想い
この世界のバレンタインデーは、血に染まっている。今からちょうど3年前のこの日、この世の誰もが恐怖した、ユニウスセブンでのテロ事件——あの日の衝撃を、私は鮮明に覚えている。あの日から、世界はまるで変わってしまった。拮抗していた国や勢力同士が争いを始め、人々は混乱の渦に飲み込まれた。それでも、自分の思いを伝えることは、悪いことではないと、そう思っていたのに——
議長の執務室へと向かういつもの足取りに、今日は少しだけ色が添えられていた。議長が好きだと言う紫色の、ちょっと大人な雰囲気の包み紙。中には私が昨日手作りしたチョコが入っていて、議長に渡したくて持ってきた。彼はビターなものを好むだろうと思って、わざわざカカオ75%のチョコを取り寄せて、軍宿舎の調理場を借りて作ってみた。溶かして固めただけでも、この気持ちを受け取ってもらえればと思った。それなのに。
「議長……?」
部屋の扉を開けると、議長の後ろ姿があった。最初は彼が何をしているのか、すぐにはわからなかった。それは、この私にはとても見当もつかないことだったからだ。
彼が手を伸ばす先には、カラフルな包み紙がいくつも並べられていた。今日の追悼演説の後、移動の車に乗る前に、大勢のファンから渡されたチョコレートや贈り物たちだ。そしてそれらが議長の手によって、とある場所へと、次々に落とされていく。議長、あなたは一体何をしているの?そこは……
「ゴミ箱……?」
議長の手は動き続けている。机の上からゴミ箱へと、一つ一つ、冷徹に、まるで人々からの想いを振り払うかのように。
「どうして……?」
わからなかった。どうして彼がそんなことをしているのか。とても信じられない光景だった。確かに議長は冷徹で、どこか人を信用せず、遠ざけるような態度を示す。それでも、市民の想いのこもった一つ一つの贈り物を、まるで一切の興味もないように淡々と捨てる光景は、私にはとても理解できなかった。
私はたまらずその場から逃げた。一体どこへ行こうというのか、もはやわからないままに、とにかくその場から逃げたかった。議長に渡すはずの包みをくしゃりと持ったまま、一心不乱に、遠くへ、遠くへと。
たどり着いたのはビルの外に広がる庭園だった。コロニーの人工的な青い空と、どこかから聞こえる鳥の声。庭園の隅にあるベンチに座り込み、包みをキュッと抱きしめる。
「議長はきっと……私なんか……」
その言葉が口から出た瞬間、胸が痛み、涙が溢れた。私は議長に何を期待していたのだろう。こんなものを渡して、一体彼に、何を言ってもらいたかったのだろう。そう思うと、余計に涙が止まらなくなった。
「私……そんなに……議長にとって、なんでもない存在なんだ……」
きっと議長にとっては、他人なんてどうでもよくて、想いも願いも、愛さえも不必要なもので。議長の世界には甘さなんてない。ただ計画さえ進めばそれでいい。議長と出会って約10ヶ月……彼はそういう人なのだと、最初からわかっていたはすなのに。
「こんなことで泣いてしまうなんて、私、子供みたい……」
そうだ。議長はきっと、自分なんかよりも大人っぽくて、しっかりしてて、強い人が好きなんだろう。私なんて、議長のそばに立つ資格どころか、素養すらないかもしれない。そう思うと、余計に涙が止まらない。
「私なんて……」
その時、後ろから足音がコツンコツンと響いた。誰かが来る。こんなところで泣いてる姿を見られたら、とてもじゃないけど恥ずかしくてたまらない。デュランダル議長の護衛官として、しっかりしていなきゃいけないのに。
それでも私は動くことができない。ポロポロと零れた涙は制服を伝い、胸に抱きしめている包みを濡らした。議長に渡すはずのものに涙で染みを作ってしまった。でも、今更のことだ。こんなもの、作らなければよかった。
背後に響く足音がゆっくりと近づいて、そしてピタリと止まる。私のすぐ後ろに誰かがいる。こんなところに来るなんて、私を笑いにきたの?
