守るべきもの
私がアーヤ・ファンと出会ったのは、彼女がわずか生後5日目のことだった。
彼女が生まれた日の、学会の騒ぎようは今でも記憶している。遺伝子異常による、極めて稀なオッドアイの症例——当時十四歳だった私も、自身が勤めるメンデルの研究所でそのニュースを聞いた時は非常に驚いた。彼女が生まれたこと自体が奇跡のようなもので、それは遺伝子工学や医学界を揺るがす大事件だった。その噂は瞬く間に広がり、各地の研究者や医療関係者がこぞって彼女を研究をしたいと名乗りをあげた。そして彼女はわずか生後5日で親元を離れ、遺伝子研究のメッカとも呼ばれるメンデル遺伝子研究所へと連れてこられた。遺伝子工学の進歩を助ける貴重なサンプルとして、彼女の存在そのものが非常に重要だったのだ。
幼い彼女を迎えたのは、白く無機質な部屋と白衣を着た研究者たち。私もその中の一人で、学術的興味から彼女に会いたくて仕方なかった。だが、彼女の顔を見て、彼女が眠る保育器に手を差し入れて、その小さな手に触れた瞬間、私は彼女を『守るべきもの』だと感じてしまった。
彼女は孤独だった。真っ白な部屋の中、ガラス張りの壁の外からは、常に研究者たちの視線があった。彼女が夜泣きをしてもあやす者は誰もおらず、ただ無慈悲にデータが記録されていくだけだった。
私がそんな彼女を見て、自身の孤独と重ね合わせてしまったのは言うまでもない。私は常に一人だった。幼い頃から成功をおさめ、常に完璧を追求しながら生きてきた私にとって、研究所という狭い世界で孤独に耐える幼いアーヤという存在は、まるで自分自身の鏡写しかのようで放っておくことなどできなかったのだ。私は当時からデスティニープランを練り続け、それを導くアコードという新人類も生み出した。私の人生の全てが理想の未来へと繋がっていくはずだった。しかし彼女の存在は、私の運命にとって、まさしくイレギュラーとも言える存在だった。
彼女が泣けばすぐさま駆けつけた。彼女が笑えば私も笑うことができた。彼女は私の全てだった。彼女と過ごす時間の全てが、まるで春の木漏れ日のように、冷たく閉ざした私の心に降り注いでいた。私と彼女はいつしかただの研究者と研究対象という関係を超えてしまった。そして私は彼女の『にーにー』となった。そこに存在するのは温かく、純粋で無邪気な愛、ただそれだけだった。
彼女が初めて言葉を発した時のことをよく覚えている。彼女は私を見つめながら小さく「にに」と言って、笑った。彼女が初めて歩いた時のことも覚えている。掴まり立ちをしながら私に向かって必死に駆け寄ってきた。その瞬間、私は彼女を強く抱きしめて、彼女をこれからも守りたいと感じた。
他の研究員からはよく「研究対象に深入りは禁物だ」などと言われたが、私はその言葉を受け流して、彼女を見守り続けた。彼女が初めて私に描いた絵や、手紙、モールで作った指輪を、私は今でも捨てられずにいる。私の机の鍵は誰にも開けられない。そこは私と彼女の聖域だからだ。私は彼女を兄として、心から愛してしまっていた。それがどんなに計画外の感情であるか——しかし、もはや止める術などなかったのだ。
研究所での日々はあっという間で、彼女が3歳になった頃、彼女の両親が訴えを起こして彼女は親元に返された。その去り際の背中を、私はいつまでも忘れられない。あんなにも彼女に愛情を尽くしてきたのに、彼女は両親に手を引かれながら、一度もこちらを振り返ることなく研究所を去っていった。あまりにも呆気ない終わり方だった。当時十七歳の多感な時期の私にとって、彼女の存在こそが全てだったというのに。
それから私は、まるで取り憑かれたように彼女を追い続けた。彼女は十二歳になるまで定期的に検査入院をしに来たが、私は彼女に会うことが怖くなり、いつしか完全に会わなくなった。彼女が私を必要としなくなることが恐ろしかったのだ。私は常に彼女の特別でありたかった。だが、彼女は両親の愛情に恵まれて、私だけが彼女の特別な存在ではなくなってしまった。それがどうしても悔しくて、私は彼女に会わなくなった。
そしてそのうち、彼女は私のことを完全に忘れたようだった。私という存在は彼女の記憶の遥か彼方に消え、研究所が事故で閉鎖されたのをきっかけに、私が会う機会は本当になくなった。
