審神者&特務司書inTwistedWonderland
十分の休憩を挟み、気分が落ち着いたエースをはじめとした生徒たちの調査が再開されようとしていた。
「じゃあ、最初はハーツラビュルにしようか。菊池さん、よろしく」
「おう」
外へ長時間の休憩を取りに行った夏目や鶴丸の代わりに進行を務めるのは、初期刀の歌仙と初期文豪の中野だ。先程まで立ちっぱなしだった生徒たちを考慮して、大典太や桑名、小林、檀などが寮内にあった椅子を全て談話室に運び込んだので、全員がどこかリラックスしたような表情になっている。全員が寮ごとに固まっていて、その後ろには教師四人が座っていた。サムはミステリーショップに戻ると中野や歌仙に伝えて帰っていった。今、談話室には菊池、横光、川端、亀甲、物吉の五名が揃っていた。
菊池はソファに深く腰掛けると、スマートフォンを取り出した。
「………まずは、アイツらと最初に出会ってる一年どもからだな」
エースとデュースは肩をびくりと震えさせて俯いた。わざわざハーツラビュルでの出来事と同列に語るということは、シャンデリア破壊による退学騒動のことを言っているのだろう。
「最初は、エース・トラッポラがグリム、純恋、萌愛に話しかけた。そこでアンタはグレートセブンと呼ばれている偉人について説明し、アイツらを侮辱する発言をした…………これは事実だな?」
「……………合って、ます………」
「次にデュース・スペードが魔法を使った結果、破壊されたシャンデリアについてだが………」
「!………は、はい!シャンデリアの上に乗ったグリムを下ろそうとして、魔法でエースを投げました!」
デュースの声は刀剣と文豪が哀れに思うほど震えていたが、この時間は尋問のために消費されている。心を鬼にして、誰も甘い言葉をかけることはなかった。それは菊池も同じで、スマートフォンに記録されている情報とデュースの証言を照らし合わせていた。すると、菊池はデュースを見ると優しげに微笑みかけた。
「アンタの言ってることは正しいみたいだな。俺は、素直な奴は好きだぜ…………けど、素直なだけじゃ優等生には程遠いぞ」
「え?…………それ、って………」
そこまで言ってから、デュースは何かを思い出したように声を漏らした。彼の脳裏に浮かんだのは萌愛の姿で、当時は男友達だと思っていた彼女の声が無意識のうちに再生される。
『いいんじゃない?喧嘩できる優等生』
ここでは過去を見直して、優等生として頑張らなければいけない。そう言って落ち込んでいたデュースに、萌愛はそんな言葉をかけた。
『素直に怒れるデュースくん、かっこよかったよ』
落ち込むデュースの頭を撫でられたことは、今でも覚えている。
『そうだなぁ………デュースくんくらい素直で優しい子なら、あとは忍耐力かな』
忍耐力?と聞き返したデュースに対して、萌愛は笑って肯定する。彼ほどの強い心を持つならば、もう少し耐え忍ぶ精神力さえ高めた方が最適だと萌愛は考えていた。耐える心さえ覚えれば、デュースの場合、同時に集中力も身に付くだろう。
