審神者&特務司書inTwistedWonderland
マジカルシフト大会を前に控えた頃、学園内では選手候補である生徒たちが怪我をする事件が起きていた。監督生………純恋と萌愛は学園長に頼まれて(押し付けられたとも言う)、事件解決に向けて情報収集をしていた。その途中トレイが怪我したことから、リドルとケイトの協力をもらえたことにより事態は変化する。
一連がサバナクロー寮によるものであり、ラギーのユニーク魔法を使った犯行だと分かったところまでは良かった。ラギー本人を追求しようとした時に、それは起こった。リドルたちのマジカルペンが一瞬にして盗まれてしまい、彼を追いかけることになってしまった。
「めーちゃん、私、そこから出るから」
「うん?いいよ、分かった」
「ちょっと待てスミレ!!」
「メアもそう簡単に返事するな!!」
途中でばったり出会ってしまったエースは、廊下の窓を開けようとする純恋を止めようとする。デュースはそのまま走り去ろうとする萌愛の腕を引っ張っていた。それぞれ動きを止められた二人は不思議そうに首を傾げた。
「揃ってそんな顔すんな!お前、そこから飛び降りる気かよ!?」
「そうだけど………?その方が簡単に仕留められる」
純恋は別に戦闘系審神者ではないのだが、幼い頃から運動神経が有り余っている普通の女の子だった。本丸では粗相をやらかした刀剣男士に対して関節技を決めたり、現世では痴漢の両腕を折り曲げていた。刀剣男士たちにとっては「自分たちが育てた普通の人間の女の子は強くて可愛いなぁ」くらいの気持ちである。歌仙に至っては、「僕の主がここまで雅に育ってくれて嬉しい限りだ……」と感慨深く涙を流すほど。おそらく我々の考えている雅と、歌仙兼定の考える雅は違う。
「すーちゃんの範囲内に入るように追いつめてきてあげるからね」
「ありがと、めーちゃん」
「そうなれば善は急げ!ほら、二人も行くよ!」
「んなこと言ってもスミレ一人じゃ危な…………って早っ!?」
「ぼ、僕たちも急がないと………!」
萌愛は図書館の秩序を乱す者たちを追いかけ回しているうちに、ただでさえ飛び抜けていた足の力が鍛えられていた。その速さは陸上部であるデュースは当然ながら、既に中庭に出ていたリドルとケイトまでも追い抜いていた。
いつの間にかラギーの一歩後ろには、無表情のままの萌愛が美しいフォームを崩さず走っていた。
「…………っ、ハァ!?コイツ、オレに追いつくとか獣人かよ!?」
残念ながら萌愛は獣人ではない。ほとんどの文豪からは「ちょっと凶暴なスズメの雛鳥」「逃げ足の速い子ウサギ」という動物に喩えられることはあるが。文豪諸君にとって萌愛は、威勢よく可愛い小動物なのだ。
不味い、捕まってしまう…………といったところで急に萌愛は立ち止まった。まだ追いかけることが出来そうなほど広い中庭だというのに。
気が付いたラギーが後ろを振り返って煽りを入れようとした時だった。彼の真上が暗くなったのは。
「シシシッ、どうしたんスか?もう疲れちゃったと…………か…………」
____…………学舎の窓から飛び降りてきた純恋が、ラギーに襲いかかった。
「ぎゃああああああああああああああ!!?」
避けることも叶わず、そのまま押し倒される。少なくとも男子校ではまず見ることが出来ない光景だろう。
「捕獲完了」
アメシスト色の丸い瞳が怪しげに輝く。馬乗りされた挙句、両手を掴まれてしまったので逃げ道はない。いつの間にか自分を追い詰めていた萌愛が、ラギーの身体を羽交い締めにした。純恋は馬乗りのまま、ポケットの隅々まで弄り始めた。
「さてブッチ先輩、ローズハート先輩たちのマジカルペンはどこかな」
「私が抑えてるからゆっくり調べていいよ、すーちゃん」
「本当にすみませんでした!!!そこ!そこのポケットに入ってるんで!!」
「そうなんですね、ですが私たちは誇り高き日本国民なので隈無く調べます」
「何事にも慎重な国民で申し訳ありません!」
「ニホンって何スか!?」
結果、ラギーは本来の目的を忘れて気絶してしまった。この時は純恋と萌愛が同性だと思っていたので、野郎に身体中を弄られたショックで、半日保健室で眠っていたのは言わずもがなである。
「つまり君はご主人様たちに抵抗出来ぬまま、辱めを受けたんだね!実に羨ましい!!」
ラギーから全てを全てを聞いた亀甲は、興奮から顔を真っ赤にしていた。荒く呼吸している亀甲を他所に、物吉はにっこりと生徒たちに向き合った。
「申し訳ありません。兄さんは少し被虐癖がありまして………あっ、主様限定ですよ!」
「それはそれでどうなんだ………」
呆れたように大きく溜息を吐いたジャックに、誰もが共感して心の中で深く頷いた。しかしラギーだけは違って、鉄槌でも食らうのかと警戒していたので、一人だけほっと息をつく。
「羽交い締めってことはつまり、司書さんの体を堪能したということで合ってるか?」
