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アルリツ短編



私ーーリツカは目を疑った。
ついでに咥えていた食パンを落としそうになった。
狭い空を優雅に飛んでいく塊がひとつ。
あれは飛行機? いや、翼がふたつあるものは確か『複葉機』だ。……いや、気にするところはそこじゃない。
操縦していた人の後ろ姿に見覚えがある。
綺麗なダークブラウンの、つんつんとした元気なヘアスタイル。靡く白いマフラー。
そう、隣のクラスに転校してきた人だ。
私自身は彼に興味がなかったが、転校してきたということも、どんな容姿なのかも覚えている。同じクラスの女子のほとんどが、一目見たいと黄色い声を上げていたことが記憶に新しいから。
名前は確かーーなんだっけ。覚えていない。
「……ゆさき。露崎」
誰かが彼の名前を教えてくれている。
でも、それは私の苗字だ。
彼は確かアメリカからやってきたはず。
ーーああ、別に好意も、なんの興味もこれっぽっちもないのに、頭の中が彼でいっぱいなのがどうも気持ち悪い。
それもこれもあんな、あんなに気持ちよさそうに空を飛んでいるのが悪い。
なんだかもやもやして、落としかけてそのまま手に持ったままだったパンに思い切りかぶりついた。
口の中に甘いシュガーバターが広がる。
「おい! 露崎! お前、遅刻した上にここでパンを食べるなんていーい度胸してるな!」
「えっ!? あ、あれ……先生、おはようございます」
「おはようございます、じゃないだろ! もう一限が始まって随分経ってるぞ!」
しまった。忘れていた。
彼を見たときにはもう遅刻ギリギリだったこと、それなのに彼を見て足を止めてしまったこと。
そして、校庭に華麗に着地した彼と出会ったこと。
ほぼ全ての生徒及び先生はその光景を見ていたようだ。大慌てで走ってきた生徒指導の先生に、彼と一緒に捕まり、ふたり仲良く生徒指導室まで連れてこられてしまったという訳だ。
くす、と隣から笑い声。
髪の色と同じ、綺麗なダークブラウンと目が合う。
(わ、笑われた……!)
なんだか恥ずかしくて、パンの最後の一欠片を口に放り込んだ。
「露崎ィィィ!」
「はいっごめんなさいぃぃ!!」
私と先生の大声に続いて、とても楽しそうな笑い声が響いた。彼だ。ああ、また笑われてしまった。
「お前もだアルフレッド!」
バン、と叩かれた机。びっくりして思わず跳ねる私の肩。彼ーーそうか、アルフレッドというのかーーは、必死で笑いを噛み殺して先生と向き合っている。
「校庭に飛行機を停めるヤツがいるか! そもそも飛行機で登校するな!!」
うん、ごもっともな意見だ。さて次はアルフレッドの番、さっき笑われた分までしっかり怒られる光景を見ていてやろう。なんて、思っていたのに。
アルフレッドは突然、あるもの差し出した。生徒手帳だ。転校してきたばかりなのに、もう二年もこの学校にいる私よりもずっと『ちゃんと読みました』感が強い。
「でもセンセー、『飛行機で登校しちゃいけない』とも『飛行機を校庭に停めちゃいけない』とも書いてないですよ」
「だ、……だからって乗って来て良いわけがあるか!!」
ぷるぷると先生の肩が震えている。私も今、肩を震わせている。私は面白くて、先生は怒りで。
そんなこと露知らず、アルフレッドはど真面目なトーンで話を続けた。
「あと。あれ、飛行機は飛行機なんですけど、正確には複葉機って言って」
「もういい!! お前ら二人とも反省文を提出するまで教室に戻るな!!」
そう言うと原稿用紙を私とアルフレッドに投げつけるように渡し、先生はドスドス音を立てながら生徒指導室から出ていった。

