Re;Birth
外部からやって来る敵との戦いは、一体いつから行われているのかを知るものはいない。いつ始まり、いつ終わるのかなど、誰にも分からない。けれど、彼らは戦い続けるのだ。自らの居場所を守るために。自らの居場所を得るために。
◇ ◆ ◇
「被害の確認はどうなっている!」
「西で五十以上、南東でおよそ三十だということ以外、報告されていません。他の地域とは連絡が取れない状態です」
「クソッ!」
忌々しげに悪態をつくのはアクタ――土谷の指揮を執ることになった青年だ。戦死した父の後任として選ばれた彼だが、彼の率いる隊は負傷者も少なく、任務の成功率も高い。血筋など関係なく、実力で勝ち取った座である。
「最近は無かったから、油断していたな」
「被害者の多くが消えてしまい、対策法がほとんどわからないというのは辛いですね」
「まあ、魔神による被害は鹿士や入草にも大きいはずだ。俺たちとは違い、余所者は何が起こったのか理解できていないはず」
「……動けるメンバーで突撃しますか?」
「いや、向こうも今は状況の把握で忙しく、攻めてはこないだろう。負傷者の手当てに力を注げ」
この土地に住み続けている土谷一族は、外部から侵略してきている鹿士一族や入草一族と戦っている。彼らも恐れるべき対象だが、天災には及ばない。それ以上に人災が恐ろしく、最も恐れているのは神災だ。
魔神、と呼ばれる『怪物』は、どの一族にとっても天敵だ。ただし、土谷一族は昔から何度も経験しているために、ある程度の覚悟はできている。被害者の多くが消えてしまうために対策法が分からないのは事実だが、他の一族よりも早く復興できるのは大きな利点である。
「ところでグレイ。家族は無事か? 確か、西に家があっただろ」
アクタの幼なじみであるグレイは、幼い頃に母親を亡くし、父親、妹と共に暮らしていた。今は父親が西で任務を行うことが多いため、西に家を借りている。
アクタの問いに、グレイの表情は曇った。
「ええ。妹は無事でしたが、鹿士の動きを監視していた父は……」
そこまで聞けば、十分だった。
「今日は早く帰ってやれ」
「ですが」
「いいから」
一度は断りかけたものの、やはり妹の身は心配なようで、一礼したグレイは早足で部屋を出て行った。
◇ ◆ ◇
西とは言うものの、中央からは一日もあれば行ける距離である。グレイはアクタの厚意に甘え、妹であるリートの元へと来ていた。被害状況の確認は、グレイの父がグレイに報告するのが慣例となっていた。今回は代わりにリートがグレイへ報告したが、その際、気になる情報があった。それもあり、グレイはいつも以上に急いだ。
父の死を知るものたちは、グレイの姿を見ると目をそらす。何と声を掛ければよいのか、分からないのだろう。グレイとしても、それはありがたかった。誰とも会話をしなかったおかげで、いつもより早く家へと着いた。扉を開けてまず飛び込んできたのは、いすに座っているリートの姿だった。普通ならばここで慰めの言葉を掛けるべきなのだろうが、今回はそれ以上に確認するべきことがあった。
「これが、鹿士の?」
無言でうなずくリート。奥のベッド――父であるクラウの使っていたそこには、一人の少年が寝かされている。一族ごとに服装は違うのだが、目の前の少年の服装は鹿士に近い。
「まあ、父上らしいといえば父上らしいけど」
「不謹慎だけど、他の皆も消えてくれていて本当によかった」
魔神に襲われたとき、クラウは他の隊員と共に鹿士の監視を行っていた。勿論、逃げようとしただろう。だが、消えてしまった。そして、鹿士一族と思われる少年だけが残っていた。
