やほよろづ
疲れたな、と静かな部屋で一息ついていた伊達の耳に、廊下の板張りを踏むギシリという音が届く。あまり聞きたくはないその音が一つ――と、もう一つ。随分と軽い、小さな音。
何故音が二つ聞こえるのか、を考える前に障子が開けられる。動くのも面倒で目線だけそちらにやると、そこには見たくもなかった「取り立て屋」と、小さな子供。幼子はどうやら少しばかりの恐怖心があるらしく、男の後に隠れている。ただ好奇心も同時に持ち合わせているらしく、ほんの少しだけ顔を覗かせていた。
まずは説明しろ、という意味合いも込めて、子供を連れて現れた取り立て屋――榛葉に目をやる。すると、子供の頭にポンポンと手を置いて軽くたたいて見せながら、榛葉は告げた。
「この子な、榛葉やねん」
「……そか。えらい可愛いな」
「やろ?」
可愛い、というのは子供だから、というわけではなく、それが女だったからだ。長い時間を生きている伊達にとって、鬼の血が混ざっているとはいえ、人と近くなって人と同じような時間を生きる「榛葉」たちは皆が子供に見える。だから、榛葉が妻を連れてきても、同じようにして「可愛い」と表現しただろうが、それにしたって、連れてこられた子供は随分と小さかった。
子供は後回しでいいだろう。そう結論付け、伊達は身体を預けていた机の上に置いていた封筒を手に取る。そろそろ来る、と思って準備した翌日にいつも来るのだから、どこかに監視用の式神が隠れているのではないかと勘繰ってしまう。
渡された封筒の中から躊躇うことなく全ての札束を出した榛葉は、すっと壁際へ避ける。となると、背後に隠れるようにして立っていた榛葉――子供の方の榛葉の「盾」は無くなってしまい、彼女は一瞬だけ、縋るような目を彼女は父親へ向けた。だが、気が付いているはずなのにそれを無視して手元の札束から目を話そうとはしない父親。となると、彼女が取る行動は一つしかない。
固定されてしまった視線を感じつつ、気にしてない風を装って背を向けてみる。そういえば、調薬の途中だった。どこまで作業を終わらせたのか考えながら、机の上に広げた材料を眺めてみる。そもそも、何を作ろうとしていたのかも危うい。
材料と不足していた薬とを脳内で照らし合わせ、何とか思い出した。と、同時に背を襲った衝撃。衝撃、というには少々心許無い「攻撃」だったが、伊達が驚くには十分だ。振り返ると、足を中途半端に浮かせた子供榛葉と、一部始終を覗き見ていたらしい、父親榛葉の笑いをこらえる姿が目に入る。
「……何や」
「父さんが、蹴ったらええよって言っとったもん」
「榛葉」
名を呼ぶと、父親ではなく子供の方が反応した。ああ、何とややこしい名付け方をする一族だろう。お前やない、と子供に伝えると、伊達が見据える真似をしてか、父親の方をじっと見つめてみせる。純粋、かどうかはともかく、まだ割と可愛らしい反応を見せる子の子供が、将来的には性格の捻くれた取り立て屋へと成長していってしまうのかと思うと、少しばかり惜しい。
説明しろ、と目線だけで訴えてみると、笑いの波が落ち着いたらしい榛葉が口を開く。
「これから会う奴の気ぃ引きたかったら、自分が怪我するかそいつに怪我させるかしたらええよって言うただけや。でな、自分が怪我するんは痛いからイヤやろ? で、伊達は多分座っとるから、背中に蹴りいれたったらええよって、ま、ちょっとしたアドバイスや」
あどばいす! と舌足らずに繰り返す子供榛葉だが、一体、子供に何を教えているのだろうか。間違った認識を植え付けられてしまう前に、諭す。
「ええか。俺もな、知らん奴から痛いことされるんはイヤや」
「知っとるやろ? 私、榛葉」
「……そうやけどな、ちゃうんや。分かって」