『そのためなら、私は力を貸すよ』
_____でも、普通に売られている卵からは、ニワトリさんは産まれないからね?
デュースにとっては衝撃的な言葉を放たれたものの、デュースは萌愛が発言した言葉を全て覚えていた。
………それはハーツラビュル寮で行われた、初めての何でもない日のパーティーのことだった。ついでに、デュースはその時に起きた出来事を話した。
______…………話して、しまった。
リドル・ローズハートがオーバーブロットしたこと。そこに至る経緯まで。
全ては寮内での、リドルの融通の利かない独裁がきっかけだった。
エースがパーティー用のタルトを盗み食いしたことから始まり、ハートの女王の法律に抵触した寮生がリドルのユニーク魔法によって行動を制限されたりなど。中でも要となったのは、何でもない日のパーティーに持ち込んではならないと定められているマロンタルトだろう。規律を守るためにエースがトレイの協力のもと、デュースやグリムたちも手を貸したタルトだった。それを法律に違反しているからと、リドルはマロンタルトの破棄を命じた。
その結果、リドルに付き合いきれないと言い放ったグリムとともに首輪を付けられたデュースとエースは、ハーツラビュル寮を追われる形となってしまった。
「なら、こちらで処分しますね。先輩方は使い物にならないし、エースくんとデュースくんのための小さなパーティーのためのタルトケーキにすればいいだけですから」
萌愛がそう言いながら、マロンタルトを元々入っていた箱に戻す。その隣では純恋が、リドルに直角度のお辞儀をしている。
「こちら………オンボロ寮はそちらの寮生の失態を多少請け負っただけです。なので、その責任としてマロンタルトの破棄は私たちでやりますね。それに、食べ物の有り難みが分からない人間に食べられるよりは、このタルトだって救われるでしょう」
リドルが怒りを露わにする前に、純恋と萌愛は首輪を付けられてしまった二人と一匹を連れて鏡舎へ続く鏡を抜けていった。
そうして、エースたちは取れない首輪の代わりに、オンボロ寮での小さなパーティーを経験した。リドルから破棄を言い渡されたマロンタルトは、四人と一匹の腹の足しになったのだ。
「スミレ、めっちゃカッコよかったじゃん!」
「あぁ!メアのセリフも最高だった!」
エースとデュースは首の重厚感に耐えながら、欠片程度のタルトを口にする二人を褒め称えた。だが純恋と萌愛は褒められるような覚えがなかったので、互いに首を傾げた。
「………そんなに褒められること、なの?あんなの、当たり前の行動でしょう。人が真心込めて作った食事を捨てるなんて、法律よりも道徳や倫理を疑うね」
「あの人がしようとしたことは、料理を作ってくれた人に対する侮辱行為だよ。家が裕福なのかどうか知らないけど、法律ばかり気にかけ過ぎてるのは常識が無いよね」
上から純恋、萌愛の発言である。これには、食卓に嫌いな食べ物が出た時に残す癖がある二人の心にグサリときたようだ。
「…………俺、ハートの女王のことクールでカッコいいって思ってたけど…………こうやってトランプ兵みたいになると難しいんだな………」
「僕も母さんからハートの女王様のことを聞いてはいたが…………もしかしたら、あの時のトランプ兵もこんな苦労をしたのか………?」
規律を守るためなら、自主性も道徳も失わなくてはならないのか。萌愛は思想を自由に持つことも出来ない二人を始め、ハーツラビュル所属の生徒たちを哀れに思うと同時に、内心怒りが込み上げていた。
法律とは本来、その時代に合わせて撤廃や改正が行われるものだ。ハートの女王がどれほど在位していたのか、その法律がどこまで適応されていたのかは知ったことではない。それも思春期を迎える十代の子どもたちの寮生活となれば限度があるだろう。寮長ならば寮生を取り締まるのは当然の仕事だろうが、同時に寮生が快適な寮制学園生活を送れるように、そして授業に支障が無い範囲の規律を考えるのが本来あるべき姿ではないだろうか。彼の親は、本当の意味でリドル・ローズハートという、この世でたった一人の生きる人間を育てたかったのだろうか。
萌愛の疑問はすぐに晴れることとなった。クロウリーの提案により決闘を申し込んだエースとデュースは、当然だが敗北した。これは常日頃から戦術を考えている純恋と萌愛にとっては、想定内の範囲だった。予想外だったのはこの後だ。
