サファイアブルーの空を飛んで
雨粒が大地を叩く音でアルフレッドは目を覚ました。
「良かった。今日もーー雨だ」
額の汗を拭い、深呼吸をした。どす黒く、ぐるぐると体を駆け巡っていたものを吐き出すように。
雨雲を見かけたら消えるように願い、雷が鳴れば肩を落とす。
一ヶ月前の冒険家志望の自分には信じられないだろう。旅するのに支障が出るからと嫌っていた雨を、喜べるようになってしまった。
雨が降っていれば、複葉機『62』で空を飛べない。
「何処へも行かなくていいんだ」
そう自分に言い聞かせるよう声にし、床に落ちていた毛布を手繰り寄せ目を瞑る。降りやまぬ雨の音に包まれて、このままずっとひとり眠っていたいと願うかのように。
雨音しか聞こえない部屋へぎしぎしと床板が軋む音が迫ってくる。
ゆっくり一歩ずつ、カチャカチャと食器の擦れる音を立てながら。
この部屋の前でピタリと音がしなくなり、嫌な予感がした。
「アル、入るぞ」
的中。
今はまだーーいや、出来ることならずっとひとりで居たい。
「ジョン、俺まだ寝てるから後にして」
そんなささやかな抵抗など関係なく、ジョンと呼ばれた男はドアを開け、ベッドの方へずんずんと近寄ってきた。
ジョンはアメリカのあちこちを共に旅する老人で、実の祖父と言っていいほど面倒見が良い。アルフレッドが断っても、部屋に押し入って来ることから分かるように。
「俺さ、まだ寝てるって」
「いい加減起きろ。飯もろくに食わないで篭もりっぱなしじゃ怪我も治らんぞ」
サイドテーブルに鍋や皿を置き、力強くカーテンを開けた。どんよりした空が広がっている。
怪我、と言われ、アルフレッドは包帯の巻かれた左足首を上へ下へと動かした。
「……もう痛くないよ。外に置いといてくれたら今日は食べたって」
「二日前も同じこと言ってたが、ひとつも手をつけて無かっただろう」
「あの時は、食欲が無かっただけで」
「62もいつ直るか分からないんだぞ。その時までに体力が落ちてもらっちゃあ困る」
ジョンは、一口では食べきれそうにはない大きさの野菜と肉を皿に盛り付け、ずいとアルフレッドに差し出す。
「腹、減ってない」
「……まだあのことを気にしてるのか。お前に嫉妬してる奴らの言ったことなんか聞き流せ」
鼓動が早くなる。
沢山の、誰かの声が蘇る。聞こえてくる。蓋をして心の奥底に沈めておいたのに。
『大した結果も出せないのにまた行くのかい? もっと誰かのためになることをやればいいのに』
『また墜落したって。爺さんの方は無傷で良かったねぇ。例え本当の孫のように可愛がっている子でも、流石に命に関わる怪我を負わせられたら……』
『お父様の才能は受け継がれなかったみたいですね。残念です。今回の話は無かったことにしましょう』
ぎり、と歯を食いしばる。
冒険家を目指して旅立ってからしばらくは期待の眼差しを向けられていた。
けれど段々と父親と比較され、心無い言葉を掛けられるようになっていった。
(誰も俺を見てくれなかった。みんな、俺に父さんの面影を重ねていた。……それでも良かった。俺は俺の好きなように旅が出来れば何もいらない。……はず、だったのに)
最初は元来の明るさで受け流していたが、幾度目かの墜落事故と今までしなかった怪我がいとも容易くアルフレッドの手を、足を、……心をつき動かしていた熱を奪い去っていった。
「ーー……い、おい、アル。大丈夫か」
肩を揺すられ、はっと我に返る。
「あ、のさ。じっちゃん」
精一杯絞り出した声で、ジョンをじっちゃんと呼んだ。額にじわりと汗を滲ませながら。
「おれ……気にしてないから」
引きつった笑顔のアルフレッドを見、ジョンはなにか言おうとしたが言葉を飲み込んだ。
「……分かった」
こうなったらとことん付き合ってやろうと呟きながら、ジョンは皿を片付けようと手を伸ばす。
「待って、あのさ」と制止したのはアルフレッド。
「なんだ」
「……匂い嗅いでたら腹減ってきちゃった。やっぱり食べるよ」
精一杯笑って、ジョンに取り分けてもらった食事を口に流し込んだ。
味は、よく分からなかった。
