約束
「カブさん、オレ、カブさんのことが好きです。恋人になってくれませんか。」
君に気持ちを伝えられた時、ぼくは正直なところ困惑していた。
ぼくは君のことを尊敬こそすれど、恋とか愛といった感情を抱いたことはなかったから。
でも、君の真剣で、今にも泣きそうな瞳から目をそらせなくて、自分でもよくわからないうちにうなずいていた。
その時の、花火が咲いたような笑顔は今でも忘れることができない。
「・・・ブさん、カブさん!」
ジムスタッフの声で我に返る。
時計を見るとすでに23時を回っている。
どのくらい耽っていたのだろうか。
「こんな時間まで仕事をしていたら体に障りますよ!ただでさえ最近トレーニングもオーバーワーク気味なんですから…。」
スタッフは心配そうに顔を曇らせる。
今はオフシーズンで、ジムもそれ程忙しくはないはずだが、カブは夜遅くまで仕事や鉱山でのトレーニングをすることが増えていた。
「もうこんな時間か。心配をかけてすまないね。今日はもう上がることにするよ。」
書きかけの書類を片付けながら立ち上がる。
スタッフは少し安心した様子で、そうしていただけると助かります、と残して部屋を出て行った。
「わかっているんだ、でも」
誰もいない部屋でカブは静かに呟いた。
シャワーを浴びて自室に戻ったところで既に1時を過ぎており、すっかり深夜まで起きることに慣れてしまったなと独り言ちる。
部屋の奥にあるベットに腰掛け、ふと視線を上げた先に一枚の写真が目に入った。
昨年のファイナルトーナメント決勝戦でキバナと対戦した後に撮ったもので、1年程前の写真だが、カブにはつい昨日のことのように感じられた。
昨年のファイナルトーナメント決勝戦、キバナくんにはあと一歩及ばず負けてしまったものの、お互い残り1匹までもつれこんだ鎬を削るバトルだった。
バトル後に勝利の自撮りを始めたキバナくんを横目にスタジアムから去ろうとしたところで、キバナくんに呼び止められたのだ。
「カブさん!写真、一緒に撮ってくれませんか。」
え、と振り向くとキバナくんがこちらに駆け寄ってきて頭を下げた。
「オレさま、今のバトルでいっこ戦術を思いついたんだ。でもそれはオレさまだけじゃなくてカブさんとギリギリのバトルができたからひらめいたんだよ。だから、カブさんも一緒に写って欲しいんだ。」
有無を言わさぬ真剣な瞳に、考える間もなくいいよ、と返していた。
「ありがとうカブさん!」
また、あの花火が咲いたような笑顔が眼前にひろがる。
眩しい、と感じると同時に胸の奥がじわりとした高揚感に包まれる。
あぁぼくは、
このきれいな真っすぐな瞳と、眩しい笑顔を持つ君のことが好きなんだと気づいた瞬間だった。
バトル同日の夜、キバナくんはぼくの家を訪ねてきた。
特に約束をしていたわけではなかったが、ぼくもキバナくんも同じ気持ちを抱いていたことに嬉しさを覚える自分がいた。
「カブさん、突然来てごめんなさい。もういっこ先に謝っておきます。ごめんなさい。今日抱いていいですか。」
真っすぐな、それでいて獰猛な竜のように輝く瞳。迷う余地はもうカブにはなかった。
「いいよ。ぼくも君に抱かれたいと思っていた。」
そう返すと同時に自分より二回り大きな影が覆いかぶさってきた。
バトルの高揚感が収まらず、お互いを貪りあうような夜だった。
そんな夜に、ぼくはキバナくんと約束をした。
「次のバトルは絶対に負けないよ。」
「望むところです。カブさん。」
だが、この約束はもう果たされることはなくなってしまったのだ。
数か月前、キバナくんは新たに発見されたガラルの遺跡に調査に行ってくると残して旅立った。
しかし、旅立ってから数日後、消息が途絶えてしまった。
その知らせを聞いたときは、自分でも驚くほど冷静に対応していたが、キバナくんがそう簡単に死ぬはずがないと、すぐに連絡が来るだろうと思っていたからかもしれない。
だが、数日、数週間と経つにつれて徐々に焦りと不安に蝕まれていった。
自分でもキバナくんを探しに行きたいと申し出たが、ジムリーダーが行方不明になっている以上どんな危険があるかわからないとジムスタッフや他のジムリーダーから止められ、断念せざるをえなかった。
何もできない自分が歯痒かった。
その歯痒さを埋めるように仕事やトレーニングに明け暮れているうちに数か月が経った。未だキバナくんが見つかったという報告はされていない。
写真から視線を外し、水でも飲むかと立ち上がりコップを手にしたところで、部屋の扉がノックされた。
何かトラブルがあって、スタッフが呼びに来たのだろうか。
はい、と返事をした瞬間、扉の向こうから静かに、よく通る声が聞こえた。
「カブさん。」
ーガシャン、とコップが砕け散る。
すぐに扉を開けようとしたが、何故かドアノブがびくともせず開けることができない。
「何で、」
気が動転してそれしか返すことができなかった。
