崩スタ
三無将軍が引退された後、新たな将軍が就いて幾分と過ぎた。カンパニーとの協力関係はますます強いものとなり、今日 の曜青および青丘軍の躍進には欠かせないパートナーとなっている。
最先端の技術に流行りのデザイン。そんな煌びやかものたちが溢れる中心街から離れたところに、三無将軍が隠居のために構えた家が隠れるように建っている。
三無将軍が引退したのは、持病のためだとか大怪我を負っただとか、そんなことではない。ただの、寿命である。
三無将軍は自分の死期を悟る直前まで戦場を駆け、多くの戦果を上げた。後任の将軍を指名してからは引退の手続きを迅速に進め、引継ぎを終えてからは従者を一人連れて早々に隠居してしまった。巷では次の将軍はあの烏羽怪人ではないかとも噂されたが、指名された現将軍は若く聡明な女性であった。
「おはようございます、飛霄様」
一人の従者が飛霄の寝室の扉を開け、そう声を掛けながら入って来る。物の少なくなった寝室のベッドの上で、飛霄はもう上体を起こして彼を待っていた。従者と目が合うと、ニッと嬉しそうに笑う。
「おはようモゼ」
およそ死を目前にしているとは思えない笑顔だった。しかしかつての彼女ならとっくにベッドを飛び出して、外をランニングしているような時間である。隠居してからというもの、身の回りの整理を終えた彼女はほとんどこのベッドから降りずにいる。
本来であれば寝たきりでもおかしくない状態の彼女は、それでも今日も、体を起こして従者を迎えた。驚くべき体力である。
「ほら、モゼ。顔をよく見せて」
飛霄がベッドから降りなくなってから続く毎朝のルーチン。従者──モゼは呼ばれるままにベッドへ寄り、請われるままに腰を曲げて顔を寄せる。モゼが体を支えるためにベッドに手をつくと、ギッと小さくベッドが鳴った。
モゼの両頬が、飛霄の白い両手で掬われる。かつて彼女の医士が最期の時によくやっていた仕草だ。唇が触れるのではないかと思うほどに寄せ合った顔は、彼女のふっと満足したような吐息とともに離れる。これも、先に最期を迎えた彼の仕草に似ていた。
昔の記憶。死期を悟って引退した医士──椒丘も、最期は傍に二人だけを残して終の棲家に篭っていた。モゼは仕事の合間に飛霄とともに足繫く通い、その日は椒丘と飛霄が顔を寄せ合っているのを部屋の隅でぼうっと見ていた。すると、ベッドの上の彼がすっとこちらを見るのだ。はちみつ色の両の目と視線がかちあうと、彼の唇が小さく「おいで」と動く。緩んでしまいそうな口元をムッと結んで近くまで行くと、待ちきれないとばかりに今度は飛霄が腕を引くのだ。まるで忘れないようにと何度も請われて、顔を寄せたあの短い日々。彼が死期を悟ってから眠りにつくまでは本当に早かったが、甘い夢のような数日間だった。
飛霄が椒丘と同じようにモゼを傍に呼び、満足したように解放されたのち。飛霄が居住まいを正してモゼを見上げて言った。
「前に話したこと、答えは出たかしら」
元の姿勢に戻ったモゼが、顔をぴくりと強張らせる。飛霄はそれに構わず、穏やかな口調で続けた。
「椒丘を見ていたでしょう、狐族は死期を悟ってからは早いのよ──これがあたしを殺す最後のチャンス」
いつの頃からだったかは忘れてしまった。モゼはもう長いこと、飛霄に刃を向けていない。しかし飛霄は、毎回律儀に約束のご褒美を渡し続けていた。
将軍暗殺という大罪を無かったことに出来る魔法のアイテム、巡鏑。モゼが集めたそれはもう百を超えて、自室の棚の奥に仕舞われている。
モゼは影護衛を始めてから早い段階で気づいていた。間違っているのが、どちらかということに。しかしそれを認められるほど大人ではなかった。それを認めれば、傍にいる理由が失われてしまうからである。
