Inferno
名前を変える
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段取りの確認が一段落し、名取はくれ縁の隅に腰を下ろした。深く息を吐くと、どっと疲れが押し寄せてくる。
怨霊に狙われることになった事実。そして、ずっと忌避してきた的場静司と手を組むことになった状況。
それらにこんなにも精神を削られるのなら、いっそのこと素直に咲耶を頼ってみようか。共に怨霊を祓うのではなく、ただの依頼人としてお祓いを請えば、あの人なら受けてくれる気がした。
そこまで考えて、すぐに首を振る。
もしもそうだとしても、危険に巻き込んでしまうことには変わり無い。
やはり、これが最善なのだ。
もう何度目になるか分からない溜め息をついた時、日差しが雲に遮られ、辺りが薄暗くなった。
ざわ、と、嫌な風が吹く。
「的場!」
術師の誰かが、急き立てるような声でどこかにいる的場を呼んだ。
立ち上がり、庭の中程を見ると、そこにゆらと炎が揺れた。
黒く、重く、じりじりと灼くるような瘴気と、むせ返る程の炎の匂い。ついに、執着心は形となって外へ現れるようになっていた。
炎の中から姿を見せたのは、あの怨霊。振り乱した髪は逆立ち、吊り上がった目は血の如く赤く、長く伸びた爪は文字通り鉤爪のようで。
怨霊というよりも鬼のようだと思ったが、咲耶のもとにいる東雲と早天とは、似ても似つかない。
影やもやのようだったこれまでとは違い、怨霊の輪郭ははっきりとした線を表していて、完全なる怨霊となったことを示している。
『……友よ、ようやく見付けた。教えてくれ、何故私を裏切った……教えてくれ…………教えてくれ……』
声を発するたびに木々がざわざわと揺れ、さまよう視線はゆっくりと名取の姿を捉えた。
その瞳に生気など皆無であるのに、真っ赤な色が人の鼓動を連想させる。
屍人であるのに生きているような、これが怨霊なのかと思った時、名取の首筋を恐怖という名の冷たい指が撫でていった。
「名取」
不意に、的場の声がした。
「名取、こちらへ」
怨霊のいる場所とは反対の方向から、的場が呼んでいる。あの足元には、怨霊を迎え討つための陣がある。
あそこまで行かなければ。
「……柊、本調子ではないのにすまないな」
呼べば、どろんと目の前に現れる華奢な後ろ姿。
「行ってください、主様」
その言葉に背中を押され、一気に駆け出す。
すぐに、背後で空気が大きく動く気配がした。
「うわあ!」
「ぎゃあ!」
人か妖か判別できない悲鳴と、何かが倒れたり壊れたりする音が聞こえる。
柊は無事か確かめたい気持ちはある。しかし、振り返ることはすなわち死ぬことを意味していると、本能で感じ取っていた。
唐突に、すぐ近くでばきんと不気味な音がした。
『……友よ、どこへ行こうというのだ』
頭上から聞こえた声に顔を上げれば、口の端を吊り上げた怨霊と、その口に咥えられた妖の首と目が合う。
怨霊の口に咥えられていた妖————それは、あの日まだ不完全体だった怨霊を蛇の如き体で締め上げ、追い払った的場の式だった。
的場の式を喰らう程の強さ。
諦めが名取の心を掠め、駆ける脚に力が入らなくなる。そして、みっともなく倒れれば、眼前に鉤爪の右手が迫った。
ここで終わるのか。
強烈な絶望の気配に、強く目を瞑る。
「…………名取、無様ですね」
すぐそこに終わりが見えるのに、一向に襲ってこない最期。そっと目を開けると、怨霊の手を弓で押し返している的場の後ろ姿があった。
「強くならないと何も護れないと、いつか忠告した記憶がありますが」
表情は見えないが、いつもと同じ不敵な笑みを浮かべているであろうことが分かる。
的場の言う、いつかの記憶が甦った。
あの時思い描いた理想の自分、祓い人としての自分に、近付けていると思ったのはただの幻想だったか。
「うるせえよ…………」
強さも、正しさも、まだ足りない。
『おのれ……二度も邪魔をするか…………!』
一旦的場から離れた怨霊だが、すぐにまた襲い掛かってきた。
この距離では、的場が弓を引くことが出来ない。
名取はすぐに文言を唱えるが、怨霊の手は的場の首を掴もうとしている。間に合わない。
「そこまでにしなさい」
鮮烈に、澱んだ空気を引き裂くような声がした。
怨霊の動きが、ぴたと止まる。
その声の主を瞬時に理解した名取は、急激な安堵感にふううと深く息を吐いた。
的場を含め、全員の目が声のした方向を向く。
「もうやめなさい。それ以上不徳を重ねては、行き着く先は本当に外道しか無くなってしまうわよ」
祓い人達の視線の先には、光を纏って立つ美しい人————神崎咲耶がいる。
咲耶は、真っ直ぐに怨霊だけを見つめていた。
『お前は……いつぞや垣間見た神官だな……。我を鎮めに来たか……?神官だろうと、小娘如きに邪魔はさせぬ……!』
標的を名取から咲耶へ変えた怨霊は、強い瘴気と共に炎の玉を放つ。
声を荒らげる姿など一度も見せたことのない的場が、鬼気迫る声で彼女の名を叫んだ。
