このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

やほよろづ

 ――憎い、あの男が憎い。

 そう言い続けた私を、周囲の人間は持て余していたようだった。早く忘れてしまえ、あいつはその程度の男だったのだ、という慰めなど聞き飽きていた。そう口にするだけで、彼らは何もしなかった。同調する振りをして、同情する振りをして、その癖に、私が何か行動を起こそうとすると止めるのだ。
 波風を立てないことこそが美徳であるなどと、誰が決めたというのだろう。それを私に強いる権利が、一体誰にあるというのだろう。私が従わねばならぬ道理など、一体どこにあるのだろう。ただ、生き続けるためにはそれを飲み込まなければならなかった。若い女が一人で生き延びられるほどに、世界は優しくなかった。
 狭い世界の中で恨みを吐き続ける日々の中、誰が口にしたのかはとうの昔に忘れてしまったけれど。

 人を嫌う邪神の社。

 人によっては、悪神とも荒神とも表現していたけれど、誰もその神の名を知らず、どのような姿をしているのかも知らず、何を司る神なのかも知らなかった。社の場所すら誰も知らぬのだという。ただ、彼の神は人を嫌い、濁流を以て、土砂を以て、毒風を以て村々を荒らし、人々を喰らうのだと。恐れを抱いた祖先が山のどこかに社を建てたのだと。
 人を嫌う神であるのだから、もしかしたら願いが叶えてもらえるかもしれない、などというのは建前だったのだと思う。その神によって私が喰われてしまえば良いという思いがあったのだろうと今となっては思えるのだが、当時の私には浮かばぬものだった。
 ただ、その方法ならば周囲の人間が止めないと言ったから。
 その方法ならば願いが叶うかもしれないと聞いたから。
 だから私は社を探して山中を駆けまわったのだ。酷い有様だったのだろう。すれ違う人々が山姥だ、鬼女だなどと言って逃げ惑ったのだから。もう、他人の言葉など気にならなかった私には関係のないことだったのだけれど。ただただ、開放された恨みのままに駆けるのみだった。それが、とにかく心地よかった。
 駆けて、駆けて、ひたすらに駆けて。そして見つけたその社は、もはや社とは到底呼ぶことの出来ない代物となってしまっていた。元は、木の板で作られたものだったのだろう。しかし、雨風にさらされ続けた結果として腐敗し、穴が開いた部分、折れた部分がまず目に付く。支えることが出来なくなってしまったのか、屋根は崩れ落ちてしまっていて、本当に祀られていたのだとするならばそこに存在していたであろう「ご神体」が下敷きにされていそうだった。
 呆然と立ち尽くしていたものの、ようやく見つけることのできた「理解者」の身に起きた惨状にいてもたってもいられず、とにかく、何とかして「ご神体」を見つけ出さなければならないと手を伸ばした。そんな時に。
 ――触れるな。
 そう、声が聞こえたのだ。驚いてその姿を探すと、崩れ落ちた屋根の隙間からその身を伸ばす、白蛇。
「……貴方が?」
 頷くように、首を揺らす。平時の私だったならば受け入れることが出来なかったであろう人知を超えたその現象も、恨みを抱いたまま山中を駆けまわった後の疲弊した私にとってはとても神々しいものに思えたのだ。
「あての……あての願い、聞いてください……!」
 息を吐くような音しかその蛇神からは返ってこなかったけれど、それは説明を促すものであるような気がしたのだ。だから、全てを話した。出会った男に捨てられた、馬鹿な女の話。出会った女を裏切った、馬鹿な男の話。
 恨みを残さず吐き出して、それなのに、蛇神は何も返さなかった。それがどこか恐ろしくて、けれど、縋ることの出来る相手などもう他には存在しない気すらしていて。
 ――人ならざる者になる覚悟があるなら。
 そんな囁きに、頷いたのだ。例え鬼に身を堕とすのだとしても、それによって討たれるのだとしても、それが何だというのだろう。ただの人間でしかなかった馬鹿な女は、愛に生きようとし、そして死んだのだから。
6/11ページ
スキ