だが、それでも私は、密かに彼女を見守り続けていた。彼女が今どこで何をしているのか、その全てを知りたかった。諜報機関に頼んで彼女を追跡し続けた。私の手元に残った彼女との思い出は、クレヨンの手紙とモールの指輪、そして一枚の写真と研究データだけ。それがいっそう私を執着に駆り立てた。彼女の全てを知り、掴みたかった。彼女の中のどこかで、私への愛がまだ続いていると信じたくてたまらなかった。哀れな男の願望だ。今や彼女は私の手を離れ、彼女自身の道を歩んでいると言うのに、私はなお、彼女との思い出にしがみついたままだったのだ。
アーヤが十五歳を迎える年の春、彼女が通っていた高等教育機関に、ザフトの司令部の名を使って士官学校の特別推薦状を送った。私は彼女の才能を伸ばしたかった。彼女には生まれつき、遺伝子的に特異な戦闘の才能があった。それは私が『SEED』と名付けたもので、感情が強く揺さぶられた際にその力を発揮するものだった。私は彼女を『守るべきもの』と思いながらも、どこかで彼女の研究を諦めることができなかった。そして彼女の才能は、私の計画にも大いに役立つのは明らかだった。だからこそ私は彼女に軍人の道を進ませたかった。これは私のエゴでしかない。しかし、私はこれも彼女のためであると強く信じていた。だからこそ私は推薦状を送ったのだ。当時の私が持てる、全ての力を使って。
彼女は軍人である父に強い憧れを抱いていたこともあり、推薦状を受け入れた。そして彼女は士官学校に入った。入学式で遠くに見えた彼女の影に、私はつい頬を綻ばせた。士官学校の制服に身を包んだ彼女は、まだあの頃の幼いアーヤの面影があった。私は彼女の兄としての気持ちを一層深めた。彼女は何も知らないだろうが、私には、ずっと彼女を見守ってきた責任と誇りがあった。彼女の人生の門出を同じ場で密かに祝えたことを心から嬉しく思った。
アーヤは士官学校での生活に苦労しているようだった。成績はいいのに、どこか暗く、人と馴染むことができない。ザフトの高級士官の娘であることのプレッシャーと、なにより彼女のオッドアイが、彼女を他人から遠ざけていた。彼女は3歳で研究所を出たあと、世間に揉まれながら生きてきた。人と違う外見であることで、幼い頃からいじめの対象だった。私はそんな彼女を見て、研究所で暮らし続けていれば感じることはない痛みだと思い、胸が張り裂けそうだった。私が彼女を守れたらよかったのに、私にはそれが出来なかった。彼女は心に深い傷を負った。
いつしか彼女は他人に心を開くことなく孤立していった。それは士官学校でも同じことで、特にエリートな軍属や政治家の子息が多く通うこの環境では、彼女は恰好のターゲットだった。
親の地位や立場から影響される派閥争いが、士官学校全体を陰湿な雰囲気にさせていた。アーヤのように父が偉大な軍人だと、その影響は計り知れない。彼女は孤立を深めていった。時折、私の指示で彼女を監視するレイ・ザ・バレルと、彼女の親戚でもあるシン・アスカ、そして彼らと仲の良いルナマリア・ホークなどが彼女を気にかけてはいたが、それでも彼女は誰にも心を開かなかった。彼らは親の地位に縛られない実力主義のグループだった。アーヤは彼らに少しの憧れを抱いていたのだろう。しかし、それでも彼女は、その思いに反発するように孤独を深めていった。
私は彼女を守りたいがあまり、思わず彼女の寄宿舎に匿名で手紙を送った。ただ一言『君は一人じゃない』と。それが彼女の心に届いたかどうかはわからない。けれど、私は彼女を守る責任があると感じていた。君は一人じゃない、私が見ている、私が守ると、本当はこの口から直接伝えたかった。しかしそれが出来なかったのは、私が臆病だからだろうか。
士官学校の廊下で彼女とすれ違ったこともある。私がわざと彼女にぶつかり、彼女が持っている書類を落としたのだ。床に散らばった書類を必死にかき集める彼女を、私以外、誰も助けることはなかった。私だけが彼女に手を差し伸べる存在なのだ。拾い集めた書類を手渡した時に触れた彼女の柔らかな手、そして彼女が私を見つめる両目に、私はしばらくその場で動くことができなかった。彼女は少し驚きながらも「ありがとうございます」とただ一言だけ呟き、逃げるようにその場を立ち去った。彼女は私のことを何も覚えていないようだった。だが、それでいい。彼女が私をどう思おうと、私だけが彼女の監視者で、保護者で、彼女の全てを知っているのだから。
