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異界滞在記

 相変わらずサイは塔を作り続けているし、七夜には彼を捕まえる方法が分からない。捕縛用のプログラムを作ってシステムに組み込むという案も出ていたが、世界を渡って出現し、利用者から記憶を奪っていくサイの力が未知数であるため、進展することは無かった。それは今でも変わっていないだろう。
 ずっと過ごしていて分かったのは、この世界は本当に平和だということ。平凡な一般市民として生活していた主人公が異世界に迷い込み、帰る方法を探していく中でその世界の人間と恋に落ちるという、ベタなラブストーリー。その異世界こそ、七夜やサイが今いるこの世界だ。舞台の中心は村らしく、七夜も何度か声をかけられ、素直に従っていれば恋愛ストーリー発生かというイベントはあった。だが、現在七夜の心のうちの大半を占めているのは、サイだ。言い方は悪いが、正直言って他の男達に構っている余裕はない。
(この物語で何らかのエンドを迎えられたらいいのかな?)
 この「カグヤ」の世界から抜け出すためには、その物語で何らかの形でエンドを迎えるか、その世界のどこかにある「リセットボタン」を押すかだ。大概のリセットボタンは、主人公が主に活動する場所に設置されていて、その他要所ごとに点在している。七夜は初日のうちにリセットボタンを発見していたが、何もせずに「リセット」して帰ったら何を言われるか分からない。それよりは、物語の中で避けられないエンドを迎えてしまった方が、文句も少ない気がする。
(あ、でもあの「リセットボタン」なら動かせるし、サイの前で「リセット」したら、サイが次の世界へ移る瞬間も見れるんじゃ……)
 この世界の「リセットボタン」は、七夜に与えられた茶碗の裏についていた。持ち運び可能なので、いつでもやめたいときにやめられるのは大きな利点だが、茶碗が割れてしまった場合はどうすればよいのだろうか。
 とにかく、この世界には七夜しか「人間」はいないため、七夜が消えると同時にサイも移動する可能性が無いわけではない。ならば、サイの移動方法解明のためにも、途中退場の道を選んだ方が良いのかもしれない。
「今日はやけに静かだな」
「そう?」
 色々なことを考えていたからか、いつもよりも口数が少なくなっていたようだ。サイに言われるまで気付かなかったが、今からは気をつけようと七夜は決心した。
 今日の差し入れは、みたらし団子。いつも和菓子のようだが、どうやら和菓子が主食の村のようだ。他の地域での食生活を知らないため、この世界全体での主食が和菓子なのかどうかは不明だが。ちなみに、なぜ茶碗が必要とされるのか。その疑問は今朝になって解消された。お汁粉用だ。餡の中に餅を投入するその料理を、和菓子というのかどうかを七夜は知らない。だが、色々とおかしなこの世界の事だ。その辺りの境界は、曖昧でも利用者は気にしない。
(甘くておいしいものをたくさん食べられて、しかも、かっこいい男性との恋愛が出来る。これが、この話の人気の理由かな?)