ここからは二人の憶測だが、クラウは少年を助けたのではないだろうか。魔神に襲われた際の避難場所はいくつかあるが、配置場所から考えるとクラウは最も近く、助かる可能性が高かった。それにも関わらず助からなかったのだが、避難場所の近くには鹿士と思われる少年が、クラウの首飾りを握って倒れていた。引きちぎられたようだが、もし乱闘になっていたのなら、仲間が気付いて援護するだろうから、この少年は殺されているだろう。それよりも、魔神から逃げる際にクラウがこの少年を見つけ、助けたのだという方が納得できる。魔神最大の特徴は、強風だ。飛ばされたクラウを助けようと、少年がとっさに首飾りをつかんだものの、強風のせいで切れてしまった、というのはあり得る話だ。この地は土谷と鹿士の境界。幼い子供なら、誤って入り込んでしまっていてもおかしくはない。
ここで問題となるのは、鹿士一族のものを助けた、ということだ。少年が鹿士だと気付いていたとしても、気付いていなかったとしても、敵一族を助けたというのは大罪。誰かに見られていたら、もう終わりだった。第一発見者はリートであり、連れ帰る際も誰かに見られたということは無いとのことなので、あとは少年が目覚め次第、鹿士にこっそり返したら問題解決だ。
「……そのまま置いて帰ればよかったのに」
そうすれば、今こうやって二人して頭を悩ませる必要もなかったのに。言外にそう言えば、リートは困ったように笑う。
「だって、父上が助けたのかもしれない命。あのまま置いて帰れば、誰かに見つかって殺されてしまうわ。私には、それが耐えられなかった」
そう言われると、それ以上は強く言えない。グレイはリートの肩に手を回すと、そっと抱きしめた。このまま、誰にも見つからずに終わることを願いながら。
◇ ◆ ◇
魔神襲来からしばらくたち、少年は目を覚ました。だが、ナズキと名乗った彼は、帰ろうとする気配がない。妹の精神状態が不安定だから、と本部に連絡をしてグレイは仕事を休んでいるが、いつまでもつかわからない。だが、大事な妹を、幼いとはいえ敵一族の男と家に残すのは不安なのだ。
「いい加減、帰ってください」
「いやだ」
「見つかって困るのは、僕たちなんですけど」
「俺だってそうだよ」
「じゃあ、鹿士に帰ってください」
「絶対にいや」
互いの間に火花が散っていそうな雰囲気だが、リートは笑って眺めている。このやり取りは、何度繰り返したかわからない。今までの様子から、まだ止めなくても大丈夫だろう。
「あなたがいるせいで、リートは外出もできないんです。かわいそうだとは思いませんか?」
「そっちが勝手に精神病ってことにしたんだろ? 俺のせいじゃない」
「精神病ではなく、精神が不安定になっているだけです!」
「一緒じゃん」
「ちーがーいーまーすー」
「……うわ、むかつく」
そろそろ止めたほうがいいだろう。そう思ったリートは口を開く。
「兄上、大人気ないわ。ナズキ君も、意地にならないで」
「別に、意地になんか」
「なってるんです」
男二人は黙る。静かに言われているのだが、逆にそれが怖いのだ。だが、少ししてからナズキはつぶやく。
「でもさー、ホントに邪魔だと思ってるんなら、俺のことを上に報告すりゃいいじゃん」
「それは……」
「にも関わらず世話をしてくれるって、いい人たちだよね」
その時の表情は大人びており、グレイもリートも口をつぐむ。だが、すぐにナズキはそれまでの表情に戻った。先程以上にいたずらっ子のような表情となっているのは、気のせいではないはずだ。
「あのさ、二人とも俺のこと何歳だと思ってる?」
「十五、六」
「十二、三」
多めに見積もったのがリート、少なめに見積もったのがグレイである。その答えに満足したのか、ナズキは大きくうなずく。
「だよね。普通はそうだよね」
普通は?
