異界滞在記
目覚めると、そこは知らない場所だった。不思議な空間。桜の咲いている木にはセミがとまっていてうるさいし、その根元にはコスモスが咲いているのに、地面には雪が積もっている。体が地面と接している部分は冷たく、その雪が本物だということを告げている。
「……ここ、どこよ」
昨日は普段通りの一日を過ごしたはずだ。朝から目覚まし時計にたたき起こされ、慌てて準備をして職場へ。あくびをかみ殺しながら様々な情報の入力作業を行い、帰宅。バラエティ番組を見て大笑いしてから客に対して行ったアンケート結果の確認作業。途中で睡魔に襲われ、就寝。そして、またいつも通りの一日を繰り返すはずだった。それなのに。
(目覚めたらそこは異世界でした、なんて、どれだけベタな小説のストーリーなわけ?)
前日までは平凡な生活を送っていた主人公が、ふとした瞬間に異世界へと迷い込む。ありきたりな前提条件で、その後のストーリーは書き手によって様々だ。その世界を救う勇者となるか、見ず知らずの美形に助けられて恋に落ちるか、元の世界へ帰ろうとしていたら実は異世界の住人だったとか。
どのような結末を迎えるにせよ、どのような道筋をたどるかは物語の主人公それぞれであり、これまでに読んだ小説は参考になりそうにない。ただ、希望としては「勇者様だー」と崇め称えられるような世界であってほしくない。勇者様と呼ばれたところで、戦う術を持っていないのだ。元いた世界では、五歳下の妹に腕相撲で負けるほど、力がない。剣道なんてやったこともないし、柔道や空手も同様。
(こんなことになるなら、防犯教室を真面目に受けとくんだった)
どれだけ通用するのかは分からないが、敵に捕まった時に逃げられる可能性は上がっただろうから。
じっとしていても仕方がない。とりあえず、ここがどのような世界なのかを探らなければ、身を守れない。旅行者に親切な国だとしたら、この先の生活の希望は見える。この場所の美しさからしてありえないが、万が一ここが戦争中の国なら未来は暗い。
(それ以前に、言葉が通じるのかどうかが分からないなぁ)
大概は、ご都合主義で言葉の壁にぶち当たらない。この「話」もそうであってほしいと願った。
とりあえず、セミから逃げたい。
そう思って桜並木を抜け出すと、遠くに小さな村が見えた。そのすぐ横を大きな川が通っており、大雨が降ればすぐに被害を受けてしまいそうな小さな村。周囲に何もないのが、余計にその小ささを際立たせている。その少し手前の河原には、大きな塔があった。目的地をその塔に定め、歩き出す。
「それにしても、本当に変な世界」
答える相手がいないと分かっていても、口に出さずにはいられなかった。先程の四季が混ざり合っていた森もそうだが、今歩いている河原もそうだ。灰色に見えていた岸には、石が大量に転がっている。けれど、それは一つ一つが灰色になっているのではなく、白と黒の石が混ざり合っていた。そのために、遠くからだと灰色に見えたようだ。のどが渇いたこともあって川へと近付いたのだが、そもそもこの川の水が飲めるのかどうかを知らない。パッと見た感じは綺麗なのだが、用心するに越したことは無い。森は小さく、泉を探してみたが見つからなかったために川の方へと来たのだが、仕方なくそのまま河原を歩いていく。すると、河原に小さな塔がいくつかあるのに気付いた。膝くらいまでの高さしかない小さなものから、身長よりも少し高い大きめのものまで。そして大きな塔ほど、使われている石は黒いものが多く、全体的に暗い印象を与えていた。
腰のあたりまでの高さの塔を小さいもの、それ以上の高さの塔を大きいものとして数えてみると、小さな塔が十五個、大きな塔が十一個だった。
「……これは特大として一個に数えるか」
目印としていた塔のすぐ下まで来てみると、その塔がどれほど大きいかが分かる。目線の高さまでは黒い石しかなく、上へ行くごとに使われている白い石の割合が増えていく。
「黒い石の方が硬いのかな?」
試しに、下に落ちている黒い石を右手に、白い石を左手に持ってみる。そしてそのまま両者をぶつけてみた。だが、どちらにも変化は無い。思いっきり地面にたたきつけても見たが、カンッとやけに軽い音を立てて跳ねるばかりで、何も変わらない。