 そう結論付け、七夜はサイと共にみたらし団子を食べる。
「うん、やっぱりおいしい」
「あー、昨日は桜餅を全部食って悪かったな」
 おいしそうにみたらし団子を頬張る彼女を見て、サイは小さな声で謝罪する。メニューに限りがあるのだろう。差し入れを繰り返していると、何度か同じ料理を運ぶことがある。昨日は、何度目かの桜餅。桜餅を運んだのは、もはや数えることを放棄してしまうほどの回数で、それ以上に七夜は差し入れを行っていた。もう、外でどれだけの時間が流れたのかが分からない。
 時の流れる速さの違いに不安を覚えながら、七夜はそれを表には出さず、サイに対して気にしないでもいいと答える。
「桜餅って、後味が苦手。だから、いっぱい食べてくれたら助かる」
「ならいいけど」
 そう言いつつ、サイは一本目の串を食べ終え、二本目と三本目を手に取る。それを見て、七夜は慌てて串に残っていた最後の団子を口に入れると、自分も二本目と三本目を手に取る。サイは一瞬目を見張り、そして、笑った。
「へぇ、みたらし団子は好きなんだ」
「……分かり易くていいでしょ?」
 何となく恥ずかしくなって、勢いよくかぶりついた。

 みたらし団子を食べるだけで終わってしまったサイとの対談。いつもより早く村へ帰ると、小豆はちょうど夕食の準備をしていた。いつもはサイとの会話が弾むために帰りが遅く、帰るともう既に食事が出来ている、という状態だったために、新鮮だった。朝は七夜よりも先に起きて朝食を作っているし、昼食となるサイへの差し入れも同時に作っているようで、実をいうと、七夜はこちらの世界で料理を全くしていなかった。ちなみに、同じ家にお世話になっているはずのサイだが、家で顔を合わせることは滅多にない。七夜が寝てしまってから帰宅し、まだ眠っている間に塔の元へと向かっているらしい。
「手伝います」
 お世話になって何日目になるのかは分からないが、とにかく長い間お世話になっている。そんな中での初めての申し出に、小豆は戸惑ったようだが少し立ち位置をずらす。もう一人立てるようにと作られた場所は、申し出を受け入れた証だった。
「じゃあ、お湯を沸かしてもらえる?」
 了承し、外に置いてある水瓶の元へ。そして、鍋に水を入れていく。衛生面が少々不安だが、そこはバーチャル世界のご都合主義。それでなくても、こちらの世界での体調不良がそのまま現実世界に反映されたということは聞いたことが無い。今回の記憶喪失事件が初めてだが、原因が分からない以上、周囲を疑い過ぎていては生活できないというのも事実だ。七夜は極力何も考えないようにして水を入れ終わると、鍋を火にかけた。
 今日は団子尽くしの日のようだ。朝は三色団子で、昼はみたらし団子。そしてどのように食べるのかは分からないが、準備物を見ている限り夕食も団子。小豆は白玉粉を捏ねて一口大に分けると、沸騰した湯の中にそれらを落としていく。出来上がった団子の弾力を確認しているのだろう。いくつかの団子を食べると、頷く。
「おいしいですか?」
「当然よ。あ、水を取ってもらえるかしら」
 差し出された手の雰囲気から、コップに水を入れて小豆に渡す。ありがとう、とコップを受け取った小豆は、一気に水を飲んだ。
(……あれ?)
 何かが、どこかがおかしい気がして、鍋の中の団子を救い上げる手を七夜は止めた。
「あの、ちょっと聞きたいことが――」
 だが、全てを言い切る前に小豆は咳き込む。水が気管に入ってしまった、という雰囲気ではなく、口元を覆う彼女の背をさするが咳は酷くなる一方。そして最後の咳は、嫌な音。痰が絡まったようで、でも、何かが違う。そっと口元から外された小豆の手は、七夜を見たその表情は、彼女の言葉は、七夜を走らせるには十分なものだった。今も一人で塔を作り続けているであろう、サイの元へと。

「サイ!」
「七夜? どうした? こんな時間に。珍しいな」
 日が落ちてから、村を出たことは無い。そんな七夜が、月も無い夜に出歩くなんて。
 そう驚くサイだったが、七夜にはそんなサイの状態に気付けるような余裕など無かった。先程知ってしまった「事実」が大きすぎて、最初に何を言うべきなのかも分からない。何も言わない七夜を心配し、サイはもう一度繰り返す。
「お前、何か変だぞ。こんな時間にどうしたんだよ」
 だが、七夜はサイとは目を合わせようとしない。そんな七夜の態度に苛立つサイだったが、その苛立ちを感じ取った七夜が先に口を開く。
「サイって、意地悪だね」
「何言ってんだよ」