「ごめんねカブさん。約束守れなくて」
頭の中は雑然としていたが、一つだけ理解できた。理解したくはなかった。
もう君は、君には会うことは叶わないと告げられた。
「・・・別れを言いに来たのかい?」
できるだけ平常を保ったつもりだが、声は震えていた。うねるような感情の波を抑えるので精いっぱいだった。
「それもあるけど・・・カブさんといっこ約束をしに来たんだ。」
「約束?」
つい先ほど約束は守れないと告げられたばかりだというのに何を、と回らない頭で考える。
「うん、カブさんがファイナルトーナメントで優勝して、ダンデに勝つって」
それはもちろん今までずっと目指してきたものの一つではあるが、キバナとの約束にすることで何の意味があるのか。半ば混乱状態に陥っていたカブはすぐに言葉を返すことができなかった。
それを見越して、キバナは続ける。
「オレさまはさ、めちゃくちゃ悔しいけどダンデにまだ一度も勝てたことがない。だからさ、カブさんがダンデに勝ってチャンピオンになったらオレさまより強いってことになるんだ。」
だから、勝手なお願いだってわかってるけど、
「あの日の約束、カブさんの手で果たしてほしい。」
雑然とした頭の霧が晴れるような感覚に陥る。
キバナくん、君はぼくが前に進めるように、ぼくの背中を押すために来てくれたのか。
「・・・若者に背中を押されるのは二度目だね。やっぱりぼくはまだまだだな。」
先ほどまで波がうねるようだったカブの心は嘘のように静まっていた。
一度、扉の前で姿勢を正す。
「わかったよ、キバナくん。君との約束、必ず果たすと誓おう。」
一呼吸おいて扉の向こうから声が返ってくる。
「ありがとう、カブさん。・・・それと、」
「ん?」
「オレさま、カブさんのことがこれまでもこれからも大好きです。」
キバナの真剣で泣きそうな声に、あのきれいで真っすぐな瞳がカブの脳裏に浮かび、笑みがこぼれた。
だが、もうその瞳を見ることは叶わない。
「ぼくも、君のことが大好きだよ、キバナくん。それでね、ぼくからも一つだけお願いがあるんだ。聞いてくれるかな。」
「・・・できることなら何でも」
「ふふ、ありがとうキバナくん。ぼくからのお願いはね、最期に、笑ってほしい。それだけだよ。」
ぐす、と鼻をすする音の後に小さく、うん、と返事があって、
「ずっと愛してるよカブさん。・・・元気でね。」
最期にあの花火が咲いたような笑顔が見えた気がした。
君に気持ちを伝えられた時、ぼくは正直なところ困惑していた。
ぼくは君のことを尊敬こそすれど、恋とか愛といった感情を抱いたことはなかったから。
でも、君の真剣で、今にも泣きそうな瞳から目をそらせなくて、自分でもよくわからないうちにうなずいていた。
その時の、花火が咲いたような笑顔は今でも忘れることができない。
「・・・ブさん、カブさん!」
ジムスタッフの声で我に返る。
時計を見るとすでに23時を回っている。
どのくらい耽っていたのだろうか。
「こんな時間まで仕事をしていたら体に障りますよ!ただでさえ最近トレーニングもオーバーワーク気味なんですから…。」
スタッフは心配そうに顔を曇らせる。
今はオフシーズンで、ジムもそれ程忙しくはないはずだが、カブは夜遅くまで仕事や鉱山でのトレーニングをすることが増えていた。
「もうこんな時間か。心配をかけてすまないね。今日はもう上がることにするよ。」
書きかけの書類を片付けながら立ち上がる。
スタッフは少し安心した様子で、そうしていただけると助かります、と残して部屋を出て行った。
「わかっているんだ、でも」
誰もいない部屋でカブは静かに呟いた。
シャワーを浴びて自室に戻ったところで既に1時を過ぎており、すっかり深夜まで起きることに慣れてしまったなと独り言ちる。
部屋の奥にあるベットに腰掛け、ふと視線を上げた先に一枚の写真が目に入った。
昨年のファイナルトーナメント決勝戦でキバナと対戦した後に撮ったもので、1年程前の写真だが、カブにはつい昨日のことのように感じられた。
昨年のファイナルトーナメント決勝戦、キバナくんにはあと一歩及ばず負けてしまったものの、お互い残り1匹までもつれこんだ鎬を削るバトルだった。
バトル後に勝利の自撮りを始めたキバナくんを横目にスタジアムから去ろうとしたところで、キバナくんに呼び止められたのだ。
「カブさん!写真、一緒に撮ってくれませんか。」
え、と振り向くとキバナくんがこちらに駆け寄ってきて頭を下げた。
「オレさま、今のバトルでいっこ戦術を思いついたんだ。でもそれはオレさまだけじゃなくてカブさんとギリギリのバトルができたからひらめいたんだよ。だから、カブさんも一緒に写って欲しいんだ。」
有無を言わさぬ真剣な瞳に、考える間もなくいいよ、と返していた。
「ありがとうカブさん!」
また、あの花火が咲いたような笑顔が眼前にひろがる。
眩しい、と感じると同時に胸の奥がじわりとした高揚感に包まれる。
