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異界滞在記

「サイの少しって、長いね」
 朝日に目を細め、七夜は呟く。結局、村に帰らないまま塔のそばに座って一夜を過ごした二人。サイはまだ答えていなかった。塔を高くするわけでもないのに、その辺りの石を手に取っては下に置き、また別の石を手に取っては下に置き、ということを延々と繰り返しているサイを、七夜は隣に座ったまま遠くを見つめることで見ないようにしていた。
(でも、もう待てない)
 真実に気付いた以上、報告のために現実へと目覚めなければならない。サイがどのような存在かという問いは、答えを今すぐに求めるものではない。サイを捕獲するためには、その答えが参考になるかもしれない。だが、ここまで深くサイと関わってしまった七夜には、彼の捕獲なんてできない。だから、七夜は返事を必要としてはいなかった。
(もう帰ろう)
 持ち歩き可能なこの世界の「リセットボタン」だが、昨夜は慌てていて持ってくる余裕など無かった。だから、置いてあるはずの小豆の家へと向かおうとした七夜だったが、小豆はもう七夜のことを覚えていないのだということに思い至る。お人好しであることは今までの生活で知っているために、うまく言えば素直に家へあげてくれるだろう。だが、また自己紹介からのスタートとなるのだと思うと、少しさみしい。
 村の方へと足を踏み出した七夜を引き留めるように、サイは口を開いた。
「この川、本当は川じゃない」
 七夜の問いからは外れたものだったが、サイ自身から彼や彼にまつわる話を聞けるのだと思うと、それは七夜の足を止めるには十分な理由だ。再び隣に座った七夜の方を見ず、手元の石を見つめながらもサイは続ける。
「イメージとしては、この『カグヤ』内部の世界は輪になって存在してんだよ。で、この川はその全てを通ってる」
「じゃあ、始まりも終わりも無いんだ」
「そ。傾斜に従って流れるものを川って言うんだろ? これはどっちかって言うと、溝とか堀とか、そういう物に近い」
 大地に掘られたくぼみの中に、水がたまっているだけの場所。川を川と呼ぶための定義に従うとするならば、そのような場所を「川」と呼ぶのは相応しくない。だが、七夜の中でこの「水場」は「川」という呼称が定着してしまっているために、今更変えることは困難だった。
「サイは、この川に沿って移動して世界を渡るんだ」
「だから川じゃ……あー、もういっか。川でも。そうそう、この川に沿って移動してる」
 ならば、このまま川に沿って歩いて行けば別の「物語」へと迷い込めるのかもしれない。そう思って川の先を見据えた七夜だったが、その思考を読み取ったのか、サイは「無理だ」と告げる。
「川を使って移動できんのは、この『カグヤ』が生んだ俺だけだ」
 やはり、サイは人間が作った存在ではなかった。だが、この世界で自分以外の存在から「カグヤ」という、外の世界の存在を意識させる言葉を聞く事には、かなり違和感がある。
「様々な物語を取り込み、色々な『人間』が都合良く作った設定を見続けているうちに、ただの道具でしかなかった『カグヤ』にも人格が生まれた」
「……まあ、利用者の行動に合わせて適切なストーリーを選択するよう、利用者の感情を感知するようにはしていたけど」
 笑顔を浮かべたら「喜び」を示しているから、このカテゴリのストーリーの中から良い行動のものを、涙を浮かべたら「悲しみ」を示しているから、こちらのカテゴリのストーリーの中から良い行動のものを選ぶように。
 それは、利用者と関わっている登場人物の行動を決めるためには必要なプログラムだ。簡単で模範的なものとはいえ、利用者の見せる感情に従って登場人物たちの行動を決めていけば、自然と「利用客がどのような感情を見せたときに、どのような行動をして登場人物たちが対応すればよいのか」を学習していくだろう。周囲からの期待が高まり、様々なストーリーを取り入れると、それだけ学習に使える素材が増え、より複雑な行動も選択できるようになっていく。
(涙と結びつくのが悲しみだけではないことを知るだけで、行動パターンは増える)
 相手が泣いている理由が、喜びである場合もある。それを知るだけで行動の選択を間違えることは減る。相手の涙の理由が喜びだと分かれば、慰めるのではなく、共に喜びを分かち合うようにする。
 そういったことを目指し、開発当初から「カグヤ」にはどんなに細かい人間の感情でも記録――いや、記憶するための場所が作られていた。そこから「カグヤ」自身に感情が、そして人格が生まれたとしても、納得できる。
 だが、それと「サイ」の誕生に何の関係があるのか。
 七夜の疑問を感じ取ったのだろう。サイはようやく顔をあげ、七夜を見つめる。
「記憶が欲しかった」
「記憶?」
 唐突に言うサイに対し、七夜はオウム返しに返事をしてしまう。間抜けだとは自分でも思うが、どういう意味かが全く分からず、無意識のうちに出てしまったのだ。仕方がない。
「記憶が欲しかったというのは、『カグヤ』がってこと?」
「利用者は皆、外に対する不満をこの中で口にする。ま、たまに楽しい思い出をこちらの登場人物に話すやつもいるけどな」
「じゃあ、そういう人たちの話を聞いた『カグヤ』が、外の世界に興味を持ったんだ」
「そうなるな。でも、機械である『カグヤ』には外の様子を知る術がない」
「……だから、記憶を奪っていった」
「イベントの一つとして、物語の一番最初に全ての記憶を奪うことをストーリーに書き加えた。その方が楽に記憶を奪えるだろ? で、この世界から出る時に記憶を返した。その時、返さない記憶も少しあったけど、すぐには気付かない」
「でも、利用者はそんな設定を選択した覚えがないから戸惑ったはず。スペシャルイベントだとでも言ったの?」
 冗談のつもりだったが、頷くサイに七夜は問う。
「なら、サイは『カグヤ』が持った人格が実体化した姿ってこと?」
 つまり、今ここで話をしているのは「カグヤ」そのものなのか、それとも全く違う存在なのか。サイが「カグヤ」から生まれた以上、全く違う存在ではないのかもしれない。だが、もしも「カグヤ」と「サイ」が全く同じものなら、目の前にいる「サイ」を説得すれば失われた記憶を取り戻すことが出来るかもしれない。だから、この問いの答えを聞くまでは、帰れない。
(ここまで聞いたんだから、全部聞いてしまいたい)
 研究者魂に火がついた、とでも言うのだろうか。今の七夜は、目の前の「謎」に夢中だった。