「グレイ、入草一族の特徴は?」
突然何を言い出すのだろう、この少年は。というか、僕のことは呼び捨てなのか。
そう思いながらも、律儀にグレイは答えを返す。
「極度の童顔、ですよね」
そこでピンときたのはリート。
「もしかして、鹿士に潜入していた入草、とか?」
ナズキの表情を見れば、それは肯定したも同然だ。なんとややこしいことか。グレイはため息を付いた。
「つまり、入草の代名詞である極度の童顔を活かして弱者を演じながら鹿士に潜り込んだけれど、見つかってしまったので逃げ出したらいつの間にか土谷へ来ていたと」
「よくできましたー」
まあ、なぜ鹿士に帰ろうとしないのかは分かった。こちらも敵陣だが、向こうも敵陣だ。どうせなら、世話をしてくれる方にいたい、ということだろう。
「でも、そんなこと教えてもいいんですか?」
「さあ」
「さあって、そんな」
童顔もそうだが、しゃべり方も彼を幼く見せている要因だろう。結局実年齢は分からないままだが、少しだけ彼のことを知ることはできた。それだけこちらを信用してくれた、ということだろうか。
「まあ、ある程度相手のことを知っていると、いざって時に殺しにくくなるでしょ?」
前言撤回。自らが生き残るための策だったようだ。だが、彼の言葉も事実。相手のことを知ってしまえば、いざという時に動きが鈍る。敵だからいつか殺さなければならない日が来るかもしれない。そう思いながらも、彼のことを知ることができて喜ぶ自分もいるのだった。
◇ ◆ ◇
「祭り?」
「ええ」
季節が変わり、気温が上がってからもナズキは帰ろうとしなかった。鹿士潜入が失敗した以上、入草に戻れば罰されるのは確実。それよりは土谷に残ったほうが懸命だと判断したようだ。捕虜として彼を拘束して報告すれば問題ないのだろうが、たった数日でも親しくした相手にそのような扱いをすることに抵抗がある。敵だ、と割り切っていたはずなのに、と自己嫌悪に陥りながらも、グレイは仕事に復帰した。敵一族だとばれて困るのはナズキなのだから、派手な動きも無いだろうと判断したグレイによって、家で留守を任されたリートとナズキだが、正直言って暇だ。そんな中でリートが話したのは、この時期に行われる祭りのことだった。
「この時期になると、私たち土谷にとっては天敵とも言えるGが暴れだすんです」
「それって、魔神とは違うの?」
「魔神は最近になって人間が作り出した存在。ですが、Gはもっと昔から存在し、私たちを襲ってきました」
年中無休の魔神とは違い、季節性の敵であるG。それでも、恐ろしい存在に変わりなく、いつしかGを神に据えた祭りが始まったのだという。いけにえを捧げ、それ以上の攻撃を止めてもらえないかと交渉する、というのが実態らしく、それは公然の秘密となっているらしい。
「とにかく、いけにえはくじ引きで決まります」
「……なんか、適当だね」
「あら、くじ引きはすばらしいものです。誰にでも公平で、文句が出ないんですから」
「はいはい、それで?」
「いえ、役人が回ってきて全員にくじを引かせるので、ナズキ君も引かなければならないのではないか、ということを思い出しまして」
「全員?」
「ええ、身分に関係なく。だから公平なんです。確か、二部隊を任されるほどの実力を持った隊長がいけにえに選ばれた年もあったらしいですね」
常に他の一族と戦っているというのに、実力のあるものがいなくなるのは大きな痛手だ。それでも、決まってしまえば拒否権は無い。
くじを持ってくる役人には、各家に何人いるのかというリストが渡されている。だが、今回は魔神襲来によって家を失ったものが他の家へ行っている場合も多いため、あまり役に立たないだろう。ナズキの存在がばれない、というのは大きな利点だが、彼にもいけにえとなる可能性が残っているというのは問題だ。リートにだってその可能性はあるが、彼女の場合は幼い頃からの覚悟がある。だが、ナズキはどうだ。今回初めて祭りの存在を知って、いけにえになるかもしれないという恐怖と向き合う。その心配が伝わったのか、ナズキはリートの手を握った。