………暇も与えず、小林は言いながら指を鳴らし始めた。ポキポキなんて可愛らしいものではなく、バキボキという骨が折れそうな音である。
小林は服で隠れているが、雪国出身であり誰よりも力持ちである。人体からしてはいけない音が鳴っているあたりで、その場にいた殆どが小林の異常性に気付いてしまった。
「大丈夫。ちゃんと死なない程度にやるから」
「大っっっっ変申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁぁ!!!」
小林の前に出てきたラギーはその場の勢いで謝罪の意を示した。所謂スライディング土下座、というものである。
ツイステッドワンダーランドの獣人の多くは、女性が頂点に立つことが多い。ラギーの種族でもあるハイエナは、その意識が根強い。もし番や、心に決めている男のいるメスの肌に触れようものなら、首を刎ねられても仕方ないことだろう。まして今回の相手は神々と主従を結ぶ審神者の純恋と、過去に実在した名高い男たちと協力以上の関係を持つ特務司書の萌愛だ。二人を様々な形で可愛がる彼らの愛情は重くて硬い。
「多喜二、マジカルシフト大会前の事件調査はあくまで依頼されたことだ。その怒りは依頼主にぶつけなよ」
「分かった」
「まぁまぁ、二人とも落ち着きなっせ!」
中野からの注意に、たった一言だけ返事をした多喜二の視線はその件の張本人、学園長に向けられていた。厳しい目を向ける二人とは反対に、少年の姿の徳永が宥める。
「サバナクローは特別被害無しと言っても構わないからね、強いて言えば………ボスである寮長の部屋にご主人様たちが泊まったことくらいかな」
中立の立場でものを言う亀甲は、落ち着きを取り戻して持参していた資料に目を通していた。
「あぁ………どっかのタコ野郎がオンボロ寮を奪っちまったから、仕方なく泊めはしたがな」
レオナは前に座るアズールを見ながら、愉快そうに笑う。弱肉強食を謳うサバナクローの寮生のほぼ全員が、弱そうだと判断した純恋に鳩尾を殴られたり、萌愛に下半身を蹴られている。またレオナのオーバーブロットや前述のラギーの件で、寮生の間では「兄貴」だなんて呼ばれているのだが、今回のことで「姉貴」呼びに変わるかもしれないのはまた別の話。
あ、と思い出したような声を上げた小林はある生徒の方へと振り向いた。そのまま彼に近付いて行くと、その生徒の名を呼んだ。
「ジャック・ハウルで合っているか?」
「う、うっす………」
「そうか。司書さんと審神者さんのことについて、感謝したい」
ジャックに直角に長く一礼をした小林。その突然の行動に驚くジャックだったが、そこから続いた刀剣男士の言葉に納得した。
「あなたは主様や司書さんに協力をしていたと伺っています」
「上の者が間違っていたら無理矢理にでも正そうとするその心意気………君のような人材は素晴らしい!」
物吉と亀甲は手放しにジャックを褒め称えた。審神者に従う刀剣男士にとっては、ジャックのように真面目で信念を突き通せる人物を、自らの主として持ち上げたいと思うのは当然だろう。物吉と亀甲を含めた刀剣男士には心に決めた可愛い主人がいるので、あえて他の主人に仕えていたらという妄想はしない。けれど、もしこの少年が審神者だったら、未だに蔓延るブラック本丸なんて生まれていないだろうとは考えていた。
「俺はあんたに礼が言いたくて、サバナクローの担当に指名したんだ。直や重治には迷惑をかけてしまって申し訳ないと思っている」
「そぎゃんと気にしとらんばい!」
「正直なところ、多喜二ならやりそうだなって思ってたしね」
「二人とも……………」
小林の性格を知り尽くしているプロレタリア派の二人は、まるで予想していたような態度だった。初期文豪を中野に選んだ萌愛は、必然的にプロレタリア文学の小林や徳永と話す機会が何度もあった。そこから小林と徳永はそれぞれの距離で萌愛との交流を深めていた。つまり、特務司書とプロレタリアの信頼度は満タンである。小林は死因とそこまでに至る経緯もあって難儀したが、今ではそんなことがあったのか疑わしいほど仲良しだ。覚醒してからは、それは顕著に現れている。
「い、いえ…………逆に、こっちが謝らないといけないことがあるのに、すみません!」
礼儀正しいジャックは立ち上がると、小林に向かって一礼する。先程とは入れ替わって小林の方が驚いていたが、「構わないさ」とだけ言ってジャックに右手を差し出した。それに気が付いたジャックは姿勢を正してから、小林から出された手を握り返した。二人の表情は晴れやかで良いものだった、と後に中野は語ることとなる。
言い争うほどのことではなかったサバナクローでの事件の尋問は、こうして簡単に幕を閉じたのだった。
