審神者&特務司書inTwistedWonderland
監督生が目を覚まさなくなった日から、そして緊急会議から一ヶ月が経過した。
だからと言って大きな進展はない。それどころか、面白半分にオンボロ寮へ突撃しようとする生徒が後を絶たない。そんな生徒を寮長と副寮長が絞り上げるという仕事が増えただけだ。しかし幸いなことに、その生徒らの多くはオンボロ寮の入口前で気絶していたのだ。彼ら曰く、ドアノブを掴もうとして伸ばした手に激しい痛みが走ったり、脳味噌を潰されるような錯覚で嘔吐したりと様々ではあった。手に火傷を負った生徒は治癒薬で回復したものの、本来であれば一週間で消えるはずの火傷は、三週間してやっと元の状態に戻った。これには薬品を調合したクルーウェルや、手伝っていたサイエンス部員が皆首を傾げた。これが一人だけならまだしも、十人、二十人と日に日に増えていった。種族関係なく起こる現象に違和感を覚えつつ、彼らの怪我の酷さから、クルーウェルは日頃の行いだろうと次の授業の準備に取り掛かった。
監督生と仲の良い一年生だけではなく、寮長全員が監督生を心配していた。皆、その感情を顔には出さない。何より、今の彼らの傍に近寄れないという現実が、より焦燥を生み出している。
そうは言っても、寮長には特別仕事が多く、寮の中には伝統行事を行なっているところもある。特に、ハーツラビュル寮はハートの女王の法律に従って生活している。この日も未だ眠り続ける監督生を心配しつつ、何でもない日のパーティーの準備に取り掛かるエースとデュースの姿があった。二人揃って首を刎ねられたくは無いので、当然ながら真面目に作業をしているが、その表情は何処か浮かないものだ。
…………影からこっそり見守っているリドルとて、考えていることは彼らと同じだ。首を刎ねる気にもなれないので、ここは一度だけ二人と話をしておこうと思い、歩み寄ろうとした。
「寮長!リドル寮長!!」
リドルの行動を止めたのは、おそらく買い出しのために購買部へ行っていた、自分の寮生二人だった。薔薇の迷宮から走ってきたであろう一人が、呼吸を乱しながらリドルの名を叫ぶ。
「な、何だい?随分と息が切れているけれど………」
「大変です、リドル寮長!何者かが学園内で暴れていて…………!」
「今も数名、俺たちの後ろから追いかけて来ていたんです!」
「何だって!?」
「も、申し訳ありません………!薔薇の迷宮なら撒けるかと思い………」
「いや、君たちが謝ることではない…………確かに名前通りの迷路だからね。これを利用しようと考えた君を、ボクは評価するよ」
それまで準備中で和やかだった空気は、騒然とし始める。他の場所で飾り付けやタルト作りに勤んでいた、ケイトやトレイを含めた寮生も集まる。
「…………今カリムくんに聞いてみたんだけど、本当だった」
ケイトの元に送られてきた、グラウンドを撮影した短い動画を見れば、何が起きているかなど一目瞭然だ。
「……………な、んだ………コイツらは…………」
覗き込んだトレイは思わず唾を呑み込んだ。しかし、彼がそうなってしまうのも無理は無い。他の寮生、特に一年生はそれを視界に入れたことを後悔するくらいなのだから。
……………見慣れたグラウンドには、ゴーストよりも悍ましい何かがいた。ソードに似た武器のようなものを持った、骨だけの姿の物体。そして、ブロットのようなインクを纏った生き物が歩いている。生徒を見つければ、それらは無差別に襲いかかる。骨は斬りかかり、生き物は纏ったインクで攻撃する。マジカルペンを手に魔法で攻撃するも、それらに魔法は通じない。当たる直前になると、何故か魔法が弾けて消えてしまうらしい。魔法障壁を張って攻撃を塞ごうとする生徒もいたが、呆気なく破られている。
「なぁ、あれって魔法障壁じゃ…………」
「き、きっと威力が弱かったとかだろ………」
「それに、魔法が通じないのも、アレと一緒だろ………?なぁ………」
全員が思い出したのは、学園の結界を破って攻撃を受けた時のことだ。オーバーブロットを起こした生徒が攫われ、怪我人が何人も出た事件。だが今回襲撃している者たちは、それとは似つかない異様さを放っていた。
「あ、っ」
そうこうしている間に、動画内で見たばかりの異様な人物がぞろぞろと現れた。実際に目にしてしまったそれは、やはり自分たちには見慣れない存在だ。
「…………寮長、俺たちに命令を」
副寮長のトレイが言えば、寮生の身が一斉に引き締まる。心なしか、マジカルペンを握る力も強くなっているような気がした。
