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ばけものこいがたり

 陸を彷徨う人魚姫。彼女は酷く泣いていて、己の前に立つのが誰であるのかを認識できていない。泡となって消えてしまう運命に抗うために王子を殺さなければならないというのに、彼女は王子を見つけ出すことができないのだ。故に、つらい、悲しいという声に引き寄せられてはならない。近付いてしまったが最後、王子の代わりに殺されてしまうぞ。

「なんというか、ありきたりな都市伝説って感じよね」
 事実、それは都市伝説として広まり始めた噂話であった。どこで生まれたのか、誰が始まりなのかはもう分からない。いつの間にか地域に広まっていたそれを、創作に活かすことができやしないかという下心から情報収集に乗り出した、と言っても良い。素直にそれを口にすると煩い兄がいるので、対外的には「巷で話題の噂ランキング、を作ろうとしている」としているが。そう切り出したところで出てくるのが「人魚姫」の都市伝説ばかりであるのだから、この噂の強さが窺い知れた。
 有里ありさと優奈ゆうなにとって、都市伝説という存在は身近なものであった。実家が古くから続く神社であり、その成り立ちにも悪霊払い的なものが関わっている。となれば自然と曰く付きの品々が集まってきてしまい、その中には本物も、というわけだ。だからこそ、どこか血生臭さの漂うこの都市伝説の誕生に両親は眉を顰めたし、兄たちもまた、下手に首を突っ込むなよ、と釘を刺してきた。だが、そこで素直に従わないことこそ、上に兄を二人持ち強かに生き抜いてきた妹である。上手に首を突っ込めばいいんでしょう、とばかりに堂々と聞き込み調査を行って今に至っている。
 噂話らしく、尾びれや背びれが付いていつの間にやら本質から大きく逸脱しているという可能性も否めない。どのパターンでも踏襲されている部分であったり、その噂話を聞いた時系列であったり、そういった断片を繋ぎ合わせて完成した「大筋」は、まさに童話の人魚姫そのものであった。
 メモを書き散らかした紙の上を、ゆっくりとなぞる。紡がれた言葉を辿り、そのうちの一つに止まる。人魚伝説。人魚姫の都市伝説が現れるという八生はちぶ海岸に、昔から伝わっている伝説である。
 漁業を営み暮らしていた沿岸部の人間にとって、不漁は生死に関わる大きな問題であった。その日の食い扶持すらも確保することが難しかったその年、引き上げた網に美しい女人が捕らえられていた。村人が女人をもてなすと、そのお礼にと数多の魚が村に与えられた。以来、海に魚の絶えることはなく、村人たちは感謝を忘れることがないようにとお堂を作って祀り始めた。海から訪れた女人を「人魚」と称した伝説こそ、この地に古くから根付いたものなのだ。
「だからこその人魚、なのだろうけれど」
 だからこそ、どうして「人魚」なのかとも思ってしまう。この地に生きる人間にとって、海から訪れる女人は等しく「人魚」であるのかもしれない。しかし、陸で泣く人魚の伝説においては誰も、彼女が海から来たのだと断言することができないのだ。誰も海からやってくる彼女の姿を見たことがなく、ただ、陸で泣いている彼女に引き寄せられるばかり。全身が濡れそぼっているからかと思いきや、その描写については噂の伝達経路によってまちまちである。一体何が彼女を「人魚」たらしめたのか。有里はそれが知りたかった。
 王子を殺さなければ自らが死んでしまうというのだから、この都市伝説に登場する人魚姫もまた、王子を殺すための凶器を手にしているらしい。それは小さなナイフであったり、包丁であったり、鋏であったりカッターナイフであったり。この辺りの差異については、当初のストーリーにおいては「凶器」としか、或いは「刃物」としか言われていなかったのではないかと推測している。人魚姫は王子を殺さなければならない。だから凶器を持っている筈だ。それは刃物であるはずで、ナイフであるはずだ。いや、包丁だ、鋏だ、カッターナイフだ、と広がっていったにすぎないと。
 思考をまとめながら、無意識のうちに指先で机を叩いてしまっていたらしい。うるさい、と向けられた声によって後輩の存在を思い出す。
「ああ、いたのを忘れてた」
「ちょっと考え事をするから黙っておいてって言ったの、先輩なのに」
 そうだ。ここは部室で、お互いに作業をするから大丈夫だと思いながらも、釘を刺していたのだったと。大家おおや利生りおという一つ下の後輩は、文芸部と新聞部と写真部とが半ば合併している弱小部における唯一の後輩であるとも言える。本人は写真部のみへの入部を希望していたのだが、部員の少なさ故に部室を兼用していた文芸部と新聞部は存続の危機にあった。具体的に言うと、見学者こそいたものの入部希望者はいなかった。そこで写真部の扉を叩いただけのつもりであったはずの彼の手に、三枚の入部届が握らされることとなるのである。
 閑話休題。
 大家は校内新聞に掲載する写真を選別していたのだが、どうやら作業を終えて暇になったらしい。有里と向かい合うように持ってきた椅子へ腰を下ろした彼は、逆さまに置かれたままのメモを順番に目で辿り始めた。
「噂の人魚姫ですか。妹の世代でも話題みたいです」
「妹さんがいるんだ」
「五歳下です」
 五歳下、ということは小学五年生。年上はできても年下へのインタビューに二の足を踏んでしまっていた有里にとって、ありがたい情報だった。メモの空いているスペースに、ありがたく書き加えさせてもらう。
 そうしている間にもざっと読み終えたらしい大家は、いくつかのメモを指し示す。
「うちの妹の周りで広まっているのは、この辺りのミックスって感じ」
 泣き続けている人魚姫。見つかったが最後、ぱしゃぱしゃと濡れた足音を立てながら追いかけてくる彼女に刺されて殺されてしまう。彼女の赤いドレスは被害者の血によって染められていて、水音は返り血が乾ききっていないからだ、と。
「……結構ハードな」
「小学生の噂話だし、そんなもんじゃないですか」
 あっけらかんと言い放つ後輩に、そんなものなのかと納得しておくことにする。確かに、自分だけが知っている情報というものを周囲に示して優位に立ちたいお年頃。私が知ってるのはもっと怖いこんな話だ、なんて行為が繰り返されてしまうと、表現がどんどん大きくなってしまうのだろう。
 そう、この人魚姫は赤いドレスを着ているらしい。それは血を連想させる色であるからなのかもしれないし、目を引く色であるからなのかもしれない。噺のパターンによって人魚姫の容姿に言及する、しないの差異こそあれど、言及する場合は決まって赤色の衣服を着ているらしかった。ドレスであるとか、ワンピースであるとか、着物であるとか。人魚姫と人魚伝説が意識の中で混ざり合ってしまっているのか、西洋東洋今昔、着用している衣服の方向性は定まっていないようだ。
 実際に遭遇したという人が見つかれば良いのだが、幸か不幸かそういった人間は未だ見つかっていない。ここまで広まった「都市伝説」なのだから、確かに何らかの形は得て存在しているはずだ。有里の直観はそう叫んでいるというのに、今回ばかりはそれが外れてしまっているのかもしれないという可能性を考慮するべきかもしれなかった。
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