オンボロ寮の寝室では、監督生と呼ばれていた男子生徒………を偽っていた少女たちがベッドで眠っていた。護衛として前田藤四郎と横光利一の二人が固まっており、その外では大典太光世と山本有三が寝室前の扉を見張っていた。
「横光さんは文学の神様、と呼ばれていたと伺っております」
「…………恥ずかしながら、付喪神である貴殿にそれで呼ばれるのは………」
「神とはいえ僕たちは末席の身、そう謙遜するのは………」
「いや、末席でも神は神。手前がそう簡単に神の名を借りるわけにはいかない」
「真面目なお方なのですね」
彼らにとっての世間話をしながらも、自分たちが使命とともに守るべき女性たちの睡眠の妨げを排除しようと意気込んでいた。
前田藤四郎という刀剣男士は、純恋が審神者として初めて鍛刀した短刀だ。初期刀である歌仙兼定と共に本丸と歴史を守っている守刀でもあり、純恋のことを誰よりも傍で見守っていた。対して横光利一は、特務司書である萌愛が先に転生させた菊池に師事していた男だ。そんな菊池が我が娘のように可愛がるばかりか、横光から見ても魅力的な女の子を気に入らない訳がなかった。
刀剣男士と文豪は歳を重ねている者がほとんどである。自分たちを顕現させたり転生させた、当時は未成年だった少女たちのことを想ってしまうのは仕方ないことだ。
「…………随分と窶れているな」
「はい………僕たちの支援があったというのに………」
本丸と図書館にいた頃に比べると、純恋も萌愛も痩せてしまっていた。もとより体型管理を怠るような性分ではなかった女性たちだが、こちらに来てしまってからは調査とグリムの情操教育に手一杯だったため、自分たちのことは後回しにしていた。
「…………全くだ」
寝室の扉が開くのと同時に、前田に賛同したような言葉が一言だけ。呆れた態度の大典太の声だった。その隣にいた山本も、顔を顰めている。
「あの日、鏡を見つけていなければ…………今頃どうなっていたか、考えたくもないよ」
______それは、マジカルシフト大会を終えて、オンボロ寮に帰った日の夜のこと。
エキシビジョンマッチで疲れ切って眠ったグリムをよそに、純恋と萌愛は図書室から借りてきた本に目を通していた。萌愛はそれに付け加えて、調査記録に真新しい情報を記入していく。流石に寮の中では、男装と認識阻害のアクセサリーは解いていた。サムからプレゼントしてもらった、フリルやリボンが遇らわれた白いワンピースを着ていた。
「………めーちゃん、大丈夫?」
「……………はっ!だ、大丈夫!うん!」
「本当に?寝た方がいいんじゃ………」
「平気!早く元の世界に帰るためにも、頑張らないと!」
萌愛は純恋よりも賢い方だ。虐待の過去からまともに教育を受けた記憶が無かった純恋は、周囲よりも物覚えが悪い子どもだった。そんな彼女と友達になる子がいるどころか、避けられていた。それでも彼女に話しかけて、こうして仲良くなれた当時の子どもこそ萌愛だった。
いつか、知識方面で彼女の役に立ちたい。それが幼い純恋の夢だった。だからこそ純恋は、空いた時間があれば全てを勉強に費やした。でも人間の脳の出来は人それぞれ、純恋は悪い方だったらしい。それでも施設出身とはいえ、優れた人は多くいる。医者を目指していた当時の高校生に、何度も勉強を見てもらったのはいい思い出だ。
アルケミストとしての研究や文豪の世話に加えて、図書館での通常業務まで請け負う萌愛は、調べ物が得意だ。働き者と言えば聞こえはいいが、それは純恋も同じこと。特に二人が今いる場所は日本ではなく、ツイステッドワンダーランドという未知の世界。何も知らない状態で物事を調べようとすれば、膨大な時間を浪費せざるを得ない。萌愛にとっては幸いなことに、世界観が英語圏に近いことだった。イギリス文豪とフランス文豪のお茶会や、アメリカ文豪主催のバーベキューに参加していたことが実を結んだようだ。純恋は立場上、現代に行く頻度が少ないため、インターネットで情報を入手するか配信サイトで音楽を聴く程度だ。
(………めーちゃん、メイクで誤魔化してるけど、やっぱり顔色悪い………)
小学生の頃からの親友であり、幼馴染の関係は伊達じゃない。これでも純恋は、一国一城の主のようなもの。人の顔色くらいすぐに見て分かる。
少し休憩時間を挟もうかと、純恋は提案しようと口を開く。しかしその声が出されることはなく、二人の視線が部屋の鏡に向けられた。
「…………今、鏡が光った?」
「めーちゃん、危ないから私の後ろにいて」
純恋を先頭にして、萌愛も鏡に近付いていく。眩しいほど白く光ったというのに、グリムは大きないびきをかいて寝ていた。呑気だな、と内心笑いながら鏡と向き合った。
「す、すーちゃん………!」
「大丈夫、私に任せて」
再び光った鏡に警戒を怠らない。純恋は常に携帯している札を手にしながら鏡に触れる。萌愛も同様にして、恐る恐る鏡に手を翳した。すると鏡からの光は力を増して、眩い光が二人を包み込む。そこでようやく、グリムはあまりの眩しさに目を覚ましたのだ。
