サファイアブルーの空を飛んで
リツカはあれから黙々と羊羹を食べ、あっという間に空っぽになったお皿をキッチンへ運んでいった。
戻って来るときに急須とやらを持ってきた。空になったマグカップが、急須の先端から注がれた濃い緑色に満たされていく。
「ちょっと自分勝手だった。ごめんなさい」
急須を静かに置き、リツカは曇った笑顔で言った。
「いくらステラだからって出会ってすぐだし……空、飛べないのに連れて行って、なんてお願いしちゃって」
複葉機が無いから物理的に飛べないーーそんな意味合いでリツカは言っている、とは分かったのだが、アルフレッドの心臓は脈動を早め視界をぐにゃりと歪めた。
喉奥からぐ、と込み上げてきた何かをジャパニーズティーで押し戻す。
苦味がツンと鼻の奥まで広がった。
「ううん、いいんだ」
うまく笑いながら言えただろうか。
多分笑えただろう。
目の前の子はホッとした表情に変わったから。
「それじゃあ複葉機が直るタイミングによっては、春までは身動きが取れないってことだよね」
「そう……だね、それにもし直ったとしても、もう今シーズンは冒険には出ないかな」
ちらりと窓の外を見る。
リツカの家の庭は奇妙なほど色々な花たちが咲き乱れているが、木々はすっかり葉を落とし寒々しい見た目になっている。
雨を降らしている雲も、夏の空よりずっとずっと高くにいる。
きっともう数週間も経てば、ジョンの体のあちこちが痛むくらい冷たい風も吹き始めるだろう。そして冬眠と言わんばかりに動かなくなる。
「本当にごめん、一緒に……行けなくて」
「ううん、気にしないで。じゃあさじゃあさ」
「うん」
「冬の間は何して過ごすの?」
「次の旅の準備や下調べとか、体力が落ちないようにトレーニングもしてるよ」
「はい!」
待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべて、リツカは食い気味に手を挙げた。
「私、一緒にしたい!」
「トレーニングを?」
「うん!」とリツカは首を上下に元気よく振っている。
昨日戦ったときのことを思い返す。
いくら自分の体調が万全でなかったとは言え、ギリギリの勝利だった。
一瞬でも気を緩めていたら、今こうしてのんびりとテーブルを囲むこともなかった。
ステラだということも知らぬまま記憶を消され、またベッドの中ひとり鬱々と雨音を聞く日々を過ごしていただろう。
トレーニングの必要なんてないんじゃないか、と言おうとした口を噤んだ。
思い当たることがひとつだけある。
今の彼女ならその辺の難癖つけて喧嘩したがる輩ぐらい、いとも簡単に蹴散らせる。
それでも尚、強くなりたいということはーー
「もしかして、リツカだけでその『還る場所』まで行くつもりかい?」
それなら納得できる。ファンタジーを凝縮したような場所へ行くのなら何があってもおかしくない。
いくら強くても構わないだろう。
「……本当はね、ひとりで行こうと思ってたんだ。でもステラと出会えたからって……つい欲張っちゃった」
アルフレッドの言葉に否定も肯定もせず、リツカはポーチから宝石を出し、視線をそれに落とした。
『リツカ……どうか貴女の手で私をそこへ連れていってね』
リツカの母親の願いが聞こえた気がした。儚く、消え入りそうな声が。