しかし、それはあっという間の出来事だった。
怨霊に狙われることになった事実。そして、ずっと忌避してきた的場静司と手を組むことになった状況。
それらにこんなにも精神を削られるのなら、いっそのこと素直に咲耶を頼ってみようか。共に怨霊を祓うのではなく、ただの依頼人としてお祓いを請えば、あの人なら受けてくれる気がした。
そこまで考えて、すぐに首を振る。
もしもそうだとしても、危険に巻き込んでしまうことには変わり無い。
やはり、これが最善なのだ。
もう何度目になるか分からない溜め息をついた時、日差しが雲に遮られ、辺りが薄暗くなった。
ざわ、と、嫌な風が吹く。
「的場!」
術師の誰かが、急き立てるような声でどこかにいる的場を呼んだ。
立ち上がり、庭の中程を見ると、そこにゆらと炎が揺れた。
黒く、重く、じりじりと灼くるような瘴気と、むせ返る程の炎の匂い。ついに、執着心は形となって外へ現れるようになっていた。
炎の中から姿を見せたのは、あの怨霊。振り乱した髪は逆立ち、吊り上がった目は血の如く赤く、長く伸びた爪は文字通り鉤爪のようで。
怨霊というよりも鬼のようだと思ったが、咲耶のもとにいる東雲と早天とは、似ても似つかない。
影やもやのようだったこれまでとは違い、怨霊の輪郭ははっきりとした線を表していて、完全なる怨霊となったことを示している。
『……友よ、ようやく見付けた。教えてくれ、何故私を裏切った……教えてくれ…………教えてくれ……』
声を発するたびに木々がざわざわと揺れ、さまよう視線はゆっくりと名取の姿を捉えた。
その瞳に生気など皆無であるのに、真っ赤な色が人の鼓動を連想させる。
屍人であるのに生きているような、これが怨霊なのかと思った時、名取の首筋を恐怖という名の冷たい指が撫でていった。
「名取」
不意に、的場の声がした。
「名取、こちらへ」
怨霊のいる場所とは反対の方向から、的場が呼んでいる。あの足元には、怨霊を迎え討つための陣がある。
あそこまで行かなければ。
「……柊、本調子ではないのにすまないな」
呼べば、どろんと目の前に現れる華奢な後ろ姿。
「行ってください、主様」
その言葉に背中を押され、一気に駆け出す。
すぐに、背後で空気が大きく動く気配がした。
「うわあ!」
「ぎゃあ!」
人か妖か判別できない悲鳴と、何かが倒れたり壊れたりする音が聞こえる。
柊は無事か確かめたい気持ちはある。しかし、振り返ることはすなわち死ぬことを意味していると、本能で感じ取っていた。
唐突に、すぐ近くでばきんと不気味な音がした。
『……友よ、どこへ行こうというのだ』
頭上から聞こえた声に顔を上げれば、口の端を吊り上げた怨霊と、その口に咥えられた妖の首と目が合う。
怨霊の口に咥えられていた妖————それは、あの日まだ不完全体だった怨霊を蛇の如き体で締め上げ、追い払った的場の式だった。
的場の式を喰らう程の強さ。
諦めが名取の心を掠め、駆ける脚に力が入らなくなる。そして、みっともなく倒れれば、眼前に鉤爪の右手が迫った。
ここで終わるのか。
強烈な絶望の気配に、強く目を瞑る。
「…………名取、無様ですね」
すぐそこに終わりが見えるのに、一向に襲ってこない最期。そっと目を開けると、怨霊の手を弓で押し返している的場の後ろ姿があった。
「強くならないと何も護れないと、いつか忠告した記憶がありますが」
表情は見えないが、いつもと同じ不敵な笑みを浮かべているであろうことが分かる。
的場の言う、いつかの記憶が甦った。
あの時思い描いた理想の自分、祓い人としての自分に、近付けていると思ったのはただの幻想だったか。
「うるせえよ…………」
強さも、正しさも、まだ足りない。
『おのれ……二度も邪魔をするか…………!』
一旦的場から離れた怨霊だが、すぐにまた襲い掛かってきた。
この距離では、的場が弓を引くことが出来ない。
名取はすぐに文言を唱えるが、怨霊の手は的場の首を掴もうとしている。間に合わない。
「そこまでにしなさい」
鮮烈に、澱んだ空気を引き裂くような声がした。
怨霊の動きが、ぴたと止まる。
その声の主を瞬時に理解した名取は、急激な安堵感にふううと深く息を吐いた。
的場を含め、全員の目が声のした方向を向く。
「もうやめなさい。それ以上不徳を重ねては、行き着く先は本当に外道しか無くなってしまうわよ」
祓い人達の視線の先には、光を纏って立つ美しい人————神崎咲耶がいる。
咲耶は、真っ直ぐに怨霊だけを見つめていた。
『お前は……いつぞや垣間見た神官だな……。我を鎮めに来たか……?神官だろうと、小娘如きに邪魔はさせぬ……!』
標的を名取から咲耶へ変えた怨霊は、強い瘴気と共に炎の玉を放つ。
声を荒らげる姿など一度も見せたことのない的場が、鬼気迫る声で彼女の名を叫んだ。
しかし、それはあっという間の出来事だった。
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