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綿飴乙女は鏡の世界でも愛されている

「………それで、俺たちもこのオンボロ寮?とやらに居座ることになったわけだが」
「はい」
「君、山本に言ったよね。この世界で人並みの生活をしているって」
「……はい」
結果として、メアとグリムがゴーストと共に生活しているオンボロ寮に留まることとなった。自分を尊敬している青年の言葉を借りるなら、これしか無いと芥川は思う。
_______芥川は激怒した。必ず、かの親友が我が子の如く可愛がる司書を、廃墟に押し込む卑しいマスク男を除かねばならぬと決意した。
「これが人並みだって思うなら君は洗脳されているよ。そういう魔法でも使われたのかな?」
「だ、だって………」
「ワタシの前でまだ言い訳を並べる気かい?」
「ごめんなさい……」
談話室のソファに座らされたメアは、芥川、菊池、山本の三人に囲まれていた。グリムは別のソファに腰掛けた久米の膝の上に乗せられ、ふなぁ、とか弱く鳴いている。
「こ、これでも最初の頃よりは綺麗に」
「そういうことじゃないって分かるか?」
「ひえっ……」
司書の肩を菊池ががっしりと掴む。和やかに笑っているが、青筋を浮かべていたので怒りが頂点に達しているのだろう。グリムは獣の勘というやつで察した。大事な子分を助けたいが、久米から「彼女を甘やかすなんて真似、親分の君はしないでしょう?」と笑っているのか怒っているのか微妙な顔で釘を刺されたので、大人しく膝の上で猫になっている。
「皆さん、あまり司書さんを苛めてはいけませんよ」
「松岡さーん!」
圧迫尋問擬きですっかり萎縮してしまったメアを、幸運にも救い出したのは紅茶を用意していた松岡。購買部のサムから特別に貰い受けた茶葉で淹れた紅茶のティーカップをテーブルに並べながら、休憩の時間を提案した。
「今は図書館へ帰る方法を探すのが先です。司書さんが痩せた理由などを問い質すのは後にしましょう」
「え、松岡さん??」
「はい、どうかしました?」
「どうしてそんなの分かるんですか………?」
「どうして、って………貴女に触れた時に確認しましたので」
「ひぇぇ……」
メアは思い出した。
________…………この人確かに私のこと抱きしめてたわ、と。
まさかあの短時間で分析するとは思いもしなかった。そして何より、此方に来てから体重が減ったのは事実だった。特に、オーバーブロット事件が負担をかけているのかもしれないと考えたが、目の前の男たちにこの件は伝えないことにした。これを伝えたら、何かが終わるような気がしたからだ。後でグリムにも釘を刺しておこう、と思った時だった。
「…………お前らは、メアに酷いことしないんだゾ?」
「グリムくん、でしたか?当然です」
「………じゃあ、メアを助けてくれなんだゾ!」
まるで駄々をこねる子どものように、グリムはびゃあびゃあと泣く。
このグリムは、メアのお陰で大変教養のある獣だった。故にイソギンチャクの被害者になることも無く、期末テストは自力で挑んでいた。監督生としてのメアの動向を全て知った上で、彼女のことを想って、涙を流した。
「グリム!?」
「コイツは俺様のことばかりで、自分のことなんて何も考えてないんだゾ!」
久米の膝の上で泣き叫ぶグリムは、久米に毛並みを撫でられながら話し始めた。グリムが話している間、メアは芥川の着物に顔を押し付けられていた。
突然、入学式と称されて不気味な鏡の前で名乗ったことや、そこで魔力が無いことや帰る場所が無いと言い渡されたこと。
オーバーブロット事件や、その前に発生した事柄まで、グリムは全てを彼らに吐き出した。
「…………………………成程」
久米はグリムの体を優しく撫でると、ただ静かに呟いた。その眼は何かに燃えているような、憎悪が秘められたものだった。
久米は司書を呼ぼうとした。しかし、それより早く松岡の方が口を開いていた。
「司書さん」
「は、い」
「僕は、あなたが帰れる算段が付くまで、此方の世界に留まります」
「え?」
「ここでやるべき事が見えたので、僕はそれを行います」
メアの元へ跪いた松岡は、ただ真っ直ぐに彼女を見つめる。
「あなたの身を、守らせてください。」
傍から見れば、騎士と姫の構図だな。というのは、窓を開けて煙草を吹かし始めた菊池の言葉だった。