どうにかして黒い石の方が硬いことを確かめられないかと悩んでいると、頭上から声が降ってきた。
「おい! そこで何してんだ」
見上げると、塔の上部に人影。喋り方や声からして男だろうが、そいつはまだ何かを言いながら地上へと降りてきた。その速度はとても速く、あっという間に男は目の前へとやって来た。
(……言葉の壁、無し)
文句の言葉は全て聞き取ることが出来る。少なくとも目の前の男は自分と同じ言語を使用するということが分かったので、少し安心した。
男の説教を要約すると、この辺りにある石は、男が塔を作るために運んできた積み上げやすそうな石ばかりであり、それを勝手にいじってどこかへ飛ばすという行為に腹を立てたようだ。
「とにかく、石はすっげー大事なんだよ! 分かるな?」
「ごめんなさい」
とりあえず、事を荒立てるのは得策ではない。頭を下げると、少しだけ相手の怒りも収まったようだった。
「お前、見ない顔だな。村から来たんじゃねぇだろ? どこからだ?」
「……さあ?」
相手が苛立ったのが伝わってきたが、こう答えるしかない。事情を説明したところで、目の前の男は納得しないだろう。だから、相手が何かを言う前に話題を変える。
「名前は」
「は?」
「あなたの名前。呼ぶときに困るから」
まだ何か文句を言おうとしたようだったが、諦めたらしい。ため息をついて、男は名乗った。
「サイ」
「……そう。私はナナヤ」
「ナナヤ? どんな字だよ」
「七つの夜」
ああ、と納得する男を見て、この世界でも漢字が通用することを知った。
サイにも漢字を問うが、分からないとのこと。ここが「賽の河原」と呼ばれているために「サイ」と名乗っているだけであり、他の事は何も思い出せないそうだ。河原の呼称も、倒れていたサイを介抱した村人に聞いて知ったとのこと。ただ、動けるようになってからしばらくして、気付いたら塔を作っていたのだという。名乗り合っただけだったが、少し話しているうちに打ち解けた。
「食事とかは? 寝る場所は?」
「全部あそこの村。素性が知れない謎の男ってことで警戒されてたけど、一心不乱に塔を作り続ける俺を見て安心したんだろうな。食料の差し入れとか、色々世話を焼いてくれる」
危害を加えない、という点では安心してもよいのだろうが、謎の塔を黙々と作る男に対し、そう易々と警戒を解いても大丈夫なのだろうか。とりあえず、平和な世界なのだろう。
「一回、服が破れてさ。これ見よがしに干しておいてみたら、何も言わずに持っていかれて、直して干しなおしてあった」
「それは……すごく心の広い村人みたいだね」
「流石に、俺も引いた。一緒に新しい服も置いてあってさ。この国の危機管理が大丈夫なのか、不安になった瞬間だな」
その言葉に、七夜は少し引っかかる。危機管理が大丈夫なのかという心配は、比較対象があるからこそ浮かぶ不安だ。この世界しか知らなければ、そのような疑問は持たない。だが、サイ本人が気付いていないようなので、黙っておく。忘れた、と言いながらも心のどこかに「元の記憶」が残っているのだろう。
休憩時間だから、と言って河原にある大きめの石に腰かけたサイは、七夜に様々なことを聞いた。どこから来たのか、という最初の問いを繰り返し、次いで家族構成。そして、今後どうするのか。
七夜はそれらに対して曖昧に答え、サイに尋ねる。今後、どうするのが一番良いのか。それ位は自分で考えろと言いつつ、サイは空を見上げながら考えているようだった。
真剣に考え込んでいるサイを見て、七夜はため息をつく。
(彼――いや、コレが「敵」か)
真剣に考えてどのような結論を示すにせよ、七夜の取る行動は一つだけ。
塔の破壊と「サイ」の捕獲だけだった。
「……ここ、どこよ」
昨日は普段通りの一日を過ごしたはずだ。朝から目覚まし時計にたたき起こされ、慌てて準備をして職場へ。あくびをかみ殺しながら様々な情報の入力作業を行い、帰宅。バラエティ番組を見て大笑いしてから客に対して行ったアンケート結果の確認作業。途中で睡魔に襲われ、就寝。そして、またいつも通りの一日を繰り返すはずだった。それなのに。
(目覚めたらそこは異世界でした、なんて、どれだけベタな小説のストーリーなわけ?)