貯め込んだ褒美は膨らみ続け、とうとうその褒美を貰う機会すら失われた今、もう誤魔化しきれないところまで来てしまっていた。あれは、使われるべく渡されたものであるのに。
まるで親に怒られた子供のように、モゼは視線を足元へ外した。
「……あの頃の俺は、あまりに無知でした」
絞り出した言葉は弱々しく地面に落ちる。飛霄はそれを聞くと、自嘲するように目を伏せた。
「子供だもの、無理ないわ。あの時のあなたには紛れもない、大事な家族だった」
確かに、モゼのあの怨恨と殺意は本物であった。そしてモゼの暗殺と飛霄の鍛錬は、お互いの利となる契約のようなものでもあった。飛霄は持病故、いつかモゼに手を下されることを良しとしていたし、モゼもそれを薄々察していた。いつかそうして二人は終わるのだと、お互い思っていた。
二人はそれで成り立っていたが、しかし飛霄の持病はそれから完治し、モゼもまた暗殺をやめてしまった。すべてが丸く収まってしまったのである。
宙ぶらりんになってしまったあの時の復讐心。有耶無耶になった二人の勝負。目の前の飛霄は、あとは自然に死を待つのみ。狩人は、こんな終わり方を望まないのだ。
今は飛霄とモゼの二人。死体を処理してしまえば、あとはどうとでも言い訳が出来る。
モゼは暫くの沈黙のあと、一つの巡鏑をポケットから出して、飛霄の眼前に差し出した。今の飛霄はもう将軍でなく、罪を無かったことにするような権限は持ち合わせていない。しかしその律儀な姿に、飛霄は目を細める。これは儀式であり、二人で決めた約束なのだ。
「これで、お許しを頂きたい」
手のひらの上の小さな巡鏑の向こうで、モゼがいつになく真剣な顔をしている。飛霄はしばらく巡鏑の上でモゼと視線を交わしてから、ゆっくりと差し出されたそれを受け取った。
握り込んで大事そうに胸に当てると、飛霄は可笑しそうに笑う。
「いいわ、許しましょう」
それから巡鏑を枕の横にそっと置いて、飛霄は晴れたような笑顔でモゼを見上げた。
「モゼ。あたしを殺した後の話、覚えてるかしら」
それは二人の始まりの記憶。百年を超えるほど昔で、昨日のように思い出せる過去だ。飛霄を見下ろしたまま、モゼはゆっくりと頷いた。
「ええ──俺の、したいことをします」
飛霄はモゼの言葉を聞いて、満足したように笑う。直後、口元は笑っているが少し疲れたような顔をして、ベッドに身を投げ出すように倒れこんだ。柔らかなベッドが彼女の身を包み、今にもシーツに呑み込まれてしまいそうだった。
「何か言い遺すことは」
モゼはその場から微動だにせず、ただ無防備にベッドに沈み込む飛霄を見下ろしている。モゼのその言葉に、飛霄は視線を窓の向こうへ向けた。
モゼが立っている方と反対の壁には、大きな窓がひとつ。穏やかな青空に、薄い雲が浮いていた。窓枠に縁取られた空の中を、鳥が一羽、端から端へ飛んでゆく。
飛霄はその鳥を見送ったあと、モゼの方へゆっくりと視線を戻した。それはとても穏やかな顔をしていて、ただ慈しむものを見る目をしていた。空の色をしたそれが微笑む。
「あなたが、平坦な道を歩めますように」
***
数日経って、のち。 現将軍の元に、先代将軍の訃報がもたらされた。烏のように黒い先代の従者が、それを淡々と報せた。
先代の言伝通り、死後の処理は従者がすぐに済ませ、遺骨の安置場所も彼に一任されている。対して民たちに向けた葬儀は現将軍に一任されており、訃報が届いた今、近いうちに大々的に執り行われることだろう。
事務的な報告を終えた従者は、無駄話は無用とばかりにさっさと一礼して踵を返す。今にも幽霊のように消えてしまいそうな彼を呼んで引き止めた現将軍は、最後に彼に問うた。
──彼女の最期はどのようなものだった?