あぁぼくは、
このきれいな真っすぐな瞳と、眩しい笑顔を持つ君のことが好きなんだと気づいた瞬間だった。
バトル同日の夜、キバナくんはぼくの家を訪ねてきた。
特に約束をしていたわけではなかったが、ぼくもキバナくんも同じ気持ちを抱いていたことに嬉しさを覚える自分がいた。
「カブさん、突然来てごめんなさい。もういっこ先に謝っておきます。ごめんなさい。今日抱いていいですか。」
真っすぐな、それでいて獰猛な竜のように輝く瞳。迷う余地はもうカブにはなかった。
「いいよ。ぼくも君に抱かれたいと思っていた。」
そう返すと同時に自分より二回り大きな影が覆いかぶさってきた。
バトルの高揚感が収まらず、お互いを貪りあうような夜だった。
そんな夜に、ぼくはキバナくんと約束をした。
「次のバトルは絶対に負けないよ。」
「望むところです。カブさん。」
だが、この約束はもう果たされることはなくなってしまったのだ。
数か月前、キバナくんは新たに発見されたガラルの遺跡に調査に行ってくると残して旅立った。
しかし、旅立ってから数日後、消息が途絶えてしまった。
その知らせを聞いたときは、自分でも驚くほど冷静に対応していたが、キバナくんがそう簡単に死ぬはずがないと、すぐに連絡が来るだろうと思っていたからかもしれない。
だが、数日、数週間と経つにつれて徐々に焦りと不安に蝕まれていった。
自分でもキバナくんを探しに行きたいと申し出たが、ジムリーダーが行方不明になっている以上どんな危険があるかわからないとジムスタッフや他のジムリーダーから止められ、断念せざるをえなかった。
何もできない自分が歯痒かった。
その歯痒さを埋めるように仕事やトレーニングに明け暮れているうちに数か月が経った。未だキバナくんが見つかったという報告はされていない。
写真から視線を外し、水でも飲むかと立ち上がりコップを手にしたところで、部屋の扉がノックされた。
何かトラブルがあって、スタッフが呼びに来たのだろうか。
はい、と返事をした瞬間、扉の向こうから静かに、よく通る声が聞こえた。
「カブさん。」
ーガシャン、とコップが砕け散る。
すぐに扉を開けようとしたが、何故かドアノブがびくともせず開けることができない。
「何で、」
気が動転してそれしか返すことができなかった。
「ごめんねカブさん。約束守れなくて」
頭の中は雑然としていたが、一つだけ理解できた。理解したくはなかった。
もう君は、君には会うことは叶わないと告げられた。
「・・・別れを言いに来たのかい?」
できるだけ平常を保ったつもりだが、声は震えていた。うねるような感情の波を抑えるので精いっぱいだった。
「それもあるけど・・・カブさんといっこ約束をしに来たんだ。」
「約束?」
つい先ほど約束は守れないと告げられたばかりだというのに何を、と回らない頭で考える。
「うん、カブさんがファイナルトーナメントで優勝して、ダンデに勝つって」
それはもちろん今までずっと目指してきたものの一つではあるが、キバナとの約束にすることで何の意味があるのか。半ば混乱状態に陥っていたカブはすぐに言葉を返すことができなかった。
それを見越して、キバナは続ける。
「オレさまはさ、めちゃくちゃ悔しいけどダンデにまだ一度も勝てたことがない。だからさ、カブさんがダンデに勝ってチャンピオンになったらオレさまより強いってことになるんだ。」
だから、勝手なお願いだってわかってるけど、
「あの日の約束、カブさんの手で果たしてほしい。」
雑然とした頭の霧が晴れるような感覚に陥る。
キバナくん、君はぼくが前に進めるように、ぼくの背中を押すために来てくれたのか。
「・・・若者に背中を押されるのは二度目だね。やっぱりぼくはまだまだだな。」
先ほどまで波がうねるようだったカブの心は嘘のように静まっていた。
一度、扉の前で姿勢を正す。
「わかったよ、キバナくん。君との約束、必ず果たすと誓おう。」
一呼吸おいて扉の向こうから声が返ってくる。
「ありがとう、カブさん。・・・それと、」
「ん?」
「オレさま、カブさんのことがこれまでもこれからも大好きです。」
キバナの真剣で泣きそうな声に、あのきれいで真っすぐな瞳がカブの脳裏に浮かび、笑みがこぼれた。
だが、もうその瞳を見ることは叶わない。
「ぼくも、君のことが大好きだよ、キバナくん。それでね、ぼくからも一つだけお願いがあるんだ。聞いてくれるかな。」
「・・・できることなら何でも」
「ふふ、ありがとうキバナくん。ぼくからのお願いはね、最期に、笑ってほしい。それだけだよ。」
ぐす、と鼻をすする音の後に小さく、うん、と返事があって、
「ずっと愛してるよカブさん。・・・元気でね。」
最期にあの花火が咲いたような笑顔が見えた気がした。
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