「…………ハーツラビュル寮長の権限において、あの異質な者たちへの攻撃魔法の使用を許可する!総員、構え!」
「はい、寮長!」
リドルの合図によって、寮生は魔法による攻撃を開始した。
______………しかし、やはりと言うべきか。彼らは苦戦していた。当然だろう。それらに、魔法は通じていないのだから。
「…………っ、お前たち!」
ユニーク魔法が通用しないことを早々に理解したリドルは、周囲で応戦していたはずの寮生がほぼ倒れている状況に気が付いた。実技の経験が不足している一年生は当然ながら、二年や三年の半数程度の魔法石が黒く濁っている。
「ごめん、ね、リドルくん…………」
「ケイト………!」
「でも、俺くんたちもみんな………限界、でさ……………」
「……………それ以上は何も言わなくていい。今は、ブロットが無くなるのを待って、休んでいてくれ」
ケイトは感謝を述べてからすぐ身を隠して、ブロットの消化に移る。リドルは自身の魔法石を確認すると、握り直した杖を地に叩き付けた。幸い、彼にはオーバーブロットするほどの穢れは溜まっていなかった。
「……………お前たち。ボクのトランプ兵を、ここまで傷付けて…………いい度胸がおありだね………!!」
それは、一切何も喋らない。いや、何も喋れないのかもしれない。だが今のリドルには、そんなことは関係無かった。
おそらく、これは人ではない。ならば、本当に首を刎ねてしまえばいいのだ。
「このボクが、お前たちの首を刎ねてやる!!」
「ッ、リドル!?」
駄目だ、とトレイが叫ぶ前にリドルは走り出した。ある一体の前まで来た時、リドルの持っている杖は勢い良く振りかざされる。杖は人の形をしたインクまみれの生物の首に、まるでソードで木を切る時のように。
____…………切れなかった。
その代わり、一体の生物はリドルの勢いに押されて、まだ白いのままだった薔薇の木に体当たりした。
「……ッ、攻撃は出来たけど………やっぱり、この杖じゃ………!」
「!………ローズハート寮長!後ろ!!」
「………え、?」
遠くでエースを支えていたデュースの叫びが聞こえた時には、もう遅かった。自分よりも体躯のある生き物へ攻撃した反動は重く、リドルはその場に座り込み動けないまま、背後から襲いかかろうとする骸骨の持つ刃先を見つめることしか出来なかった。
「リドルーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
…………あぁ、また、君のその声を聞くなんて。
僅かに記憶に残っていた、自分の名をそうして呼ぶ幼馴染の声を、どこか他人事のように思ってしまった。夢なら覚めてくれと言わんばかりに、リドルは衝撃に備えて目を瞑った。
____しかし、幾秒待ってもその衝撃は訪れなかった。
思わず目を開くリドル。その前には、暗い赤紫色の髪を一房で束ねた、青と紫の柄の入ったスカーフを首に巻いた人物が立っていた。
「………ど、どうして」
ふと、周囲の異変に気付く。あれほど苦戦を強いられていたはずのそれらが、何かの閃光と共にどんどん斬られて行くではないか。一体、これはどういう状況か。
「キ、サマァ…………!トウケンダンシ、デハ、ナイナ…………!」
「だから何だと言うんだ。所詮、貴様ら時間遡行軍とやらも、侵蝕者と同様か」
スカーフの人物は聴き心地の良い低音で、容赦無く怪物を罵倒すると、持っていた槍を構えた。その刃先を、躊躇いなく怪物の心臓部に向けて突き刺す。
「クッ…………グァァァァァァァアアア!!!」
その場の空気を変えるような怪物の声に、リドルを含めた全寮生が騒ぎ始める。
………パーティー会場が静かになるまで、一分にも満たなかった。化け物が消滅する代わりに現れたのは、先程の怜悧そうな赤紫色の男。そして、似たような装いをした、銀色の短い髪の男の二人だ。
「ふむ。もうこの空間に敵の反応は無いようだな。川端」
「ええ、次の任務は証人の連行ですよ。利一」
「そうだったな。刀剣の方々と合流する前に、情報を仕入れるとしよう」
「では、その作業は私がやりましょう」
「川端がそう言うなら任せよう」
銀髪に暗い色の服を着た、寡黙そうな男はポケットから端末を取り出して、何かしらの操作をし始める。反対にリドルへの攻撃を塞いだ男は、今いる場所を見渡す。そんな男に、リドルは恐る恐る声をかけた。
「あの………」
「うん?」
名をリイチというらしい男に話しかけたは良いものの、リドルはまだ力が抜けてしまったままなのか、座り込んだままであった。
