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やほよろづ

 ――お前は、自分だけでも狩り出来るやろ?
 ――お前がおったら、俺らは飢えんで済むわ。
 そう言って羨ましいと笑った彼らが、本当は自分を疎ましく思っていたことを知っている。闇に紛れることの出来ない金毛。ふらりと出て行っては、喰い散らかして巣へ戻る日々。やがて、人々の間で「あの道は通るな」と囁かれるようになり、狩り場を変えざるを得なくなったこと、数回。
 ただ、外を歩くのが好きだった。誰かと歩くことが楽しかった。やがては迎えてしまう別れの瞬間が嫌で嫌で仕方がなくて、自分から離れていってしまう人を引き留めたくて、それで。
 気が付くと仲間はどこにもいなくなっていた。いつの間にか、血の匂いが無ければ安心して眠ることが出来なくなってしまっていた。彼らは、狩りでいつも血を浴びていたから。洗い流してもその身に染み付いてしまっているほど、濃い血の香り。爪弾きにされかけていたとはいえ、その中で眠っていた日々が忘れられなくて。
 やがて、人の姿を取ることが出来ると気が付いてからは、誰かと並んで歩くようになった。同じ言葉を喋ることが出来ると気が付いてからは、誰かと話して歩くようになった。
 初めは、素直に送り出すことが出来るのだ。けれど、自分から離れていく人の背を見ると、頭の中で声がする。
 ――お前がおったら。
 それが、疎ましく思う声なのか、飢えずに済むと利用するための声なのかなんて、分からない。どうでも良い。ただ一つだけ分かるのは、先程まで共にいた人間が自分から離れていってしまうということ。また、孤独な夜を過ごさなければならないということ。
「……なぁ、待って」
 あんたも、俺を置いてくの?
 そうなると、もう駄目なのだ。走り寄り、背後から押さえつけ、そして。
「はい、止まりや」
 首筋に噛み付こうとした瞬間に、身体が動かなくなる。強引に動かそうとしても、何かに押さえつけられているかのように、身動きが取れない。身体が、重い。それなのに、下で押さえつけられている筈の人間は、そんな重さを感じていないかのように、笑うのだ。とん、と身体を押される感覚がして、動けないまま、無様に横へと倒れ込む。
「えらい変わった毛色の奴やね」
 人に姿を変えても、紛れることの出来ない金毛。唯一自由に動かすことの出来る目で、この人間が何をするつもりなのかと、その一挙一動を睨む。
 地面に倒されたことで汚れてしまった衣服を叩いていた人間は、粗方の土ぼこりを払い終わると、すぐ横にしゃがみ込む。
「っ」
「ああ、堪忍な」
 悪い、なんて全く思っていないだろうその口振りに苛立つものの、どう足掻いたって動くことはできない。頭に手を伸ばしてこられたことで感じてしまった脅えを見抜かれてしまったことが恥ずかしく、喉の奥で唸る。
 それに対して形だけ怖がって見せた彼は、髪を弄っていた手をそのまま滑らせ、首へ。思いのほかひんやりとしている手に驚いているうちに、ぐっと力を込められた。
 息を吸えなくしたいのだろうけれど、無理な圧迫をされているせいで、苦しいというよりも、痛い。ああ、けれど、身体は動かせないまま。更に押し込むように体重をかけられたようで、一気に息苦しくなる。耳元に自分の心臓があるようで煩くて、視界が点滅して。
「……やっぱ、構造は人間と一緒なんやね」
 ふっと圧迫感が消え、突然入ってきた新鮮な空気に、上手く息が吸えない。何度か咳き込んで息を整える様子をじっと観察するような目を睨む。誤魔化すように笑いながら、彼は言う。
「変化した妖の身体の構造が気になっとってな。けど、神社の奴らは一応は神様やし、式神は下手すりゃ壊してまうやろ? せやけど、そう簡単に変化できる奴なんて見つからへんやん? とりあえず、息の吸い方とかは一緒なんやってことは分かったわ。ありがとうな」
 思考がうまく纏まらないなりにも、彼の言葉が本音でないことくらいは分かった。目が、笑っていない。
「この辺にな、送り狼が出るから何とかしてほしいって依頼やねん」
 唐突に説明されたけれど、考えたことは一つだけ。ああ、やっぱり彼は陰陽師なのか、と。
「で、お前がその送り狼なんやろ?」
 そこまで分かっているのならば、早く殺せばいいのに。そうすれば、もう。
 諦めてなのか、安心してなのかは自分でもわからないけれど、とにかく彼に任せたら楽に消えることができるだろう、と瞼を下した。首から離れてしまった手が寂しいのに、自由にならない身体ではどうすることも出来なくて。
 けれど、訪れたのは優しい衝撃。驚いて瞼を開けると、再び髪に手を伸ばしている彼と目が合って。
「人型になれるほどの強い力、気に入ったわ。俺の式に下らん?」
 何を言っているのだろうか、この人間は。
 素直な感想は、それだった。陰陽師ならば陰陽師らしく、人に害をなす妖を滅すれば良いのに。
「まあ、お前の意思に任せるけどな、このまま自由でおりたいんやったら祓ってまわんとあかんし、勿体ないからちょっと色々、確かめさせてや」
 絡んでいた視線が、一瞬だけ首元へとずらされる。それだけのことで理解してしまった。何を、したいのか。
(……まあ、ええか)
 生きている以上、痛い事、苦しい事は嫌なのだ。彼の式に下ればきっと、彼が己の欲を満たすために自分を傷つけにかかることは無いだろうし、何より、孤独な夜を過ごさずに済むようになるだろう。式として彼の傍に控えるのならばそれは当然のことだし、彼が自分から離れていく時はきっと、跡形もなく壊してくれるだろうから。
 諦めの色を浮かべた瞳に気が付いたのか、彼の目元がようやく笑う。ふっと軽くなった身体を、ゆっくりと動かしてみる。
「せやな……お前の名前は――」
 手招きをされ、腕を大きく広げられたものだから、本当に良いのかと悩みながらも、その胸に飛び込んでみる。背に回された腕は何故だかは分からないけれど安心できた。
 目前にある白い首筋に牙を立ててみたくて、軽く、本当に軽く、噛み付いてみる。何も言われないことに安心し、少しだけ、力を込めた。僅かな抵抗感を無視し、力を込め続ける。同じようにして彼から回されている腕の力も強くなっていることは分かっていたけれど、何も言わないから。つぷり、という感覚が歯から伝わる。同時に広がった血の味と、小さく跳ねた身体。それでも、彼は何も言わなくて。
 口を離すと、白かった首筋に赤色が滲んでいた。少しずつ流れていくそれが勿体ないような気がして、ゆっくりと舐めとっていく。疵口がすぐに塞がるはずもないから、繰り返し、繰り返し。何度か舐めているうちにようやく、彼は口を開いた。
「満足したか?」
 ええ加減にしてくれんと、くすぐったいわ。
 そう言って彼が笑っているような雰囲気が伝わってきてやっと、口を離す。普段ならば満足できない程度の僅かな香りだったけれど、もう、大丈夫だと思えた。
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