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ぼくのかぞく

 ただいま、と声を掛けるだけ掛けて靴を脱いだ国見は、そのまま洗濯機の元へと直行した。
 前日が雨であったものの、グラウンドの状態としては体育を行っても問題は無い、と判断されたことについては何も言わない。ただ、授業内容がサッカーで、サッカー部でもない人間の蹴ったボールがどこへ飛んでいってしまうのかなんて誰にも分からなくて、故に、ボールがその辺りに残っている水溜りの上を転がってしまうこと、どう考えても蹴り返すことのできない高さ――つまりは胴の辺りにボールが勢いよく飛んできてしまうことについては、誰かが指摘してくれても良かったのではないかと思うのだ。少し走るだけで付着してしまう泥はねについては諦めていたが、ボールによる攻撃までは想定外だ。もっとも、足を滑らせて転倒したクラスメートの巻き添えを食らってしまうという予想外の事態が、体操服に多大なダメージを与えてくれたのだという印象については拭いきれないものがある。
 とにかく、国見にとって今日の体操服の汚れは想定外のものであり、しかし、誰を責めるというものでもないものであるが故に何とも言えない気分であったのだ。
 汚れてしまった衣服は、初期対応を間違えてしまうと後が辛い。まだまだ「短い」と言われてしまうであろう国見の人生ではあるけれど、その短い人生の中から学び取ってきた教訓に従って行動した国見は、続いて台所へ。手早く弁当箱を洗ってしまってからようやく、一息ついた。面倒事は勢いに任せて一気に終わらせてしまった方がずっと楽なのだ。
「……疲れた」
 返事など期待はしていない。ただ、口にしてしまえば昇華できるような気がするから吐き出してみただけだ。
 室内が薄暗いのは夜が近付いているからなのか雨が近付いているからなのかは分からないけれど、明かりをつける為に動くことすら面倒だった。カーテンを閉め、更なる薄暗さの中に身を置いたならばきっと心地よい眠りにつくことができるのだろうけれど、明かりをつけるためだろうが、カーテンを閉めるためだろうが、とにかく、動く気分にはなれなかった。少しでも休みたくて、そっと息を吐く。目を閉じて、ようやく手に入れた一人きりの時間を満喫する。学校という場所は、誰かと繋がっていなければならないという規則でもあるのかというくらいに人と接しなければならない。元々、人付き合いの得意ではない国見にとって、それは苦痛でしかなかったから。
 視線を走らせると、少し手を伸ばしたら届く位置にリモコンがある。その程度の労力を惜しむつもりは無く、国見はのろのろと動いた。テレビの電源を入れると、バラエティ化した情報番組であったのか、騒々しさが静寂を無遠慮に切り裂く。華やかなセット、カラフルなテロップの数々は薄暗さの中では浮いてしまっていて、目が刺されている気分にさえなる。目を細めながらチャンネルを移動し、目的の画面にたどり着く。今夜、そして明日も、雨。
 ぶつりと音を立てて活動を止めたテレビの代わりに、今度は洗濯機が音を立てる。いや、本当はずっと動いていたから、正確に表現するならば「大きな音を立てて己の役目が終わったのだということをアピールした」のだ。疲れていたとはいえ、随分と長い間ぼんやりとしてしまっていたらしい。今日は泥で汚れてしまった体操服だけを先に洗ってしまったから、あとでもう一度、洗濯機を動かさなければならない。体操服を回収して干すにしても、乾燥機を稼働させるにしても、そろそろ動け、ということなのだ。
 ぐっと伸びをしてから、国見は行動を開始する。夕食は、もうコンビニ弁当で済ませてしまっても良いだろう。スーパーにでも言って冷蔵庫の中を補充しておきたかったのだが、雨が降り出してしまう前に帰ってくる自信が無かった。歩いて行くにしろ、自転車で行くにしろ、片手が傘で塞がってしまう中で重い荷物を運ぶ気にはなれなかったのだ。
 明日も雨らしいから、明日の夕食分までコンビニで調達しておいた方が良いのだろうか。ああ、でも、そろそろストックしてある野菜のいくつかは調理してしまわなければ捨てなければならなくなってしまう。
 そんなことを考えながら、国見は乾燥機を回し始めた。念のためにと傘を持ち、出したままにしているサンダルを履く。雨が降ってしまったとしても、これならば乾かすのが楽だから。
「行ってきます」
 明かりの無い家にそう言い残し、国見はしっかりと鍵を掛けた。

