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友達

 生物の授業が終わり、更衣室へ着替えに向かう。体育は二クラスずつ合同で行われ、私のクラスは悠や麻奈のクラスと一緒だ。
 更衣室では、仲の良い子同士が集まって着替えている。他に行くようなところもなく、私は二人の元へ。けれど、二人はこちらをちらりと見ただけで目をそらし、会話を続行する。
(……まあ、もう慣れたんだけど)
 早く着替えよう。二人は待ってくれない。自分たちが着替え終われば、すぐに出て行ってしまう。逆に、私が先に着替え終わったときは、二人を待っている。手持無沙汰なままの私を置いて二人は互いが着替え終わるのを待ち、私に一声もかけずに出ていく。だから、黙ってついて行く。二人は会話をやめないし、私に話を振ることは滅多にない。でも、そばで聞いているだけでも、一人じゃないと思えるからいい。
 体育は、大抵二人一組で準備運動をする。ただでさえ三人という奇数なのに、今は微妙な関係だ。二人がさっさとペアになってしまうため、私は相手探しをしなければならない。他にも三人グループの子はいるので、そこにお邪魔する。いつも同じグループにお世話になるので、少し仲良くなれた。

 世界史は、楽しい時間だと思う。遠く離れた場所で、はるか昔に起こった出来事を学ぶ。過去の事を知って何が楽しい、という人もいるけれど、私だって、過去の事を今後にいかそうだなんて大きなことは考えていない。ただ、知るということが楽しい。他の授業ではあまり感じないので、世界史という教科だからなのかもしれないけれど。
 とにかく、今日の午前中の授業はこれで終わりだし、それでなくても心休まる時間だ。苦手な教科だと、無駄に緊張してしまう。
 黒板の内容をノートに書き写しながら、やはり考えるのは彼女達との関係の事だった。

 別に、いじめられているわけではないと思う。よくドラマや小説、マンガで表現されているようなことをされているのではないから。殴られたり蹴られたりしたことは一度もない。物を取られたり、隠されたりしたこともない。机の上に花を置かれたこともないし、教科書や体操服に落書きをされたことだってない。辛うじて無視されているのが入るのかもしれないけれど、それだって徹底的にされているのではない。時々、向こうから話しかけてくれるのだし。
 だからこそ、私達を友達と言ってもいいのか悩んでしまう。ただ本を読んだ感想が微妙にずれていただけだ。それだけでこんな状態になってしまっている。今の関係はこの際どちらでもいい。だが、以前も友達だったのか、と聞かれると不安になってきてしまう。こんなに脆い関係だったのだ。友達だと思っていたのはこちらだけで、向こうは私のことを疎ましく思っていたのかもしれない。考え出すときりがないし、むなしいだけだと分かっている。それでも、考えてしまう。私には本当に友達がいたのだろうかと、悔しく、悲しく、苦しくなる。

