サファイアブルーの空を飛んで
「それでね。お父さんと出会う前にお母さんがアメリカで暮らしていた家にやってきたの」
「ああ、あのーーおとぎ話に出てきそうな」
「家の中もおとぎ話みたいだよ。魔法が書かれた沢山の本や、何かの儀式用の道具がいっぱいあるの」
カラカラに干からびた謎の物体や凝った装飾が施されている杖、たくさんの魔法使いたちが笑いながら空を飛んでいる写真……。
まだ全部の部屋を整理していないからもっと面白いものがあるかも、とリツカは興奮気味に言う。
その言葉にアルフレッドの心臓は早鐘を打った。
何故なら、歴史の詰まっているものや胡散臭かったりいわくのありそうな骨董品に心惹かれることが多いからだ。
ロマンが詰まっている。
そう言って手に取ったり買おうとすると、ジョンは凄く嫌そうな顔でどうせ偽物だとか出先で荷物を増やすなとかグチグチ言ってくるのでその衝動を顔に出さないようぐっと堪えていた。
リツカの家にあるものは本物?
嘘をついている可能性はゼロじゃない。
でも魔法はあった。
干からびた物で薬でも作るのだろうか。杖を振って仕上げをしていたらとても素敵だろうな。
写真の中の空は、景色は、世界は。どんな色が付いていて、どんな匂いがするのだろう。
想像上の存在に色が付いていく。
目眩がするほどに鮮やかだ。
突然「アルフレッド」と肩を叩かれハッと我に返る。リツカのことを忘れ意識を遥か彼方へ冒険させてしまっていた。
上体を起こしペットボトルを開け、思い切り水を飲んだ。
「ごめん。ええと、それで……なんだっけ」
蓋を閉めようとしながらリツカを見る。そこには先程までは無かった、強い意志を宿した瞳があった。
瞬間、手を取られる。
「お願い。貴方のーーステラの力が必要なの」
風がやんだ。
小鳥は歌うことをやめた。
蓋が出来なかったペットボトルは地面を転がり、大地に潤いを与えている。
世界にふたりしか居ないと錯覚するくらい、静かだ。
「っ……そのステラって言うのは?」
リツカの柔らかな手が擽ったくて、そっと払う。
「俺が、そうなのか?」
「ステラは私たち魔法使いを助け、良い方へ導いてくれる存在なの。……ステラは魔法使いの瞳の中に、自分が輝く空の色を見る」
自分が輝く空の色ーー
改めてリツカの瞳を見る。
冬の澄んだ空の色に細かい光がキラキラしていて、とても綺麗だと思った。
「……昨日戦ったとき、さ。私のこと『青い瞳のお嬢さん』って言ったでしょう? それでーーああこの人が私のステラなんだって気づいたの」
本当の瞳は違う色なんだよ、気になるならジョンさんに聞いてみてと言いながらリツカはアルフレッドの落としたペットボトルを拾い「ごめんね」と蓋を閉めた。
そして、染み込まずそこに留まっていた水を浮かばせ、操り、リツカは空に花の絵を描いた。
「魔力で美しく咲き、季節すらも無いものとする花々が枯れた時ーー助けとなるものは現れる。そう本に書いてあったからあの街に雨を降らせていたの。庭の花を枯れさせるために」
パチン、と指を鳴らすと水は地面へ落ちた。
「でもその前に、ステラが私を見つけてくれた」
「それは……たまたまだよ、ただの偶然」
ほんの思いつきであの道を通って、衝動でリツカに声を掛けただけだ。次の日に彼女の元を訪れたのは、忘れた財布を届けるため。
そこに運命だとか、奇跡だとかそう言ったものは存在しないだろう。
それでもリツカの目には依然期待の色が浮かんでいる。
「貴方は冒険家見習い……しかも複葉機でびゅんって空を泳いでいくんだってね」
さあっと顔から熱が引いていく。それと同時に、自分のことなど話していなかったはずだ、と顔に出たのだろう。リツカは「ジョンさんが教えてくれたの」と続けた。
脳裏でジョンがにかっと笑ってピースをしてきたので、頭を左右に振ってその姿を消した。
「ったく、あのおしゃべり爺さんめ……!」