「大丈夫、どこに行こうが見つかれば殺されるんだ。どうせなら、役に立って死にたいし、別に構わないよ」
「構わないって、そんな……」
だが、何を言えば良いのかは分からない。ナズキの言うことも事実だからだ。
そんな話をして数日後、祭りの役人が来てくじを引かされた。
そして、何の冗談だろうか。ナズキがいけにえとして選ばれた。
「何か、祀(まつ)りって感じ」
「祭りですけど」
「いや、うん。気にしないで」
初めて見るナズキとしては、「祭り」というよりも「祀り」だ。にぎやかに騒ぐというよりも、静かに、厳かな雰囲気の中で行われるもの。いけにえとして一族のものが差し出されるのだから、当然なのかもしれない。
「ところで、Gってどんなやつなの」
最後の祭りになるからと、いけにえ役にも自由時間が与えられている。だから、ナズキもグレイやリートと共に祭りに参加している。祭り、と言っても屋台があるわけではなく、願いを書いた紙をどんどん吊るしていくという、どこで間違ったのか、他の行事要素が混じったものだ。屋台があるわけでもなく、願いを書いた後は時間が来るまで三人で話していた。そして、ふと疑問に思ったナズキが問いかけたのが、Gとはどのような存在なのか。土谷にとっては天敵ともいえる存在だ、としか聞いていない。
「まあ、百聞は一見にしかず、ということで、実際に見るのを楽しみにしていてください」
「それって、自分が死ぬ直前じゃん」
「えっと……とにかく黒いの」
「黒い? それだけ?」
いけにえと長老以外は、Gをじっくりと見ることは無いらしく、二人も一瞬見ただけだとのこと。遠目に見た印象が、それだった。もっと詳しく、と思っても知らないのならば仕方がないと会話が途切れた時、時間になったと役員が迎えにきた。別れの言葉を言う時間もなく、ナズキは連れて行かれた。
区切られた小さな空間に連れて行かれた。奥の方に行くに従って暗くなっていてよく見えないが、何かがいるのは気配でわかる。どうしようかと思っているうちに、奥から声が聞こえた。
「お前が今年のいけにえか」
「他に誰がいるのさ」
表情は見えないものの、ナズキはGが笑ったような気がした。それも、面白くて、という笑いではない。馬鹿にして笑っているようだ。
「土谷のやつら、ついに他一族を身代りに寄越すようになったか」
「へぇ、分かるんだ」
「まあな。お前は入草だろ? なぜ祭りのいけにえになった」
「くじ引きで当たりを引いたから」
「くじ引き?」
「毎回いけにえはくじ引きなんだってさ。知らなかったわけ?」
「腹の中に入れば、そいつがどのように選ばれたのかなど関係ないだろう?」
「確かに」
Gと会話していて、恐怖は感じなかった。だが、Gとしてはそれが不思議だったようだ。
「お前は俺が怖くないのか」
「怖いさ。でも、怖いからって逃がしてくれないだろ?」
「当然だ」
「だったら、潔くいけにえとしての運命を受け入れるべきじゃないか。他のやつらはどうか知らないけど、少なくとも俺はそう思う。見つかれば殺されるんだし、どうせなら助けてもらった恩返しをして死にたい」
これは、ナズキの率直な思いだった。Gは笑い出したが、今度は馬鹿にしたのではなく、素直に面白いと感じたようだ。どこが面白かったのか、ナズキには理解できなかったが。
「面白い。お前に免じて、今回は土谷の意見を受け入れてやるか」
「今回はってことは、受け入れない時もあったんだね」
「お前は自分が飢えると分かっている条件を素直に飲むのか?」
「……いやだ」
「だろう? だから、いけにえを気に入れば、土谷以外のやつらで我慢するし、気に入らなかったら交渉決裂だな」
長老との会話より、いけにえとの会話が重視されているようだ。グレイやリートの話しぶりだと、土谷での認識は逆。教えることが出来たらいいのだが、叶わないだろう。
その時、何か大きな音がした。
直後、大地が激しく揺れる。
そして、白い霧。
「ゲホッ、何これ、スモーク? 煙幕? 聞いてないよ」
思い切り吸い込んでしまったナズキはせき込んだ。
「えっと、Gさん。これ、いつものことなの?」
Gに問いかけるが、返事はない。代わりに、苦しそうな息遣いが聞こえる。