前日までは平凡な生活を送っていた主人公が、ふとした瞬間に異世界へと迷い込む。ありきたりな前提条件で、その後のストーリーは書き手によって様々だ。その世界を救う勇者となるか、見ず知らずの美形に助けられて恋に落ちるか、元の世界へ帰ろうとしていたら実は異世界の住人だったとか。
どのような結末を迎えるにせよ、どのような道筋をたどるかは物語の主人公それぞれであり、これまでに読んだ小説は参考になりそうにない。ただ、希望としては「勇者様だー」と崇め称えられるような世界であってほしくない。勇者様と呼ばれたところで、戦う術を持っていないのだ。元いた世界では、五歳下の妹に腕相撲で負けるほど、力がない。剣道なんてやったこともないし、柔道や空手も同様。
(こんなことになるなら、防犯教室を真面目に受けとくんだった)
どれだけ通用するのかは分からないが、敵に捕まった時に逃げられる可能性は上がっただろうから。
じっとしていても仕方がない。とりあえず、ここがどのような世界なのかを探らなければ、身を守れない。旅行者に親切な国だとしたら、この先の生活の希望は見える。この場所の美しさからしてありえないが、万が一ここが戦争中の国なら未来は暗い。
(それ以前に、言葉が通じるのかどうかが分からないなぁ)
大概は、ご都合主義で言葉の壁にぶち当たらない。この「話」もそうであってほしいと願った。
とりあえず、セミから逃げたい。
そう思って桜並木を抜け出すと、遠くに小さな村が見えた。そのすぐ横を大きな川が通っており、大雨が降ればすぐに被害を受けてしまいそうな小さな村。周囲に何もないのが、余計にその小ささを際立たせている。その少し手前の河原には、大きな塔があった。目的地をその塔に定め、歩き出す。
「それにしても、本当に変な世界」
答える相手がいないと分かっていても、口に出さずにはいられなかった。先程の四季が混ざり合っていた森もそうだが、今歩いている河原もそうだ。灰色に見えていた岸には、石が大量に転がっている。けれど、それは一つ一つが灰色になっているのではなく、白と黒の石が混ざり合っていた。そのために、遠くからだと灰色に見えたようだ。のどが渇いたこともあって川へと近付いたのだが、そもそもこの川の水が飲めるのかどうかを知らない。パッと見た感じは綺麗なのだが、用心するに越したことは無い。森は小さく、泉を探してみたが見つからなかったために川の方へと来たのだが、仕方なくそのまま河原を歩いていく。すると、河原に小さな塔がいくつかあるのに気付いた。膝くらいまでの高さしかない小さなものから、身長よりも少し高い大きめのものまで。そして大きな塔ほど、使われている石は黒いものが多く、全体的に暗い印象を与えていた。
腰のあたりまでの高さの塔を小さいもの、それ以上の高さの塔を大きいものとして数えてみると、小さな塔が十五個、大きな塔が十一個だった。
「……これは特大として一個に数えるか」
目印としていた塔のすぐ下まで来てみると、その塔がどれほど大きいかが分かる。目線の高さまでは黒い石しかなく、上へ行くごとに使われている白い石の割合が増えていく。
「黒い石の方が硬いのかな?」
試しに、下に落ちている黒い石を右手に、白い石を左手に持ってみる。そしてそのまま両者をぶつけてみた。だが、どちらにも変化は無い。思いっきり地面にたたきつけても見たが、カンッとやけに軽い音を立てて跳ねるばかりで、何も変わらない。
どうにかして黒い石の方が硬いことを確かめられないかと悩んでいると、頭上から声が降ってきた。
「おい! そこで何してんだ」
