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綿飴乙女は鏡の世界でも愛されている

繋げていた筈の糸が、ぷつりと途切れた。
松岡がそれを感じ取った時には、既に行動に移していた。彼女の自室から仕事部屋まで走ったが、見つけたい姿は何処にも無い。

「司書さんの姿がありません」
館内全てを見て回ったが、彼女の姿は見つからなかった。突然絶たれた繋がり。図書館から姿を消した司書は既に一度、死に別れた者達を引き合わせてくれたのだ。一人の文学少女の失踪に男達は感情を昂らせる。或る者は怒り、立ち尽くし、絶望した。
司書の就任初日から図書館にいた或る四人は、肩を震わせていた。徳田は、泉が焦る程度には分かり易く、それでも静かに怒りを見せている。中野も、小林や徳永に宥められながら怒りを収めようとしている。菊池は、机を叩いて舌打ちをするが、それを止める者はいない。国木田は、というと。
「司書を拐ったのは許せないな、連れ戻してやろうじゃねえか」
そう言ったのを皮切りに、他にも賛同の声が上がる。
普段は司書に対して辛辣な態度を取る者達も、彼女のことが大切なのだ。大事な彼女は、連れ戻さなければならない。
「松岡、君は司書さんのいる場所に心当たりがあるのか?」
久米が松岡に聞く。というのも、久米には松岡が何か知っているのではないかと感じていた。
「………久米には分かったんだね、そうだよ」
松岡がそう言って指差した先には、姿見があった。
「あれだけじゃない……この図書館にある鏡から彼女の気配を強く感じます」
「つまり………司書さんは鏡の中に……?」
信じられない、と反応する者もいれば納得する者もいた。
「司書の部屋にも鏡はあった筈だ。確証は無いが、その鏡の中の誰かに誘われて……か」
______冗談もいい加減にしろ。菊池の冷たい声は、室内を寒々とさせるには充分だった。
「彼女は僕達の仲間だ。鏡だろうが何だろうが返してもらうだけだ」
徳田の決意を秘めたそれに、彼と関わりの深い者達は何も言えなかった。
「きっとあの娘だけじゃ困る事だってあるだろうし、早急に取り戻さないとね」
優しく微笑む中野だが、その瞳の奥は笑ってはいなかった。
_________その時だった。談話室の鏡が突如輝きだした。
「な、何だ!?」
太宰を始めとして、その場にざわめきが起こる。しかし、それも鏡から聞こえてくる女性の声で止まった。
『_____ま、か』
「!」
誰よりも先に鏡へ向かったのは徳田だった。聞き覚えのある、自分達から見れば幼い子どもと変わりない少女の声。紛れもなく、司書の声だ。
「司書さん!」
『________………!』
刻々と、鮮明に司書と呼ばれる少女の姿が鏡に映る。
顔も髪も瞳も全て、彼女のものだった。着ている制服は図書館の職員の物ではなく、黒を基調としたブレザーではあったが、鏡の中にいるのは間違いなく司書だった。
「司書さん大丈夫かい!?」
中野がそう言うも返事は無い。寧ろ、此方の声は彼女の元に届いていないらしく、鏡を叩いている。一体どうしたものかと、その場にいた全員が冷静になって思考していた時だった。
________________鏡を叩く司書の手を、背後から複数の男達が掴んでいた。遠ざかっていく彼女は、必死にその手を振り解こうとしている。
「……………………………………は、」
その声を、ある者は地獄の底から這い上がって来たかのように低い声だと表現した。
声の主は、鏡から悪鬼羅刹に似た気配を感じていた松岡だった。隣にいた久米は、普段の松岡からは想像出来ない、怒り故に震える姿に驚いていた。
一方、松岡はというと。彼は反撥したとはいえ、生前は寺に生まれ落ちた、僧になると謂われていた男である。ある程度ならば、霊力や悪霊などの気配を感じ取ることなど余裕だった。松岡の転生先の図書館は、元はある地主の屋敷で空き家だったのを改装した建物だ。それ故か、松岡には図書館に表れる霊気に敏感であった。ましてや、悪霊やら怨念やらは以ての外。悪の気を悍しい、どころか穢らわしいとさえ思っている。