「ありがとうございました……その………」
「貴方が気にかけることではない。これも手前らの仕事の一つだ」
「仕事………ですか……」
「ああ。ところで、怪我などは無いか」
おそらく彼は人が良いのかもしれない。この学園ではあまり上手くやってはいけない男だろうと、密かにリドルはそう思った。
自分に差し伸べられた手が、何よりの証拠だ。
「っ、利一!」
「くッ!?」
突然、物静かそうな男(こちらはおそらくカワバタ、というのだろう)が叫んだかと思えば、彼は持っていた武器をリドルに向けて、リイチを庇うようにして前に出た。
「リドル!!」
「寮長!!」
「川端!何をしている!」
リイチ、と呼ばれた男がカワバタの肩を掴むと、冷静になったのか「申し訳ありません」と謝罪した。しかしその後、カワバタは続けて言い放った。
「ですが利一、この赤髪の少年はリドル・ローズハートです」
「……………何だと?」
リイチの纏う空気が変わる。それまでは存在していたはずの、ただでさえ彼の冷たい瞳から、光が消えた気がした。
彼らから見れば知らないはずの名前を呼ばれたリドルは、想定出来なかった事態に呆然とする。
「間違いありません。ハーツラビュル寮長の証でもある杖と冠の情報が一致しています」
「ならば、この少年がそうか」
「はい」
「……………川端。後のことは手前に任せてもらえないだろうか?」
「分かりました」
薔薇の迷宮の出入口前まで歩いて行ってしまったカワバタは、パーティー会場から少し離れた場所の見回りへと消えていった。
「………」
「あ、あの………」
「先程は、川端が刃を向けてしまい申し訳ない」
「え、あぁ、はい………」
「まさか、彼もこんなに早く証人の一人と出会うとは思わなくて、混乱してしまったのだろう………」
リイチはリドルの視線に合わせるようにして目の前でしゃがむと、手を差し出して立ち上がらせた。その光景を、寮生はただ見守ることしか出来ない。
「あの、気になっていたのですが…………証人、というのは?」
「すぐに分かる。今は、手前たちに付いて来るだけで構わない」
「……………なぁ、ちょっといい?」
リドルとリイチの間に入ったのは、意外にもエースだった。もちろんトレイも行こうとはしていたが、一歩遅かったとも言える。
「貴方は?」
「そっちこそ誰だよ。急に出てきて化け物退治してくれたのはありがたいけどさぁ………」
「………あぁ、お前の言う通りだよ。エース」
エースの隣に並ぶように、トレイがリドルの前に立つ。トレイの表情は、幼馴染みに刃先を向けられたという事実から、険しいものになっている。
「何の事情も話さずに着いてこい、なんて………少し虫が良すぎないか?そんな話に着いていけるほど、今の俺たちはお前たちを信用していない」
「何だ、そのことか。そのことなら、安心すると良い。手前たちも、貴方がたのことは信用していないからな」
「はぁ?何それ…………そんなんで寮長のこと連れて行こうとしてた訳?」
「いや………ハーツラビュル寮からは、リドル・ローズハート以外の証人を他に四名連行することになっている」
「よ、四人……!?」
「あぁ。事前にその人物の情報は、此方で得ている」
そう言うとリイチは、端末に目を落とす。おそらく、あの端末に証人と呼ばれた者の情報が入っているのだろう。
「…………ほう。眼鏡をかけた貴方は、証人一覧にも名前がある副寮長のトレイ・クローバーか」
「!」
「トレイ先輩まで入ってんのかよ………!?」
「そして………あぁ、なるほど」
エースと端末を交互に見てから、リイチは合点がいったと言わんばかりに呟いた。
「貴方が、最重要証人の一年、エース・トラッポラか」
「……………は?」
エースの喉から声は出なかった。声にもならない驚愕が、彼に襲いかかったのだ。当然ながら、周囲で聞いていた寮生も吃驚したように騒めく。そんなこともお構いなく、リイチはさらに続けて言い放つ。
「次に、三年生のケイト・ダイヤモンド。そして最後の一名は最重要証人の一年生、デュース・スペード」
「!」
「なっ………!?」
僅かに眉を顰めるケイトとは反対に、デュースはエース同様驚きを隠せなかった。それが余計に寮生を混乱に陥れた。
「一年生たちを最重要なんて、あまり感心しないけど…………何かあるのかな?」
「ダイヤモンド先輩…………?」
