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おにごっこ

 祭り当日の朝、鈴は兄の着物を持ち出して陽のもとへやってきました。陽が今着ている着物では、みすぼらしすぎて祭りでは浮いてしまいます。家族に見られたらすぐに知られてしまいますが、村人相手なら兄の着物だとはわからないでしょう。背丈もそう変わらないので、陽が着ても違和感はありませんでした。
「変じゃない?」
「大丈夫よ。さあ、行きましょう」
 二人は手をつないで村への道を歩みます。
 村へ近づくにつれて木々の数は減り、道幅は少しずつ広くなっていきました。そして、徐々に太鼓や笛の音が大きくなっていきます。陽は知らず知らずのうちに鈴の手をぎゅっと握りしめていました。初めて大勢の人の前に出るのです。実際には大勢、とは言えないような人数でしたが、それでも森から出たことのなかった陽からすれば大勢でした。
 そんな陽の小さな恐怖心に気付いたのか、鈴は握りしめてくる陽の手を握り返しました。少しでも、陽が心強く思ってくれることを願って。
 村につけば、恐怖心よりも好奇心が強くなったようです。道の両側に並ぶ屋台。家々をつなぐように吊るされている沢山の提灯。陽は「あれは何?」「これは何?」と鈴に質問を繰り返し、その度に鈴は丁寧に答えていきました。
「あの白いふわふわしたものは何?」
「綿菓子よ。とてもおいしいの。食べる?」
 とてもおいしい、と聞いて余計に興味がわいたのか、目をそらさずに陽は頷きます。鈴は小さく笑って綿菓子を売っている屋台へと向かいました。
「おじさん、綿菓子を二つ頂戴」
「はいよ。あっちにいるのはお友達かい?」
「そうよ。隣の村から遊びに来たの」
 ほら、陽は鬼じゃない。私たちと同じ人間だわ。
 鈴は心の中でそう思いました。だって、森から出たのに誰も騒ぎ出さない。それは、人間に溶け込めているということを意味しています。人間に溶け込めているということは、陽は鬼などではありません。それがとても嬉しくて、鈴は笑って綿菓子を受け取りました。
 陽に一つを渡して一緒に食べ始めると、食べにくいのか陽は口元に綿菓子をつけて「べたべたする」と呟きます。鈴は口元を拭ってやりながら、食べ方の助言をしてやりました。少しずつ食べればつきにくいと言えば、陽は素直に少しずつ食べ始めます。幸せそうな陽を見て、鈴は彼を祭りに連れてきて良かったと思いました。

 楽しい祭りの時間も終わりに近付き、最も重要な儀式が残るのみとなりました。鈴も手伝っていた、村の神社で祀っている神への捧げものです。
「鈴は行かなくてもいいの?」
「多分、大丈夫」
 けれど、二人のそばへと一人の大人――鈴の母がやってきます。初めは気付いていなかった二人でしたが、鈴が気付き、陽も気が付きます。近付いてくる母に、鈴は焦りました。陽が着ているのは兄の着物。きっと気付かれてしまいます。それは、陽も同じでした。

 手伝いをしてもらおうと鈴を捜していた母でしたが、誰かと一緒にいる娘を見つけます。きっと、最近出来たと言っていた友達でしょう。ところが、振り返ったその顔を見た瞬間、血の気がスッと引くようなめまいを覚えました。