彼女が入学して9ヶ月が経ち、私は最高評議会議長に選任された。彼女を呼び寄せるのは今だと思った。私は彼女を自分の護衛官に抜擢し、彼女を飛び級で卒業させることにした。もちろんこの決定には、誰もが驚きの声を挙げ、学内でも彼女に対するいじめや陰口が強まった。それでも彼女はその試練に耐え、私の元に来てくれた。私はそれだけで嬉しかった。ようやく君に会えると。
そして今日、彼女が私の元へとやってくる。私は議長執務室で、じっと座っていることができずにいた。この瞬間をどれだけ待ち侘びたことか。彼女は私を見てなんと言うだろうか。どんな表情をするだろうか。私は胸が高まっていた。そして、彼女が、兵士に連れられて、今、私の部屋へとやってくる——
「失礼致します。アーヤ・ファン護衛官を連れて参りました」
「ご苦労。入りなさい」
私が振り向いた先に、彼女がいた。廊下の光を背にして、光り輝くように立っていた。それはまるで白い翼を携えた天使のような純粋さがあった。しかし、かつての無垢で幼い少女だった彼女はそこにはおらず、たくましく立派に成長した、一人の強い女性の姿があった。まだどこか不慣れな敬礼をする彼女のオッドアイは眩いばかりに輝き、私に護衛官として選ばれたことを心から誇りに思っているようだった。私のほうが、君を誇りに感じていると言うのに。
「本日より配属されました、護衛官のアーヤ・ファンであります。ぎ、議長をお守りできるように、精一杯努めるであります!」
彼女はとても緊張しているようだった。しかし、その声の震えすらも私には愛おしいものに感じられた。生まれた時から見守ってきた少女が、今、私の目の前に現れたのだ。私はそれだけで胸がいっぱいだった。ああ、守りたいのは私のほうだと言うのに、君はどこまで健気なのか。
私は少しずつ、少しずつ彼女に近づいて、彼女の手を取る。そして、心からの言葉が出てしまう。
「ああ、アーヤ……君にずっと、会いたかったのだよ——」
彼女は私のことを何も知らない。私の長年の想いも、見守ってきたことさえも、何もかも。しかし、ここからだ。私たちの物語はここから始まるのだ。いつか君に全てを伝えられるその時まで、どうか私と共に歩んで欲しい。ああ、アーヤ、私の愛しいアーヤ。君をずっと、愛してきた。
彼女が生まれた日の、学会の騒ぎようは今でも記憶している。遺伝子異常による、極めて稀なオッドアイの症例——当時十四歳だった私も、自身が勤めるメンデルの研究所でそのニュースを聞いた時は非常に驚いた。彼女が生まれたこと自体が奇跡のようなもので、それは遺伝子工学や医学界を揺るがす大事件だった。その噂は瞬く間に広がり、各地の研究者や医療関係者がこぞって彼女を研究をしたいと名乗りをあげた。そして彼女はわずか生後5日で親元を離れ、遺伝子研究のメッカとも呼ばれるメンデル遺伝子研究所へと連れてこられた。遺伝子工学の進歩を助ける貴重なサンプルとして、彼女の存在そのものが非常に重要だったのだ。
幼い彼女を迎えたのは、白く無機質な部屋と白衣を着た研究者たち。私もその中の一人で、学術的興味から彼女に会いたくて仕方なかった。だが、彼女の顔を見て、彼女が眠る保育器に手を差し入れて、その小さな手に触れた瞬間、私は彼女を『守るべきもの』だと感じてしまった。
彼女は孤独だった。真っ白な部屋の中、ガラス張りの壁の外からは、常に研究者たちの視線があった。彼女が夜泣きをしてもあやす者は誰もおらず、ただ無慈悲にデータが記録されていくだけだった。
私がそんな彼女を見て、自身の孤独と重ね合わせてしまったのは言うまでもない。私は常に一人だった。幼い頃から成功をおさめ、常に完璧を追求しながら生きてきた私にとって、研究所という狭い世界で孤独に耐える幼いアーヤという存在は、まるで自分自身の鏡写しかのようで放っておくことなどできなかったのだ。私は当時からデスティニープランを練り続け、それを導くアコードという新人類も生み出した。私の人生の全てが理想の未来へと繋がっていくはずだった。しかし彼女の存在は、私の運命にとって、まさしくイレギュラーとも言える存在だった。
彼女が泣けばすぐさま駆けつけた。彼女が笑えば私も笑うことができた。彼女は私の全てだった。彼女と過ごす時間の全てが、まるで春の木漏れ日のように、冷たく閉ざした私の心に降り注いでいた。私と彼女はいつしかただの研究者と研究対象という関係を超えてしまった。そして私は彼女の『にーにー』となった。そこに存在するのは温かく、純粋で無邪気な愛、ただそれだけだった。