「ふ、ふな!?鏡が光ってるんだゾ!?」
どうなっているんだと騒ぎ立てるグリムに目もくれず、純恋と萌愛は鏡を見つめていた。本当なら自分たちの姿が映し出させるはずの鏡には、それぞれ見覚えのある姿が映っていたからだ。
何年も一緒にいた、家族とも呼べる男たちの姿だ。
「……………歌仙?」
「…………な、中野、さん……………?」
自分たちが初期刀、初期文豪として選んだ好青年が、鏡に映し出されていたのだ。
「主!」
「歌仙っ!!」
「司書さん!」
「中野さん!」
純恋と萌愛は駆け寄り、鏡越しながら再会を分かち合った。
話を聞けば、向こうでは一週間しか経過していないらしい。こちらでは約二ヶ月経過しているが、世界によって時間感覚が違うのだろうか。最初に本丸に襲撃は無いか、侵食された書籍に異常は無いかを聞いたあたり、上に立つ者としての意識は高いと言える。特に何も無いことが分かれば、二人はツイステッドワンダーランドに来てしまったことや、現在の状況について話し始めた。
一方、何故自分たちに気が付いたのかと理由を聞くと、短刀の刀剣男士と児童文学文豪が図書館の談話室で遊んでいたことがきっかけらしい。純恋の本丸と、萌愛の図書館は協力関係にある。それゆえ、刀剣男士と文豪が、本丸と図書館を行き交うのは日常に含まれていた。
この日も純恋と萌愛の現状を知るべく、一部の刀剣男士が帝國図書館に訪れていた。その際に談話室で遊んでいた短刀と児童文学の少年たちは、鏡から放たれた光に違和感を持って大人たちを呼んだらしい。そうして今に至るというわけだ。
「こ、こいつら、一体誰なんだゾ?」
グリムにとっては、誰かも分からない男たちだ。けれどグリムは、自分が守るべき子分たちが嬉しそうに鏡の前の男たちを見て泣いているのを、邪魔しようとしなかった。二人の元の世界の者たちだろうと考えた。報告を終えてひと段落ついたところで、萌愛はグリムを抱きかかえる。そこでようやくグリムは鏡に映った男たちの姿を確認した。
紫色の柔らかい髪に紅色の装飾が目立つ男に、おそらく長いマロンカラーをまとめ上げた眼鏡姿の青年がいた。グリムは獣の勘が働いて、彼らが普通の人間とはかけ離れた存在なのだろうと息を呑む。
「紹介するね、歌仙。この子はグリム。今、私たちが面倒を見てるモンスターだよ」
「ほう………こんのすけのような管狐とは違うのか」
「あぁ、僕たちのところのネコに近いかもしれないね。でも彼は動物ではないかな」
「やはり中野さんもそう思いますか。私の見立てでは、猫又かと考えています………尤も、そのような妖などがこちらに存在するか不明ですが………」
グリムにとっては、普段の授業よりも難しすぎる話だったらしい。いつもなら自分が分かるように話せと言って暴れるのだが、そんな気もなく目を回している。ふなふなと鳴き始めたグリムの頭を、純恋は優しく撫でながら起きるように声をかけた。
「グリム、この男の人は歌仙兼定だよ」
「そして、こっちが中野重治さん」
「カセン…………ナカノ………………?」
どちらも聞きなれない発音の名前だった。純恋と萌愛の名前もそうだったことを思い出し、やはり二人が元の世界での知り合いなのかと改める。
グリムは、分かっていた。何の偶然か出会ってしまった二人が、この世界ではない場所から来たこと。いつか絶対、元の世界に帰ってしまうこと。モンスターである彼は、本能的に悟っていた。
…………彼らが女性だと知ったあの夜に、監督生となったあの日から。
誰よりも立派な大魔法士になること、それがグリムの願いだ。昔も今も変わらないが、動機だけは少し変わりつつある。
「…………もう夜なんだゾ?まだ寝ないのか?」
「この参考書と法律本まとめたらね」
「グリムくんは早寝早起きして、健やかに育つんだよ」
「オマエら、いつ起きたんだゾ!?」
「少し前にね」
「グリムくんも手を洗っておいで」
「今日の小テスト、俺様高得点取れたんだゾ!」
「へぇ、すごいね!確かにグリム、勉強頑張ってたもんね!」
「グリムくんの努力が叶ったんだね!今日の夕飯はツナ缶たっぷり使ったメニューにしよっか!」
眠っている間に、人間社会に慣れるように配慮してくれている純恋と萌愛。けれどそれをグリムには一切見せようとしない。一度、二人より早く起きて驚かせようとしたこともあったがそれが叶ったことはなかった。グリムはまだ幼い頭ながら理解していた。おそらく、二人は寝ていない。自分が寝たのを見計らって勉強や情報収集をして、起きる時間を予測して朝食にありつけるように準備をする。部活動には参加せず、図書室中の本を限度まで借りては読み尽くし、期限前までには返す。これがどれだけ大変なことか、グリムは二人の顔を見て嫌というほど理解していた。