そもそもその爺さんにリツカと会話する時間を作ってしまったのは起きられなかった自分なのだが。
他に何か余計なことを喋っていないか気になるが、今はリツカに続きを話してもらうことが最優先。
視線を向けると察してくれたのかリツカはこくんと頷いた。
「……古い書物の中に『お母さん』が還る場所が何処か示す地図があったの」
「なんだ、もう何処にあるのか分かってるんだね。それならあとは行くだけだ」
手掛かりがあるのなら話は早い。
けれどリツカは苦い笑みを浮かべている。
「うーんと……百年以上も前の地図みたいだから、示している場所が現在だと何処にあるのか分からないの」
「百年か……確かに、それなら地形が変わっているかもしれないね」
「それとね、通り道にドラゴンの住む谷があるとか、太陽を克服した吸血鬼の住む街があるとか……なんだか怖いことも書いてあって。……空を飛んで、直接目的地まで行けたら危険も少ないじゃない? だから、さ。その……」
次の言葉を口篭り、言い淀むリツカ。瞳はきょろきょろとあちこちを泳いでいる。
ドラゴンに吸血鬼。冒険心と好奇心を擽られたと思ったが、空を飛んでというリツカの言葉に、心臓へひんやりとした大きな杭でも刺されたかのような感覚が襲ってきた。
さっき、ステラの力が必要だと言った。
もしかしてと思った。
空を飛ぶことに対する恐怖心が芽生えてしまったことはジョンに伝えていない。妙に察しの良い爺さんだが、怪我と複葉機の修理が重なって冒険に出られないからただ気分を沈ませているものだと思っているはずだ。
多分リツカには「冒険家志望であちこちを旅している」と話してしまっているだろう。
複葉機で空を飛べる、とも。
(飛べる自信なんて……無いのに)
言うことを聞かない複葉機、揺れる景色。
堕ちてゆく感覚、冷える心臓ーー止まらぬ鼓動。
あの時の断片を思い出してはじわりと汗が滲む。
すると、アルフレッドの心模様を映したかのように太陽を暗雲が包み込んだ。微かに雨の匂いもする。
話さなければ。今の自分にはリツカの力添えが出来ないと。
「あの、」と声を掛けると同時に、リツカは「ステラ」とアルフレッドを呼んだ。
リツカは空に大きく広げた小さな手を伸ばした。
同時に風が吹いた。リツカのカーディガンが音を立ててはためくぐらいに激しく強い風だったから目を開けていられず、アルフレッドはぎゅっと目を瞑った。
風と音がやみ、ゆっくり目を開けると暗雲どころか雲ひとつ残らず消え、ただただ濃い青がそこに広がっていた。
風を起こしたのであろうリツカの手は今、空ではなくアルフレッドの胸の前に差し出されている。
そして空と同じ青い瞳が、真っ直ぐにアルフレッドを捉えている。
「あのサファイアブルーの空を飛んで。私をーー魔法使いの還る場所へ連れて行って」
彼女の声を皮切りに、木々のざわめきが、鳥たちのさえずりが。今まで消えていた沢山の音たちが高らかに響き始めた。
まるで、物語の始まりを告げるかのように。
「ああ、あのーーおとぎ話に出てきそうな」
「家の中もおとぎ話みたいだよ。魔法が書かれた沢山の本や、何かの儀式用の道具がいっぱいあるの」
カラカラに干からびた謎の物体や凝った装飾が施されている杖、たくさんの魔法使いたちが笑いながら空を飛んでいる写真……。
まだ全部の部屋を整理していないからもっと面白いものがあるかも、とリツカは興奮気味に言う。
その言葉にアルフレッドの心臓は早鐘を打った。
何故なら、歴史の詰まっているものや胡散臭かったりいわくのありそうな骨董品に心惹かれることが多いからだ。
ロマンが詰まっている。
そう言って手に取ったり買おうとすると、ジョンは凄く嫌そうな顔でどうせ偽物だとか出先で荷物を増やすなとかグチグチ言ってくるのでその衝動を顔に出さないようぐっと堪えていた。
リツカの家にあるものは本物?