でも、その時だった。
「アーヤ」
優しくて、温かい声が響く。低くて、穏やかで、どんな人よりも安心させてくれる声。私がずっと求めていた、何よりも大好きな声。
「議長……?」
「アーヤ、君が泣く必要はないよ」
「でも、でも……!」
振り返った瞬間、議長の大きな手が私を包み込む。そのまま抱きしめられて、私の全てが彼の胸の中に収まる。じんわりと温かくて、不思議と心地よい。
「驚かせてしまってすまないね。だが、私は、君の想いを無駄にはしないよ」
「でも、さっき……捨ててた……だから、私も、捨てられるのかなって……思って……」
「アーヤ、私が君からのものを捨てる理由は、どこにもない」
議長は私の髪を優しく撫でてから、そのままその手を私の頬に当てて、親指で涙を拭う。その仕草があまりにも優しくて、力強くて、どうしようもなく大好きで。
「あれらを捨てるのは、他人を警戒してのことだ。評議会議長として、ね」
「でも、私なんて、こんなことで泣いちゃって……子供っぽくて、こんなの……」
「君のその純粋さが、私の力になっていることを、君はもっとよく知るべきだ、アーヤ」
その瞬間、私の中で何か、温かいものが広がった気がした。議長の言葉が私の全てを溶かしていくような気がして、全てを預けてもいいんだって、そんな気がして——
すると議長が、私の腕の中にあった包みを不意に手に取る。そしてその場でリボンを解いて、箱を開けて、少し微笑んでから、チョコレートを口に運んだ。少しもためらうことなく、ゆっくりと口の中で溶かすように。
「うん……美味しい」
そしてもう一度、私の髪を撫でながら微笑む。
「可愛らしいものを、ありがとう」
その言葉と微笑みに、私は胸の底から安心することができた。議長に想いが伝わった、それだけで私は幸せになれた。議長が私を受け入れてくれた、それだけで夢が叶ったみたいだ。
私が頬を赤くして微笑むと、議長も安心したかのように目を細める。ああ、さっきまでの私は、どうして泣いていたんだろう?その理由さえわからなくなるほどに、議長の微笑みは私にとっての全てなのだと、私は心から思うことができた。そして議長だって、きっと同じ気持ちなのだろうと、そんな確信すらもしてしまう。私の目の前にいる、苦くも甘い、まるでビターチョコレートのような議長という存在。私があなたに完全に溶けてしまうまで、そう時間はかからなそうです。
議長の執務室へと向かういつもの足取りに、今日は少しだけ色が添えられていた。議長が好きだと言う紫色の、ちょっと大人な雰囲気の包み紙。中には私が昨日手作りしたチョコが入っていて、議長に渡したくて持ってきた。彼はビターなものを好むだろうと思って、わざわざカカオ75%のチョコを取り寄せて、軍宿舎の調理場を借りて作ってみた。溶かして固めただけでも、この気持ちを受け取ってもらえればと思った。それなのに。
「議長……?」
部屋の扉を開けると、議長の後ろ姿があった。最初は彼が何をしているのか、すぐにはわからなかった。それは、この私にはとても見当もつかないことだったからだ。
彼が手を伸ばす先には、カラフルな包み紙がいくつも並べられていた。今日の追悼演説の後、移動の車に乗る前に、大勢のファンから渡されたチョコレートや贈り物たちだ。そしてそれらが議長の手によって、とある場所へと、次々に落とされていく。議長、あなたは一体何をしているの?そこは……
「ゴミ箱……?」
議長の手は動き続けている。机の上からゴミ箱へと、一つ一つ、冷徹に、まるで人々からの想いを振り払うかのように。
「どうして……?」
わからなかった。どうして彼がそんなことをしているのか。とても信じられない光景だった。確かに議長は冷徹で、どこか人を信用せず、遠ざけるような態度を示す。それでも、市民の想いのこもった一つ一つの贈り物を、まるで一切の興味もないように淡々と捨てる光景は、私にはとても理解できなかった。
私はたまらずその場から逃げた。一体どこへ行こうというのか、もはやわからないままに、とにかくその場から逃げたかった。議長に渡すはずの包みをくしゃりと持ったまま、一心不乱に、遠くへ、遠くへと。