だから、グリムは宣言した。
「………俺様、グリム様は、絶対に立派な大魔法士になるんだゾ」
______…………そして絶対、スミレとメアを、元の場所に返すんだゾ!!
歌仙兼定と呼ばれた刀剣男士は驚いた反応を見せたが、次の瞬間には怪しそうに微笑んでいた。
「言質は取ったぞ、グリム殿」
一連がサバナクロー寮によるものであり、ラギーのユニーク魔法を使った犯行だと分かったところまでは良かった。ラギー本人を追求しようとした時に、それは起こった。リドルたちのマジカルペンが一瞬にして盗まれてしまい、彼を追いかけることになってしまった。
「めーちゃん、私、そこから出るから」
「うん?いいよ、分かった」
「ちょっと待てスミレ!!」
「メアもそう簡単に返事するな!!」
途中でばったり出会ってしまったエースは、廊下の窓を開けようとする純恋を止めようとする。デュースはそのまま走り去ろうとする萌愛の腕を引っ張っていた。それぞれ動きを止められた二人は不思議そうに首を傾げた。
「揃ってそんな顔すんな!お前、そこから飛び降りる気かよ!?」
「そうだけど………?その方が簡単に仕留められる」
純恋は別に戦闘系審神者ではないのだが、幼い頃から運動神経が有り余っている普通の女の子だった。本丸では粗相をやらかした刀剣男士に対して関節技を決めたり、現世では痴漢の両腕を折り曲げていた。刀剣男士たちにとっては「自分たちが育てた普通の人間の女の子は強くて可愛いなぁ」くらいの気持ちである。歌仙に至っては、「僕の主がここまで雅に育ってくれて嬉しい限りだ……」と感慨深く涙を流すほど。おそらく我々の考えている雅と、歌仙兼定の考える雅は違う。
「すーちゃんの範囲内に入るように追いつめてきてあげるからね」
「ありがと、めーちゃん」
「そうなれば善は急げ!ほら、二人も行くよ!」
「んなこと言ってもスミレ一人じゃ危な…………って早っ!?」
「ぼ、僕たちも急がないと………!」
萌愛は図書館の秩序を乱す者たちを追いかけ回しているうちに、ただでさえ飛び抜けていた足の力が鍛えられていた。その速さは陸上部であるデュースは当然ながら、既に中庭に出ていたリドルとケイトまでも追い抜いていた。
いつの間にかラギーの一歩後ろには、無表情のままの萌愛が美しいフォームを崩さず走っていた。
「…………っ、ハァ!?コイツ、オレに追いつくとか獣人かよ!?」
残念ながら萌愛は獣人ではない。ほとんどの文豪からは「ちょっと凶暴なスズメの雛鳥」「逃げ足の速い子ウサギ」という動物に喩えられることはあるが。文豪諸君にとって萌愛は、威勢よく可愛い小動物なのだ。
不味い、捕まってしまう…………といったところで急に萌愛は立ち止まった。まだ追いかけることが出来そうなほど広い中庭だというのに。
気が付いたラギーが後ろを振り返って煽りを入れようとした時だった。彼の真上が暗くなったのは。
「シシシッ、どうしたんスか?もう疲れちゃったと…………か…………」
____…………学舎の窓から飛び降りてきた純恋が、ラギーに襲いかかった。
「ぎゃああああああああああああああ!!?」
避けることも叶わず、そのまま押し倒される。少なくとも男子校ではまず見ることが出来ない光景だろう。
「捕獲完了」
アメシスト色の丸い瞳が怪しげに輝く。馬乗りされた挙句、両手を掴まれてしまったので逃げ道はない。いつの間にか自分を追い詰めていた萌愛が、ラギーの身体を羽交い締めにした。純恋は馬乗りのまま、ポケットの隅々まで弄り始めた。
「さてブッチ先輩、ローズハート先輩たちのマジカルペンはどこかな」
「私が抑えてるからゆっくり調べていいよ、すーちゃん」
「本当にすみませんでした!!!そこ!そこのポケットに入ってるんで!!」
「そうなんですね、ですが私たちは誇り高き日本国民なので隈無く調べます」
「何事にも慎重な国民で申し訳ありません!」
「ニホンって何スか!?」
結果、ラギーは本来の目的を忘れて気絶してしまった。この時は純恋と萌愛が同性だと思っていたので、野郎に身体中を弄られたショックで、半日保健室で眠っていたのは言わずもがなである。
「つまり君はご主人様たちに抵抗出来ぬまま、辱めを受けたんだね!実に羨ましい!!」
ラギーから全てを全てを聞いた亀甲は、興奮から顔を真っ赤にしていた。荒く呼吸している亀甲を他所に、物吉はにっこりと生徒たちに向き合った。
「申し訳ありません。兄さんは少し被虐癖がありまして………あっ、主様限定ですよ!」
「それはそれでどうなんだ………」
呆れたように大きく溜息を吐いたジャックに、誰もが共感して心の中で深く頷いた。しかしラギーだけは違って、鉄槌でも食らうのかと警戒していたので、一人だけほっと息をつく。
「羽交い締めってことはつまり、司書さんの体を堪能したということで合ってるか?」
………暇も与えず、小林は言いながら指を鳴らし始めた。ポキポキなんて可愛らしいものではなく、バキボキという骨が折れそうな音である。