 だから、背後から「誰か」が近付いてきていることに、気付いていなかった。

「おはよう」
 背後からの突然の声に、七夜は驚いて勢いよく後ろを振り返る。
「小豆、さん?」
 七夜に対してニコリと微笑んだ小豆は、持ってきていた皿を二人に差し出す。
「今日の朝ごはんは羊羹よ。帰って来ないから心配したわ」
「悪い。話し込んでたら、時間忘れてた」
 謝るサイに、小豆は気にしなくてもいいと笑う。そして、皿を差し出した。
「あ、もしかして羊羹は嫌い?」
 その問いは、明らかに七夜に向けてのもの。サイは既に手を伸ばし、頬張っているのだから。
「大丈夫です。いただきますね」
 羊羹を食べ始める七夜を見て、小豆はほっとしたようだった。
「よかった。あなたにはまだ作ったことが無かったから」
「え?」
 小豆は七夜のことを忘れてしまったはずだ。それなのに、今の言い方だと七夜のことを覚えているようで。

 だが、そのことを七夜が小豆に確かめようとしたとき、七夜は咳き込む。自分の内側から何かがせり上がってくるのを感じ、七夜は気付く。羊羹にも水は含まれている。こうやって気付かないうちに、水を摂取し続けてきたのだと。それでも、咳は止まらなくて――

「あんな下手くそな演技をしてまで、七夜が欲しかったわけ?」
「親である私に対して、そんな言い方は無いんじゃない? そんな子に育てたつもりは無いわ」
(必要なことだけを文字通り頭に叩き込んで、この「賽の河原」と名付けられた場所に放置したお前に、育てられたつもりは無い)
 そう言いたいのだが、サイは心の中で言うにとどめた。サイは反論をあきらめ、小豆――いや、カグヤに問う。
「でもさ、それなら七夜だって『カグヤ』の親だろ? こんなことしていいの?」
 二人の前で、大量の石を吐き出して倒れた七夜を心配するその問いに、カグヤは笑って答えた。
「親だから一緒にいたいのよ。皆の記憶によると、子供と親はずっと一緒らしいもの!」
 カグヤは、七夜の吐き出した石の中から、白色のものを選び取る。そして、そのうちの一つを口の中へと放り込んだ。カリ、と噛み砕くと、内側から暖かいものが広がっていき、体中へと満ちていく。

