ごすことが多くなった。初めはジャージであったりバスタオルであったり、とにかくその辺りのものを被っていたのだが、ある時、溝口が国見専用のタオルケットを買ってきてからは、それがいつだって国見を守ってくれるようになった。溝口がそれを持ち帰ってきたその時には恥ずかしさのあまり素直に礼を言うことができずにいたのだが、部屋ではいつだってそのタオルケットに包まれているとなれば、言葉など不要だろう。
 溝口に求められるまま、国見は今日もまた明かりをつけてその帰りを待っていた。周囲にはこのような状況を説明しておらず、同じ場所へ帰るのだと分かっていても共に帰路に着くことなんてできない。やましいことなど何もないが、それでも、一部員がコーチの家に泊まっている、なんて、外聞が悪いのだ。
 夕食は帰る途中で買ってきたコンビニ弁当。黒ゴマの振られたご飯は食べて、おかずは冷蔵庫に入れされてもらう。弁当箱は洗って流しに干してあり、何も知らない人間がそこだけを垣間見たとするならばここが国見の家であると勘違いするかもしれない状態である。国見が溝口の家に泊まるときには夕食代を溝口が払ってくれていて、朝食もまた、彼が用意してくれる。国見がやることといえば、前日の残りと朝食の残りを詰めた弁当を作ること、そして、明かりをつけて溝口の帰りを待つことだけなのだ。
 制服も一組はこの家に置いてあり、教科書類は部室に放り込んであるものだから国見がこの家から学校へ向かったとしても何ら問題はない。月どころか週のうちに何日かはここから通うようになってしまったのだが、それでも不便を感じたことなどないほどである。誰かの気配がある家から出ること、行ってきます、の声に応じる声があることがどこか不思議で、嬉しいような、寂しいような、悔しいような、居心地の悪さがそこにはあった。不快ではないのだが、胸の蟠りをどう表現するべきなのか、国見はその答えを知らずにいる。
 国見がどちらの家へと「帰る」かは、部活の合間、溝口が国見を呼びつけて叱りつける時に決められることが多かった。大きな声では言えないからそっと、静かに、秘めやかに。
 普段は騒々しい溝口と共有するその穏やかな時間が国見は好きだった。決して口にはしない。国見がひっそりと抱いている宝物だ。今日もまた、叱りつけられたその別れ際、溝口が自身のポケットを叩いたから。今日はうちに来い、という小さな合図を受けたから、だから国見は自宅へと帰らなかったというのに、当の溝口自身はというといつもならば帰ってきている時間になっても帰ってきてはいなかった。
 一時間、二時間という時間ならばまだ耐えられた。しかし、この家は家主の居ないまま、たった一枚のタオルケットに守られた国見だけを抱えて日付の変わるその瞬間を迎えようとしている。そこはとても明るいのに、どこか寒々しく、誰にも見つからないようにと息を潜めているようだった。
 何度か溝口に連絡を取ろうとしていたが、そんな国見の努力はどうも実りそうにない。三時間も前に送ったメールへの返信は未だになく、五度ほどかけた電話は全てが留守番電話サービスに繋がってしまっている。メッセージを残すことも面倒だったのだが、最後の電話の際に今の居場所だけは尋ねておいた。今どこ、なんてたった四文字を残すために何度も電話をかけていたのか、なんて国見の中の冷静な部分がバカにした風な口をきく。これでは自宅に帰っていても変わらない。溝口がいるからこの家に「帰る」のに、こちらでも一人きりだなんて。
 タオルケットは溝口の家に置いたままにされている。だから、顔を埋めると当然ではあるが感じるのは国見の家とは異なる香りだ。あんな「熱血コーチ」と呼ぶに相応しい人間が柔軟剤なんてものを使っているのかと思うと笑えてくるが、この香りが国見の心に平穏を与えてくれているのだから笑えない。
 ここが国見の家ではない、という一つの象徴が、タオルケットとそこで感じる香りの差異だ。自宅ではないが、だからこそ、国見が何もしなくていい、何も考えなくていい、ただの子どもに戻ることが許された場所。同世代の誰かの家であればきっと、惨めな気持ちになった。他の大人はどうしても、信用しきれなかった。溝口は良くも悪くも裏表のない人間であると感じていたし、どうせ部活で思う存分情けない姿を見せてしまっている。ペース配分を考えつつ、いつだってやるべきことを果たすために全力である国身の姿を知っている溝口だからこそ、国見は全てを委ねても良いと思えた。
 タオルケット、なんて安っぽく薄っぺらの防御壁に守られた国見を知るのは溝口だけだ。ここではいくらでも気を抜いて良いのだと、子どもに戻っても良いのだと、タオルケットはそんな境界の象徴でもあったのだろうか。国見自身にはそんなつもりなんてないのだが、溝口が以前、タオルケットにくるまった国見を見て「ライナスの毛布」なんてバカなことを口にしていたから。
 ふざけるなとも、よくもまあそんな言葉を知っていたとも、とにかくその時には噛み付いてやったのだけれど、きっと、今の国身からタオルケットを奪う人間が現れたとしたら、その時に国見英と言う子どもは死んでしまうのだろう。
 何かあったのだろうか、という不安から、先に眠るという選択肢は国見の中から消え失せている。もう、日付も変わってしまった。電話をするべきなのか、メールをするべきなのか、いっそ、捜しに出た方が良いのか。もしかしたらこのまま、なんて思いが一瞬ではあるけれど脳裏を過ぎる。見慣れてしまった部屋が滲み始める様子を見たくはなくて、国見は頭からタオルケットを被った。そう、これはきっと、眠いから。
 目を塞ぎ、耳を塞ぎ、小さな城に閉じこもった国見の手中でバイブレーションが何かの受信を告げた。長く続くそれは、電話。ゆっくりと瞼を上げ、それが待ち人からのものであることを確認する。取らずに切ってやれ、なんて悪い英くんは囁いてくるのだけれど、寂しがり屋の英くんはその連絡をずっと待っていた。ここは、タオルケットの中。国見英という人間が、子どもへと帰る場所だから。
「……もしもし」
「悪い! 遅くなった!」
 学校を出ようとしたら、大学時代の友人が校門で待ち構えていてそのまま飲み会へと連行されてしまったらしい。当然、車も学校に置いてきてしまっていて、運転役だからと酒を飲まなかった友人にすぐ近くまで送ってもらったところなのだ、と。
 だからあともう少しで帰る、だとかそんな言い訳めいた言葉を延々と並べる溝口の声に、国見はそっと息を吐く。彼は、連絡をくれた。帰ってきてくれる。自分のところへ。いつもならば女々しいと断ずるその思考も、この場所ならば許される。溝口の部屋、タオルケットに守られた小さな城。
 今から帰る、というだけならばメールでも良かった。事情説明だってそこに含めるか、或いは帰ってきてしまってから直接すれば良い。電話代だってバカにならないというのに溝口は電話を切ろうとはしなかった。
 酔っているのか呂律の危うい部分もあるし、同じ内容を繰り返している部分だってある。それでも、国見は適当に相槌を打ち続けていた。溝口が本当に申し訳なく思っていることは、その声色からも伺えたから。
 溝口の声を耳元に感じながら、がちゃり、と鍵の回る音を聞く。そして、二重に聞こえる「ただいま」の声。慌てた様子で廊下を走る音に笑みを浮かべつつ、国見は電話を切った。もう、必要ないから。相変わらずタオルケットに包まれたまま、ひょっこりと顔だけを覗かせて。
「おかえりなさい」
 おかえり、なんて言葉のためだけに、国見は溝口の家へと帰るのだ。
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