「やっぱりルールを破る奴は、何をやってもダメ。お母様の言う通りだ」
「………確かに、ルールは守るべきだ。でも、無茶苦茶なルールを押し付けるのはただの横暴だ!」
「ハァ?ルールを破れば罰がある。そして、この寮ではボクがルールだ。だから、ボクが決めたことに従えない奴は首を刎ねられたって文句は言えないんだよ!」
純恋は「そんなの、間違ってる!!」と、その直後に萌愛が「ルールだからってなにをしてもいいわけじゃない!」と叫ぶ。
「罰則もないルールなんか、誰も従わない!」
しかし彼はそう言い放った。そのままリドルは、純恋と萌愛を憐れむ発言をした。
「この学園に入るまでろくな教育も受けられなかったんだろう。実に不憫だ」
ふざんけんな、と殴りに掛かろうとしたエースを制したのは、純恋だった。エースの拳で潰されようとしていたリドルの白い片頬は……………
_______パシィィッ!!!
純恋の平手打ちで、真っ赤に染まった。
「………私たちがろくな教育も受けられなかった、ろくな親の元に生まれなかった人材なら…………」
__________あなた…………いや、お前は、環境に恵まれなかっただけの、実に不憫な人間だ。
純恋の言葉から反逆を始めた生徒たちを機に、リドルのオーバーブロッドが起きた。
この際、ストレスによる暴走のオーバーブロットはどうだってよかった。純恋にとって肝心なのは、リドルが放った言葉の方だった。
「ご主人様は物心ついた頃に母親を殺されているんだ」
亀甲の言葉にえ、と零したのは誰だったか。
「殺された………って……」
「父親ですよ」
自己紹介をした時の笑みとは変わり、無表情の物吉が一言だけそう吐いた。
「彼女の父親は本当に最悪でね………毎日のように二人に暴力を振るっていたそうだ」
「その延長でしょうか。主様が五歳の時、殴った場所が悪くてそのまま彼女の母上はお亡くなりになりました」
幾度となく説明されているかもしれないが、ツイステッドワンダーランドにおいて女性を虐げることは大罪に値する。まして愛する妻や、その子どもにまで毒牙をかけることなど、あってはならない。普段から表情をあまり変えない純恋だが、それは父親からの虐待が原因だったのかもしれない。彼女と一緒にいて、何でも知っていたはずの一年生は揃って表情を暗くした。
「だから、ご主人様は親の肩書きとかを物凄く嫌っているところがあってね………君を叩いたのも、そのせいじゃないかな?きっと、君が哀れに思ったんじゃない?」
「…………ボクが、哀れに?」
「リドルさんは見るからに自我が無さすぎますからね。主様も心配して、あなたを叱ったのでしょう」
「……………」
確かにリドルは、あの時の純恋に力の限り叩かれた。当然だが痛かったし、その当時のことをほとんど覚えていなかった。けれど一つだけ、脳裏に刻み込まれている記憶があった。
…………自分を叩いた純恋の目は僅かに潤んでいて、目頭には小さな水膜が張っていた。
「あぁ、それと」
顔を上げた菊池は俯くリドルに視線を向けると、たった一言だけ吐き捨てた。
「アンタは人の親を侮辱できるほど、完璧な人間じゃねぇ」
「!」
「………っ、あ、あの!そこまで言う必要は…………!!」
常に母親から完璧であることを求められていたリドルにとって、菊池の言葉は心臓を矢で貫かれたように痛む。隣から横目に見ていたトレイが立ち上がり、菊池の座るソファに向かって歩き出そうとする。しかしその前に、槍の先端部がトレイの喉仏を狙おうとした。川端の武器だ。川端は何も口にすることなく、ただ無言でトレイを睨みつける。
「………菊池さんに手を出すことは許さない、と川端は言っている」
菊池の背後に立っていた横光が淡々と告げる。川端本人は頷きもせず、ましてや微動だにしない。にも関わらず横光は続ける。
「そして友である者を叱れぬ人に、何かを言われる筋合いは無いとも言っている。手前も同意見だ」
そこまで言われてトレイは言葉を詰まらせ、その場で立ち尽くした。リドルとトレイの事情を知る者たちはもちろん、知らない者も皆、声をかけることはしなかった。出来なかった、と言った方が正しいだろうか。でもその中で、一人だけ、震えながら挙手した人物がいた。
「…………す、すみません!少し、いいですか!?」
「え………?」
「ケイト…………?」