デュースを守るように立ち塞がるケイトが、リイチに抗議する。曲がり形にも自分の寮の寮長に、同学年の友人…………そして何より、最重要だなんて宣告された大切な後輩。ケイトにとっては、最早無くてはならない存在を、貶められた気分だった。デュースとエースは当然だが、リドルとトレイも、彼のそういった表情を見たことは一度もない。
「なら、貴方はグリムと呼ばれた魔獣と共に、生徒として登録されている者を存じているか?」
「!?」
リイチの鋭い瞳が、ハーツラビュル寮生を威圧する。イエローの吊り上がった眼は、何処か怒りを孕んでいるようにも見える。
「…………成程、その様子なら知っているようだ。手前も川端も、その二人…………お前たちが監督生と呼んでいる者を救いに来ただけだ」
「救いに………ということは、貴方は監督生たちの世界から……………?」
「当然だ。証人の者からは、此方での監督生という二人がどうしていたのかを、聞く予定だからな」
「なるほどね…………それでエーデュースちゃんが最重要、ってことなんだ」
エーデュース(エースとデュースのことだ)は監督生やグリムと同じ一年生で、クラスメイトでもある。トレイとケイトは、入学したばかりの頃の監督生に寮の説明などをしたりと世話を焼いている。リドルも、自身のオーバーブロットで迷惑をかけてしまったことや、マジカルシフト大会前の事件解決に協力したことがある。リドル、トレイ、ケイトは監督生を可愛い後輩だと思っているし、エースとデュースはグリムも含めて最高の友達だと思っている。エースもデュースも、自分が最重要証人と言い渡されて混乱していたが、リイチとケイトの会話を聞いて納得した。それならば、と二人は意思を固めた。
「…………俺たち、知ってることしか話せないけど………いいのかよ」
「それでも一向に構わない」
「僕たちが監督生の力になれるなら、全部、話します!先輩がたも、それでいいですか」
「え、う、うん………」
「お前たちがそう言うなら、それでいいが…………」
「ああ、ボクも構わないよ」
「そうか。素直に受け入れてくれるなら、此方としても助かる」
……………リイチの指示に従い、ハーツラビュルの証人である五人は、何でもない日のパーティー準備途中の会場で待機することとなった。他の寮生は不安から、その場に留まりたかったが、如何にも自分たちとは相容れない、麗しく眉目秀麗な貴公子二人の監視がある中、近付こうとする生徒は誰一人としていなかった。
_____……………数分経過して現れたのは、紺色の髪を複雑に纏めた少年、向かって左側の瞳を眼帯で覆った青年、美しく焦げた褐色の青年の三人だった。
「おっ、あんたらが証人か?」
紺色髪に白服の少年が、リドルを含む五人を吟味するように見比べる。自分たちよりも幼いながら、まるで一人の立派な大人のように伺える麗しい顔に、五人はたじろいだ。
「こら貞ちゃん、あんまりじろじろ見ちゃ駄目だよ」
「………ふん」
少年の行動を止めたのは、眼帯を付けている青年だ。青年は髪から服装まで全てを黒で統一させていて、小洒落た印象を見せている。一方で、褐色肌の青年は悪態を付いていた。
「えっと、二人から聞いてるかな?君たちをオンボロ寮に連れて行くね」
「オンボロ寮!?」
眼帯の青年から出た言葉に、誰もが驚く。連行される場所が、今も眠ったままでいる監督生がいるオンボロ寮だということに。
「うん。僕は反対したんだけど、歌仙くんとか中野さんが聞かなくて………」
「光忠、此奴らに余計なことを言うな」
「あぁ、ごめんね伽羅ちゃん」
褐色肌の青年は、ミツタダと呼ばれた眼帯の青年を睨み付ける。それに対してミツタダは怯むことなく、笑いかけている。
「…………」
「また何処から敵が現れるか分からない。彼らを護衛しながら連行しよう、と川端は言っている。手前は賛成するが………刀剣の方々はどうだろうか」
「…………良いんじゃないか。此奴らに死なれたら困るからな」
「もう………伽羅ちゃんは素直に心配だからって言えばいいのに」
「五月蝿いぞ、光忠」
カラちゃん、などと呼ばれた青年は拗ねてしまったのか、顔を背けてしまう。
ハーツラビュルの五人は、傾向が全く変わった、個性的な美貌の男たちの会話に横槍を入れる隙もなかった。どころか、彼らの関係性を知るために黙ったままであった。しかし彼らが詳しい身内話をすることはなく、関係を考察する時間はなかった。
「じゃ、俺が先行くな!」
「では、手前も先頭を行こう。川端は背を頼む」
「はい…………」
「ありがとう横光くん、川端くん」
五人を挟むようにして先頭にリイチと紺髪の少年が立ち、後ろから三人が歩き始める。