彼女が初めて言葉を発した時のことをよく覚えている。彼女は私を見つめながら小さく「にに」と言って、笑った。彼女が初めて歩いた時のことも覚えている。掴まり立ちをしながら私に向かって必死に駆け寄ってきた。その瞬間、私は彼女を強く抱きしめて、彼女をこれからも守りたいと感じた。
他の研究員からはよく「研究対象に深入りは禁物だ」などと言われたが、私はその言葉を受け流して、彼女を見守り続けた。彼女が初めて私に描いた絵や、手紙、モールで作った指輪を、私は今でも捨てられずにいる。私の机の鍵は誰にも開けられない。そこは私と彼女の聖域だからだ。私は彼女を兄として、心から愛してしまっていた。それがどんなに計画外の感情であるか——しかし、もはや止める術などなかったのだ。
研究所での日々はあっという間で、彼女が3歳になった頃、彼女の両親が訴えを起こして彼女は親元に返された。その去り際の背中を、私はいつまでも忘れられない。あんなにも彼女に愛情を尽くしてきたのに、彼女は両親に手を引かれながら、一度もこちらを振り返ることなく研究所を去っていった。あまりにも呆気ない終わり方だった。当時十七歳の多感な時期の私にとって、彼女の存在こそが全てだったというのに。
それから私は、まるで取り憑かれたように彼女を追い続けた。彼女は十二歳になるまで定期的に検査入院をしに来たが、私は彼女に会うことが怖くなり、いつしか完全に会わなくなった。彼女が私を必要としなくなることが恐ろしかったのだ。私は常に彼女の特別でありたかった。だが、彼女は両親の愛情に恵まれて、私だけが彼女の特別な存在ではなくなってしまった。それがどうしても悔しくて、私は彼女に会わなくなった。
そしてそのうち、彼女は私のことを完全に忘れたようだった。私という存在は彼女の記憶の遥か彼方に消え、研究所が事故で閉鎖されたのをきっかけに、私が会う機会は本当になくなった。
だが、それでも私は、密かに彼女を見守り続けていた。彼女が今どこで何をしているのか、その全てを知りたかった。諜報機関に頼んで彼女を追跡し続けた。私の手元に残った彼女との思い出は、クレヨンの手紙とモールの指輪、そして一枚の写真と研究データだけ。それがいっそう私を執着に駆り立てた。彼女の全てを知り、掴みたかった。彼女の中のどこかで、私への愛がまだ続いていると信じたくてたまらなかった。哀れな男の願望だ。今や彼女は私の手を離れ、彼女自身の道を歩んでいると言うのに、私はなお、彼女との思い出にしがみついたままだったのだ。
アーヤが十五歳を迎える年の春、彼女が通っていた高等教育機関に、ザフトの司令部の名を使って士官学校の特別推薦状を送った。私は彼女の才能を伸ばしたかった。彼女には生まれつき、遺伝子的に特異な戦闘の才能があった。それは私が『SEED』と名付けたもので、感情が強く揺さぶられた際にその力を発揮するものだった。私は彼女を『守るべきもの』と思いながらも、どこかで彼女の研究を諦めることができなかった。そして彼女の才能は、私の計画にも大いに役立つのは明らかだった。だからこそ私は彼女に軍人の道を進ませたかった。これは私のエゴでしかない。しかし、私はこれも彼女のためであると強く信じていた。だからこそ私は推薦状を送ったのだ。当時の私が持てる、全ての力を使って。
彼女は軍人である父に強い憧れを抱いていたこともあり、推薦状を受け入れた。そして彼女は士官学校に入った。入学式で遠くに見えた彼女の影に、私はつい頬を綻ばせた。士官学校の制服に身を包んだ彼女は、まだあの頃の幼いアーヤの面影があった。私は彼女の兄としての気持ちを一層深めた。彼女は何も知らないだろうが、私には、ずっと彼女を見守ってきた責任と誇りがあった。彼女の人生の門出を同じ場で密かに祝えたことを心から嬉しく思った。
アーヤは士官学校での生活に苦労しているようだった。成績はいいのに、どこか暗く、人と馴染むことができない。ザフトの高級士官の娘であることのプレッシャーと、なにより彼女のオッドアイが、彼女を他人から遠ざけていた。彼女は3歳で研究所を出たあと、世間に揉まれながら生きてきた。人と違う外見であることで、幼い頃からいじめの対象だった。私はそんな彼女を見て、研究所で暮らし続けていれば感じることはない痛みだと思い、胸が張り裂けそうだった。私が彼女を守れたらよかったのに、私にはそれが出来なかった。彼女は心に深い傷を負った。
