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異界滞在記

「今日も、お願いできるかしら」
「もちろんですよ。他にやることもないですし、喜んで」
 サイに紹介された村人は、最初に彼を発見した人間――小豆だった。何も言わずに七夜を受け入れたことから、余程のお人好しなのか、この世界が平和なのか。原作を知らないだけに不安は大きかったが、それでも好意に甘えて生活し、小豆にサイへの差し入れを頼まれることもあって、毎日サイの元へ通った。
 一般人だった主人公が何をすることでこの世界と関わるのか、原作を知らない以上分かりようがない。潜入が決まったと聞かされた十分後には実行されたため、予備知識の仕入れようがなかった。人気があることと、こういった仕事に関わっていることから、もう知っていると思われていたのだろう。確認作業をしてほしかったのだが。
 利用者に聞いたサイの出現時間や場所を繋げてみると、一つの作品に出ている間は他の作品に出現していない。つまり、桃太郎に「賽の河原」が出現している間は浦島太郎に「賽の河原」は出現しない。だから、七夜がサイと出会った作品の利用を止めてしまえば、更なる被害者は出ない。まあ、原因解明のためにアトラクションは利用を休止しているため、一般利用者への被害は心配ないのだが。
 今日も、七夜はサイの元へ来ていた。とは言ってもこの作品内での時間の流れであり、実際の世界では一時間もたっていないだろうが。最近ではサイも慣れたもので、歩いてくる七夜の姿を塔の上から確認すると、すぐにおりて来るようになった。村人が持たせてくれるお菓子につられてかもしれないが。
「いつもいつも、悪いな」
「それは、私に対して? 村人に対して?」
 どっちも、と言いつつ桜餅を頬張るサイの姿は、人間のようでしかない。そんな彼から目をそらして、塔を見上げる。高すぎて、前回よりも高くなったのかどうかは分からないが、サイが作業し続けていることを考えると、高くなっているのだろう。
「サイ、ずっと気になってたんだけど」
「何?」
 塔に気を取られている間に一個食べ終わっていたようで、新たな桜餅を口に運ぼうとしていたサイ。左右の手に一個ずつ持つというその食欲に驚きつつ、七夜は当初から気になっていたことを訪ねた。
「黒い石の方が硬いの?」
「何でそう思う?」
 下の方には黒い石しかないから、という七夜の単純な理由になぜか大笑いしたサイは、笑い過ぎて腹筋が痛くなったのだろう。お腹を抱えた状態で答える。
「多分、合ってる」
「そっか。てか、何で笑ったの?」
「単純すぎて。てか、思い出させんな。また笑いそう、に……」
 言い切る前に、笑いの発作がぶり返したサイ。彼の笑いのツボは、分からない。
 少し経って、ようやく笑いの収まったサイは、説明を続ける。
「最初は、下の方にも白い石を使ってた。けど、どんどん積み上げていくうちに、重さに耐えきれなくなった白い石が砕けていってさ」
「でも、それって」
 このまま積み上げていくと、今は砕けていない白い石も砕ける可能性があり、危険なのではないか。
 そう言いかけて、七夜は止めた。相手はただの「プログラム」であり、しかも、削除すべき「ウイルス」である。普通に削除しようとしても不可能だったため、原因解明の手掛かりをつかむことが出来れば、ということで七夜が送り込まれたのだ。それなのに、その対象に対して心配する言葉を投げかけるなど、間違っている。
 途中で黙り込んだ七夜を不審に思ったのだろう。サイが声をかけてくるが、それに対して笑ってごまかし、次の質問をする。
「この川って、どこで始まってどこで終わるの?」
「どっかの山から始まって、どっかの海につながってるんだろ?」
 かなりあいまいな答えに、七夜はサイが知らないのだと結論付ける。まあ、理由もわからないままに塔を作り続けているのだから、調べようという気など起こらなかったのだろう。
「じゃあ、三つ目」
「どうした。今日は質問が多いな」
「そう?」
 軽く返しつつ、七夜は少し焦る。何も起こらないために不安になり、仕事に精を出すことでそれを忘れようとしていたのだから。
「いいじゃん。ほら、三つ目。私と村人以外に、出会った人はいる?」
 この問いに対しては、返答までに時間がかかった。
「……いる、と思う」
 自信のなさそうなその言い方に、七夜が不満を持ったことを感じたのだろう。すぐにサイは言葉を続ける。
「じっくり考えてみると、何となくいる気はする。けど、何か頭の中に霧がかかってるみたいな感じ? とにかくボンヤリとしてるし、そういう部分の記憶でも塔を作ってんだけどさ。その塔の上から眺める景色、何か、ここと違う気がする」
「……へぇ。例えば?」
 この世界の場合、すぐ横に村があって、少し先には満開の桜の森があって、大地は雪に覆われている。他には何もない、一面の銀世界。だが、一面が花畑の世界にいた記憶だとか、塔よりも高い超高層ビルが立ち並ぶ世界にいた記憶だとか、とにかく「違う気がする」では済まされないほどの違い。だが。
(この世界の前に出現した世界での記憶、かな?)
 出現したと報告のあった作品の原作は、一通り読んでいる。どちらの風景も、それらの中の作品のものと一致する。
(新しい世界へ移るたびにサイの記憶は失われる、ということ?)