フードを目深に被ったまま、振り返った従者は淡々と答える。
「穏やかな最期でした」
直後、彼は空気に溶けるようにして消えた。
それから、曜青で烏の姿を見た者はいない。
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【蛇足】
モゼは最後の最後に飛霄を殺すのか問題。
どちらのルートも通れる想定です。
「これで、お許しを頂きたい」
→勘違いしてた上に有耶無耶にしててごめん、復讐の話はナシで
→約束通りあなたを殺して、この先好きに生きるよ
最先端の技術に流行りのデザイン。そんな煌びやかものたちが溢れる中心街から離れたところに、三無将軍が隠居のために構えた家が隠れるように建っている。
三無将軍が引退したのは、持病のためだとか大怪我を負っただとか、そんなことではない。ただの、寿命である。
三無将軍は自分の死期を悟る直前まで戦場を駆け、多くの戦果を上げた。後任の将軍を指名してからは引退の手続きを迅速に進め、引継ぎを終えてからは従者を一人連れて早々に隠居してしまった。巷では次の将軍はあの烏羽怪人ではないかとも噂されたが、指名された現将軍は若く聡明な女性であった。
「おはようございます、飛霄様」
一人の従者が飛霄の寝室の扉を開け、そう声を掛けながら入って来る。物の少なくなった寝室のベッドの上で、飛霄はもう上体を起こして彼を待っていた。従者と目が合うと、ニッと嬉しそうに笑う。
「おはようモゼ」
およそ死を目前にしているとは思えない笑顔だった。しかしかつての彼女ならとっくにベッドを飛び出して、外をランニングしているような時間である。隠居してからというもの、身の回りの整理を終えた彼女はほとんどこのベッドから降りずにいる。
本来であれば寝たきりでもおかしくない状態の彼女は、それでも今日も、体を起こして従者を迎えた。驚くべき体力である。
「ほら、モゼ。顔をよく見せて」
飛霄がベッドから降りなくなってから続く毎朝のルーチン。従者──モゼは呼ばれるままにベッドへ寄り、請われるままに腰を曲げて顔を寄せる。モゼが体を支えるためにベッドに手をつくと、ギッと小さくベッドが鳴った。
モゼの両頬が、飛霄の白い両手で掬われる。かつて彼女の医士が最期の時によくやっていた仕草だ。唇が触れるのではないかと思うほどに寄せ合った顔は、彼女のふっと満足したような吐息とともに離れる。これも、先に最期を迎えた彼の仕草に似ていた。
昔の記憶。死期を悟って引退した医士──椒丘も、最期は傍に二人だけを残して終の棲家に篭っていた。モゼは仕事の合間に飛霄とともに足繫く通い、その日は椒丘と飛霄が顔を寄せ合っているのを部屋の隅でぼうっと見ていた。すると、ベッドの上の彼がすっとこちらを見るのだ。はちみつ色の両の目と視線がかちあうと、彼の唇が小さく「おいで」と動く。緩んでしまいそうな口元をムッと結んで近くまで行くと、待ちきれないとばかりに今度は飛霄が腕を引くのだ。まるで忘れないようにと何度も請われて、顔を寄せたあの短い日々。彼が死期を悟ってから眠りにつくまでは本当に早かったが、甘い夢のような数日間だった。
飛霄が椒丘と同じようにモゼを傍に呼び、満足したように解放されたのち。飛霄が居住まいを正してモゼを見上げて言った。
「前に話したこと、答えは出たかしら」
元の姿勢に戻ったモゼが、顔をぴくりと強張らせる。飛霄はそれに構わず、穏やかな口調で続けた。
「椒丘を見ていたでしょう、狐族は死期を悟ってからは早いのよ──これがあたしを殺す最後のチャンス」
いつの頃からだったかは忘れてしまった。モゼはもう長いこと、飛霄に刃を向けていない。しかし飛霄は、毎回律儀に約束のご褒美を渡し続けていた。
将軍暗殺という大罪を無かったことに出来る魔法のアイテム、巡鏑。モゼが集めたそれはもう百を超えて、自室の棚の奥に仕舞われている。
モゼは影護衛を始めてから早い段階で気づいていた。間違っているのが、どちらかということに。しかしそれを認められるほど大人ではなかった。それを認めれば、傍にいる理由が失われてしまうからである。
貯め込んだ褒美は膨らみ続け、とうとうその褒美を貰う機会すら失われた今、もう誤魔化しきれないところまで来てしまっていた。あれは、使われるべく渡されたものであるのに。
