bnal
人を好きになり、告白し、結ばれる。それはとても素晴らしい事だと誰もが言う。
が、恋人達の間にも明確な力関係が存在する。搾取する側とされる側、勝者と敗者。
もし貴殿が気高く生きようと云うのなら、決して敗者になってはならない。
恋愛は、戦。好きになった方が負けなのである。
帝国図書館。浸蝕された文学を保護し浄化する場所として設立された、国の機関である。現代でなお、日本だけではなく世界でも著名な作品を数多と扱っている。
そんな文学を日々護る者達が、凡人である筈がなかった。
彼等は『文豪』と呼ばれ、かつてこの世で文学史を作り出してきた人間である。
図書館が設立されて二年目を迎え、僅か数ヶ月経った頃。新たに浸蝕が確認された雑誌『ホトトギス』の浄化後、一つの本から二人の文豪が転生するという異例の出来事が発生した。
河東碧梧桐。生前、五七五調にとらわれない自由律俳句の誕生に関わり、宣伝のため俳句の全国行脚を行った俳人である。
そして、その河東と『双璧』として並び称される男こそ、高浜虚子。正岡子規の『ホトトギス』を引き継ぎ、小説家としても名の知れた俳人である。
彼等は生前の悶着を経て、帝国図書館で現世の人生を謳歌していた。そんな二人の仲の良さ、距離の近さは図書館の文豪達にとっても、気になる話題の一つだった。
「高浜先生と河東先生、いつ見ても近いよなぁ」
「もしかしたら付き合ってる……なんてこともありそうだな」
「そんなに気になるなら直接聞いてみたらええやん?」
「あー無理無理!あの中に入っていこうとか思わないでしょ」
「だな。俺も河東先生と囲碁やってる時に聞こうと思っても聞けないな」
「ねぇ、きよ。俺達、なんか噂になってるみたいだよ?」
つい最近分けて与えられた高浜の自室。河東は二人分の湯呑みに温かい緑茶を淹れ、高浜に差し出しながら話し始める。
「俺達、実は交際してるーってさ」
「来たばかりの俺達が気になるだけだろう。聞き流せばいい」
「あはは、何それ。俺あまりよく分からないけどさ」
高浜は茶を一口飲み、河東の方を見る。他の文豪から貰ったと言っていた菓子の入った袋を開いていた。
(ふん、俺と秉が付き合っているだと?くだらない……)
河東から差し出された煎餅を一口齧る。河東も同じくみたらし団子を食んでいた。
(だが、まあ……
秉がどうしても付き合ってほしいというのならば、そうしてやらないことも無いな!)
高浜は確信していた、河東が己に好意を抱いていることを。まず、河東が最初に噂の件を高浜に直接伝えたこと。次にさり気なく恋愛事が分からないことを態々言ってきたこと。さらに言えば、食堂等では他にも空いている席はあるというのに、高浜が座った席の向かいやすぐ隣に座っている。これを気があるとは言わず何と言うのか。
(確実に秉は俺に気がある……告白してくるのも時間の問題だな)
高浜がそう思考を巡らせている間に、河東は「新しいお茶入れてくるね!」と言って座っていた座布団から立ち上がっていた。河東には聞こえない程度に、高浜は怪しく小さく笑うのだった。
図書館から支給され、一人一台は部屋に置いているという給湯器の前でお茶を淹れている河東は、同時にあることを考えていた。
(この図書館って、噂好きな人多いよなぁ……どうしたら俺ときよが付き合ってるって思うのかな?)
お湯を急須に注ぎ、二人分の湯呑みにお茶を淹れる。おそらく自分を好いていると思われる男に茶を差し出しながら、まるで野望の如く想いを巡らせていた。
(まあ、確かに今のきよなら、可能性はあるかもしれないけど……
それに、散々アピールはしているわけだし、告白してくるのも時間の問題だよね!)