これまた綺麗で端整な男性たちに率いられながら、リドル含めたハーツラビュル五名は鏡舎へ続く鏡の奥へと入って行った。
だからと言って大きな進展はない。それどころか、面白半分にオンボロ寮へ突撃しようとする生徒が後を絶たない。そんな生徒を寮長と副寮長が絞り上げるという仕事が増えただけだ。しかし幸いなことに、その生徒らの多くはオンボロ寮の入口前で気絶していたのだ。彼ら曰く、ドアノブを掴もうとして伸ばした手に激しい痛みが走ったり、脳味噌を潰されるような錯覚で嘔吐したりと様々ではあった。手に火傷を負った生徒は治癒薬で回復したものの、本来であれば一週間で消えるはずの火傷は、三週間してやっと元の状態に戻った。これには薬品を調合したクルーウェルや、手伝っていたサイエンス部員が皆首を傾げた。これが一人だけならまだしも、十人、二十人と日に日に増えていった。種族関係なく起こる現象に違和感を覚えつつ、彼らの怪我の酷さから、クルーウェルは日頃の行いだろうと次の授業の準備に取り掛かった。
監督生と仲の良い一年生だけではなく、寮長全員が監督生を心配していた。皆、その感情を顔には出さない。何より、今の彼らの傍に近寄れないという現実が、より焦燥を生み出している。
そうは言っても、寮長には特別仕事が多く、寮の中には伝統行事を行なっているところもある。特に、ハーツラビュル寮はハートの女王の法律に従って生活している。この日も未だ眠り続ける監督生を心配しつつ、何でもない日のパーティーの準備に取り掛かるエースとデュースの姿があった。二人揃って首を刎ねられたくは無いので、当然ながら真面目に作業をしているが、その表情は何処か浮かないものだ。
…………影からこっそり見守っているリドルとて、考えていることは彼らと同じだ。首を刎ねる気にもなれないので、ここは一度だけ二人と話をしておこうと思い、歩み寄ろうとした。
「寮長!リドル寮長!!」
リドルの行動を止めたのは、おそらく買い出しのために購買部へ行っていた、自分の寮生二人だった。薔薇の迷宮から走ってきたであろう一人が、呼吸を乱しながらリドルの名を叫ぶ。
「な、何だい?随分と息が切れているけれど………」
「大変です、リドル寮長!何者かが学園内で暴れていて…………!」
「今も数名、俺たちの後ろから追いかけて来ていたんです!」
「何だって!?」
「も、申し訳ありません………!薔薇の迷宮なら撒けるかと思い………」
「いや、君たちが謝ることではない…………確かに名前通りの迷路だからね。これを利用しようと考えた君を、ボクは評価するよ」
それまで準備中で和やかだった空気は、騒然とし始める。他の場所で飾り付けやタルト作りに勤んでいた、ケイトやトレイを含めた寮生も集まる。
「…………今カリムくんに聞いてみたんだけど、本当だった」
ケイトの元に送られてきた、グラウンドを撮影した短い動画を見れば、何が起きているかなど一目瞭然だ。
「……………な、んだ………コイツらは…………」
覗き込んだトレイは思わず唾を呑み込んだ。しかし、彼がそうなってしまうのも無理は無い。他の寮生、特に一年生はそれを視界に入れたことを後悔するくらいなのだから。
……………見慣れたグラウンドには、ゴーストよりも悍ましい何かがいた。ソードに似た武器のようなものを持った、骨だけの姿の物体。そして、ブロットのようなインクを纏った生き物が歩いている。生徒を見つければ、それらは無差別に襲いかかる。骨は斬りかかり、生き物は纏ったインクで攻撃する。マジカルペンを手に魔法で攻撃するも、それらに魔法は通じない。当たる直前になると、何故か魔法が弾けて消えてしまうらしい。魔法障壁を張って攻撃を塞ごうとする生徒もいたが、呆気なく破られている。
「なぁ、あれって魔法障壁じゃ…………」
「き、きっと威力が弱かったとかだろ………」
「それに、魔法が通じないのも、アレと一緒だろ………?なぁ………」
全員が思い出したのは、学園の結界を破って攻撃を受けた時のことだ。オーバーブロットを起こした生徒が攫われ、怪我人が何人も出た事件。だが今回襲撃している者たちは、それとは似つかない異様さを放っていた。
「あ、っ」
そうこうしている間に、動画内で見たばかりの異様な人物がぞろぞろと現れた。実際に目にしてしまったそれは、やはり自分たちには見慣れない存在だ。
「…………寮長、俺たちに命令を」
副寮長のトレイが言えば、寮生の身が一斉に引き締まる。心なしか、マジカルペンを握る力も強くなっているような気がした。
「…………ハーツラビュル寮長の権限において、あの異質な者たちへの攻撃魔法の使用を許可する!総員、構え!」