「Gさん?」
明らかに様子がおかしい。近くに行こうとしたとき、近くでとても大きな音がした。そして――。
【あらやだ、まだ生きてるじゃない】
天からその声は聞こえてきた。見上げずとも分かる。それは、人災、或いは神災の前触れ。
【昨日掃除したのに、ほこりもこんなに溜まって……】
慌てて逃げようとしてももう遅い。すぐにとてつもなく大きな音と強風を伴い、魔神は暴れた。祭りに来ていたアクタもグレイもリートも、いけにえとして捧げられたナズキも、いけにえを食べようとしていたGも、彼ら以外の多くも、宙を舞って魔神の中へと消えていく。土谷も鹿士も入草も関係なく、魔神は吸い込む。
【ああもういやだ。もうゴキブリが出てくる時期なのね】
魔神の動きは止まった。
◇ ◆ ◇
外部よりやって来る敵との戦いは、一体いつから行われているのかを知るものはいない。いつ始まり、いつ終わるのかなど、誰にも分からない。けれど、彼らは戦い続けるのだ。自らの居場所を守るために。自らの居場所を得るために。
それは、どの家にも存在している、小さな彼らの大きな戦い。
◇ ◆ ◇
「被害の確認はどうなっている!」
「西で五十以上、南東でおよそ三十だということ以外、報告されていません。他の地域とは連絡が取れない状態です」
「クソッ!」
忌々しげに悪態をつくのはアクタ――土谷の指揮を執ることになった青年だ。戦死した父の後任として選ばれた彼だが、彼の率いる隊は負傷者も少なく、任務の成功率も高い。血筋など関係なく、実力で勝ち取った座である。
「最近は無かったから、油断していたな」
「被害者の多くが消えてしまい、対策法がほとんどわからないというのは辛いですね」
「まあ、魔神による被害は鹿士や入草にも大きいはずだ。俺たちとは違い、余所者は何が起こったのか理解できていないはず」
「……動けるメンバーで突撃しますか?」
「いや、向こうも今は状況の把握で忙しく、攻めてはこないだろう。負傷者の手当てに力を注げ」
この土地に住み続けている土谷一族は、外部から侵略してきている鹿士一族や入草一族と戦っている。彼らも恐れるべき対象だが、天災には及ばない。それ以上に人災が恐ろしく、最も恐れているのは神災だ。
魔神、と呼ばれる『怪物』は、どの一族にとっても天敵だ。ただし、土谷一族は昔から何度も経験しているために、ある程度の覚悟はできている。被害者の多くが消えてしまうために対策法が分からないのは事実だが、他の一族よりも早く復興できるのは大きな利点である。
「ところでグレイ。家族は無事か? 確か、西に家があっただろ」
アクタの幼なじみであるグレイは、幼い頃に母親を亡くし、父親、妹と共に暮らしていた。今は父親が西で任務を行うことが多いため、西に家を借りている。
アクタの問いに、グレイの表情は曇った。
「ええ。妹は無事でしたが、鹿士の動きを監視していた父は……」
そこまで聞けば、十分だった。
「今日は早く帰ってやれ」
「ですが」
「いいから」
一度は断りかけたものの、やはり妹の身は心配なようで、一礼したグレイは早足で部屋を出て行った。
◇ ◆ ◇
西とは言うものの、中央からは一日もあれば行ける距離である。グレイはアクタの厚意に甘え、妹であるリートの元へと来ていた。被害状況の確認は、グレイの父がグレイに報告するのが慣例となっていた。今回は代わりにリートがグレイへ報告したが、その際、気になる情報があった。それもあり、グレイはいつも以上に急いだ。
父の死を知るものたちは、グレイの姿を見ると目をそらす。何と声を掛ければよいのか、分からないのだろう。グレイとしても、それはありがたかった。誰とも会話をしなかったおかげで、いつもより早く家へと着いた。扉を開けてまず飛び込んできたのは、いすに座っているリートの姿だった。普通ならばここで慰めの言葉を掛けるべきなのだろうが、今回はそれ以上に確認するべきことがあった。
「これが、鹿士の?」
無言でうなずくリート。奥のベッド――父であるクラウの使っていたそこには、一人の少年が寝かされている。一族ごとに服装は違うのだが、目の前の少年の服装は鹿士に近い。