 そこで出会った人間の記憶を失ってしまっている以上、世界を移動するたびにサイの記憶が失われているということは確かだろう。完全にではないようだが、それなら、記憶がないと言いつつも「どこかの世界」と比較して、この世界の危機管理へ不安を感じたことにも納得できる。
 だが、この事実は早めに分かって良かった半面、七夜には気の重くなる情報だ。前の世界での記憶がないということは、どうして利用者が記憶を失ってしまったのかが分からないということ。全員がサイと出会ったと証言している以上、七夜の目の前にいる男がその原因となっていることは確実だろう。
 対策は村に帰ってから立てるとして、七夜は質問を止めた。
 ふとサイに目をやると、もう手に持っていた桜餅は無くなっている。手を付けていない七夜に気を遣っているのだろう。皿の上には桜餅が二個残っているが、このシステムの中で空腹感を覚えることは無い。食べて味を楽しむことはできるが、それが現実世界に反映されることもないため、中には「ダイエット中だけど、甘いものが食べたいから」という理由で利用する人もいるほど。とりあえず、まだ食べたそうにしているサイに皿を差し出すと、目を輝かせて手を伸ばした。
 黙々と食べ続けるサイと、何となく周囲の石を手に持って見比べている七夜。無言の時を過ごした二人だったが、その静寂を七夜が破る。
「そんなに食べて、のど渇かないの?」
 合計で五個の桜餅を勢いよく食べながら、そのような素振りを見せないサイ。食欲はあるのに、と不思議に思って尋ねたが、渇かないとのこと。
(質問は終りって決めてたけど)
 この流れでもう一つだけ、七夜は質問をすることにした。
「この川の水って飲めるの? きれいに見えるけど」
 石の硬さ同様、七夜が気になっていたことだ。透き通っていて水はきれいなようだが、その割に魚などの生物の姿がない。透き通っているだけで、実は生物が住むことのできないほどの猛毒を持つ水だとしたら、飲むことなど絶対にできない。
 七夜の問いに、サイは最後の桜餅を口の中に入れてから答えた。
「飲めるけど、止めとけ」
「何で」
「多分、後悔する」
 その言い方に興味が少しだけわいたが、後悔する、という言葉が川の水を飲むことをためらわせた。
「じゃあさ、サイはどうしてるの?」
「何が」
「飲み水。そこまで食い意地張ってるってことは、お腹は空くんでしょ? なら、のどだって渇くんじゃないの?」
 七夜が来てから、サイへの差し入れは七夜の役割になっている。だが、その運ぶものの中に飲み物が入っていたことは一度も無い。のどが渇いたら、どうするのだろうか。
 サイは川の方をじっと見つめ、ぽつりと言った。
「別に、お腹が空くわけじゃねぇよ。ただ、おいしいから食うだけ」
「は?」
 無意識のうちに、間抜けな声が出てしまった。あそこまで必死で食べていながら、お腹が空くわけじゃない? おいしいから食べているだけ? つまり、それは――
「のども渇かないってこと?」
「そ」
 軽く答えるサイに、頭が痛くなる。だが、ふと思う。のどが渇かないということは、川の水を飲む必要は無い。それならば、どうして飲まない方が良いと言えるのだろう。
(何となく気になって飲んでみた、とか?)
 気付くと、空はもう暗い。残りの疑問は明日聞けばいい。そう思い、七夜は桜餅の乗っていた皿を手に取ると、立ちあがる。
「じゃ、私は村に帰るから」
「了解。俺は更なる高みを目指して、頑張るか」
「無駄にかっこいい言い回しだね。暗いんだから、気を付けて」
「はいはい」
 ひらひらと手を振りつつ、石をズボンのポケットに入れていくサイ。白い石がその中に含まれていることに気付き、忠告しようと口を開く。だが、言葉を発する前に我に返った。
(……何やってんだろ)
 サイは「敵」であるはずだ。そのような相手に気を遣うなど、間違っている。
 目を閉じて息を吐くと、七夜は歩き出す。この世界へ来た理由を、忘れてはならないのだから。
 一度も振り返らなかった七夜は、塔の上からサイがじっと見ていることに気付かなかった。

「重そうですね。持ちましょうか?」
 村へ帰ると、村人の一人が桶を運んでいた。その中には水が大量に入っており、一人で運ぶことは辛いだろう。しかも病気なのか、七夜が見たときは激しく咳き込んでいた。井戸が無いこの村では、外の水場から飲料水を確保するしかない。日常生活の一環であることは分かっているが、病人にそのような重労働をさせることは気が引ける。
 だが、村人は笑顔でその申し出を断る。
「いえ、大丈夫ですよ。家はすぐそこですから」
「そうですか」
 せめて、そこまでだけでも。
 そう言おうとしたが、会釈をして立ち去った村人は、本当にすぐそばにあった家の中へ。その近さに驚いた七夜だったが、なぜかおかしくなって笑いだす。幸い、人通りの少ない時間帯だったために誰かに見られることは無かったが、冷静になってから思い返してみると、恥ずかしすぎる行動だ。
 自分も「家」へ帰ろう。
 笑いが収まってから足を動かした七夜は、何かを蹴る。
「……石?」
 それも、あの河原に転がっている黒い石。一瞬見えただけでどこかへと行ってしまったその石は、確かにそう見えた。
(石で遊んでたから、ポケットに入ってたのかも)
 村では普段見かけないその石は、行動を起こさない七夜を急き立てているようだった。白ではなく黒い石だったことも、七夜の気分を重くさせる要因だった。
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