___________さて、それ程までに“悪”に対して嫌悪の意を示す松岡が、鏡から感じる悪を見てしまったらどうなるだろう。
普段は司書である女性から、何故か好意的な感情を向けられ、それに対して微笑みながら突き放す様な態度を取る松岡。しかし彼女は、同じく文学を守りたいという、現在を生きる人間の一人だ。彼女も、文学によって人生を救われた少女に違いなど無い。そんな例が無くとも、確実に松岡は司書に確かな愛情を持っていた。松岡には、そんな彼女が鏡の中の世界で、悪気しか感じられない男達の手で穢されているように見えてしまったのだ。
「………………赦さない」
その声が誰のものかなんて、悩み考える程ではない。
『_______………っ、先生!』
司書の誰かの名前を呼ぶ声が鏡から聞こえ、再び鏡は光り出した。鏡の中の司書は此方に向けて手を伸ばしていた。まるで、自分達に助けを求めるかのように。
「……寛」
鏡の中に飛び込もうとする菊池を、松岡は呼び止めた。菊池は怒りを顕にしながらも、松岡の方を向いた。
「僕が行きます」
菊池の怒りは、自分以上に歯軋りをしていた松岡を見て収まった。否、引っ込んだと言った方が適切か。
「………松、岡……?」
「彼女に憑き纏う悪を放っては置けません、僕が彼女を救い出します」
普段の、温厚で世話焼きな松岡譲ではなかった。たった一人の少女に執心する男が、そこには存在した。
「行くのは構わない……だが……」
「僕も行く!」
「え!?」
「久米!アンタ何を……」
自身も松岡に付いて行く、と言ったのは久米であった。予想していなかった久米に、芥川と山本が一番に驚いていた。しかしながら、久米は松岡同様、何かを決意したかのように強い眼差しで鏡を見ていた。
「僕を此処に呼び出してくれたのは彼女だ。彼女は、山本や松岡のことも救い出してくれた………松岡は、そんな彼女を救いたいと言っているんだ。
だったら、僕が行かない理由なんて無いさ。同じく文学を守る者同士……僕も共に行くよ、松岡」
「久米………」
有難う、と松岡が言えば久米も同じ表情を見せる。その流れを見ていた山本は、溜息を一つした。
「久米にそんなことを言われてしまえば、ワタシも行かない理由なんて無いじゃないか」
「そんなこと言って、君だって行く気あっただろう」
「おや、バレていたんだね」
「山本まで……」
今日だけで何回感謝の言葉を述べたのだろうか、と頭の片隅で考える松岡。
「それなら、僕も行こう」
「芥川……」
「芥川先生?」
松岡に続いて、太宰が芥川の名を口にした。
______………芥川の、何処か怒りを秘めた表情に、何かを察した太宰は黙った。言いたいことはあったが、それを口にしてはいけないと思い言わなかった。
「司書の前に立ち塞がっている男が気に食わないね……それに、彼女に触れる手の持ち主にも、そんな手を除けてもらいたい」
芥川が嫌悪感たっぷりに言うその人物……黒いマントにシルクハットの男が、自分達の司書を隠すように鏡の前に立っていた。さらに、自分達が映っているであろう鏡へ向かおうとする司書の腕や肩を掴み止めようとしている男達の姿も現れる。目視出来たのは、ハートやスペードなどのフェイスペイントを施した者や、獣耳を生やした者くらいだ。
兎に角、松岡や芥川だけではなく、司書と自分達の再会を阻む悪しき連中を好まない所か憎む者は何人かいた。その中の多くは、司書の過去を詳しく知る者だ。
「………ったく、仕方ねえな」
そうボヤいたのは、菊池寛だ。髪を掻き上げながら、こうなることが分かっていたかの様に冷静に振舞う。
「俺一人で行こうと思ったが、龍まで付いてくるとはな………」
「どうせ寛だけじゃ無理するだろうし、いいじゃないか」
「……分かったよ」
菊池のその言葉を合図に、同行者の四人は鏡に向き合う。
「まるで、『第四次新思潮』に潜書した時みたいだ」
「ふふ、そうだね」
菊池、松岡、久米、山本、芥川は鏡の前に立つ。すると、鏡はより強く光出す。
最初に、鏡に手を当てたのは松岡だった。図書館にいる誰よりも、曇らせた表情の彼は何があっても司書である少女を救い出そうと決めていた。
「………待っていてください」


___________貴女を奪い、剰え穢す悪を、排除しに行きますから。
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