まるで親に怒られた子供のように、モゼは視線を足元へ外した。
「……あの頃の俺は、あまりに無知でした」
絞り出した言葉は弱々しく地面に落ちる。飛霄はそれを聞くと、自嘲するように目を伏せた。
「子供だもの、無理ないわ。あの時のあなたには紛れもない、大事な家族だった」
確かに、モゼのあの怨恨と殺意は本物であった。そしてモゼの暗殺と飛霄の鍛錬は、お互いの利となる契約のようなものでもあった。飛霄は持病故、いつかモゼに手を下されることを良しとしていたし、モゼもそれを薄々察していた。いつかそうして二人は終わるのだと、お互い思っていた。
二人はそれで成り立っていたが、しかし飛霄の持病はそれから完治し、モゼもまた暗殺をやめてしまった。すべてが丸く収まってしまったのである。
宙ぶらりんになってしまったあの時の復讐心。有耶無耶になった二人の勝負。目の前の飛霄は、あとは自然に死を待つのみ。狩人は、こんな終わり方を望まないのだ。
今は飛霄とモゼの二人。死体を処理してしまえば、あとはどうとでも言い訳が出来る。
モゼは暫くの沈黙のあと、一つの巡鏑をポケットから出して、飛霄の眼前に差し出した。今の飛霄はもう将軍でなく、罪を無かったことにするような権限は持ち合わせていない。しかしその律儀な姿に、飛霄は目を細める。これは儀式であり、二人で決めた約束なのだ。
「これで、お許しを頂きたい」
手のひらの上の小さな巡鏑の向こうで、モゼがいつになく真剣な顔をしている。飛霄はしばらく巡鏑の上でモゼと視線を交わしてから、ゆっくりと差し出されたそれを受け取った。
握り込んで大事そうに胸に当てると、飛霄は可笑しそうに笑う。
「いいわ、許しましょう」
それから巡鏑を枕の横にそっと置いて、飛霄は晴れたような笑顔でモゼを見上げた。
「モゼ。あたしを殺した後の話、覚えてるかしら」
それは二人の始まりの記憶。百年を超えるほど昔で、昨日のように思い出せる過去だ。飛霄を見下ろしたまま、モゼはゆっくりと頷いた。
「ええ──俺の、したいことをします」
飛霄はモゼの言葉を聞いて、満足したように笑う。直後、口元は笑っているが少し疲れたような顔をして、ベッドに身を投げ出すように倒れこんだ。柔らかなベッドが彼女の身を包み、今にもシーツに呑み込まれてしまいそうだった。
「何か言い遺すことは」
モゼはその場から微動だにせず、ただ無防備にベッドに沈み込む飛霄を見下ろしている。モゼのその言葉に、飛霄は視線を窓の向こうへ向けた。
モゼが立っている方と反対の壁には、大きな窓がひとつ。穏やかな青空に、薄い雲が浮いていた。窓枠に縁取られた空の中を、鳥が一羽、端から端へ飛んでゆく。
飛霄はその鳥を見送ったあと、モゼの方へゆっくりと視線を戻した。それはとても穏やかな顔をしていて、ただ慈しむものを見る目をしていた。空の色をしたそれが微笑む。
「あなたが、平坦な道を歩めますように」
***
数日経って、のち。 現将軍の元に、先代将軍の訃報がもたらされた。烏のように黒い先代の従者が、それを淡々と報せた。
先代の言伝通り、死後の処理は従者がすぐに済ませ、遺骨の安置場所も彼に一任されている。対して民たちに向けた葬儀は現将軍に一任されており、訃報が届いた今、近いうちに大々的に執り行われることだろう。
事務的な報告を終えた従者は、無駄話は無用とばかりにさっさと一礼して踵を返す。今にも幽霊のように消えてしまいそうな彼を呼んで引き止めた現将軍は、最後に彼に問うた。
──彼女の最期はどのようなものだった?
フードを目深に被ったまま、振り返った従者は淡々と答える。
「穏やかな最期でした」
直後、彼は空気に溶けるようにして消えた。
それから、曜青で烏の姿を見た者はいない。
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【蛇足】
モゼは最後の最後に飛霄を殺すのか問題。
どちらのルートも通れる想定です。
「これで、お許しを頂きたい」
→勘違いしてた上に有耶無耶にしててごめん、復讐の話はナシで
→約束通りあなたを殺して、この先好きに生きるよ
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