嘘をついている可能性はゼロじゃない。
でも魔法はあった。
干からびた物で薬でも作るのだろうか。杖を振って仕上げをしていたらとても素敵だろうな。
写真の中の空は、景色は、世界は。どんな色が付いていて、どんな匂いがするのだろう。
想像上の存在に色が付いていく。
目眩がするほどに鮮やかだ。
突然「アルフレッド」と肩を叩かれハッと我に返る。リツカのことを忘れ意識を遥か彼方へ冒険させてしまっていた。
上体を起こしペットボトルを開け、思い切り水を飲んだ。
「ごめん。ええと、それで……なんだっけ」
蓋を閉めようとしながらリツカを見る。そこには先程までは無かった、強い意志を宿した瞳があった。
瞬間、手を取られる。
「お願い。貴方のーーステラの力が必要なの」
風がやんだ。
小鳥は歌うことをやめた。
蓋が出来なかったペットボトルは地面を転がり、大地に潤いを与えている。
世界にふたりしか居ないと錯覚するくらい、静かだ。
「っ……そのステラって言うのは?」
リツカの柔らかな手が擽ったくて、そっと払う。
「俺が、そうなのか?」
「ステラは私たち魔法使いを助け、良い方へ導いてくれる存在なの。……ステラは魔法使いの瞳の中に、自分が輝く空の色を見る」
自分が輝く空の色ーー
改めてリツカの瞳を見る。
冬の澄んだ空の色に細かい光がキラキラしていて、とても綺麗だと思った。
「……昨日戦ったとき、さ。私のこと『青い瞳のお嬢さん』って言ったでしょう? それでーーああこの人が私のステラなんだって気づいたの」
本当の瞳は違う色なんだよ、気になるならジョンさんに聞いてみてと言いながらリツカはアルフレッドの落としたペットボトルを拾い「ごめんね」と蓋を閉めた。
そして、染み込まずそこに留まっていた水を浮かばせ、操り、リツカは空に花の絵を描いた。
「魔力で美しく咲き、季節すらも無いものとする花々が枯れた時ーー助けとなるものは現れる。そう本に書いてあったからあの街に雨を降らせていたの。庭の花を枯れさせるために」
パチン、と指を鳴らすと水は地面へ落ちた。
「でもその前に、ステラが私を見つけてくれた」
「それは……たまたまだよ、ただの偶然」
ほんの思いつきであの道を通って、衝動でリツカに声を掛けただけだ。次の日に彼女の元を訪れたのは、忘れた財布を届けるため。
そこに運命だとか、奇跡だとかそう言ったものは存在しないだろう。
それでもリツカの目には依然期待の色が浮かんでいる。
「貴方は冒険家見習い……しかも複葉機でびゅんって空を泳いでいくんだってね」
さあっと顔から熱が引いていく。それと同時に、自分のことなど話していなかったはずだ、と顔に出たのだろう。リツカは「ジョンさんが教えてくれたの」と続けた。
脳裏でジョンがにかっと笑ってピースをしてきたので、頭を左右に振ってその姿を消した。
「ったく、あのおしゃべり爺さんめ……!」
そもそもその爺さんにリツカと会話する時間を作ってしまったのは起きられなかった自分なのだが。
他に何か余計なことを喋っていないか気になるが、今はリツカに続きを話してもらうことが最優先。
視線を向けると察してくれたのかリツカはこくんと頷いた。
「……古い書物の中に『お母さん』が還る場所が何処か示す地図があったの」
「なんだ、もう何処にあるのか分かってるんだね。それならあとは行くだけだ」
手掛かりがあるのなら話は早い。
けれどリツカは苦い笑みを浮かべている。
「うーんと……百年以上も前の地図みたいだから、示している場所が現在だと何処にあるのか分からないの」
「百年か……確かに、それなら地形が変わっているかもしれないね」
「それとね、通り道にドラゴンの住む谷があるとか、太陽を克服した吸血鬼の住む街があるとか……なんだか怖いことも書いてあって。……空を飛んで、直接目的地まで行けたら危険も少ないじゃない? だから、さ。その……」
次の言葉を口篭り、言い淀むリツカ。瞳はきょろきょろとあちこちを泳いでいる。
ドラゴンに吸血鬼。冒険心と好奇心を擽られたと思ったが、空を飛んでというリツカの言葉に、心臓へひんやりとした大きな杭でも刺されたかのような感覚が襲ってきた。
さっき、ステラの力が必要だと言った。
もしかしてと思った。
空を飛ぶことに対する恐怖心が芽生えてしまったことはジョンに伝えていない。妙に察しの良い爺さんだが、怪我と複葉機の修理が重なって冒険に出られないからただ気分を沈ませているものだと思っているはずだ。
多分リツカには「冒険家志望であちこちを旅している」と話してしまっているだろう。
複葉機で空を飛べる、とも。
(飛べる自信なんて……無いのに)
言うことを聞かない複葉機、揺れる景色。
堕ちてゆく感覚、冷える心臓ーー止まらぬ鼓動。
あの時の断片を思い出してはじわりと汗が滲む。
すると、アルフレッドの心模様を映したかのように太陽を暗雲が包み込んだ。微かに雨の匂いもする。
話さなければ。今の自分にはリツカの力添えが出来ないと。
「あの、」と声を掛けると同時に、リツカは「ステラ」とアルフレッドを呼んだ。
リツカは空に大きく広げた小さな手を伸ばした。
同時に風が吹いた。リツカのカーディガンが音を立ててはためくぐらいに激しく強い風だったから目を開けていられず、アルフレッドはぎゅっと目を瞑った。
風と音がやみ、ゆっくり目を開けると暗雲どころか雲ひとつ残らず消え、ただただ濃い青がそこに広がっていた。
風を起こしたのであろうリツカの手は今、空ではなくアルフレッドの胸の前に差し出されている。
そして空と同じ青い瞳が、真っ直ぐにアルフレッドを捉えている。
「あのサファイアブルーの空を飛んで。私をーー魔法使いの還る場所へ連れて行って」
彼女の声を皮切りに、木々のざわめきが、鳥たちのさえずりが。今まで消えていた沢山の音たちが高らかに響き始めた。
まるで、物語の始まりを告げるかのように。