 どうして、ここに――

 振り返った瞬間、陽は近付いてきた大人の顔色が変わったことに気付きました。そして、彼女に腕をつかまれたとき、諦めました。あぁ、森の外へ出てきたことがばれてしまった。
「……二人とも、こちらへ」
 陽の腕をつかんだまま、神社の裏へと向かう母の後を、下を向いて鈴はついていきます。陽が罰されないように祈りながら。
 祭りの主軸である儀式が始まれば、皆は神社へと集まってきます。けれど、それは儀式の行われる神社の正面のみ。裏には誰も来ないでしょう。
「どうしてあなたがここにいるのです。森から出てはならないと言いつけていたでしょう」
「だって、祭りに来てみたかったんです」
 そう答えた後で、陽は気付きます。
「あなたが僕を森へ連れて行ったの?」
 無言であることを肯定と受け取り、陽は続けます。
「ねぇ、どうして僕は森にいたの? どうして出てはいけなかったの?」
「鈴」
 陽の問いには答えず、鈴を呼びます。
「彼と共に過ごし、何か違和感はありませんでしたか」
「違和感?」
 鈴は、何か無かったかと記憶をたどります。しかし、何も無いように思われます。素直にそう言うと、母はため息をつきました。
「二人とも、手を出してみなさい」
 手を前に出した二人は、互いの手を見比べてみます。
「同じだよね」
「うん、同じ」
 小さな声で言う二人を、母はじっと見つめ、鈴に言いました。村の人々の手を思い出してみなさい、と。
「どうです? 同じですか?」
「んー、何か違う」
 それでも、それ以上は分かっていない鈴の様子にしびれを切らせたのか、母は答えを言いました。
「村の人々の手は指が五本、あなた達の手は指が六本でしょう」
 私もそうですが、と最後に付け足します。
「私達の先祖は、指が六本ありました。村人はそれを見て、神の使いとしてあがめたのです。だから、私達一族は村の神事を司るようになりました」
 しかし、と言って黙ってしまった母の手を、鈴はそっと握ります。陽もそれにならって手を握り、ついでにその指の数を数えてみました。本人も言っていたように、彼女の指の数と自分の指の数は、同じでした。
 二人の行動に気持ちが落ち着いたのか、深呼吸を挟んで再び話が始まります。
「しかし、一族の中にいつでも六本の指を持つ人間が生まれるのではありません。一代に一人、というのが常でした。そして、女で六本指の人間が生まれた時の方が、男よりも作物が多く取れたのです。だから、間引きが始まりました」
 貧しい親が、子供を育てることが出来ないからと赤ん坊のうちに殺してしまう行為。それが、信仰のために起こるようになったのです。六本指を持って生まれてきたのが女なら、大切に育てられる。けれど、もし男だったなら、一代に一人という慣習から、六本指の女のために場所を譲らなければならない。つまり、殺されなければならない。そんな風習が、一族の中で始まりました。
 もちろん、指が六本だからと言って、特別な力があるわけではありません。女だからと言って、男よりも優れているわけではありません。それでも、この村が出来たばかりの頃は、六本の指を持った女が生まれた代は、豊作が続きました。それは、信仰を作り出すには十分な偶然でした。
「六本指が生まれない代も、女なのに豊作にはならない代もありました。それは神が何らかの理由で怒っているのだと考えられ、祭りが盛大に行われるようになっていきました」
 陽はもちろん、鈴も自分の知らないその話にじっと耳を傾けます。
「そして、私の妹が六本指の子供を産みました」
 そう言ってじっと見つめる瞳を見て、陽はそれが自分のことだと悟りました。
「もちろん、一族内では早く殺して女が生まれるのを待とうという意見が多く上がりました。けれど、根拠のない信仰のために幼い命を奪うということには、反対の意見も上がっていたのです」
 そして、陽はしばらくの間生きていることを認められました。彼の生きている間に豊作の年が出れば、殺さずに済みます。女でなければならない、というのは嘘だという証拠になります。
 けれど、彼が七歳になるまで豊作の年はありませんでした。
 六歳の誕生日に、彼は本家へ――鈴の両親の元へ連れてこられました。そして、森へ連れていかれました。本家は幼い命を惜しみ、森には鬼が住んでいるという噂を流すことで、その森に捨てた六本指の子供を見られないようにしていました。親族には、殺したと伝えられました。