ケイトは慌てたように立ち上がると、トレイを庇うように前に出たのだ。驚いたトレイは何をしているんだと注意しようとしたが、ケイトは気にかけなかった。
「………確かにトレイくんは、リドルくんを甘やかしてた」
「その話は既に知っている」
「でも!」
ケイトには珍しく、必死の形相と悲鳴に近い声に、何人かは目を見開いた。軽薄そうなイメージを持たれていた彼が、ここまで感情的になるところを見るのは、教師にとっても初めてだった。
「………それでも、最近じゃトレイくんが甘やかしてるところはあまり見たことない。リドルくんだってあの頃よりも大人しくなったし…………今じゃ一年生の間じゃ頼れる先輩、って言われてる」
そう言うケイトの表情は柔らかかった。
ケイトの証言は事実だった。リドルはオーバーブロットしてから、嘘のように性格が変わった。周囲の影響を受けてなのか分からないが、後輩である一年生が勉学で躓いていると、自ら教えることが増えた。人に教えるようになってから、彼自身も良い復習になっている。
「だから、何も知らないで今の二人を悪く言うのは………」
「…………ふふ」
川端は僅かに表情を柔らかくすると、二人に向けて優しく微笑みかけた。同じくして槍は瞬時に本の姿へと形を変えていた。
「良き友と、出会えたのですね」
今度は横光の翻訳などではなく、川端本人の肉声だった。トレイやケイトはもちろん、リドルも態度の変わり様に驚いている。
「リドルさんにトレイさん、でしたね…………そのご友人は生涯大切にすることです。ここまで観察眼に優れ、周囲に気を配れる人材はなかなか見つかりませんからね」
確かにケイトは性格と環境の影響が重なり、周りの人の顔色を伺う節がある。それは寮生活の中でも変わることはなかった。人の顔色ばかり気にしてしまう自分の性質は、ケイト本人が何よりも嫌っていたことだった。
「なるほど。確かに彼についての資料を読みましたが、川端さんの解釈は間違いなさそうです」
物吉は考える素振りを見せる。
「だったら、ケイトさんは裏の功労者ということですね!」
流石です!とケイトに向けて花のような笑顔を向けた物吉。僅かながら、ケイトはそんな物吉の姿に救われた気がした。
菊池は話を終えたと同時に、横光と川端を引き連れてその場を後にした。そうして再び、談話室が静まり返る。
「次はサバナクロー………だったかな」
「あぁ、多喜二と直がもうそろそろ到着すると思うよ」
中野の返事に亀甲は「そうか」とだけ返すと生徒たちの方へ顔を向ける。ふと、猫の様な耳の小柄な少年が頭を抱えているのを見つけた亀甲は、頭に疑問符を浮かべる。よく見ると、彼の着ている運動着の色はオレンジ色………サバナクローの色だ。
「そこの彼はどうかしたのかい?気分が悪いなら………」
両隣にいたレオナとジャックはようやく気が付いたのか、目を見開きながら驚愕した。俯いては、顔を赤くしたり青くしたりと忙しないラギーが、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「…………あ、そういえばラギー確か……………」
「………あっ、あぁ〜」
リドルとケイトは思い出したことがあったようで、その表情はどこか浮かないものだ。
「…………ってことは、マジフト大会の時か?」
レオナが問うも、ラギーは何も話さず弱々しく首を縦に振って肯定した。そして悲しいことに、談話室の扉が開けられてしまった。入口前にいたはずの、フードで顔を隠した青年とノースリーブの少年が現れる。ラギーはそれに気が付かず、勢いよく顔を上げるとレオナの方を向いた。
「レ、レオナさん…………お、オレ…………」
______…………監督生さんに、馬乗りされたり羽交い締めされたんですけど
「………………は?」
それは誰のでもなく、亀甲貞宗のものだった。全員が彼の方に目を向けると、彼は眼鏡のブリッジを抑えながらバイブレーションの如く体を震えさせていた。
「…………それは、どっちがどっちだい?」
それまでの優しそうな声は何処へ行ったのか、恐ろしく声も震えていた。その変わり様に、顔を真っ青にしたラギーは正直に答える。
「う、馬乗りがスミレさんで…………羽交い締めが、メアさんっス………」
来たばかりで状況を把握出来ていない小林と徳永以外は、皆揃って異様な空気に飲み込まれていく。亀甲は両手で顔を覆い始め、感嘆を零した。
「あぁっ!なんてことだ…………」
(ヤバいヤバいヤバい…………!)