……などとやっている間に、半年が過ぎていた。その間、特に何もなかった。そんな何もない期間の間に二人の思考は、『交際してやってもいい』から、『如何に相手に告白させるか』へと変わってしまっていた。
そんな二人の間に割と高度な駆け引きが行われていることに、同じく正岡子規の弟子の一人でもある伊藤左千夫は全く気付いていなかった。
「あ、そうだ。懸賞で映画のペアチケットが当たったんだけどね。ボク、この日潜書入ってて行けないんだよね、だから誰かにあげたいんだけど……」
「ほう」
高浜はチケットに記載されている日にちを見て、その日が空いているかどうかを持ち歩いている手帳を開いて確認する。
「この日は丁度空いているな。だったら秉、俺達で……」
「なんでもその映画、恋愛ものでカップルで観に行くと結ばれるっていう話があるんだって!なんだか良いよね!」
「!?」
伊藤の爆弾発言で黙り込み、焦り出す高浜。その隙を見てかどうかは分からないが話し出す河東。
「きよ?今、俺の事誘ったの?カップルで観ると結ばれる映画に?それって……」
高浜は突然窮地に立たされた。「これではまるで、告白しているようなものでは無いか!」と、河東に気持ちを知られてはならないという焦り。
恋愛関係において『好きになった方が負け』は絶対のルール、即ち『告白した方が負け』。お互いの本当の気持ちを知りたい両者において、自ら告白するなどあってはならないことである。
(どうする……秉にとってはあからさまではあるかもしれないが、誤魔化す以外に選択肢は……
………いや、待て……この方法ならいけるのではないか?)
高浜は普段通りの顔を作り、隣に座る河東の目を見つめる。
「嗚呼、秉を誘った。俺はそのような話は信じないが、お前はそうではないようだな」
チケットを見せびらかすように手に持つ高浜は、鋭い目付きで河東を捉える。
「どうする秉?お前は、俺とこの映画を観に行きたいのか?」
どう出るか、注意深く河東を観察する高浜。その間、河東は刹那の思考に囚われる。しかし、河東にとって刹那の思考とは常人から見て一分や二分程度のものだと言って良いだろう。
(あえて強く切り込んできたか、流石きよ。確かに誘いそのものを断る選択肢もある……けど、そんなことしたら今日の準備が無駄になる……)
そう。高浜が河東を恋愛映画に誘うことを、河東は分かっていた。何を隠そう、懸賞として映画のペアチケットを伊藤の自室に送り付けたのも。そして、その日程も司書や他の文豪から聞き出して、伊藤が一日空いていない日であり高浜が休息を貰っている日に絞ったのも。全て河東が仕組んだことであった。
(もしここで断ったら、もう二度ときよから誘われることが無くなるかもしれない……それは絶対に駄目!そんな選択肢は最初から存在しない!)
退路が絶った今、これしか道はない。気付いた河東は高浜と伊藤に知られないように深呼吸をした後、高浜に向き直る。
「そう、かな……俺、こういうのはすぐ信じちゃうからさ、行くならもっと、情熱的に誘ってほしいかな……?」
「!?!?」
河東は目を潤ませ、頬を紅く染め、少々か細い声音を意識する。高浜とは生前より幼い頃からの仲である河東は、高浜の趣味嗜好を知り尽くしていた。だからこそ、高浜の『恋人にしたい人物像』を作り出した。それこそ今、河東が実践している誘惑方法『純新無垢』だった。
この方法は太宰治という、高浜の教え子である芥川を好いていて、彼の前ではまるで恋をしているかの如く態度が変わる。そう坂口安吾から聞いた河東が、数週間で芥川の前での太宰の態度を観察した結果、手にした技術である。これを太宰からされている芥川がどう思っているかは分からないが、高浜ならこれで落ちるだろうと河東は考えた。
事実、高浜は思考を激しく乱されていた。その隙を河東は見逃さず、すかさず追撃する。
「俺だってさ、またここで恋とかしてみたいなーって思ってたりするんだよね……きよは、違うの?」
河東の勝利で終わってしまいそうなこの勝負。追い詰める河東、逆転勝利を狙おうとする高浜。二人の思考は決着へと向かっていた。
………が、そこで伊藤が口を開く。
「あ、恋愛が嫌なら『劇場版カワウソくんの冒険2』のチケットもあるよ」
「「!?」」