小林は服で隠れているが、雪国出身であり誰よりも力持ちである。人体からしてはいけない音が鳴っているあたりで、その場にいた殆どが小林の異常性に気付いてしまった。
「大丈夫。ちゃんと死なない程度にやるから」
「大っっっっ変申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁぁ!!!」
小林の前に出てきたラギーはその場の勢いで謝罪の意を示した。所謂スライディング土下座、というものである。
ツイステッドワンダーランドの獣人の多くは、女性が頂点に立つことが多い。ラギーの種族でもあるハイエナは、その意識が根強い。もし番や、心に決めている男のいるメスの肌に触れようものなら、首を刎ねられても仕方ないことだろう。まして今回の相手は神々と主従を結ぶ審神者の純恋と、過去に実在した名高い男たちと協力以上の関係を持つ特務司書の萌愛だ。二人を様々な形で可愛がる彼らの愛情は重くて硬い。
「多喜二、マジカルシフト大会前の事件調査はあくまで依頼されたことだ。その怒りは依頼主にぶつけなよ」
「分かった」
「まぁまぁ、二人とも落ち着きなっせ!」
中野からの注意に、たった一言だけ返事をした多喜二の視線はその件の張本人、学園長に向けられていた。厳しい目を向ける二人とは反対に、少年の姿の徳永が宥める。
「サバナクローは特別被害無しと言っても構わないからね、強いて言えば………ボスである寮長の部屋にご主人様たちが泊まったことくらいかな」
中立の立場でものを言う亀甲は、落ち着きを取り戻して持参していた資料に目を通していた。
「あぁ………どっかのタコ野郎がオンボロ寮を奪っちまったから、仕方なく泊めはしたがな」
レオナは前に座るアズールを見ながら、愉快そうに笑う。弱肉強食を謳うサバナクローの寮生のほぼ全員が、弱そうだと判断した純恋に鳩尾を殴られたり、萌愛に下半身を蹴られている。またレオナのオーバーブロットや前述のラギーの件で、寮生の間では「兄貴」だなんて呼ばれているのだが、今回のことで「姉貴」呼びに変わるかもしれないのはまた別の話。
あ、と思い出したような声を上げた小林はある生徒の方へと振り向いた。そのまま彼に近付いて行くと、その生徒の名を呼んだ。
「ジャック・ハウルで合っているか?」
「う、うっす………」
「そうか。司書さんと審神者さんのことについて、感謝したい」
ジャックに直角に長く一礼をした小林。その突然の行動に驚くジャックだったが、そこから続いた刀剣男士の言葉に納得した。
「あなたは主様や司書さんに協力をしていたと伺っています」
「上の者が間違っていたら無理矢理にでも正そうとするその心意気………君のような人材は素晴らしい!」
物吉と亀甲は手放しにジャックを褒め称えた。審神者に従う刀剣男士にとっては、ジャックのように真面目で信念を突き通せる人物を、自らの主として持ち上げたいと思うのは当然だろう。物吉と亀甲を含めた刀剣男士には心に決めた可愛い主人がいるので、あえて他の主人に仕えていたらという妄想はしない。けれど、もしこの少年が審神者だったら、未だに蔓延るブラック本丸なんて生まれていないだろうとは考えていた。
「俺はあんたに礼が言いたくて、サバナクローの担当に指名したんだ。直や重治には迷惑をかけてしまって申し訳ないと思っている」
「そぎゃんと気にしとらんばい!」
「正直なところ、多喜二ならやりそうだなって思ってたしね」
「二人とも……………」
小林の性格を知り尽くしているプロレタリア派の二人は、まるで予想していたような態度だった。初期文豪を中野に選んだ萌愛は、必然的にプロレタリア文学の小林や徳永と話す機会が何度もあった。そこから小林と徳永はそれぞれの距離で萌愛との交流を深めていた。つまり、特務司書とプロレタリアの信頼度は満タンである。小林は死因とそこまでに至る経緯もあって難儀したが、今ではそんなことがあったのか疑わしいほど仲良しだ。覚醒してからは、それは顕著に現れている。
「い、いえ…………逆に、こっちが謝らないといけないことがあるのに、すみません!」
礼儀正しいジャックは立ち上がると、小林に向かって一礼する。先程とは入れ替わって小林の方が驚いていたが、「構わないさ」とだけ言ってジャックに右手を差し出した。それに気が付いたジャックは姿勢を正してから、小林から出された手を握り返した。二人の表情は晴れやかで良いものだった、と後に中野は語ることとなる。
言い争うほどのことではなかったサバナクローでの事件の尋問は、こうして簡単に幕を閉じたのだった。
オンボロ寮の寝室では、監督生と呼ばれていた男子生徒………を偽っていた少女たちがベッドで眠っていた。護衛として前田藤四郎と横光利一の二人が固まっており、その外では大典太光世と山本有三が寝室前の扉を見張っていた。