いつしか彼女は他人に心を開くことなく孤立していった。それは士官学校でも同じことで、特にエリートな軍属や政治家の子息が多く通うこの環境では、彼女は恰好のターゲットだった。
親の地位や立場から影響される派閥争いが、士官学校全体を陰湿な雰囲気にさせていた。アーヤのように父が偉大な軍人だと、その影響は計り知れない。彼女は孤立を深めていった。時折、私の指示で彼女を監視するレイ・ザ・バレルと、彼女の親戚でもあるシン・アスカ、そして彼らと仲の良いルナマリア・ホークなどが彼女を気にかけてはいたが、それでも彼女は誰にも心を開かなかった。彼らは親の地位に縛られない実力主義のグループだった。アーヤは彼らに少しの憧れを抱いていたのだろう。しかし、それでも彼女は、その思いに反発するように孤独を深めていった。
私は彼女を守りたいがあまり、思わず彼女の寄宿舎に匿名で手紙を送った。ただ一言『君は一人じゃない』と。それが彼女の心に届いたかどうかはわからない。けれど、私は彼女を守る責任があると感じていた。君は一人じゃない、私が見ている、私が守ると、本当はこの口から直接伝えたかった。しかしそれが出来なかったのは、私が臆病だからだろうか。
士官学校の廊下で彼女とすれ違ったこともある。私がわざと彼女にぶつかり、彼女が持っている書類を落としたのだ。床に散らばった書類を必死にかき集める彼女を、私以外、誰も助けることはなかった。私だけが彼女に手を差し伸べる存在なのだ。拾い集めた書類を手渡した時に触れた彼女の柔らかな手、そして彼女が私を見つめる両目に、私はしばらくその場で動くことができなかった。彼女は少し驚きながらも「ありがとうございます」とただ一言だけ呟き、逃げるようにその場を立ち去った。彼女は私のことを何も覚えていないようだった。だが、それでいい。彼女が私をどう思おうと、私だけが彼女の監視者で、保護者で、彼女の全てを知っているのだから。
彼女が入学して9ヶ月が経ち、私は最高評議会議長に選任された。彼女を呼び寄せるのは今だと思った。私は彼女を自分の護衛官に抜擢し、彼女を飛び級で卒業させることにした。もちろんこの決定には、誰もが驚きの声を挙げ、学内でも彼女に対するいじめや陰口が強まった。それでも彼女はその試練に耐え、私の元に来てくれた。私はそれだけで嬉しかった。ようやく君に会えると。
そして今日、彼女が私の元へとやってくる。私は議長執務室で、じっと座っていることができずにいた。この瞬間をどれだけ待ち侘びたことか。彼女は私を見てなんと言うだろうか。どんな表情をするだろうか。私は胸が高まっていた。そして、彼女が、兵士に連れられて、今、私の部屋へとやってくる——
「失礼致します。アーヤ・ファン護衛官を連れて参りました」
「ご苦労。入りなさい」
私が振り向いた先に、彼女がいた。廊下の光を背にして、光り輝くように立っていた。それはまるで白い翼を携えた天使のような純粋さがあった。しかし、かつての無垢で幼い少女だった彼女はそこにはおらず、たくましく立派に成長した、一人の強い女性の姿があった。まだどこか不慣れな敬礼をする彼女のオッドアイは眩いばかりに輝き、私に護衛官として選ばれたことを心から誇りに思っているようだった。私のほうが、君を誇りに感じていると言うのに。
「本日より配属されました、護衛官のアーヤ・ファンであります。ぎ、議長をお守りできるように、精一杯努めるであります!」
彼女はとても緊張しているようだった。しかし、その声の震えすらも私には愛おしいものに感じられた。生まれた時から見守ってきた少女が、今、私の目の前に現れたのだ。私はそれだけで胸がいっぱいだった。ああ、守りたいのは私のほうだと言うのに、君はどこまで健気なのか。
私は少しずつ、少しずつ彼女に近づいて、彼女の手を取る。そして、心からの言葉が出てしまう。
「ああ、アーヤ……君にずっと、会いたかったのだよ——」
彼女は私のことを何も知らない。私の長年の想いも、見守ってきたことさえも、何もかも。しかし、ここからだ。私たちの物語はここから始まるのだ。いつか君に全てを伝えられるその時まで、どうか私と共に歩んで欲しい。ああ、アーヤ、私の愛しいアーヤ。君をずっと、愛してきた。