先程までのうるささが嘘のように、しんと静まり返った部屋。ペンの走る音が途切れ途切れ聞こえるのが精々だ。
「あーあ。ツユサキさんのせいで俺まで酷く怒られちゃった」
その静寂を破ったのはアルフレッドの、何故か私に対する嫌味だった。
「なっ」
「スゴかったなあ。イライラしてるセンセーの目の前で、パン食べ始めるんだから。そりゃセンセーも余計に怒るし、俺に当たり散らすよね」
くつくつと笑うアルフレッド。この状況なのに心底楽しそうに笑うなんてムカつく。それもーー私の失態を思い出して。
「それなら私が怒られたのも、貴方のせいだから!」
「え? 俺、ツユサキさんには何にも悪いことしてないけど」
「だって貴方が、アルフレッド……くんが、あんなにも楽しそうに空、飛んでるから。わたし見蕩れて、それからずっとあの光景が頭から離れなくなった。ボーッとして、気づいたらここでパン、食べてて」
そう口にしてから、なんだか自分が恥ずかしいことを言ったような気がして、アルフレッドに向けていた視線を原稿用紙に落とした。とっとと書いてここから出よう。
がむしゃらに走らせようとペンを握った手を、大きな手に取られる。
「ねえ」
視界一杯に広がったアルフレッドの顔。綺麗に整っているのに笑顔はどこか子供っぽくて、ちょっと意地悪そうな顔もなんだか憎めない。それでいて爽やかだ。
どれひとつ取っても誰が見ても、うん、格好良いと思う。ああ、確かに女子たちがきゃあきゃあ言うわけだ。
なるほど、と納得した瞬間。
私の頬を、アルフレッドは躊躇いなくぺろりと舐めた。
「っ!?」
突然のことに驚いて、握られていた手を振り払いアルフレッドを押しのけた。するとまたくつくつと笑うものだから、先程されたことと相まって、一瞬で身体中が熱を持った。顔なんか特に真っ赤だろう。
「な、なななん……!?」
「砂糖、付いてた」
シュガーバターだ。
「はっ……口で言ってよ!」
「ごめんごめん」
アルフレッドは悪びれる様子もない。そして、私を舐めたことに対する恥ずかしさとか、そういった感情もなさそうだ。私の心臓は痛いぐらいうるさいのに。それがまた、ムカつく。
これ以上一緒に居たら、おかしくなる。
「はん、せいぶんっ、書かなきゃ……」
慌てて視界を原稿用紙でいっぱいにした。が、ペンがない。床を見た。机の下にいつの間にか転がり落ちていたようだ。
(はやく、書かなきゃ)
ペンを拾い上げ、机の上を見たが何もない。隣を見る。アルフレッドが私の原稿用紙を見ていた。
「な、なんで邪魔するのっ?」
半ば奪い取るようなかたちで、まだ白い原稿用紙を返してもらう。
「してないよ」
「なら早く自分の書きなよ!」
「終わった」
と、見せてきたアルフレッドの原稿用紙には今回の件の原因と改善点とがビッシリ書かれていた。
「うそ、もう書いちゃったの?」
私がそういうや否やアルフレッドはガタンと席を立ち、カバンを持ってドアへ歩いていく。
「じゃーね、リツカ」
私の名前。ーーあ、さっき原稿用紙を取られたとき、見たんだ。なんでわざわざそんなこと? 考え始めたら、せっかく落ち着きかけた心臓がまた走り出した。
アルフレッドは背を向けながら手を振って、ドアを開けた。
閉まる瞬間、振り返って。目を細めて、笑って。
「ごちそうさま」
追い討ち。
ドキドキしすぎて苦しい心臓と、いつまでも書けなさそうな反省文と、よく分からないアルフレッドへの気持ちがぐるぐる踊る。その真ん中にひとり、私が居る。
「お、置いていかないでよ……ど、どうしたらいいの、わたし……」
ゴチャゴチャになった思考回路の中で見つけた答えは、しばらくシュガーバターの味は食べられそうにない、ということだけだった。




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