「横光さんは文学の神様、と呼ばれていたと伺っております」
「…………恥ずかしながら、付喪神である貴殿にそれで呼ばれるのは………」
「神とはいえ僕たちは末席の身、そう謙遜するのは………」
「いや、末席でも神は神。手前がそう簡単に神の名を借りるわけにはいかない」
「真面目なお方なのですね」
彼らにとっての世間話をしながらも、自分たちが使命とともに守るべき女性たちの睡眠の妨げを排除しようと意気込んでいた。
前田藤四郎という刀剣男士は、純恋が審神者として初めて鍛刀した短刀だ。初期刀である歌仙兼定と共に本丸と歴史を守っている守刀でもあり、純恋のことを誰よりも傍で見守っていた。対して横光利一は、特務司書である萌愛が先に転生させた菊池に師事していた男だ。そんな菊池が我が娘のように可愛がるばかりか、横光から見ても魅力的な女の子を気に入らない訳がなかった。
刀剣男士と文豪は歳を重ねている者がほとんどである。自分たちを顕現させたり転生させた、当時は未成年だった少女たちのことを想ってしまうのは仕方ないことだ。
「…………随分と窶れているな」
「はい………僕たちの支援があったというのに………」
本丸と図書館にいた頃に比べると、純恋も萌愛も痩せてしまっていた。もとより体型管理を怠るような性分ではなかった女性たちだが、こちらに来てしまってからは調査とグリムの情操教育に手一杯だったため、自分たちのことは後回しにしていた。
「…………全くだ」
寝室の扉が開くのと同時に、前田に賛同したような言葉が一言だけ。呆れた態度の大典太の声だった。その隣にいた山本も、顔を顰めている。
「あの日、鏡を見つけていなければ…………今頃どうなっていたか、考えたくもないよ」
______それは、マジカルシフト大会を終えて、オンボロ寮に帰った日の夜のこと。
エキシビジョンマッチで疲れ切って眠ったグリムをよそに、純恋と萌愛は図書室から借りてきた本に目を通していた。萌愛はそれに付け加えて、調査記録に真新しい情報を記入していく。流石に寮の中では、男装と認識阻害のアクセサリーは解いていた。サムからプレゼントしてもらった、フリルやリボンが遇らわれた白いワンピースを着ていた。
「………めーちゃん、大丈夫?」
「……………はっ!だ、大丈夫!うん!」
「本当に?寝た方がいいんじゃ………」
「平気!早く元の世界に帰るためにも、頑張らないと!」
萌愛は純恋よりも賢い方だ。虐待の過去からまともに教育を受けた記憶が無かった純恋は、周囲よりも物覚えが悪い子どもだった。そんな彼女と友達になる子がいるどころか、避けられていた。それでも彼女に話しかけて、こうして仲良くなれた当時の子どもこそ萌愛だった。
いつか、知識方面で彼女の役に立ちたい。それが幼い純恋の夢だった。だからこそ純恋は、空いた時間があれば全てを勉強に費やした。でも人間の脳の出来は人それぞれ、純恋は悪い方だったらしい。それでも施設出身とはいえ、優れた人は多くいる。医者を目指していた当時の高校生に、何度も勉強を見てもらったのはいい思い出だ。
アルケミストとしての研究や文豪の世話に加えて、図書館での通常業務まで請け負う萌愛は、調べ物が得意だ。働き者と言えば聞こえはいいが、それは純恋も同じこと。特に二人が今いる場所は日本ではなく、ツイステッドワンダーランドという未知の世界。何も知らない状態で物事を調べようとすれば、膨大な時間を浪費せざるを得ない。萌愛にとっては幸いなことに、世界観が英語圏に近いことだった。イギリス文豪とフランス文豪のお茶会や、アメリカ文豪主催のバーベキューに参加していたことが実を結んだようだ。純恋は立場上、現代に行く頻度が少ないため、インターネットで情報を入手するか配信サイトで音楽を聴く程度だ。
(………めーちゃん、メイクで誤魔化してるけど、やっぱり顔色悪い………)
小学生の頃からの親友であり、幼馴染の関係は伊達じゃない。これでも純恋は、一国一城の主のようなもの。人の顔色くらいすぐに見て分かる。
少し休憩時間を挟もうかと、純恋は提案しようと口を開く。しかしその声が出されることはなく、二人の視線が部屋の鏡に向けられた。
「…………今、鏡が光った?」
「めーちゃん、危ないから私の後ろにいて」
純恋を先頭にして、萌愛も鏡に近付いていく。眩しいほど白く光ったというのに、グリムは大きないびきをかいて寝ていた。呑気だな、と内心笑いながら鏡と向き合った。
「す、すーちゃん………!」
「大丈夫、私に任せて」
再び光った鏡に警戒を怠らない。純恋は常に携帯している札を手にしながら鏡に触れる。萌愛も同様にして、恐る恐る鏡に手を翳した。すると鏡からの光は力を増して、眩い光が二人を包み込む。そこでようやく、グリムはあまりの眩しさに目を覚ましたのだ。
「ふ、ふな!?鏡が光ってるんだゾ!?」
どうなっているんだと騒ぎ立てるグリムに目もくれず、純恋と萌愛は鏡を見つめていた。本当なら自分たちの姿が映し出させるはずの鏡には、それぞれ見覚えのある姿が映っていたからだ。