たどり着いたのはビルの外に広がる庭園だった。コロニーの人工的な青い空と、どこかから聞こえる鳥の声。庭園の隅にあるベンチに座り込み、包みをキュッと抱きしめる。
「議長はきっと……私なんか……」
その言葉が口から出た瞬間、胸が痛み、涙が溢れた。私は議長に何を期待していたのだろう。こんなものを渡して、一体彼に、何を言ってもらいたかったのだろう。そう思うと、余計に涙が止まらなくなった。
「私……そんなに……議長にとって、なんでもない存在なんだ……」
きっと議長にとっては、他人なんてどうでもよくて、想いも願いも、愛さえも不必要なもので。議長の世界には甘さなんてない。ただ計画さえ進めばそれでいい。議長と出会って約10ヶ月……彼はそういう人なのだと、最初からわかっていたはすなのに。
「こんなことで泣いてしまうなんて、私、子供みたい……」
そうだ。議長はきっと、自分なんかよりも大人っぽくて、しっかりしてて、強い人が好きなんだろう。私なんて、議長のそばに立つ資格どころか、素養すらないかもしれない。そう思うと、余計に涙が止まらない。
「私なんて……」
その時、後ろから足音がコツンコツンと響いた。誰かが来る。こんなところで泣いてる姿を見られたら、とてもじゃないけど恥ずかしくてたまらない。デュランダル議長の護衛官として、しっかりしていなきゃいけないのに。
それでも私は動くことができない。ポロポロと零れた涙は制服を伝い、胸に抱きしめている包みを濡らした。議長に渡すはずのものに涙で染みを作ってしまった。でも、今更のことだ。こんなもの、作らなければよかった。
背後に響く足音がゆっくりと近づいて、そしてピタリと止まる。私のすぐ後ろに誰かがいる。こんなところに来るなんて、私を笑いにきたの?
でも、その時だった。
「アーヤ」
優しくて、温かい声が響く。低くて、穏やかで、どんな人よりも安心させてくれる声。私がずっと求めていた、何よりも大好きな声。
「議長……?」
「アーヤ、君が泣く必要はないよ」
「でも、でも……!」
振り返った瞬間、議長の大きな手が私を包み込む。そのまま抱きしめられて、私の全てが彼の胸の中に収まる。じんわりと温かくて、不思議と心地よい。
「驚かせてしまってすまないね。だが、私は、君の想いを無駄にはしないよ」
「でも、さっき……捨ててた……だから、私も、捨てられるのかなって……思って……」
「アーヤ、私が君からのものを捨てる理由は、どこにもない」
議長は私の髪を優しく撫でてから、そのままその手を私の頬に当てて、親指で涙を拭う。その仕草があまりにも優しくて、力強くて、どうしようもなく大好きで。
「あれらを捨てるのは、他人を警戒してのことだ。評議会議長として、ね」
「でも、私なんて、こんなことで泣いちゃって……子供っぽくて、こんなの……」
「君のその純粋さが、私の力になっていることを、君はもっとよく知るべきだ、アーヤ」
その瞬間、私の中で何か、温かいものが広がった気がした。議長の言葉が私の全てを溶かしていくような気がして、全てを預けてもいいんだって、そんな気がして——
すると議長が、私の腕の中にあった包みを不意に手に取る。そしてその場でリボンを解いて、箱を開けて、少し微笑んでから、チョコレートを口に運んだ。少しもためらうことなく、ゆっくりと口の中で溶かすように。
「うん……美味しい」
そしてもう一度、私の髪を撫でながら微笑む。
「可愛らしいものを、ありがとう」
その言葉と微笑みに、私は胸の底から安心することができた。議長に想いが伝わった、それだけで私は幸せになれた。議長が私を受け入れてくれた、それだけで夢が叶ったみたいだ。
私が頬を赤くして微笑むと、議長も安心したかのように目を細める。ああ、さっきまでの私は、どうして泣いていたんだろう?その理由さえわからなくなるほどに、議長の微笑みは私にとっての全てなのだと、私は心から思うことができた。そして議長だって、きっと同じ気持ちなのだろうと、そんな確信すらもしてしまう。私の目の前にいる、苦くも甘い、まるでビターチョコレートのような議長という存在。私があなたに完全に溶けてしまうまで、そう時間はかからなそうです。