「はい、寮長!」
リドルの合図によって、寮生は魔法による攻撃を開始した。
______………しかし、やはりと言うべきか。彼らは苦戦していた。当然だろう。それらに、魔法は通じていないのだから。
「…………っ、お前たち!」
ユニーク魔法が通用しないことを早々に理解したリドルは、周囲で応戦していたはずの寮生がほぼ倒れている状況に気が付いた。実技の経験が不足している一年生は当然ながら、二年や三年の半数程度の魔法石が黒く濁っている。
「ごめん、ね、リドルくん…………」
「ケイト………!」
「でも、俺くんたちもみんな………限界、でさ……………」
「……………それ以上は何も言わなくていい。今は、ブロットが無くなるのを待って、休んでいてくれ」
ケイトは感謝を述べてからすぐ身を隠して、ブロットの消化に移る。リドルは自身の魔法石を確認すると、握り直した杖を地に叩き付けた。幸い、彼にはオーバーブロットするほどの穢れは溜まっていなかった。
「……………お前たち。ボクのトランプ兵を、ここまで傷付けて…………いい度胸がおありだね………!!」
それは、一切何も喋らない。いや、何も喋れないのかもしれない。だが今のリドルには、そんなことは関係無かった。
おそらく、これは人ではない。ならば、本当に首を刎ねてしまえばいいのだ。
「このボクが、お前たちの首を刎ねてやる!!」
「ッ、リドル!?」
駄目だ、とトレイが叫ぶ前にリドルは走り出した。ある一体の前まで来た時、リドルの持っている杖は勢い良く振りかざされる。杖は人の形をしたインクまみれの生物の首に、まるでソードで木を切る時のように。
____…………切れなかった。
その代わり、一体の生物はリドルの勢いに押されて、まだ白いのままだった薔薇の木に体当たりした。
「……ッ、攻撃は出来たけど………やっぱり、この杖じゃ………!」
「!………ローズハート寮長!後ろ!!」
「………え、?」
遠くでエースを支えていたデュースの叫びが聞こえた時には、もう遅かった。自分よりも体躯のある生き物へ攻撃した反動は重く、リドルはその場に座り込み動けないまま、背後から襲いかかろうとする骸骨の持つ刃先を見つめることしか出来なかった。
「リドルーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
…………あぁ、また、君のその声を聞くなんて。
僅かに記憶に残っていた、自分の名をそうして呼ぶ幼馴染の声を、どこか他人事のように思ってしまった。夢なら覚めてくれと言わんばかりに、リドルは衝撃に備えて目を瞑った。
____しかし、幾秒待ってもその衝撃は訪れなかった。
思わず目を開くリドル。その前には、暗い赤紫色の髪を一房で束ねた、青と紫の柄の入ったスカーフを首に巻いた人物が立っていた。
「………ど、どうして」
ふと、周囲の異変に気付く。あれほど苦戦を強いられていたはずのそれらが、何かの閃光と共にどんどん斬られて行くではないか。一体、これはどういう状況か。
「キ、サマァ…………!トウケンダンシ、デハ、ナイナ…………!」
「だから何だと言うんだ。所詮、貴様ら時間遡行軍とやらも、侵蝕者と同様か」
スカーフの人物は聴き心地の良い低音で、容赦無く怪物を罵倒すると、持っていた槍を構えた。その刃先を、躊躇いなく怪物の心臓部に向けて突き刺す。
「クッ…………グァァァァァァァアアア!!!」
その場の空気を変えるような怪物の声に、リドルを含めた全寮生が騒ぎ始める。
………パーティー会場が静かになるまで、一分にも満たなかった。化け物が消滅する代わりに現れたのは、先程の怜悧そうな赤紫色の男。そして、似たような装いをした、銀色の短い髪の男の二人だ。
「ふむ。もうこの空間に敵の反応は無いようだな。川端」
「ええ、次の任務は証人の連行ですよ。利一」
「そうだったな。刀剣の方々と合流する前に、情報を仕入れるとしよう」
「では、その作業は私がやりましょう」
「川端がそう言うなら任せよう」
銀髪に暗い色の服を着た、寡黙そうな男はポケットから端末を取り出して、何かしらの操作をし始める。反対にリドルへの攻撃を塞いだ男は、今いる場所を見渡す。そんな男に、リドルは恐る恐る声をかけた。
「あの………」
「うん?」
名をリイチというらしい男に話しかけたは良いものの、リドルはまだ力が抜けてしまったままなのか、座り込んだままであった。
「ありがとうございました……その………」