ラギーはたらたらと汗を流すが、特に弁明があるわけでもないため、何も話せることがない。どうしたらいいのかと頭を悩ませていると、亀甲が口を開いた。
「…………………なんて贅沢な組み合わせだ!僕もされてみたいものだ!」
「えっ」
それは、この場にいた全員の意見が揃った瞬間だった。後に小林はそう語る。
「じゃあ、最初はハーツラビュルにしようか。菊池さん、よろしく」
「おう」
外へ長時間の休憩を取りに行った夏目や鶴丸の代わりに進行を務めるのは、初期刀の歌仙と初期文豪の中野だ。先程まで立ちっぱなしだった生徒たちを考慮して、大典太や桑名、小林、檀などが寮内にあった椅子を全て談話室に運び込んだので、全員がどこかリラックスしたような表情になっている。全員が寮ごとに固まっていて、その後ろには教師四人が座っていた。サムはミステリーショップに戻ると中野や歌仙に伝えて帰っていった。今、談話室には菊池、横光、川端、亀甲、物吉の五名が揃っていた。
菊池はソファに深く腰掛けると、スマートフォンを取り出した。
「………まずは、アイツらと最初に出会ってる一年どもからだな」
エースとデュースは肩をびくりと震えさせて俯いた。わざわざハーツラビュルでの出来事と同列に語るということは、シャンデリア破壊による退学騒動のことを言っているのだろう。
「最初は、エース・トラッポラがグリム、純恋、萌愛に話しかけた。そこでアンタはグレートセブンと呼ばれている偉人について説明し、アイツらを侮辱する発言をした…………これは事実だな?」
「……………合って、ます………」
「次にデュース・スペードが魔法を使った結果、破壊されたシャンデリアについてだが………」
「!………は、はい!シャンデリアの上に乗ったグリムを下ろそうとして、魔法でエースを投げました!」
デュースの声は刀剣と文豪が哀れに思うほど震えていたが、この時間は尋問のために消費されている。心を鬼にして、誰も甘い言葉をかけることはなかった。それは菊池も同じで、スマートフォンに記録されている情報とデュースの証言を照らし合わせていた。すると、菊池はデュースを見ると優しげに微笑みかけた。
「アンタの言ってることは正しいみたいだな。俺は、素直な奴は好きだぜ…………けど、素直なだけじゃ優等生には程遠いぞ」
「え?…………それ、って………」
そこまで言ってから、デュースは何かを思い出したように声を漏らした。彼の脳裏に浮かんだのは萌愛の姿で、当時は男友達だと思っていた彼女の声が無意識のうちに再生される。
『いいんじゃない?喧嘩できる優等生』
ここでは過去を見直して、優等生として頑張らなければいけない。そう言って落ち込んでいたデュースに、萌愛はそんな言葉をかけた。
『素直に怒れるデュースくん、かっこよかったよ』
落ち込むデュースの頭を撫でられたことは、今でも覚えている。
『そうだなぁ………デュースくんくらい素直で優しい子なら、あとは忍耐力かな』
忍耐力?と聞き返したデュースに対して、萌愛は笑って肯定する。彼ほどの強い心を持つならば、もう少し耐え忍ぶ精神力さえ高めた方が最適だと萌愛は考えていた。耐える心さえ覚えれば、デュースの場合、同時に集中力も身に付くだろう。