学園に謎の紳士集団が現れた翌日。ハートとスペードのスートを描いた二人の男子生徒に挨拶したのは、男子校であるナイトレイブンカレッジには存在しないはずの女子生徒だった。しかし今やそれも日常の一つ、のはずだった。
「エース、デュース!おはよう!」
…………唯一の女子生徒、監督生ことメアの背後に、突如姿を見せた紳士集団のうち二人が立っていたことを除けば。
「おはようございます。えっと、エースさんとデュースさん、でしたね。改めて紹介を、松岡譲と言います」
気軽に松岡と呼んで構いません、と微笑う執事のような大人の男性に、二人は少々萎縮してしまっていた。少なくとも、学園内では見たことがない傾向の大人への耐性が付いていなかったのだろう。
何より、松岡とは反対の印象を想起させる帽子の男のことが、一層気になっていた。
「…………」
「久米。気持ちは分かるけれど、挨拶」
「………久米正雄です」
松岡に言われて口を開いた久米は、それだけで目を逸らした。
「司書さんの待遇を聞いて、僕たちが残って彼女の護衛をすることにしたんです。グリムくんはよく働いているようですし」
「そうなの!お二人は魔法が無くても強いからね!」
「あ〜………まぁ、そういうことなら………」
エースは納得したように後頭部を掻いた。
監督生はこことは別の世界から来たということは知っていた。それゆえ、護衛が出来たと聞いても当然としか考えられなかった。
「………あれ、じゃあ他の人は?」
デュースが聞くと、松岡が疑問に答える。
「図書館…………元いた場所に一度戻りました。向こうで彼女を戻す手段を探しています」
「その間、僕たちで彼女を守ります。彼女には五体満足、無傷でいてもらわなければなりませんから」
人当たりの良い顔とは、こういった表情のことを言うのか。松岡は、髪一本傷つけさせないと言いたそうに、ただ微笑んでいた。
エースはオクタヴィネル寮のジェイド・リーチのことを思い出した。一切の乱れも許さない行動と口調がそっくりだったが、その裏に潜むものが無いことは昨日理解していた。だからこそ、この松岡という男性の誠実さを揶揄することが出来なかった。
「………って、え?それならかんと………じゃなくてメアも帰れるんじゃないのか……あ、ですか?」
「ふふ、そんなに畏まることはありません」
「……………………彼女が帰るには、複雑な条件があることが分かりました。なので、その準備を向こうで行うんです」
眼鏡のブリッジを上げながらボソボソと言い始めた久米は、エースやデュースの方を見ていなかった。その姿を松岡は咎めようとしたものの、久米の視線はメインストリートの石像に向いてしまい聞くことは無かった。
「と、とにかく!暫くはこの世界にいるから、よろしくね」
ニコニコと微笑むメアに何かを物申す男などいなかった。何故なら、今の彼女はNRCのアイドルのような存在である。そして、松岡と久米にとっては強く気高く美しい特務司書。何より、女の子の笑顔はプライスレスなのだ。