「まあ、父上らしいといえば父上らしいけど」
「不謹慎だけど、他の皆も消えてくれていて本当によかった」
魔神に襲われたとき、クラウは他の隊員と共に鹿士の監視を行っていた。勿論、逃げようとしただろう。だが、消えてしまった。そして、鹿士一族と思われる少年だけが残っていた。
ここからは二人の憶測だが、クラウは少年を助けたのではないだろうか。魔神に襲われた際の避難場所はいくつかあるが、配置場所から考えるとクラウは最も近く、助かる可能性が高かった。それにも関わらず助からなかったのだが、避難場所の近くには鹿士と思われる少年が、クラウの首飾りを握って倒れていた。引きちぎられたようだが、もし乱闘になっていたのなら、仲間が気付いて援護するだろうから、この少年は殺されているだろう。それよりも、魔神から逃げる際にクラウがこの少年を見つけ、助けたのだという方が納得できる。魔神最大の特徴は、強風だ。飛ばされたクラウを助けようと、少年がとっさに首飾りをつかんだものの、強風のせいで切れてしまった、というのはあり得る話だ。この地は土谷と鹿士の境界。幼い子供なら、誤って入り込んでしまっていてもおかしくはない。
ここで問題となるのは、鹿士一族のものを助けた、ということだ。少年が鹿士だと気付いていたとしても、気付いていなかったとしても、敵一族を助けたというのは大罪。誰かに見られていたら、もう終わりだった。第一発見者はリートであり、連れ帰る際も誰かに見られたということは無いとのことなので、あとは少年が目覚め次第、鹿士にこっそり返したら問題解決だ。
「……そのまま置いて帰ればよかったのに」
そうすれば、今こうやって二人して頭を悩ませる必要もなかったのに。言外にそう言えば、リートは困ったように笑う。
「だって、父上が助けたのかもしれない命。あのまま置いて帰れば、誰かに見つかって殺されてしまうわ。私には、それが耐えられなかった」
そう言われると、それ以上は強く言えない。グレイはリートの肩に手を回すと、そっと抱きしめた。このまま、誰にも見つからずに終わることを願いながら。
◇ ◆ ◇
魔神襲来からしばらくたち、少年は目を覚ました。だが、ナズキと名乗った彼は、帰ろうとする気配がない。妹の精神状態が不安定だから、と本部に連絡をしてグレイは仕事を休んでいるが、いつまでもつかわからない。だが、大事な妹を、幼いとはいえ敵一族の男と家に残すのは不安なのだ。
「いい加減、帰ってください」
「いやだ」
「見つかって困るのは、僕たちなんですけど」
「俺だってそうだよ」
「じゃあ、鹿士に帰ってください」
「絶対にいや」
互いの間に火花が散っていそうな雰囲気だが、リートは笑って眺めている。このやり取りは、何度繰り返したかわからない。今までの様子から、まだ止めなくても大丈夫だろう。
「あなたがいるせいで、リートは外出もできないんです。かわいそうだとは思いませんか?」
「そっちが勝手に精神病ってことにしたんだろ? 俺のせいじゃない」
「精神病ではなく、精神が不安定になっているだけです!」
「一緒じゃん」
「ちーがーいーまーすー」
「……うわ、むかつく」
そろそろ止めたほうがいいだろう。そう思ったリートは口を開く。
「兄上、大人気ないわ。ナズキ君も、意地にならないで」
「別に、意地になんか」
「なってるんです」
男二人は黙る。静かに言われているのだが、逆にそれが怖いのだ。だが、少ししてからナズキはつぶやく。
「でもさー、ホントに邪魔だと思ってるんなら、俺のことを上に報告すりゃいいじゃん」
「それは……」
「にも関わらず世話をしてくれるって、いい人たちだよね」
その時の表情は大人びており、グレイもリートも口をつぐむ。だが、すぐにナズキはそれまでの表情に戻った。先程以上にいたずらっ子のような表情となっているのは、気のせいではないはずだ。
「あのさ、二人とも俺のこと何歳だと思ってる?」
「十五、六」
「十二、三」
多めに見積もったのがリート、少なめに見積もったのがグレイである。その答えに満足したのか、ナズキは大きくうなずく。
「だよね。普通はそうだよね」
普通は?