『そのためなら、私は力を貸すよ』
_____でも、普通に売られている卵からは、ニワトリさんは産まれないからね?
デュースにとっては衝撃的な言葉を放たれたものの、デュースは萌愛が発言した言葉を全て覚えていた。
………それはハーツラビュル寮で行われた、初めての何でもない日のパーティーのことだった。ついでに、デュースはその時に起きた出来事を話した。
______…………話して、しまった。
リドル・ローズハートがオーバーブロットしたこと。そこに至る経緯まで。
全ては寮内での、リドルの融通の利かない独裁がきっかけだった。
エースがパーティー用のタルトを盗み食いしたことから始まり、ハートの女王の法律に抵触した寮生がリドルのユニーク魔法によって行動を制限されたりなど。中でも要となったのは、何でもない日のパーティーに持ち込んではならないと定められているマロンタルトだろう。規律を守るためにエースがトレイの協力のもと、デュースやグリムたちも手を貸したタルトだった。それを法律に違反しているからと、リドルはマロンタルトの破棄を命じた。
その結果、リドルに付き合いきれないと言い放ったグリムとともに首輪を付けられたデュースとエースは、ハーツラビュル寮を追われる形となってしまった。
「なら、こちらで処分しますね。先輩方は使い物にならないし、エースくんとデュースくんのための小さなパーティーのためのタルトケーキにすればいいだけですから」
萌愛がそう言いながら、マロンタルトを元々入っていた箱に戻す。その隣では純恋が、リドルに直角度のお辞儀をしている。
「こちら………オンボロ寮はそちらの寮生の失態を多少請け負っただけです。なので、その責任としてマロンタルトの破棄は私たちでやりますね。それに、食べ物の有り難みが分からない人間に食べられるよりは、このタルトだって救われるでしょう」
リドルが怒りを露わにする前に、純恋と萌愛は首輪を付けられてしまった二人と一匹を連れて鏡舎へ続く鏡を抜けていった。
そうして、エースたちは取れない首輪の代わりに、オンボロ寮での小さなパーティーを経験した。リドルから破棄を言い渡されたマロンタルトは、四人と一匹の腹の足しになったのだ。
「スミレ、めっちゃカッコよかったじゃん!」
「あぁ!メアのセリフも最高だった!」
エースとデュースは首の重厚感に耐えながら、欠片程度のタルトを口にする二人を褒め称えた。だが純恋と萌愛は褒められるような覚えがなかったので、互いに首を傾げた。
「………そんなに褒められること、なの?あんなの、当たり前の行動でしょう。人が真心込めて作った食事を捨てるなんて、法律よりも道徳や倫理を疑うね」
「あの人がしようとしたことは、料理を作ってくれた人に対する侮辱行為だよ。家が裕福なのかどうか知らないけど、法律ばかり気にかけ過ぎてるのは常識が無いよね」
上から純恋、萌愛の発言である。これには、食卓に嫌いな食べ物が出た時に残す癖がある二人の心にグサリときたようだ。
「…………俺、ハートの女王のことクールでカッコいいって思ってたけど…………こうやってトランプ兵みたいになると難しいんだな………」
「僕も母さんからハートの女王様のことを聞いてはいたが…………もしかしたら、あの時のトランプ兵もこんな苦労をしたのか………?」
規律を守るためなら、自主性も道徳も失わなくてはならないのか。萌愛は思想を自由に持つことも出来ない二人を始め、ハーツラビュル所属の生徒たちを哀れに思うと同時に、内心怒りが込み上げていた。
法律とは本来、その時代に合わせて撤廃や改正が行われるものだ。ハートの女王がどれほど在位していたのか、その法律がどこまで適応されていたのかは知ったことではない。それも思春期を迎える十代の子どもたちの寮生活となれば限度があるだろう。寮長ならば寮生を取り締まるのは当然の仕事だろうが、同時に寮生が快適な寮制学園生活を送れるように、そして授業に支障が無い範囲の規律を考えるのが本来あるべき姿ではないだろうか。彼の親は、本当の意味でリドル・ローズハートという、この世でたった一人の生きる人間を育てたかったのだろうか。
萌愛の疑問はすぐに晴れることとなった。クロウリーの提案により決闘を申し込んだエースとデュースは、当然だが敗北した。これは常日頃から戦術を考えている純恋と萌愛にとっては、想定内の範囲だった。予想外だったのはこの後だ。