何年も一緒にいた、家族とも呼べる男たちの姿だ。
「……………歌仙?」
「…………な、中野、さん……………?」
自分たちが初期刀、初期文豪として選んだ好青年が、鏡に映し出されていたのだ。
「主!」
「歌仙っ!!」
「司書さん!」
「中野さん!」
純恋と萌愛は駆け寄り、鏡越しながら再会を分かち合った。
話を聞けば、向こうでは一週間しか経過していないらしい。こちらでは約二ヶ月経過しているが、世界によって時間感覚が違うのだろうか。最初に本丸に襲撃は無いか、侵食された書籍に異常は無いかを聞いたあたり、上に立つ者としての意識は高いと言える。特に何も無いことが分かれば、二人はツイステッドワンダーランドに来てしまったことや、現在の状況について話し始めた。
一方、何故自分たちに気が付いたのかと理由を聞くと、短刀の刀剣男士と児童文学文豪が図書館の談話室で遊んでいたことがきっかけらしい。純恋の本丸と、萌愛の図書館は協力関係にある。それゆえ、刀剣男士と文豪が、本丸と図書館を行き交うのは日常に含まれていた。
この日も純恋と萌愛の現状を知るべく、一部の刀剣男士が帝國図書館に訪れていた。その際に談話室で遊んでいた短刀と児童文学の少年たちは、鏡から放たれた光に違和感を持って大人たちを呼んだらしい。そうして今に至るというわけだ。
「こ、こいつら、一体誰なんだゾ?」
グリムにとっては、誰かも分からない男たちだ。けれどグリムは、自分が守るべき子分たちが嬉しそうに鏡の前の男たちを見て泣いているのを、邪魔しようとしなかった。二人の元の世界の者たちだろうと考えた。報告を終えてひと段落ついたところで、萌愛はグリムを抱きかかえる。そこでようやくグリムは鏡に映った男たちの姿を確認した。
紫色の柔らかい髪に紅色の装飾が目立つ男に、おそらく長いマロンカラーをまとめ上げた眼鏡姿の青年がいた。グリムは獣の勘が働いて、彼らが普通の人間とはかけ離れた存在なのだろうと息を呑む。
「紹介するね、歌仙。この子はグリム。今、私たちが面倒を見てるモンスターだよ」
「ほう………こんのすけのような管狐とは違うのか」
「あぁ、僕たちのところのネコに近いかもしれないね。でも彼は動物ではないかな」
「やはり中野さんもそう思いますか。私の見立てでは、猫又かと考えています………尤も、そのような妖などがこちらに存在するか不明ですが………」
グリムにとっては、普段の授業よりも難しすぎる話だったらしい。いつもなら自分が分かるように話せと言って暴れるのだが、そんな気もなく目を回している。ふなふなと鳴き始めたグリムの頭を、純恋は優しく撫でながら起きるように声をかけた。
「グリム、この男の人は歌仙兼定だよ」
「そして、こっちが中野重治さん」
「カセン…………ナカノ………………?」
どちらも聞きなれない発音の名前だった。純恋と萌愛の名前もそうだったことを思い出し、やはり二人が元の世界での知り合いなのかと改める。
グリムは、分かっていた。何の偶然か出会ってしまった二人が、この世界ではない場所から来たこと。いつか絶対、元の世界に帰ってしまうこと。モンスターである彼は、本能的に悟っていた。
…………彼らが女性だと知ったあの夜に、監督生となったあの日から。
誰よりも立派な大魔法士になること、それがグリムの願いだ。昔も今も変わらないが、動機だけは少し変わりつつある。
「…………もう夜なんだゾ?まだ寝ないのか?」
「この参考書と法律本まとめたらね」
「グリムくんは早寝早起きして、健やかに育つんだよ」
「オマエら、いつ起きたんだゾ!?」
「少し前にね」
「グリムくんも手を洗っておいで」
「今日の小テスト、俺様高得点取れたんだゾ!」
「へぇ、すごいね!確かにグリム、勉強頑張ってたもんね!」
「グリムくんの努力が叶ったんだね!今日の夕飯はツナ缶たっぷり使ったメニューにしよっか!」
眠っている間に、人間社会に慣れるように配慮してくれている純恋と萌愛。けれどそれをグリムには一切見せようとしない。一度、二人より早く起きて驚かせようとしたこともあったがそれが叶ったことはなかった。グリムはまだ幼い頭ながら理解していた。おそらく、二人は寝ていない。自分が寝たのを見計らって勉強や情報収集をして、起きる時間を予測して朝食にありつけるように準備をする。部活動には参加せず、図書室中の本を限度まで借りては読み尽くし、期限前までには返す。これがどれだけ大変なことか、グリムは二人の顔を見て嫌というほど理解していた。
だから、グリムは宣言した。
「………俺様、グリム様は、絶対に立派な大魔法士になるんだゾ」
______…………そして絶対、スミレとメアを、元の場所に返すんだゾ!!
歌仙兼定と呼ばれた刀剣男士は驚いた反応を見せたが、次の瞬間には怪しそうに微笑んでいた。
「言質は取ったぞ、グリム殿」