伊藤の何気ない一言によって作り出された『混沌理論』。完成間近であった理論に一つの混沌が混ざる。たかが一点、されど一点。それは、爆発の如く可能性を増大させる。ここで増えてしまった選択肢を処理するために、二人の頭脳は限界を超えて回転する。結果、脳は大量の糖分を欲する。
この部屋に存在する糖分といえば饅頭一つのみ。つまり、その饅頭を手にした者が勝者である。高浜と河東は饅頭に手を伸ばす。
「あ、ボク、そろそろ牛さん達にご飯あげないといけない時間だから行くね」
たった一つの饅頭は、すぐ近くにあった伊藤の手に渡った。やり場のなくなった高浜と河東の手は、空を切った。
本日の勝敗結果:両者敗北
が、恋人達の間にも明確な力関係が存在する。搾取する側とされる側、勝者と敗者。
もし貴殿が気高く生きようと云うのなら、決して敗者になってはならない。
恋愛は、戦。好きになった方が負けなのである。
帝国図書館。浸蝕された文学を保護し浄化する場所として設立された、国の機関である。現代でなお、日本だけではなく世界でも著名な作品を数多と扱っている。
そんな文学を日々護る者達が、凡人である筈がなかった。
彼等は『文豪』と呼ばれ、かつてこの世で文学史を作り出してきた人間である。
図書館が設立されて二年目を迎え、僅か数ヶ月経った頃。新たに浸蝕が確認された雑誌『ホトトギス』の浄化後、一つの本から二人の文豪が転生するという異例の出来事が発生した。
河東碧梧桐。生前、五七五調にとらわれない自由律俳句の誕生に関わり、宣伝のため俳句の全国行脚を行った俳人である。
そして、その河東と『双璧』として並び称される男こそ、高浜虚子。正岡子規の『ホトトギス』を引き継ぎ、小説家としても名の知れた俳人である。
彼等は生前の悶着を経て、帝国図書館で現世の人生を謳歌していた。そんな二人の仲の良さ、距離の近さは図書館の文豪達にとっても、気になる話題の一つだった。
「高浜先生と河東先生、いつ見ても近いよなぁ」
「もしかしたら付き合ってる……なんてこともありそうだな」
「そんなに気になるなら直接聞いてみたらええやん?」
「あー無理無理!あの中に入っていこうとか思わないでしょ」
「だな。俺も河東先生と囲碁やってる時に聞こうと思っても聞けないな」
「ねぇ、きよ。俺達、なんか噂になってるみたいだよ?」
つい最近分けて与えられた高浜の自室。河東は二人分の湯呑みに温かい緑茶を淹れ、高浜に差し出しながら話し始める。
「俺達、実は交際してるーってさ」
「来たばかりの俺達が気になるだけだろう。聞き流せばいい」
「あはは、何それ。俺あまりよく分からないけどさ」
高浜は茶を一口飲み、河東の方を見る。他の文豪から貰ったと言っていた菓子の入った袋を開いていた。
(ふん、俺と秉が付き合っているだと?くだらない……)
河東から差し出された煎餅を一口齧る。河東も同じくみたらし団子を食んでいた。
(だが、まあ……
秉がどうしても付き合ってほしいというのならば、そうしてやらないことも無いな!)
高浜は確信していた、河東が己に好意を抱いていることを。まず、河東が最初に噂の件を高浜に直接伝えたこと。次にさり気なく恋愛事が分からないことを態々言ってきたこと。さらに言えば、食堂等では他にも空いている席はあるというのに、高浜が座った席の向かいやすぐ隣に座っている。これを気があるとは言わず何と言うのか。
(確実に秉は俺に気がある……告白してくるのも時間の問題だな)
高浜がそう思考を巡らせている間に、河東は「新しいお茶入れてくるね!」と言って座っていた座布団から立ち上がっていた。河東には聞こえない程度に、高浜は怪しく小さく笑うのだった。
図書館から支給され、一人一台は部屋に置いているという給湯器の前でお茶を淹れている河東は、同時にあることを考えていた。
(この図書館って、噂好きな人多いよなぁ……どうしたら俺ときよが付き合ってるって思うのかな?)
お湯を急須に注ぎ、二人分の湯呑みにお茶を淹れる。おそらく自分を好いていると思われる男に茶を差し出しながら、まるで野望の如く想いを巡らせていた。
(まあ、確かに今のきよなら、可能性はあるかもしれないけど……
それに、散々アピールはしているわけだし、告白してくるのも時間の問題だよね!)
