アルリツ短編
分かってる。
アルフレッドが冒険で忙しいことも。
夢を追いかける顔が、背中が格好いいことも。
だから「寂しい」とか「ずっとそばにいて」とか、アルフレッドを困らせるような言葉は心の奥に閉じ込めてきた。
「彼女でいられるからそれだけで十分、幸せだからって思ってたんです」
でも、SNSで楽しそうに女の人ーー仕事関係の人だって分かってはいるけど、胸を押し当てているのはどうかと思うーーと笑っているアルフレッドを見てしまった。その人とのやり取りは、丁寧に続けていたのに。私の誕生日の三日後に送られてきたメッセージはほんとうに、ほんとうに僅かな文字だった。
それでも何も言わずに、ぐっと堪えてきた。
でも、そろそろ限界かもしれない。
「どうしたらいいんでしょうか、林子さん……」
スマートフォンをぎゅっと握りしめ、その先に居る友達の林子さんに助けを求めた。
「そっか……それは、辛かったね」
林子さんの優しくてあたたかい声は私の心をゆっくりと包んでくれた。張り詰めていた糸がプツリと切れて、溜め込んでいた気持ちと涙が零れ落ちた。
林子さんは何も言わず、私のそばに居てくれた。
ティッシュの山が出来上がった頃、林子さんは口を開いた。
「よしっ、私がとっておきのものを送ってあげるよ! きっとなんとかなるから安心して、リツカちゃん!」
「うぅ、ありがとう林子さん……」
鼻をすすりながら、再び込み上げてきた涙をそっと拭った。
「とにかく今日はたくさん話して、スッキリしちゃお!」
「……はい! ゲニさんとの惚気話いっぱい聞かせてください!」
深夜まで続いた林子さんとの通話はアルフレッドを忘れられることが出来て、その晩はとてもよく眠れた。
電話を終えてから数日後、林子さんから『とっておきのもの』が届く予定の日だ。
しかし私の家ではなく、アルフレッドの家に届くようにしてしまった、と林子さんから謝られたのはさっきのこと。
右も左もーー何処を見てもハロウィン一色の街を駆け抜け、アルフレッドの家に付いた。
「おじゃましまーす……」
付き合ってすぐに貰った合鍵は半年経ってからやっと日の目を浴びられた。
そしてまたすぐに出番が来る。荷物を受け取ったら帰るからだ。
「いつでも来ていいよ、ってアルフレッド言ってたのに。ほとんど家にいないんだもん」
今日は撮影があるとSNSで呟いていたから、ここにアルフレッドが来ることはない。
私自身、今まで彼に遠慮してここに来ることはなかったが。
そして、もしかしたらもうーー
綺麗に片付けられた部屋を見て、ため息をひとつ零した瞬間、ピンポンとチャイムが鳴った。
受け取った箱には大きな文字で「すぐ開けて、すぐ着ること!」と書かれていた。
「え、ここで?」
あの日の林子さんの声が脳内に響いた。
「きっとなんとかなる。そうだよね、林子さん。にしても、何が入ってるんだろう」
ゆっくりと箱に手をかけた。
同時に鍵の音。玄関ドアが開いた。
(うそ)
耳にスマートフォンを当てながら誰かと会話しながらアルフレッドがこちらに歩を進めてくる。左腕で紙袋を抱えながら。
「あれ? いらっしゃいリツカ」
話していないから当然といえば当然なのだけれど、私の気持ちなんて露知らず、笑顔を向けてきた。
そしてアルフレッドは通話相手にそれじゃ、と挨拶をしてスマートフォンと紙袋を机に置いた。
ゴロンとカボチャのランタンのようなものが転がった。
「ど、うしてここに? 今日は撮影だって呟いてたじゃん」
だから顔を合わせることはないと安心していたのに。
と、同時にちらりと過ぎる女の人の顔。
(ああ、今わたし、ひどい顔してるんだろうな)
さっき電話していた人もその女の人だったら、そう思うと胸は益々苦しくなるばかり。
「そうだったんだけど、風が強くて中止になってさ。ん、その荷物は?」
アルフレッドの指が林子さんの文字をなぞる。
まずい。
これを読まれたら開けて着てよと言われるだろう。
「林子さんが送ってくれたんだけど、手違いかなんかでここに届いちゃったみたい。勝手に入ってごめんね、これで帰るから」
言う通りに出来なくてごめん林子さん、と思いながら小包に手を伸ばした。
「ちょっと待ってよ。すぐ開けて着るんじゃないのか?」
時すでに遅し、アルフレッドに小包を取られた。
それとアルフレッドの日本語習得速度を見誤っていた。
こんなにも早く、正確に読めるなんて。
「ほら、開けて」
アルフレッドはニコニコしながら私にペーパーナイフを渡してくる。
ああもう、どうにでもなれ……!