見上げると、塔の上部に人影。喋り方や声からして男だろうが、そいつはまだ何かを言いながら地上へと降りてきた。その速度はとても速く、あっという間に男は目の前へとやって来た。
(……言葉の壁、無し)
文句の言葉は全て聞き取ることが出来る。少なくとも目の前の男は自分と同じ言語を使用するということが分かったので、少し安心した。
男の説教を要約すると、この辺りにある石は、男が塔を作るために運んできた積み上げやすそうな石ばかりであり、それを勝手にいじってどこかへ飛ばすという行為に腹を立てたようだ。
「とにかく、石はすっげー大事なんだよ! 分かるな?」
「ごめんなさい」
とりあえず、事を荒立てるのは得策ではない。頭を下げると、少しだけ相手の怒りも収まったようだった。
「お前、見ない顔だな。村から来たんじゃねぇだろ? どこからだ?」
「……さあ?」
相手が苛立ったのが伝わってきたが、こう答えるしかない。事情を説明したところで、目の前の男は納得しないだろう。だから、相手が何かを言う前に話題を変える。
「名前は」
「は?」
「あなたの名前。呼ぶときに困るから」
まだ何か文句を言おうとしたようだったが、諦めたらしい。ため息をついて、男は名乗った。
「サイ」
「……そう。私はナナヤ」
「ナナヤ? どんな字だよ」
「七つの夜」
ああ、と納得する男を見て、この世界でも漢字が通用することを知った。
サイにも漢字を問うが、分からないとのこと。ここが「賽の河原」と呼ばれているために「サイ」と名乗っているだけであり、他の事は何も思い出せないそうだ。河原の呼称も、倒れていたサイを介抱した村人に聞いて知ったとのこと。ただ、動けるようになってからしばらくして、気付いたら塔を作っていたのだという。名乗り合っただけだったが、少し話しているうちに打ち解けた。
「食事とかは? 寝る場所は?」
「全部あそこの村。素性が知れない謎の男ってことで警戒されてたけど、一心不乱に塔を作り続ける俺を見て安心したんだろうな。食料の差し入れとか、色々世話を焼いてくれる」
危害を加えない、という点では安心してもよいのだろうが、謎の塔を黙々と作る男に対し、そう易々と警戒を解いても大丈夫なのだろうか。とりあえず、平和な世界なのだろう。
「一回、服が破れてさ。これ見よがしに干しておいてみたら、何も言わずに持っていかれて、直して干しなおしてあった」
「それは……すごく心の広い村人みたいだね」
「流石に、俺も引いた。一緒に新しい服も置いてあってさ。この国の危機管理が大丈夫なのか、不安になった瞬間だな」
その言葉に、七夜は少し引っかかる。危機管理が大丈夫なのかという心配は、比較対象があるからこそ浮かぶ不安だ。この世界しか知らなければ、そのような疑問は持たない。だが、サイ本人が気付いていないようなので、黙っておく。忘れた、と言いながらも心のどこかに「元の記憶」が残っているのだろう。
休憩時間だから、と言って河原にある大きめの石に腰かけたサイは、七夜に様々なことを聞いた。どこから来たのか、という最初の問いを繰り返し、次いで家族構成。そして、今後どうするのか。
七夜はそれらに対して曖昧に答え、サイに尋ねる。今後、どうするのが一番良いのか。それ位は自分で考えろと言いつつ、サイは空を見上げながら考えているようだった。
真剣に考え込んでいるサイを見て、七夜はため息をつく。
(彼――いや、コレが「敵」か)
真剣に考えてどのような結論を示すにせよ、七夜の取る行動は一つだけ。
塔の破壊と「サイ」の捕獲だけだった。
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