「やっぱりルールを破る奴は、何をやってもダメ。お母様の言う通りだ」
「………確かに、ルールは守るべきだ。でも、無茶苦茶なルールを押し付けるのはただの横暴だ!」
「ハァ?ルールを破れば罰がある。そして、この寮ではボクがルールだ。だから、ボクが決めたことに従えない奴は首を刎ねられたって文句は言えないんだよ!」
純恋は「そんなの、間違ってる!!」と、その直後に萌愛が「ルールだからってなにをしてもいいわけじゃない!」と叫ぶ。
「罰則もないルールなんか、誰も従わない!」
しかし彼はそう言い放った。そのままリドルは、純恋と萌愛を憐れむ発言をした。
「この学園に入るまでろくな教育も受けられなかったんだろう。実に不憫だ」
ふざんけんな、と殴りに掛かろうとしたエースを制したのは、純恋だった。エースの拳で潰されようとしていたリドルの白い片頬は……………
_______パシィィッ!!!
純恋の平手打ちで、真っ赤に染まった。
「………私たちがろくな教育も受けられなかった、ろくな親の元に生まれなかった人材なら…………」
__________あなた…………いや、お前は、環境に恵まれなかっただけの、実に不憫な人間だ。
純恋の言葉から反逆を始めた生徒たちを機に、リドルのオーバーブロッドが起きた。
この際、ストレスによる暴走のオーバーブロットはどうだってよかった。純恋にとって肝心なのは、リドルが放った言葉の方だった。
「ご主人様は物心ついた頃に母親を殺されているんだ」
亀甲の言葉にえ、と零したのは誰だったか。
「殺された………って……」
「父親ですよ」
自己紹介をした時の笑みとは変わり、無表情の物吉が一言だけそう吐いた。
「彼女の父親は本当に最悪でね………毎日のように二人に暴力を振るっていたそうだ」
「その延長でしょうか。主様が五歳の時、殴った場所が悪くてそのまま彼女の母上はお亡くなりになりました」
幾度となく説明されているかもしれないが、ツイステッドワンダーランドにおいて女性を虐げることは大罪に値する。まして愛する妻や、その子どもにまで毒牙をかけることなど、あってはならない。普段から表情をあまり変えない純恋だが、それは父親からの虐待が原因だったのかもしれない。彼女と一緒にいて、何でも知っていたはずの一年生は揃って表情を暗くした。
「だから、ご主人様は親の肩書きとかを物凄く嫌っているところがあってね………君を叩いたのも、そのせいじゃないかな?きっと、君が哀れに思ったんじゃない?」
「…………ボクが、哀れに?」
「リドルさんは見るからに自我が無さすぎますからね。主様も心配して、あなたを叱ったのでしょう」
「……………」
確かにリドルは、あの時の純恋に力の限り叩かれた。当然だが痛かったし、その当時のことをほとんど覚えていなかった。けれど一つだけ、脳裏に刻み込まれている記憶があった。
…………自分を叩いた純恋の目は僅かに潤んでいて、目頭には小さな水膜が張っていた。
「あぁ、それと」
顔を上げた菊池は俯くリドルに視線を向けると、たった一言だけ吐き捨てた。
「アンタは人の親を侮辱できるほど、完璧な人間じゃねぇ」
「!」
「………っ、あ、あの!そこまで言う必要は…………!!」
常に母親から完璧であることを求められていたリドルにとって、菊池の言葉は心臓を矢で貫かれたように痛む。隣から横目に見ていたトレイが立ち上がり、菊池の座るソファに向かって歩き出そうとする。しかしその前に、槍の先端部がトレイの喉仏を狙おうとした。川端の武器だ。川端は何も口にすることなく、ただ無言でトレイを睨みつける。
「………菊池さんに手を出すことは許さない、と川端は言っている」
菊池の背後に立っていた横光が淡々と告げる。川端本人は頷きもせず、ましてや微動だにしない。にも関わらず横光は続ける。
「そして友である者を叱れぬ人に、何かを言われる筋合いは無いとも言っている。手前も同意見だ」
そこまで言われてトレイは言葉を詰まらせ、その場で立ち尽くした。リドルとトレイの事情を知る者たちはもちろん、知らない者も皆、声をかけることはしなかった。出来なかった、と言った方が正しいだろうか。でもその中で、一人だけ、震えながら挙手した人物がいた。
「…………す、すみません!少し、いいですか!?」
「え………?」
「ケイト…………?」
ケイトは慌てたように立ち上がると、トレイを庇うように前に出たのだ。驚いたトレイは何をしているんだと注意しようとしたが、ケイトは気にかけなかった。
「………確かにトレイくんは、リドルくんを甘やかしてた」