「貴方が気にかけることではない。これも手前らの仕事の一つだ」
「仕事………ですか……」
「ああ。ところで、怪我などは無いか」
おそらく彼は人が良いのかもしれない。この学園ではあまり上手くやってはいけない男だろうと、密かにリドルはそう思った。
自分に差し伸べられた手が、何よりの証拠だ。
「っ、利一!」
「くッ!?」
突然、物静かそうな男(こちらはおそらくカワバタ、というのだろう)が叫んだかと思えば、彼は持っていた武器をリドルに向けて、リイチを庇うようにして前に出た。
「リドル!!」
「寮長!!」
「川端!何をしている!」
リイチ、と呼ばれた男がカワバタの肩を掴むと、冷静になったのか「申し訳ありません」と謝罪した。しかしその後、カワバタは続けて言い放った。
「ですが利一、この赤髪の少年はリドル・ローズハートです」
「……………何だと?」
リイチの纏う空気が変わる。それまでは存在していたはずの、ただでさえ彼の冷たい瞳から、光が消えた気がした。
彼らから見れば知らないはずの名前を呼ばれたリドルは、想定出来なかった事態に呆然とする。
「間違いありません。ハーツラビュル寮長の証でもある杖と冠の情報が一致しています」
「ならば、この少年がそうか」
「はい」
「……………川端。後のことは手前に任せてもらえないだろうか?」
「分かりました」
薔薇の迷宮の出入口前まで歩いて行ってしまったカワバタは、パーティー会場から少し離れた場所の見回りへと消えていった。
「………」
「あ、あの………」
「先程は、川端が刃を向けてしまい申し訳ない」
「え、あぁ、はい………」
「まさか、彼もこんなに早く証人の一人と出会うとは思わなくて、混乱してしまったのだろう………」
リイチはリドルの視線に合わせるようにして目の前でしゃがむと、手を差し出して立ち上がらせた。その光景を、寮生はただ見守ることしか出来ない。
「あの、気になっていたのですが…………証人、というのは?」
「すぐに分かる。今は、手前たちに付いて来るだけで構わない」
「……………なぁ、ちょっといい?」
リドルとリイチの間に入ったのは、意外にもエースだった。もちろんトレイも行こうとはしていたが、一歩遅かったとも言える。
「貴方は?」
「そっちこそ誰だよ。急に出てきて化け物退治してくれたのはありがたいけどさぁ………」
「………あぁ、お前の言う通りだよ。エース」
エースの隣に並ぶように、トレイがリドルの前に立つ。トレイの表情は、幼馴染みに刃先を向けられたという事実から、険しいものになっている。
「何の事情も話さずに着いてこい、なんて………少し虫が良すぎないか?そんな話に着いていけるほど、今の俺たちはお前たちを信用していない」
「何だ、そのことか。そのことなら、安心すると良い。手前たちも、貴方がたのことは信用していないからな」
「はぁ?何それ…………そんなんで寮長のこと連れて行こうとしてた訳?」
「いや………ハーツラビュル寮からは、リドル・ローズハート以外の証人を他に四名連行することになっている」
「よ、四人……!?」
「あぁ。事前にその人物の情報は、此方で得ている」
そう言うとリイチは、端末に目を落とす。おそらく、あの端末に証人と呼ばれた者の情報が入っているのだろう。
「…………ほう。眼鏡をかけた貴方は、証人一覧にも名前がある副寮長のトレイ・クローバーか」
「!」
「トレイ先輩まで入ってんのかよ………!?」
「そして………あぁ、なるほど」
エースと端末を交互に見てから、リイチは合点がいったと言わんばかりに呟いた。
「貴方が、最重要証人の一年、エース・トラッポラか」
「……………は?」
エースの喉から声は出なかった。声にもならない驚愕が、彼に襲いかかったのだ。当然ながら、周囲で聞いていた寮生も吃驚したように騒めく。そんなこともお構いなく、リイチはさらに続けて言い放つ。
「次に、三年生のケイト・ダイヤモンド。そして最後の一名は最重要証人の一年生、デュース・スペード」
「!」
「なっ………!?」
僅かに眉を顰めるケイトとは反対に、デュースはエース同様驚きを隠せなかった。それが余計に寮生を混乱に陥れた。
「一年生たちを最重要なんて、あまり感心しないけど…………何かあるのかな?」
「ダイヤモンド先輩…………?」
デュースを守るように立ち塞がるケイトが、リイチに抗議する。曲がり形にも自分の寮の寮長に、同学年の友人…………そして何より、最重要だなんて宣告された大切な後輩。ケイトにとっては、最早無くてはならない存在を、貶められた気分だった。デュースとエースは当然だが、リドルとトレイも、彼のそういった表情を見たことは一度もない。