 陽が森で七歳の誕生日を迎える前に、鈴は生まれました。そして、その年は豊作となりました。信仰の正しさが証明されたと、親族は喜びました。
「それが間違いだということに気付きながら、私達には何も出来なかった。信仰が正しいと思い込んでしまった親族に真実を伝えたところで、どうしようも無かったのです」
 折角助けることのできた命を、殺されてしまうかもしれないと思ったから。最後にそう呟いて、話は終わりました。
 それからしばらくの間、三人は口を開かず、表で行われている儀式の音がよく聞こえてきました。鈴の音。笛の音。太鼓の音。これがよく聞こえてきていたんだな、と陽は思いました。一人で聞いていた音を、これほど近くで聞くことになるとは思っていませんでした。
 沈黙を破ったのは、鈴でした。
「ねぇ、本当に陽を連れて帰ることは出来ないの?」
「確かに、彼の両親は喜ぶかもしれない。それでも、親族は? 村人は? 突然現れた子供に、戸惑うでしょう。結局、屋敷内に閉じ込め続けることになるかもしれません」
 何か良い案が浮かぶことはなく、再び沈黙が訪れました。うつむいたまま、陽はぎゅっと手を握りしめました。
「僕は森に帰ります。本当のことを知ることが出来ただけでも良かった」
 自分が人間であるという証明、そして、両親に愛されていたのだという話が聞けただけでもよかったのだと、陽は自分を納得させようとしました。ずっと気になっていた祭りにも来ることが出来たのだし、もう満足だと。
 自分の本当の名前を聞いて帰ろう。
 陽がそう思って口を開いた時、鈴はあることを思いつきました。
「六本指で生まれた男は、森で神様になればいいじゃない。信仰が変えられないのなら、別の信仰を作ればいい。鬼の住む森だもの。捧げものとして捨てたことにして、こっそりと育てたらいい。女が生まれて、しかも豊作になった年に、神様として戻ってきたらいいんじゃないの? 豊作にならなかったのは鬼のせいだけれど、六本指の特別な捧げものだった子供が、その鬼を退治したんだって」
 女が生まれても豊作だったり、不作だったりしたのは鬼と戦っている最中だったから。豊作である限りは、男でも大切にしてもらえる。不作になったら、また鬼が現れたのだと言って森へ行けばいい。森へ行ったことにして、屋敷でかくまってもいい。とにかく、少しずつ男でも受け入れてもらえる環境を作っていこう。
 鈴はその思いを母に全てぶつけました。もちろん、自分の考えが穴だらけだということは自覚しています。それでも、性別が違うだけでここまで差が生まれてしまうこの現状が、いやでした。すぐに全てを変えることが出来なくても、どうにかしたいと願いました。
 娘の言葉を聞いて、母は少し悩みます。まだ甘い部分もありますが、彼女の言い分も正しいのです。そして、いつか、誰かが動き出さなければ、現状は変わらないということも自覚しています。
「……うまくいかなければ、あなたは殺されるかもしれない。それでも、協力してもらえますか?」
 これには、今代の「神様」の協力が必要です。けれど、うまくいくかどうかは分かりません。自由ではありませんが、このまま何もしなければ、確実に森で天寿をまっとう出来るでしょう。それを捨て、失敗すると殺されるかもしれない、自由を求める賭けにでるかどうか。全ては、それを陽が望むかどうかにかかっていました。

◇ ◆ ◇

 祭りが終わった頃、村全体にある噂が広まりました。

 村の近くの森には、恐ろしい鬼が住んでいる。その鬼が、村の作物に悪さをしていて、豊作になるのを邪魔してしまう。
 けれど、その鬼を退治するために、神様が鬼と戦っている。だから、森に近付いてはいけない。戦いの邪魔をしてはいけない。
 豊作の間は、鬼が傷ついていて動けない。だから、神様は村へ戻ってきて体を癒す。不作になると、再び森へと戻り、鬼と戦うのです。

 今は受け入れられなくても、長い年月をかけてこの噂が伝説へと変わればいい。そして、「神様」が村に受け入れられる日が来ればいい。

 子供を守るための嘘は、また一つ、嘘を重ねました。
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