 火に油を注ぐような七夜の言葉に、サイの口調は荒くなる。だが、彼が更に言葉を発する前に、七夜は呟く。
「……でも、優しい」
「はぁ?」
 ふいと横を向く彼の頬は赤く染まっており、照れているのだということは容易に分かる。だが、そこまで人間らしい言動をしていても――彼は「敵」なのだ。
 すぅっと息を吸い込んだ七夜は、覚悟を決めてサイを見つめる。
「川の水、だよね?」
 サイは、返事をしない。何のことかが分かっていないのかと不安になったが、サイが理解していることは少し震えた肩が物語る。
「川の水を飲み続けていると、記憶を失う。記憶は――」
 七夜はかがみ込み、大切そうに石を拾い上げて掌の上へ。そしてその手をサイの方へと差し出す。とっくに頬の赤味は引いて、硬い表情のまま横を向いたままの彼には、見てもらえないと分かっていても。
「記憶は、この石になって出てくる。違う?」
 サイは何も答えないが、七夜には関係が無かった。とにかく、思いついたこの「仮説」をどんどん言葉にしていき、事実を確認していくと同時に自分の頭を整理したい。七夜の頭の中にあるのはその事ばかりで、サイが黙っているのをいいことに、ただひたすらに喋り続けた。
 初めにおかしいと思ったのは、水を運ぶ村人を見たときだ。井戸の無いこの村では、外から水を運んでくるしかない。だが、七夜が見た限り、そしてサイの話を聞く限り、村の周囲は雪に覆われている。つまり、近くに水場は無いのだ。サイが飲まない方が良いと忠告したこの川の水以外は。
 賽の河原の特徴は、本来存在しないはずの場所なのに、その世界の住人達が受け入れていること。原作ではどこから水を調達しているのかは知らないが、少なくとも、賽の河原が出現している今の世界では、一番近い水場といえばこの川。村人がここから水を運んでいるであろうことは、容易に想像できる。
 また、水を運ぶ手伝いを申し出て断られたとき。あの時に見つけた石も、とりあえず理由が欲しくて「手に持って遊んでいたうちの一つがポケットの中に入っていた」としたが、納得しているわけではなかった。だが、この仮説に従えば説明できる。飲料水として川の水を飲み続けた村人は、記憶を――石を吐き出す。七夜が蹴り飛ばしてしまったあの黒い石は、きっとあの村人の記憶の一部だ。
 そこまで聞いて、サイはようやく口を開く。
「随分とぶっ飛んだ仮説だな」
「分かってる」
 だが、白い石を吐き出した小豆は七夜を見て戸惑った。そして、言ったのだ。初めまして。何か御用ですか、と。それが無ければ、このような仮説にはたどり着かなかっただろうし、これが真実だと誰かに教えられたところで、納得しなかっただろう。
「サイは、川の水を飲むと記憶を失うことを知っていた。だから、飲めるけど後悔するって言った。違う?」
「……合ってる」
 ただ普通に「飲める」とだけ言えば、七夜は川の水を何も知らずに飲んでいただろう。重要な部分を隠していたとはいえ、不穏な内容をにおわせることで、サイは七夜を守ろうとしてくれたのだろう。これまでにやってきたことを許せるわけではないが、少なくとも、七夜に対してのその行為は、サイから七夜への優しさだ。
 理由がどうであれ、七夜を守るような行動をとってくれたサイに、まだ尋ねなければならないことがある。その事実に胸が痛み、同時に頭が痛くなった。
(……敵だって、分かってたのに)
 ここまで感情移入してしまうなんて。
 軽く目を閉じて、心を静める。目を開くと、真っ先に横を向いたままのサイを見てしまい、胸の痛みが大きくなる。
 いつも通りの声が出ているかどうか不安に思いながら、七夜は問いを続ける。
「出会った人間は、この川の水を飲んで記憶を失った。違う?」
「……合ってる」
「じゃあ、サイはこの世界に来る前の世界での記憶、忘れてないってことだよね?」
 無言で首を縦に振るサイの姿に、泣きたくなった。小さな声で返答していただけでも、見ていて辛かったというのに。まだ確認したいことはあったが、それら全てを確認しなくてもいい。ただ一つだけ。あと一つだけ、聞きたいことがあった。
「……あなたは、誰?」
「サイだって。ちゃんと名乗っただろ?」
「じゃあ質問の仕方を変える。あなたは、何?」
 サイを「人間」ではないと認識したうえでの質問は、言われたサイ以上に、言った七夜の方が泣きそうで。

 サイは、少し待ってほしいと言った。
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