「その話は既に知っている」
「でも!」
ケイトには珍しく、必死の形相と悲鳴に近い声に、何人かは目を見開いた。軽薄そうなイメージを持たれていた彼が、ここまで感情的になるところを見るのは、教師にとっても初めてだった。
「………それでも、最近じゃトレイくんが甘やかしてるところはあまり見たことない。リドルくんだってあの頃よりも大人しくなったし…………今じゃ一年生の間じゃ頼れる先輩、って言われてる」
そう言うケイトの表情は柔らかかった。
ケイトの証言は事実だった。リドルはオーバーブロットしてから、嘘のように性格が変わった。周囲の影響を受けてなのか分からないが、後輩である一年生が勉学で躓いていると、自ら教えることが増えた。人に教えるようになってから、彼自身も良い復習になっている。
「だから、何も知らないで今の二人を悪く言うのは………」
「…………ふふ」
川端は僅かに表情を柔らかくすると、二人に向けて優しく微笑みかけた。同じくして槍は瞬時に本の姿へと形を変えていた。
「良き友と、出会えたのですね」
今度は横光の翻訳などではなく、川端本人の肉声だった。トレイやケイトはもちろん、リドルも態度の変わり様に驚いている。
「リドルさんにトレイさん、でしたね…………そのご友人は生涯大切にすることです。ここまで観察眼に優れ、周囲に気を配れる人材はなかなか見つかりませんからね」
確かにケイトは性格と環境の影響が重なり、周りの人の顔色を伺う節がある。それは寮生活の中でも変わることはなかった。人の顔色ばかり気にしてしまう自分の性質は、ケイト本人が何よりも嫌っていたことだった。
「なるほど。確かに彼についての資料を読みましたが、川端さんの解釈は間違いなさそうです」
物吉は考える素振りを見せる。
「だったら、ケイトさんは裏の功労者ということですね!」
流石です!とケイトに向けて花のような笑顔を向けた物吉。僅かながら、ケイトはそんな物吉の姿に救われた気がした。
菊池は話を終えたと同時に、横光と川端を引き連れてその場を後にした。そうして再び、談話室が静まり返る。
「次はサバナクロー………だったかな」
「あぁ、多喜二と直がもうそろそろ到着すると思うよ」
中野の返事に亀甲は「そうか」とだけ返すと生徒たちの方へ顔を向ける。ふと、猫の様な耳の小柄な少年が頭を抱えているのを見つけた亀甲は、頭に疑問符を浮かべる。よく見ると、彼の着ている運動着の色はオレンジ色………サバナクローの色だ。
「そこの彼はどうかしたのかい?気分が悪いなら………」
両隣にいたレオナとジャックはようやく気が付いたのか、目を見開きながら驚愕した。俯いては、顔を赤くしたり青くしたりと忙しないラギーが、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「…………あ、そういえばラギー確か……………」
「………あっ、あぁ〜」
リドルとケイトは思い出したことがあったようで、その表情はどこか浮かないものだ。
「…………ってことは、マジフト大会の時か?」
レオナが問うも、ラギーは何も話さず弱々しく首を縦に振って肯定した。そして悲しいことに、談話室の扉が開けられてしまった。入口前にいたはずの、フードで顔を隠した青年とノースリーブの少年が現れる。ラギーはそれに気が付かず、勢いよく顔を上げるとレオナの方を向いた。
「レ、レオナさん…………お、オレ…………」
______…………監督生さんに、馬乗りされたり羽交い締めされたんですけど
「………………は?」
それは誰のでもなく、亀甲貞宗のものだった。全員が彼の方に目を向けると、彼は眼鏡のブリッジを抑えながらバイブレーションの如く体を震えさせていた。
「…………それは、どっちがどっちだい?」
それまでの優しそうな声は何処へ行ったのか、恐ろしく声も震えていた。その変わり様に、顔を真っ青にしたラギーは正直に答える。
「う、馬乗りがスミレさんで…………羽交い締めが、メアさんっス………」
来たばかりで状況を把握出来ていない小林と徳永以外は、皆揃って異様な空気に飲み込まれていく。亀甲は両手で顔を覆い始め、感嘆を零した。
「あぁっ!なんてことだ…………」
(ヤバいヤバいヤバい…………!)
ラギーはたらたらと汗を流すが、特に弁明があるわけでもないため、何も話せることがない。どうしたらいいのかと頭を悩ませていると、亀甲が口を開いた。
「…………………なんて贅沢な組み合わせだ!僕もされてみたいものだ!」
「えっ」
それは、この場にいた全員の意見が揃った瞬間だった。後に小林はそう語る。