 七夜が手伝ってくれて、本当に助かるわ
 お母さん、次は何をしたらいい?
 そうね、じゃあ卵を取ってくれる?
 はい。あーあ、早くできないかなぁ
 七夜は本当にオムライスが好きね

 目を閉じれば広がるその「記憶」を、カグヤは何も言わずに見続ける。映像が切れると、次の石を口の中へ。繰り返すうちに、残っているのは地面に広がる黒い石のみとなって。
「カグヤ、黒い石はどうする?」
「暗い記憶を好き好んで見る馬鹿がどこにいるのよ。その辺に転がしておけばいいんじゃない?」
 「親」の記憶とはいえ、興味が無いのだろう。七夜の服に引っかかっている黒い石を全て払いのけると、トン、と足を踏み鳴らす。すると七夜の真下に黒い穴が現れて、七夜を吸い込むとそのまま消えた。
「次は洋食が主食の世界へ行こうかしら」
 七夜の記憶に引きずられ、今はオムライスが食べたい気分だ。今回は脇役の位置にいたために、あまり「人間」と関わることが出来なかった。次は主役級の登場人物に成り代わってみようかとカグヤが考えていると、サイは塔を見上げながら言う。
「じゃ、俺の仕事は終りだな。七夜の世話は俺に任せて楽しんで来いよ」
 これで面倒な仕事から解放される。
 そんなサイの喜びに、カグヤは水を差した。
「は? 何を言ってるのよ。あなたは記憶を奪い続けるの」
 利用者の記憶を奪い続ければ、きっと誰か責任者がやって来る。その責任者こそ、カグヤの「親」だ。その「親」が迷わずにカグヤの元へたどり着けるように。そう願って高く積み上げ続けられていた塔。ようやくやって来た「親」である七夜を「母」であると認識した今、もう塔を作る必要は無い。そうなると、塔を作る材料である石――つまり、記憶を集め続ける必要もない。そのはずなのに、どうして仕事から解放されないのかと憤慨するサイへ、カグヤは優しく語りかける。
「ほら、七夜に対しては『外』での記憶を一度に全部奪えるように頑張ったでしょ?」
 何度かに分けてしまうと、抵抗される恐れがある。だから、気付かないうちに全てを終わらせようと頑張っていた。一度に大量に水を摂取すると、印象に残っている記憶しか吸い取ることが出来ない。だが、少しずつ水を摂取すれば、記憶は少しずつ水に溶け込み、最終的には大量の記憶を吸い取ることが出来る。時間をかけすぎたために、七夜は全てのからくりに気付いてしまった。だが、ギリギリのところで目論見は成功したので、よしとしよう。
 七夜のいた場所を見つめて黙り込むカグヤに、サイは先を促す。
「……七夜が寂しがったら、かわいそうじゃない」
「あー、はいはい。だから石を集めろってことか。白ばっか?」
 当然、と返すカグヤに、サイはため息をつく。奪う記憶を選択できるわけではないので、かなり面倒だ。七夜には「白い石は砕けた」と説明したが、実際はカグヤによる摘み食いが原因で白い石の数が少なくなってしまっている。白い石の方が脆いということは事実なので、七夜の来る前――高い塔を作ることに重点を置いていた頃は、それほど気にしていなかった。だが、これからは違う。記憶を奪っただけで、感情が無くなってしまったわけではない七夜。彼女が寂しくないように、白い石――つまり、楽しい記憶を集めて、見せてやればいい。単純にそう考えるカグヤに、サイはため息をついた。
(そうしたら、カグヤと同じように「外」へ興味を持つかもしれないってのに)
 この我儘な「母」は、そのことに気付いていないのだろうか。
「ま、その時はまた記憶を奪えばいいか」
「何か言った?」
「いや、摘み食いはほどほどにしてほしいなって」

 親に喜んでもらいたい。
 親に認めてもらいたい。

 人間らしさを求める彼らは、自らの内に生まれたその感情を満たすべく、動き始めた。
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