 今の状況も苦しい。けれど、前の状況に思いをはせても苦しい。どうすればいいのか、分からなかった。

 昼食は、基本的に自由に座って食べる。同じクラスの子と食べるのがほとんどだが、中には他のクラスへ行く子もいる。そして、私は後者だった。
 入学当初から、以前の付き合いもあって三人で食べるのが習慣となっていた。クラスの中に居場所がないわけではない。言えば快く一緒に食べてくれそうなグループはいくつかある。それでも、習慣とは恐ろしいもので、三人の関係がギクシャクしだしてからも一緒に食べる事は続いた。まあ、一緒に食べているといっても会話は少ないのだが。
 早く食べ終わってしまうと、弁当箱を片付けて席を立つ。これは、入学当初から変わらないので気が楽だ。もし、ギクシャクしだしてからだったら、こんなこと出来ない。席を立った後で陰口を言われるのではないか、とびくびくしてしまう。習慣の一つとなっているから出来るのだと思う。
 自分のクラスに戻って弁当箱をカバンにしまうと、すぐに教室を出た。向かうのは図書室。図書室があるから学校へ来ていると言っても過言ではないほど、私は図書室が大好きだ。本がたくさんあるからというのも、本好きの私にとっては大きな理由だ。図書室通いの最初の理由はそれだ。けれど、今では一人になれるからという理由も加わっている。
 基本的に、図書室では静かにするのがルールだ。友達同士で来ていても、最終的には各自が自分の選んだ本を読んでいる。最近では、安心して一人になれるのは、図書室かトイレぐらいだと本気で思っている。他の所で一人になっていると、何かでグループ分けをする時に余ってしまう人間になってしまいそうで怖く、誰かと一緒にいようとしてしまう。図書室やトイレには、それがないから居心地がいいのだ。もっとも、トイレへ行くのでも一緒に行こうと誘い合って行くグループもあるのだが。私にはまったく理解できない。
 また、図書室へ来ると友達の輪が広がる、ということも足蹴く通う理由の一つだった。静かにするのがルールではあるが、どの本が面白かったかなどの情報交換は、小声なら可能だ。
 本の貸し出し記録を見れば、自分の前に同じ人が借りている場合が多々ある。本の趣味が同じなら、話しやすい。体育でペアを組んだり昼食を一緒に食べたりするわけではないけれど、図書室でできた友達の方が、一緒にいて楽しいと思うのも事実だった。少なくともこちらなら、胸を張って友達だということができる。
 時計を見れば、五時間目開始五分前。読みかけの本を借りる手続きをして、教室へと戻る。机の上に数学の教科書とノートを出すと、本の続きを読み始めた。だが、面白くなってきたところで先生が入ってくる。少し残念に思いながらも、本を閉じる。
 読書直後の授業は楽しい。授業内容が塾でやった所なら、大抵は本の続きの展開を想像している。推理小説なら、犯人は誰か。恋愛小説なら、どのように告白するか。冒険小説なら、どのように困難を乗り越えるか。SF小説は……どうなるのか予想がつかないから、極力授業前には読まないようにしている。それでも読んでしまった時は、失敗したなあと思いながらも、やはり続きを考えてしまうのだった。

 そんな日々が続いて、学校へ行きたくないと思う日もあった。それでも休まなかったのは、休んだら二人に負けた気がするという、小さな対抗心のお陰だった。

 いつものように学校へ行くと、三人の中では私が一番早かった。
 けれど、いつもと違ったことが一つだけ。
 いや、以前のように戻ったことが一つ。
 学校へ来た悠と麻奈が、私の所までやってきた。そして、他愛もない話を、一時間目が始まるまで三人で続けた。

 そう、三人で。

 謝罪の言葉はなかったけれど、自然に話せるようになったことが嬉しかった。何がきっかけで以前のような関係に戻ったのか、私には分からない。でも、戻れただけで十分だった。友達が何なのか、考えることは止めにした。今の関係が楽しければ、その関係に名前をつけることは必要ないと思うことにした。
 そうしないと辛かったという気持ちが、無かったわけではない。
 ただ、以前のことを蒸し返して、せっかく元通りになったこの関係が壊れてしまうのが怖いという思いが勝っただけだ。今回の件で、友達との関係はいつ、どんな理由でねじれるかが分からないということが分かった。だからこそ、楽しいと思える時を力一杯楽しむべきだと思う。

 独りでいるのは辛い。口先では大丈夫だと言っていても、それは周囲への強がりと自分に対する自己暗示。だから、少しでもたくさんの人と繋がれるように、一人でも多くの友達を作るのだ。
 その中で、自分の意見を主張することは大切だ。けれど、周囲との和を乱しそうになったら、一歩引いて傍観の立場を取る。それも、友達と付き合っていく中で大切なことなのだろう。

 以上が、今回の件で学んだこと。

 人間関係は難しい。

 それに尽きる。
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