ああ、そういえば壁際でニヤニヤと笑っている男とも、彼が幼い時に同じようなやり取りをしたな、なんて。
何故音が二つ聞こえるのか、を考える前に障子が開けられる。動くのも面倒で目線だけそちらにやると、そこには見たくもなかった「取り立て屋」と、小さな子供。幼子はどうやら少しばかりの恐怖心があるらしく、男の後に隠れている。ただ好奇心も同時に持ち合わせているらしく、ほんの少しだけ顔を覗かせていた。
まずは説明しろ、という意味合いも込めて、子供を連れて現れた取り立て屋――榛葉に目をやる。すると、子供の頭にポンポンと手を置いて軽くたたいて見せながら、榛葉は告げた。
「この子な、榛葉やねん」
「……そか。えらい可愛いな」
「やろ?」
可愛い、というのは子供だから、というわけではなく、それが女だったからだ。長い時間を生きている伊達にとって、鬼の血が混ざっているとはいえ、人と近くなって人と同じような時間を生きる「榛葉」たちは皆が子供に見える。だから、榛葉が妻を連れてきても、同じようにして「可愛い」と表現しただろうが、それにしたって、連れてこられた子供は随分と小さかった。
子供は後回しでいいだろう。そう結論付け、伊達は身体を預けていた机の上に置いていた封筒を手に取る。そろそろ来る、と思って準備した翌日にいつも来るのだから、どこかに監視用の式神が隠れているのではないかと勘繰ってしまう。
渡された封筒の中から躊躇うことなく全ての札束を出した榛葉は、すっと壁際へ避ける。となると、背後に隠れるようにして立っていた榛葉――子供の方の榛葉の「盾」は無くなってしまい、彼女は一瞬だけ、縋るような目を彼女は父親へ向けた。だが、気が付いているはずなのにそれを無視して手元の札束から目を話そうとはしない父親。となると、彼女が取る行動は一つしかない。
固定されてしまった視線を感じつつ、気にしてない風を装って背を向けてみる。そういえば、調薬の途中だった。どこまで作業を終わらせたのか考えながら、机の上に広げた材料を眺めてみる。そもそも、何を作ろうとしていたのかも危うい。
材料と不足していた薬とを脳内で照らし合わせ、何とか思い出した。と、同時に背を襲った衝撃。衝撃、というには少々心許無い「攻撃」だったが、伊達が驚くには十分だ。振り返ると、足を中途半端に浮かせた子供榛葉と、一部始終を覗き見ていたらしい、父親榛葉の笑いをこらえる姿が目に入る。
「……何や」
「父さんが、蹴ったらええよって言っとったもん」
「榛葉」
名を呼ぶと、父親ではなく子供の方が反応した。ああ、何とややこしい名付け方をする一族だろう。お前やない、と子供に伝えると、伊達が見据える真似をしてか、父親の方をじっと見つめてみせる。純粋、かどうかはともかく、まだ割と可愛らしい反応を見せる子の子供が、将来的には性格の捻くれた取り立て屋へと成長していってしまうのかと思うと、少しばかり惜しい。
説明しろ、と目線だけで訴えてみると、笑いの波が落ち着いたらしい榛葉が口を開く。
「これから会う奴の気ぃ引きたかったら、自分が怪我するかそいつに怪我させるかしたらええよって言うただけや。でな、自分が怪我するんは痛いからイヤやろ? で、伊達は多分座っとるから、背中に蹴りいれたったらええよって、ま、ちょっとしたアドバイスや」
あどばいす! と舌足らずに繰り返す子供榛葉だが、一体、子供に何を教えているのだろうか。間違った認識を植え付けられてしまう前に、諭す。
「ええか。俺もな、知らん奴から痛いことされるんはイヤや」
「知っとるやろ? 私、榛葉」
「……そうやけどな、ちゃうんや。分かって」
ああ、そういえば壁際でニヤニヤと笑っている男とも、彼が幼い時に同じようなやり取りをしたな、なんて。