……などとやっている間に、半年が過ぎていた。その間、特に何もなかった。そんな何もない期間の間に二人の思考は、『交際してやってもいい』から、『如何に相手に告白させるか』へと変わってしまっていた。
そんな二人の間に割と高度な駆け引きが行われていることに、同じく正岡子規の弟子の一人でもある伊藤左千夫は全く気付いていなかった。
「あ、そうだ。懸賞で映画のペアチケットが当たったんだけどね。ボク、この日潜書入ってて行けないんだよね、だから誰かにあげたいんだけど……」
「ほう」
高浜はチケットに記載されている日にちを見て、その日が空いているかどうかを持ち歩いている手帳を開いて確認する。
「この日は丁度空いているな。だったら秉、俺達で……」
「なんでもその映画、恋愛ものでカップルで観に行くと結ばれるっていう話があるんだって!なんだか良いよね!」
「!?」
伊藤の爆弾発言で黙り込み、焦り出す高浜。その隙を見てかどうかは分からないが話し出す河東。
「きよ?今、俺の事誘ったの?カップルで観ると結ばれる映画に?それって……」
高浜は突然窮地に立たされた。「これではまるで、告白しているようなものでは無いか!」と、河東に気持ちを知られてはならないという焦り。
恋愛関係において『好きになった方が負け』は絶対のルール、即ち『告白した方が負け』。お互いの本当の気持ちを知りたい両者において、自ら告白するなどあってはならないことである。
(どうする……秉にとってはあからさまではあるかもしれないが、誤魔化す以外に選択肢は……
………いや、待て……この方法ならいけるのではないか?)
高浜は普段通りの顔を作り、隣に座る河東の目を見つめる。
「嗚呼、秉を誘った。俺はそのような話は信じないが、お前はそうではないようだな」
チケットを見せびらかすように手に持つ高浜は、鋭い目付きで河東を捉える。
「どうする秉?お前は、俺とこの映画を観に行きたいのか?」
どう出るか、注意深く河東を観察する高浜。その間、河東は刹那の思考に囚われる。しかし、河東にとって刹那の思考とは常人から見て一分や二分程度のものだと言って良いだろう。
(あえて強く切り込んできたか、流石きよ。確かに誘いそのものを断る選択肢もある……けど、そんなことしたら今日の準備が無駄になる……)
そう。高浜が河東を恋愛映画に誘うことを、河東は分かっていた。何を隠そう、懸賞として映画のペアチケットを伊藤の自室に送り付けたのも。そして、その日程も司書や他の文豪から聞き出して、伊藤が一日空いていない日であり高浜が休息を貰っている日に絞ったのも。全て河東が仕組んだことであった。
(もしここで断ったら、もう二度ときよから誘われることが無くなるかもしれない……それは絶対に駄目!そんな選択肢は最初から存在しない!)
退路が絶った今、これしか道はない。気付いた河東は高浜と伊藤に知られないように深呼吸をした後、高浜に向き直る。
「そう、かな……俺、こういうのはすぐ信じちゃうからさ、行くならもっと、情熱的に誘ってほしいかな……?」
「!?!?」
河東は目を潤ませ、頬を紅く染め、少々か細い声音を意識する。高浜とは生前より幼い頃からの仲である河東は、高浜の趣味嗜好を知り尽くしていた。だからこそ、高浜の『恋人にしたい人物像』を作り出した。それこそ今、河東が実践している誘惑方法『純新無垢』だった。
この方法は太宰治という、高浜の教え子である芥川を好いていて、彼の前ではまるで恋をしているかの如く態度が変わる。そう坂口安吾から聞いた河東が、数週間で芥川の前での太宰の態度を観察した結果、手にした技術である。これを太宰からされている芥川がどう思っているかは分からないが、高浜ならこれで落ちるだろうと河東は考えた。
事実、高浜は思考を激しく乱されていた。その隙を河東は見逃さず、すかさず追撃する。
「俺だってさ、またここで恋とかしてみたいなーって思ってたりするんだよね……きよは、違うの?」
河東の勝利で終わってしまいそうなこの勝負。追い詰める河東、逆転勝利を狙おうとする高浜。二人の思考は決着へと向かっていた。
………が、そこで伊藤が口を開く。
「あ、恋愛が嫌なら『劇場版カワウソくんの冒険2』のチケットもあるよ」
「「!?」」
伊藤の何気ない一言によって作り出された『混沌理論』。完成間近であった理論に一つの混沌が混ざる。たかが一点、されど一点。それは、爆発の如く可能性を増大させる。ここで増えてしまった選択肢を処理するために、二人の頭脳は限界を超えて回転する。結果、脳は大量の糖分を欲する。
この部屋に存在する糖分といえば饅頭一つのみ。つまり、その饅頭を手にした者が勝者である。高浜と河東は饅頭に手を伸ばす。
「あ、ボク、そろそろ牛さん達にご飯あげないといけない時間だから行くね」
たった一つの饅頭は、すぐ近くにあった伊藤の手に渡った。やり場のなくなった高浜と河東の手は、空を切った。
本日の勝敗結果:両者敗北
1/3ページ