「なら、貴方はグリムと呼ばれた魔獣と共に、生徒として登録されている者を存じているか?」
「!?」
リイチの鋭い瞳が、ハーツラビュル寮生を威圧する。イエローの吊り上がった眼は、何処か怒りを孕んでいるようにも見える。
「…………成程、その様子なら知っているようだ。手前も川端も、その二人…………お前たちが監督生と呼んでいる者を救いに来ただけだ」
「救いに………ということは、貴方は監督生たちの世界から……………?」
「当然だ。証人の者からは、此方での監督生という二人がどうしていたのかを、聞く予定だからな」
「なるほどね…………それでエーデュースちゃんが最重要、ってことなんだ」
エーデュース(エースとデュースのことだ)は監督生やグリムと同じ一年生で、クラスメイトでもある。トレイとケイトは、入学したばかりの頃の監督生に寮の説明などをしたりと世話を焼いている。リドルも、自身のオーバーブロットで迷惑をかけてしまったことや、マジカルシフト大会前の事件解決に協力したことがある。リドル、トレイ、ケイトは監督生を可愛い後輩だと思っているし、エースとデュースはグリムも含めて最高の友達だと思っている。エースもデュースも、自分が最重要証人と言い渡されて混乱していたが、リイチとケイトの会話を聞いて納得した。それならば、と二人は意思を固めた。
「…………俺たち、知ってることしか話せないけど………いいのかよ」
「それでも一向に構わない」
「僕たちが監督生の力になれるなら、全部、話します!先輩がたも、それでいいですか」
「え、う、うん………」
「お前たちがそう言うなら、それでいいが…………」
「ああ、ボクも構わないよ」
「そうか。素直に受け入れてくれるなら、此方としても助かる」
……………リイチの指示に従い、ハーツラビュルの証人である五人は、何でもない日のパーティー準備途中の会場で待機することとなった。他の寮生は不安から、その場に留まりたかったが、如何にも自分たちとは相容れない、麗しく眉目秀麗な貴公子二人の監視がある中、近付こうとする生徒は誰一人としていなかった。
_____……………数分経過して現れたのは、紺色の髪を複雑に纏めた少年、向かって左側の瞳を眼帯で覆った青年、美しく焦げた褐色の青年の三人だった。
「おっ、あんたらが証人か?」
紺色髪に白服の少年が、リドルを含む五人を吟味するように見比べる。自分たちよりも幼いながら、まるで一人の立派な大人のように伺える麗しい顔に、五人はたじろいだ。
「こら貞ちゃん、あんまりじろじろ見ちゃ駄目だよ」
「………ふん」
少年の行動を止めたのは、眼帯を付けている青年だ。青年は髪から服装まで全てを黒で統一させていて、小洒落た印象を見せている。一方で、褐色肌の青年は悪態を付いていた。
「えっと、二人から聞いてるかな?君たちをオンボロ寮に連れて行くね」
「オンボロ寮!?」
眼帯の青年から出た言葉に、誰もが驚く。連行される場所が、今も眠ったままでいる監督生がいるオンボロ寮だということに。
「うん。僕は反対したんだけど、歌仙くんとか中野さんが聞かなくて………」
「光忠、此奴らに余計なことを言うな」
「あぁ、ごめんね伽羅ちゃん」
褐色肌の青年は、ミツタダと呼ばれた眼帯の青年を睨み付ける。それに対してミツタダは怯むことなく、笑いかけている。
「…………」
「また何処から敵が現れるか分からない。彼らを護衛しながら連行しよう、と川端は言っている。手前は賛成するが………刀剣の方々はどうだろうか」
「…………良いんじゃないか。此奴らに死なれたら困るからな」
「もう………伽羅ちゃんは素直に心配だからって言えばいいのに」
「五月蝿いぞ、光忠」
カラちゃん、などと呼ばれた青年は拗ねてしまったのか、顔を背けてしまう。
ハーツラビュルの五人は、傾向が全く変わった、個性的な美貌の男たちの会話に横槍を入れる隙もなかった。どころか、彼らの関係性を知るために黙ったままであった。しかし彼らが詳しい身内話をすることはなく、関係を考察する時間はなかった。
「じゃ、俺が先行くな!」
「では、手前も先頭を行こう。川端は背を頼む」
「はい…………」
「ありがとう横光くん、川端くん」
五人を挟むようにして先頭にリイチと紺髪の少年が立ち、後ろから三人が歩き始める。
これまた綺麗で端整な男性たちに率いられながら、リドル含めたハーツラビュル五名は鏡舎へ続く鏡の奥へと入って行った。