「グレイ、入草一族の特徴は?」
突然何を言い出すのだろう、この少年は。というか、僕のことは呼び捨てなのか。
そう思いながらも、律儀にグレイは答えを返す。
「極度の童顔、ですよね」
そこでピンときたのはリート。
「もしかして、鹿士に潜入していた入草、とか?」
ナズキの表情を見れば、それは肯定したも同然だ。なんとややこしいことか。グレイはため息を付いた。
「つまり、入草の代名詞である極度の童顔を活かして弱者を演じながら鹿士に潜り込んだけれど、見つかってしまったので逃げ出したらいつの間にか土谷へ来ていたと」
「よくできましたー」
まあ、なぜ鹿士に帰ろうとしないのかは分かった。こちらも敵陣だが、向こうも敵陣だ。どうせなら、世話をしてくれる方にいたい、ということだろう。
「でも、そんなこと教えてもいいんですか?」
「さあ」
「さあって、そんな」
童顔もそうだが、しゃべり方も彼を幼く見せている要因だろう。結局実年齢は分からないままだが、少しだけ彼のことを知ることはできた。それだけこちらを信用してくれた、ということだろうか。
「まあ、ある程度相手のことを知っていると、いざって時に殺しにくくなるでしょ?」
前言撤回。自らが生き残るための策だったようだ。だが、彼の言葉も事実。相手のことを知ってしまえば、いざという時に動きが鈍る。敵だからいつか殺さなければならない日が来るかもしれない。そう思いながらも、彼のことを知ることができて喜ぶ自分もいるのだった。
◇ ◆ ◇
「祭り?」
「ええ」
季節が変わり、気温が上がってからもナズキは帰ろうとしなかった。鹿士潜入が失敗した以上、入草に戻れば罰されるのは確実。それよりは土谷に残ったほうが懸命だと判断したようだ。捕虜として彼を拘束して報告すれば問題ないのだろうが、たった数日でも親しくした相手にそのような扱いをすることに抵抗がある。敵だ、と割り切っていたはずなのに、と自己嫌悪に陥りながらも、グレイは仕事に復帰した。敵一族だとばれて困るのはナズキなのだから、派手な動きも無いだろうと判断したグレイによって、家で留守を任されたリートとナズキだが、正直言って暇だ。そんな中でリートが話したのは、この時期に行われる祭りのことだった。
「この時期になると、私たち土谷にとっては天敵とも言えるGが暴れだすんです」
「それって、魔神とは違うの?」
「魔神は最近になって人間が作り出した存在。ですが、Gはもっと昔から存在し、私たちを襲ってきました」
年中無休の魔神とは違い、季節性の敵であるG。それでも、恐ろしい存在に変わりなく、いつしかGを神に据えた祭りが始まったのだという。いけにえを捧げ、それ以上の攻撃を止めてもらえないかと交渉する、というのが実態らしく、それは公然の秘密となっているらしい。
「とにかく、いけにえはくじ引きで決まります」
「……なんか、適当だね」
「あら、くじ引きはすばらしいものです。誰にでも公平で、文句が出ないんですから」
「はいはい、それで?」
「いえ、役人が回ってきて全員にくじを引かせるので、ナズキ君も引かなければならないのではないか、ということを思い出しまして」
「全員?」
「ええ、身分に関係なく。だから公平なんです。確か、二部隊を任されるほどの実力を持った隊長がいけにえに選ばれた年もあったらしいですね」
常に他の一族と戦っているというのに、実力のあるものがいなくなるのは大きな痛手だ。それでも、決まってしまえば拒否権は無い。
くじを持ってくる役人には、各家に何人いるのかというリストが渡されている。だが、今回は魔神襲来によって家を失ったものが他の家へ行っている場合も多いため、あまり役に立たないだろう。ナズキの存在がばれない、というのは大きな利点だが、彼にもいけにえとなる可能性が残っているというのは問題だ。リートにだってその可能性はあるが、彼女の場合は幼い頃からの覚悟がある。だが、ナズキはどうだ。今回初めて祭りの存在を知って、いけにえになるかもしれないという恐怖と向き合う。その心配が伝わったのか、ナズキはリートの手を握った。
「大丈夫、どこに行こうが見つかれば殺されるんだ。どうせなら、役に立って死にたいし、別に構わないよ」
「構わないって、そんな……」
だが、何を言えば良いのかは分からない。ナズキの言うことも事実だからだ。
そんな話をして数日後、祭りの役人が来てくじを引かされた。
そして、何の冗談だろうか。ナズキがいけにえとして選ばれた。
「何か、祀(まつ)りって感じ」
「祭りですけど」
「いや、うん。気にしないで」
初めて見るナズキとしては、「祭り」というよりも「祀り」だ。にぎやかに騒ぐというよりも、静かに、厳かな雰囲気の中で行われるもの。いけにえとして一族のものが差し出されるのだから、当然なのかもしれない。