昼食時になると、大勢の生徒で混み合う食堂。
育ち盛りの男子高校生たちは、食事にありつこうという戦争になるのだ。この日も、エースやデュースを始めとした学生らは食堂へ集う。
エースはミニパスタとハンバーグのセットを、デュースはデミグラスソースのオムライスを注文して席に着いた。一方、席取りをしていた監督生の前には何も置かれていなかった。グリムは既に、監督生ことメアのお手製ツナマヨネーズサンドイッチ(ちょっぴりカラシとレタス入り)に食らい付いていた。
「メア、昼食を選んできても良いぞ?」
「あ、大丈夫。そろそろ来るから」
「は?来るって何が………」
「お待たせしました」
エースが最後まで言い切る前に、松岡がメアの前にプレートとマグカップを静かに置いていた。プレートにはキャベツサラダとカルボナーラ、マグカップにはラタトゥイユ。全て松岡が特務司書兼アルケミスト、そして監督生のメアに相応しいと独断で決めたメニューだ。
「貴女の食育に見合った献立を考えました。食堂のゴーストさん達から聞けば、貴女は碌な食事も取っていなかったようですね」
「ぎくっ」
「………寛がいないからと言って、僕たちは甘やかしたりしませんからね……」
「うぅ………」
キャベツを頬張るメアを、向かい側に座るエースとデュースは各々食事を口にしながら眺めていた。
「………あの、マツオカ、さん?」
エースが松岡に声を掛ける。
「エースさん?もしかして、お茶でしょうか?直ぐに御用意しましょう」
「え!?あ、いや、そうじゃなくて!」
カウンターに向かおうとする松岡を呼び止める。やはり、エースは松岡が苦手だった。
「いや、今、食育、って言ってませんでした……?」
「ええ、言いましたね」
「彼女は此方の世界に来てから痩せ過ぎていたので、肥していかなければと思いまして」
松岡と久米がそれぞれ返答する。
そもそも、司書の体型は全て文豪の手で管理されていた。自分たちの女にするためには大切なことだよ、というのは初期文豪・中野重治の言葉である。
「そうだ司書さん。僕は後で学園長さんとお話があるので、午後の授業は久米と行動してください」
「? 分かりました」
松岡のその発言通り、メアと久米が次に彼と再会するのはオンボロ寮への帰宅後となる。
授業中は当然ながら、移動中に監督生に絡んで来る者はいなかった。彼女の背後を守護霊のように付いて行く久米の眼光に、皆威圧されていたからだ。

執事に似た装いの青年が向かっている先は、学園の責任者であるクロウリーのいる学園長室だ。部屋の前に立つと身嗜みを確認してから、二回ほどノックしてそう重くない扉を開ける。
「学園長さん、こんにちは」
「……あなたは確か、監督生さんのところの………マツオカさん、ですね」
「ええ。司書さんの、松岡です」
態と言葉に棘を飾り付ける。松岡にとって、彼女は『監督生』ではなく『特務司書』なのだ。
「本当なら御茶と共に話を進めたかったのですが、そういう状況でも無くなってしまったので直接話し合おうと思いまして」
「そうでしたか………ええ、良いでしょう」
クロウリーはいつもの様に私優しいので、と付け足した。松岡は聞かなかった振りをして、指定されたソファに腰掛ける。
「では、簡潔に言います」
他所向きの愛想笑いと思われるだろう表情は、松岡の良き性格を表しているのだろう。
しかしその顔は、直様冷徹な無表情へと切り替わった。
「彼女を返していただきます」
クロウリーは息を呑む。久米の歪な刃物の様なものが首に当てられている訳ではないが、呼吸が難しくなっていく。一方の松岡は、それまで正していた姿勢を崩す。足を組み、手で口元を覆う。
「………すぐに出来ないのは分かっています。ですが、彼女が戻る手立てを何一つ得られないあなたに頼るのは、もう止めます。
いえ、持っていたとしても、あなたが伝えることはないでしょうね」
松岡は、クロウリーの思考を読んでいた。予めナイトレイブンカレッジが癖のある生徒が多く、問題行動の片付けに追われている場所だと聞いていた。その駒として、自分たちの特務司書が好き勝手に扱われていた事実を、松岡も久米も許せなかった。
「そこでこれからの話になりますが、調査のために僕たち以外の来訪者が来ます。学園長さん、あなたにはその許可を出して頂きたいのです。
彼女は元々、この世界の者ではありません。あなた方が何を言おうと、連れ戻します」
構いませんよね、綿の様に優しく微笑む松岡。先程まで氷の視線を送って来た男とは、本当に同じ人物なのか。他の教職員、そして寮長たちに連絡を取ろうとするクロウリーには、そんなことを考える時間など無かった。
気付けば、クロウリーは何度も首を縦に振っていた。それに気を良くした松岡は、持っていた紙束をテーブルの上に叩き付ける。
「次にこの場に訪れるのは彼らです。隅から隅まで、しっかりと目を通してくださいね」
そう言うと松岡は部屋を後にした。
松岡に叩き付けられた紙束に、クロウリーは目を向ける。その資料には、四名の名前が記されていた。



坂口安吾
太宰治
織田作之助
檀一雄

以上四名の転移を許可します。
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