「良かった。今日もーー雨だ」
額の汗を拭い、深呼吸をした。どす黒く、ぐるぐると体を駆け巡っていたものを吐き出すように。
雨雲を見かけたら消えるように願い、雷が鳴れば肩を落とす。
一ヶ月前の冒険家志望の自分には信じられないだろう。旅するのに支障が出るからと嫌っていた雨を、喜べるようになってしまった。
雨が降っていれば、複葉機『62』で空を飛べない。
「何処へも行かなくていいんだ」
そう自分に言い聞かせるよう声にし、床に落ちていた毛布を手繰り寄せ目を瞑る。降りやまぬ雨の音に包まれて、このままずっとひとり眠っていたいと願うかのように。
雨音しか聞こえない部屋へぎしぎしと床板が軋む音が迫ってくる。
ゆっくり一歩ずつ、カチャカチャと食器の擦れる音を立てながら。
この部屋の前でピタリと音がしなくなり、嫌な予感がした。
「アル、入るぞ」
的中。
今はまだーーいや、出来ることならずっとひとりで居たい。
「ジョン、俺まだ寝てるから後にして」
そんなささやかな抵抗など関係なく、ジョンと呼ばれた男はドアを開け、ベッドの方へずんずんと近寄ってきた。
ジョンはアメリカのあちこちを共に旅する老人で、実の祖父と言っていいほど面倒見が良い。アルフレッドが断っても、部屋に押し入って来ることから分かるように。
「俺さ、まだ寝てるって」
「いい加減起きろ。飯もろくに食わないで篭もりっぱなしじゃ怪我も治らんぞ」
サイドテーブルに鍋や皿を置き、力強くカーテンを開けた。どんよりした空が広がっている。
怪我、と言われ、アルフレッドは包帯の巻かれた左足首を上へ下へと動かした。
「……もう痛くないよ。外に置いといてくれたら今日は食べたって」
「二日前も同じこと言ってたが、ひとつも手をつけて無かっただろう」
「あの時は、食欲が無かっただけで」
「62もいつ直るか分からないんだぞ。その時までに体力が落ちてもらっちゃあ困る」
ジョンは、一口では食べきれそうにはない大きさの野菜と肉を皿に盛り付け、ずいとアルフレッドに差し出す。
「腹、減ってない」
「……まだあのことを気にしてるのか。お前に嫉妬してる奴らの言ったことなんか聞き流せ」
鼓動が早くなる。
沢山の、誰かの声が蘇る。聞こえてくる。蓋をして心の奥底に沈めておいたのに。
『大した結果も出せないのにまた行くのかい? もっと誰かのためになることをやればいいのに』
『また墜落したって。爺さんの方は無傷で良かったねぇ。例え本当の孫のように可愛がっている子でも、流石に命に関わる怪我を負わせられたら……』
『お父様の才能は受け継がれなかったみたいですね。残念です。今回の話は無かったことにしましょう』
ぎり、と歯を食いしばる。
冒険家を目指して旅立ってからしばらくは期待の眼差しを向けられていた。
けれど段々と父親と比較され、心無い言葉を掛けられるようになっていった。
(誰も俺を見てくれなかった。みんな、俺に父さんの面影を重ねていた。……それでも良かった。俺は俺の好きなように旅が出来れば何もいらない。……はず、だったのに)
最初は元来の明るさで受け流していたが、幾度目かの墜落事故と今までしなかった怪我がいとも容易くアルフレッドの手を、足を、……心をつき動かしていた熱を奪い去っていった。
「ーー……い、おい、アル。大丈夫か」
肩を揺すられ、はっと我に返る。
「あ、のさ。じっちゃん」
精一杯絞り出した声で、ジョンをじっちゃんと呼んだ。額にじわりと汗を滲ませながら。
「おれ……気にしてないから」
引きつった笑顔のアルフレッドを見、ジョンはなにか言おうとしたが言葉を飲み込んだ。
「……分かった」
こうなったらとことん付き合ってやろうと呟きながら、ジョンは皿を片付けようと手を伸ばす。
「待って、あのさ」と制止したのはアルフレッド。
「なんだ」
「……匂い嗅いでたら腹減ってきちゃった。やっぱり食べるよ」
精一杯笑って、ジョンに取り分けてもらった食事を口に流し込んだ。
味は、よく分からなかった。
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