「ところで、Gってどんなやつなの」
最後の祭りになるからと、いけにえ役にも自由時間が与えられている。だから、ナズキもグレイやリートと共に祭りに参加している。祭り、と言っても屋台があるわけではなく、願いを書いた紙をどんどん吊るしていくという、どこで間違ったのか、他の行事要素が混じったものだ。屋台があるわけでもなく、願いを書いた後は時間が来るまで三人で話していた。そして、ふと疑問に思ったナズキが問いかけたのが、Gとはどのような存在なのか。土谷にとっては天敵ともいえる存在だ、としか聞いていない。
「まあ、百聞は一見にしかず、ということで、実際に見るのを楽しみにしていてください」
「それって、自分が死ぬ直前じゃん」
「えっと……とにかく黒いの」
「黒い? それだけ?」
いけにえと長老以外は、Gをじっくりと見ることは無いらしく、二人も一瞬見ただけだとのこと。遠目に見た印象が、それだった。もっと詳しく、と思っても知らないのならば仕方がないと会話が途切れた時、時間になったと役員が迎えにきた。別れの言葉を言う時間もなく、ナズキは連れて行かれた。
区切られた小さな空間に連れて行かれた。奥の方に行くに従って暗くなっていてよく見えないが、何かがいるのは気配でわかる。どうしようかと思っているうちに、奥から声が聞こえた。
「お前が今年のいけにえか」
「他に誰がいるのさ」
表情は見えないものの、ナズキはGが笑ったような気がした。それも、面白くて、という笑いではない。馬鹿にして笑っているようだ。
「土谷のやつら、ついに他一族を身代りに寄越すようになったか」
「へぇ、分かるんだ」
「まあな。お前は入草だろ? なぜ祭りのいけにえになった」
「くじ引きで当たりを引いたから」
「くじ引き?」
「毎回いけにえはくじ引きなんだってさ。知らなかったわけ?」
「腹の中に入れば、そいつがどのように選ばれたのかなど関係ないだろう?」
「確かに」
Gと会話していて、恐怖は感じなかった。だが、Gとしてはそれが不思議だったようだ。
「お前は俺が怖くないのか」
「怖いさ。でも、怖いからって逃がしてくれないだろ?」
「当然だ」
「だったら、潔くいけにえとしての運命を受け入れるべきじゃないか。他のやつらはどうか知らないけど、少なくとも俺はそう思う。見つかれば殺されるんだし、どうせなら助けてもらった恩返しをして死にたい」
これは、ナズキの率直な思いだった。Gは笑い出したが、今度は馬鹿にしたのではなく、素直に面白いと感じたようだ。どこが面白かったのか、ナズキには理解できなかったが。
「面白い。お前に免じて、今回は土谷の意見を受け入れてやるか」
「今回はってことは、受け入れない時もあったんだね」
「お前は自分が飢えると分かっている条件を素直に飲むのか?」
「……いやだ」
「だろう? だから、いけにえを気に入れば、土谷以外のやつらで我慢するし、気に入らなかったら交渉決裂だな」
長老との会話より、いけにえとの会話が重視されているようだ。グレイやリートの話しぶりだと、土谷での認識は逆。教えることが出来たらいいのだが、叶わないだろう。
その時、何か大きな音がした。
直後、大地が激しく揺れる。
そして、白い霧。
「ゲホッ、何これ、スモーク? 煙幕? 聞いてないよ」
思い切り吸い込んでしまったナズキはせき込んだ。
「えっと、Gさん。これ、いつものことなの?」
Gに問いかけるが、返事はない。代わりに、苦しそうな息遣いが聞こえる。
「Gさん?」
明らかに様子がおかしい。近くに行こうとしたとき、近くでとても大きな音がした。そして――。
【あらやだ、まだ生きてるじゃない】
天からその声は聞こえてきた。見上げずとも分かる。それは、人災、或いは神災の前触れ。
【昨日掃除したのに、ほこりもこんなに溜まって……】
慌てて逃げようとしてももう遅い。すぐにとてつもなく大きな音と強風を伴い、魔神は暴れた。祭りに来ていたアクタもグレイもリートも、いけにえとして捧げられたナズキも、いけにえを食べようとしていたGも、彼ら以外の多くも、宙を舞って魔神の中へと消えていく。土谷も鹿士も入草も関係なく、魔神は吸い込む。
【ああもういやだ。もうゴキブリが出てくる時期なのね】
魔神の動きは止まった。
◇ ◆ ◇
外部よりやって来る敵との戦いは、一体いつから行われているのかを知るものはいない。いつ始まり、いつ終わるのかなど、誰にも分からない。けれど、彼らは戦い続けるのだ。自らの居場所を守るために。自らの居場所を得るために。
それは、どの家にも存在している、小さな彼らの大きな戦い。
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