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ばけものこいがたり

 雄生自身は他の子たちと何も変わらないのだけれど、ただ一つだけ、決定的な違いがあった。それは、雄生の生まれた有里家が、この街では強い力を持つ家であったこと。
 かつてこの地を襲った化け物を封じた人間がご先祖様。倒したのではなく封じたという辺りが微妙な問題で、封印が解けることのないように神社を建て、守り続けている家系なのだという。
 小学生の雄生は勿論のこと、まだ幼稚園に通っていた妹の優奈にまで繰り返し語られたその昔話は、この街に限って言えばとても馴染み深い逸話だった。科学の発達した現代において、オカルトに裏付けされた地位がどれほどのものか。今となっては馬鹿にする部分がないわけでもないが、しかし、当時の雄生にとってご先祖様の英雄譚は一種の神話と言っても良かった。
 自分にも、ご先祖様のように特別な何かがあるかもしれない。その力を使って、この街を、弟と妹を守ってやるんだ。
 そんな可愛らしい決意を胸に抱えていたということを、黒歴史として一括りにしてしまうつもりはない。その決意があったからこその「事件」であったのだろうと、葬り去ってしまうべきではない罪の一つであるのだと、そう思っているからである。
 兄が二人に末の妹。この構図が良かったのか、兄妹仲は良い方であったように思う。玩具の取り合いで喧嘩になることもなく、かといって誰かが我慢をして譲り合うばかりでもない。兄に混ざって駆け回る妹、妹と一緒におままごとをする兄。ご近所さんから「本当に仲が良い」と評される状況は、未だに続いている。
 とはいえ、常にそうであったわけではなかった。ある日を境にして、唐突に始まった冷戦のようなもの。常日頃、知らずにため込んでしまった鬱憤が爆発した、というわけでもない。その一点にさえ目を向けなければ、兄妹間に微妙な空気が漂ってしまっていることに気がつくこともない、とさえ言える。しかしながら、問題になってしまっている部分が雄生にはどうしても許せなかったのだ。
「優奈は」
「さあ、今日もあの子と遊ぶとは」
 あの子。可愛い妹が「みいな」と呼ぶ存在こそ、全ての元凶であると言えるだろう。決定的な何かをされたということはない。何もされていないし、これからもきっと。だってあの子は――人形なのだ。
 超常現象に対する何でも屋、とでも言おうか。神社には不可解な現象を巻き起こすとされたモノがよく持ち込まれていた。きっとみいなも、とは思うものの断言することができなかったのは、彼女がどこから「来た」のかを誰も説明できなかったからだ。雄生は勿論、周りの大人たちも、彼女と遊ぶ優奈自身も。気がついたらそこに「居た」のだと言う。
 日本人形とも西洋人形とも違い、量産されたどの人形とも異なる姿をしていた彼女は、確かに人に愛されていたのだろう。誰かに可愛がられていたのだろう。柔らかく滑らかな肌、艶やかな黒髪に、どこか濡れた黒い瞳。光によって茶とも見えたその「黒」が、どうも雄生には恐ろしく思えたものだ。無機質な色ではない、それは生きた色であったのだ、と。
 以前であれば兄たちの後ろをついて回っていたはずの妹が、自分だけの世界を持つようになった。共有する相手として選ばれたのが、人間であればよかった。いっそ、動物でも良い。植物でもよかった。あの人形、それだけは許せなかった。
 人形は常に優奈とともに在った。一緒に行くの、と優奈が口にすればそれが叶えられるのだから。大人たちは彼女が人形遊びにのめり込むことを止めることなく、可愛いね、可愛いねと見守る姿勢を貫いている。だから本当は、本当に「みいな」は悪いものではないのかもしれなかった。雄生が考えすぎているだけであるのかもしれなかった。それでも。
「こんなところで、また」
「こんなところって、ひどい。すてきなおうちなのにね」
 ねー、と答えるかのように、人形の目が。いや、考えすぎなのかもしれない。緩く頭を振って、幻惑から逃れる。雄生の目前に広がっているのは、神社の本堂裏、僅かなスペースにひっそりと作られた「すてきなおうち」である。おままごと用の皿に載せられているのは、綺麗に整えられた泥団子。花壇から拝借してきたらしい花弁によって、彩りも完璧である。後で母さんに怒られるぞ、とは言わないでおいた。こってり絞られてしまえばいい。
 今日は母と子だろうか。それとも姉妹だろうか。ご近所さん同士かもしれない。二人の演じる役割は、その時々でころころと変わる。
「あのね、ここはえっと……そう、あいのす、なの」
 たどたどしく「愛の巣」だなんて、そんな言葉を一体誰が教えたのか。そういえば、最近はやっているらしいドラマは愛憎渦巻くラブストーリー。大方、そこから学んだのだろう。
「じゃあ、どっちかがお父さんで」
「どっちもおかあさん!」
「そっか、どっちもお母さんか」
 優奈はみいなが大好きで、みいなも優奈が大好きだから。
 座らせていた人形を持ち上げ、抱きしめる。頬擦りをする妹の表情はとても幸せそうで、なるほど、確かにこの場所は「愛の巣」だな、と感じた。誰にも邪魔されない、二人きりの世界だと。雄生だって邪魔をしたくはなかった。抱きしめ返すように動く人形の腕さえ、見えなければ。

 その日は優奈が久しぶりに兄たちの後ろをついて回っていた。その手に人形が抱かれていないことを弟は気にしたようだったけれど、何も言わなかった。勿論、雄生も。ただ、優奈は気がついていたのかもしれなかった。はつこいだったのよ、と雄生に囁いたその声は、眼差しは、どこか恨みがましくて。
 雄生が随分と遠くまで捨てに行ってしまったせいで、妹の初恋は実らない。それが戻ってこないということは、きっと、あれは本当に悪いものではなかったということだ。別れ際、本当に妹が好きなら帰ってくるなと伝えたとき、あの人形は、みいなはきっと泣いていた。
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