小さな箱から出てきたものは、胸の頂点を隠せるだけのフワフワした塊と、小さな小さなパンツ。
それらを繋げる頼りない紐。
オマケに獣のしっぽと耳のアクセサリー。
「え、これ服? こ、こんなの着られないよ……!」
どう頑張っても着こなせそうにない。
アルフレッドだって、きっと胸が大きい人が着た方が嬉しいだろう。私じゃない、可愛い女の人が。
「そう? リツカに似合うと思うんだけどなあ」
「どこをどう見たら似合うと思うの……」
「それにほら、今日はハロウィンだし。日本じゃこういう格好して街を歩くんだろ? ちょっとくらいいつもと違う格好をしたって誰も気に留めないさ」
「そういう人達も居るけど私はしたことないし、この服はもっと……可愛くてスタイルのいい人が着るべきだよ」
またあの女の人の姿が過ぎった。
苦しくなると分かっているのにその人が着て、アルフレッドの隣に居ることを想像して、涙が浮かんでくる。
「……片付けるね」
涙を拭い、服を片付けようとした手を取られ、アルフレッドの方に引き寄せられた。
「そんなことない、リツカに着てほしいんだ。絶対似合うと思ったから林子さんとゲーニッツさんにお願いしーーあっ」
しまった、と苦い表情を浮かべているアルフレッド。
「どういうこと? なんで、」
「……どうしたらリツカが自分の気持ちを話してくれるのか相談してたんだ。リツカ、何も言わないから……本当に俺のこと好きなのか、不安で」
だって、何もかも言ってしまったら困らせてしまう。
それが分かっていたから黙っていたのに。
(黙っていたから、アルフレッドは困っている……)
不安だったのは私だけじゃなかった。
そして目の前にいる人のことが好きなのも、また。
「教えてよ。リツカの気持ち」
「……わたしね、アルフレッドが好き」
「うん」
「でも誕生日のときはもうちょっと祝ってほしい。できたら当日がいいな」
「あれはホントごめん! その、忙しくて」
「いいよ。今度からただ待つんじゃなくて、祝ってって言うから。それとね、楽しそうに冒険しているところも好き。でも、……寂しいの」
「……うん」
「何処にも行かないで。ずっとそばにいてほしい」
今まで心の奥底に沈めていた気持ちを、ためらうことなく勢いで言ってしまった。
「ワガママ、だよね。だから言わなかったの。困らせたくなかったから」
アルフレッドは今どんな顔をしているだろう。
呆れてる?
怒ってる?
でも怖くて見られない。すぐそこに居るのに。
突然、私の手を掴んでいたアルフレッドの手が離れ、ぎゅっと強く抱きしめられた。
「ごめん、それは叶えてあげられない。……でも、俺はリツカも夢も手放すつもりはない。大好きで、大切だから」
溜め込んでいた気持ちがなくなって空っぽになった心に、アルフレッドの気持ちがーー愛が、真っ直ぐ飛び込んでくる。
好き。
好きだ。
アルフレッドがどうしようもなく好きだ。
今までの不安もこれから襲ってくるであろう不安も、寂しさも、今こうして私を包む温もりとアルフレッドからの気持ちさえあれば良い。
私はアルフレッドを信じていればいいんだ。
「ねえアルフレッド」
「何? リツカ」
「もう一つ、ワガママなお願い言ってもいい? ……私を、世界一の冒険家の、お嫁さんにして」
「! ……もちろん!」
そう言って見せてくれた笑顔は、今までで一番眩しくて、格好よくて、思わず目を閉じた。
それから私とアルフレッドは、まるで永遠を誓うかのようにキスをした。
◆◆◆
わざわざ私たちのために林子さんとゲーニッツさんがアルフレッドの欲しいものを送ってくれたんだ、その気持ちを無下にしちゃいけないと、獣を摸した小さな服に身を包んだ。
「着て、みたけど……これ本当に似合うと思ったの!?」
体を動かす度に、もこもこした耳としっぽが揺れる。
絶対この服より下着の方が露出が少ない。
そして靴紐のように右へ左へ渡された紐がなんともエロティックだ。
大事なところ以外に触れる空気が、恥ずかしくて熱を持った体を程よく冷ましてくれる。
けれどアルフレッドの瞳が向けられた途端、効果を失う。でもアルフレッドの口は閉じたままだ。呆然と私を見つめるばかり。
沈黙が痛い。
なにかしなきゃ。
「が、がおー……なんちゃって」
「……」
「な、なにか言ってよアルフレッド」
「……エッロ」
「なによぅこれを選んだのはアルフレッドなんでしょ!?」
「そうだけど想像以上だからさ。ああこれはーー俺とリツカ、どっちが獣なのか分からなくなるね」
そう言うや否や私を軽々と抱き上げ、ベットへ放り投げられた。乱暴に落とされた衝撃で目を閉じーー開けた瞬間にアルフレッドの意地悪な顔が視界いっぱいに広がった。
「トリック オア トリート。……お菓子を持ってない獣の姿をしたお嬢さんは、本物の獣に食べられてしまいましたとさ」
首筋をぺろりと舐められ、さっきしたキスなんかよりもっともっと熱くて深いキスをされた。
「全部貰うね、リツカ……」
ぼんやりとアルフレッドの放つ熱に浮かされながら、ああ林子さんにきちんとお礼ーー普通のプレゼントじゃダメだ、私にしか作れないものーーを贈らなきゃと思った。
とても甘くて、とびきり気持ちのいいものを。