 弁当のうち、手を付けなかったものはそのまま冷蔵庫に突っ込んでおく。美味しくはないけれど、時間のない朝に少しでも手を抜いて昼食用の弁当を用意しようと思ったならば妥協せざるを得ないのだ。
 幸いなことに国見が帰宅してから雨は降り始めたものの、湿り気を帯びた空気は窓の隙間から入り込んでくるのか、気を重くさせていく。乾燥機が止まるまで、あと一時間。宿題を終わらせてしまうには短すぎる――いや、本当は本気を出せば終わらせることができそうなのだが、あと少しだけ、休みたい。
 ソファに寝転がり、クッションとタイマーを抱え込む。一時間後には、行動開始。だから、もう少しだけ。窓越しに聞こえてくる雨音が、心地よかった。空気は嫌いだけれど、音は好き。国見にとって、雨とはそんなものである。
 眠るつもりがなくとも、脱力して目を閉じているだけで身体は楽になってくる。消化しきれていない夕食が胃の辺りに残っていてぐるぐると渦巻いている感覚があるのは不快だが、雨音、乾燥機の音に意識を傾けることでやりすごす。不快感のままに吐き出してしまった翌日は、とてもではないが部活動なんてできる状態ではなかったから。程よく手を抜き、皆の疲れる場面でボールを繋いでいくというのが国見のプレースタイルではあるが、プレースタイル、として力を抜くだけなのだ。練習をサボることは本意ではない。吐き出すことにも体力を使ってしまうし、部活で力を出すことができなくなってしまう。そんな将来的な不具合を考えると、今、この不快感をやり過ごすことに集中していた方がずっと良い。
 一日の疲労と、胃の不快感。少しでも休もうとそれらから目を逸らしていたのが良かったのだろうか。国見は耳元で鳴り響くタイマーの音によって意識を浮上させた。寝起き特有の怠さと、息苦しさ。胃は、どうやら眠っている間に落ち着いてくれたらしい。雨音はいつの間にか大きくなっていた。
 意識して大きく息を吸いこみ、国見は胎内に溜まったままになっている感情を全て、強く吐き出す。気持ちを切り替え、行動を開始。今日やるべきことは今日中に終わらせてしまわなければならない。明日には明日の、明後日には明後日のやるべきことが出てくるのだ。何事も、効率よく。勉強、部活を終えて他の誰もが疲れ切った夜こそが、国見の本格的な活動時間である。だから、国見は頑張らないのだ。そうしなければ、体力がもたないものだから。
 仄かに温かい乾燥機から体操服を取り出すと、新たに脱いだ衣服を放り込んでいく。入浴後、タオルなどをそこに追加すれば今日の洗濯は終わりだ。洗い終わるのを待つ間にアイロン掛けをしてしまえば、少なくとも明日の制服については心配せずとも良いだろう。時間があれば、端の方が変色を始めてしまっていた白菜を切っておくことにする。そうすれば、明日は鍋にそれを入れるだけで、味噌汁なりスープなり、汁物が一品できるから。冷凍室の豚肉は、寝る前に冷蔵室へと移しておけば明日の夕方には調理できるようになっている筈だ。コンビニ弁当で済ませてしまうのは楽で良いのだが、ただでさえ食欲が無いというのにどうして美味しくもないものを食べなければならないのか。今日の夕食がコンビニ弁当だったのは、体育によって思った以上に体力を削られてしまったからにすぎない。
 きっと、青葉城西高校に通う生徒の中で最も家事に携わっているのが国見だ。国見自身もそう自負はしているけれど、だからといって成績が良くなるわけでも、バレーで活躍できるわけでもない。何より、人間、誰しも必要に駆られてしまえば何だってやるだろう。国見だって、まさか自分が高校生のうちからここまで家事全般を請け負った生活を送るようになるとは思ってもみなかったのだから、誰かにこのことを言うつもりもなかった。こうなってしまったのは、ただただ、国見の両親の仲が良かったからにすぎない。
 国見の家は、どこにだってある普通の家庭であった。両親は喧嘩をすることもなく、メールのやり取りだって多い。それを言うと皆が驚き、羨ましいと口にしたものだ。家では両親が喧嘩をしそうになると、緩衝材のように間に挟まれて大変なことになることが多いのに、なんて。そんなの、国見だって同じなのに。
 国見は両親を繋ぐパイプ役だった。二人の言葉を運び、部屋を行き来する毎日だった。国見が中学へと上がり、部活に熱心に取り組んで疲れて帰るようになると、そんな息子を使うことは悪いと思うようになったのか、両親は文明の利器に頼るようになった。
 それが国見の家であって、どこにでもある普通の家庭と、きっと同じだった。だから、二人で仲よく旅行にだって行ってしまうのだ。同じような文面のメールを国見に残し、同じ日に家を出た。さぞや楽しんでいることだろう。その証拠に両親からの連絡はなく、国見からも連絡をしようとは思わなかった。お父さん、お母さんと仲良くね、なんて。二人とも出て行ってしまったのにどうしろというのだろうか。それを伝えてどうなるというのだろうか。二人とも、国見を置いて行くことを選んだくせに。
 学費、生活費についてはそれぞれが振り込んでくれているから、それほど心配はしていない。一人暮らしだって、何度か失敗はしてしまったけれど案外どうとでもなるものだと思った。
 朝は食欲が無いから食べなくなった。昼は弁当が作れなくても購買があるし、夜だってコンビニへ行けば良い。好きなものだけを食べて嫌いなものは残したところで、誰も怒りはしないのだ。
 美味しくなかったり、食欲がなかったり、部活で倒れないようにと食べなければならない国見にとっては食事が嫌なものになりつつあるのだけれど、どうしようもないことだから諦めた。自分で作った方がまだ食べられるような気がして以来、料理の腕は上がってきているように思う。まだまだ、母の味には程遠いけれど。

 国見の最高地点は、友人が疲れ切っている夜に定められている。そこでやらなければならないことがたくさんあるのだ。そして、それは国見にしかできないことである。故に、国見は頑張らない。そうしなければ自分の体力が底を尽き、いつかゲームオーバーになってしまうのだということを知っているから。

 国見英は、いつだって全力である。そんなことをしたって、もう昔のようには戻れないのだということを知っていても、なお。
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