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bnyr!

大したことでは無かった。
少しだけ可哀想だと思ってしまった。だからこそ、助けてしまった。記憶が正しいのなら、アイツは眩しい笑顔と明るい声で観客を盛り上げていた。だが、この時目にしたアイツ……鳳葵陽は、大きく丸い瞳に水の膜を張り、苦しげに声を殺していた。人が近寄らない、暗いこの場所で。俺に気付いた葵陽は、俺も吃驚するほどに驚いていた。その顔が何だか可笑しくて面白かったのは秘密だ。
「そ……すけ、くん?」
葵陽の頬に伝う涙と、青い瞳とは反対に腫れた目元が痛々しい。何故かは分からないが、一体誰がコイツをこうしたのかと、知らない相手に怒りを覚える。俺は鳳葵陽という人間のことを、詳しく知らない。それなのに、俺の脳内では知っている限りの、コイツと関わりのある奴を挙げていく。クソギターか、またはマスターに何かされたのか。それとも、今相手にしているクリムゾンの奴等か。こう考え出すと限りがない。
「えっと、邪魔したかな?ごめんね?」
女の声と勘違いを起こしそうな、高めの声が聞こえてはっとする。葵陽は袖口で目をゴシゴシと強く、擦るように拭きながらそう言っていた。
「邪魔とかじゃねーよ、ただ……」
「……ただ?」
「……こんなところで一人で泣いてたら、何があったか気になるだろ」
気付いた時には口にしてしまっていた。葵陽はきょとん、といった言葉が似合うくらいの恍けた顔をした後、すぐに「あはは!」と笑った。
「何だよ」
「いや……宗介くんは優しいんだね」
裏も表もないいつもの顔で、葵陽はそう言った。いつもの顔、のはずだ。なのに、どこか違うように見えるのは気のせいか。
「何かあるなら話せよ。ほぼ会話したことなくても、俺に話せることくらいあるだろ」
「えっ……」
戸惑いながら、葵陽は途切れ途切れに話し始めた。
「一真くんがね、笑ってたんだ」
「………は?」
「……あっ、これだけじゃ何だか分からないよね。えっとね、一真くんは、キュアトロのユキホちゃんに一目惚れしてたんだ」
「……どっちも男だろ」
「うん。オレも一真くんも、そのことは知らなかったんだ」
「まぁ……あの見た目は分からねーだろうな」
「あはは…そうだね」
葵陽が言うには、クソギターはユキホに一目惚れしていたが、エデンの常連バンドが初めて顔合わせした日に色々あり、男だと知って落ち込んだらしい。アイツは俺と少し似ているというか。完璧主義らしく、その時の落ち込み具合も相当なものだったそうだ。確かに、初恋の相手だと信じていた美少女が女の格好をした男だったなんて、普通に考えたら傷付くかもな。
「でもね。それでも一真くん、ユキホちゃんといる時はとても幸せそうなんだよ」
服の袖を握りながら、葵陽の顔はまた曇ってしまった。
「だから、寂しいのか?」
「……寂しい、のかな?よく分からないや」
力無く笑う葵陽を見て、胸を小さな針で刺されたような痛みを感じる。何故だろう、誰のこんな姿を見てもこうなったことは一度もないのに。十センチほど下に見える葵陽が、もっと小さく見えた。
「二人が幸せそうに笑ってるとね、オレは嬉しいんだよ。嬉しい、はずなんだよ……なのに、泣きそうになるんだ」
泣きそう、と言いながら声は震えていた。俯いていて顔はよく分からないが、予想は出来る。
「だったら、あんな奴のこと考えんなよ」
「……え」
俺の言葉に反応して、葵陽は顔を上げた。真っ赤に腫れ上がった目尻と、そこに溜められた透明な水膜、桃色に染まった頬をなぞる雫。他人の泣き顔が美しく見えるなんて、俺の目はおかしくなってしまったのだろうか。
「やっぱり泣いてんじゃねーか。顔酷いぞ」
「うっ……」
「テメーに泣き顔は似合わねーな、だから笑ってろ」
俺のその言葉に目を丸くしている葵陽の頬を両手で包んでやり、そのまま親指で涙を拭った。こんなクサいこと、翼じゃねーのに何でやっているんだろうとか、不思議とそんな感情は湧いてこなかった。その代わり、コイツに触れているという優越感が俺の心を支配していた。
「……なぁ、クソギターの代わりは御免だが、アイツより俺にしねえか?」
「……え?そ、それどういうこと…?」
「そのくらい分かれよ、俺を好きになれ」
「………へっ!?」
少し間を空けて、ようやく意味を理解した葵陽はボフッという効果音が合いそうなほどに頬を真っ赤に染めた。口からは声になり損ねた母音が紡がれている。
「そっ、宗介くん!そういうのは冗談でも言ったらダメだよ!」
「冗談じゃないって言ったらどうすんだよ」
「えっ、あ………と、とにかくダメ!オレの都合で宗介くんを巻き込むのは……」
「だったら俺の都合ってやつも考えて、俺のこと好きになれよ」
「うぅ……」
自分でも吃驚するくらい迫っている気がする。それくらい、俺はコイツのことを欲しているのだろうか。何の接点もなかった、鳳葵陽という人間を。
「……っで、でも、宗介くんは……好きな子とか、いないの?」
「あ?好きな奴?」
身長差の所為か、葵陽が俺のことを見上げる形になって聞いてきた。泣きながら想い人がいるか否かを上目遣いで聞かれるというのは、案外悪くないかもしれない。多分、俺にとっては葵陽に限っての話だが。
「あぁ、いるな」
「だ、だったら……」
「だから、その好きな奴を笑わせてやりたい。今こうして泣いてんだからよ」
「い、いま?って、え?」
コイツ、周りの奴に対しては鋭いのに自分のことになると鈍感になるのか?よく分からねーな。
「葵陽」
「わっ!」
葵陽の腕を掴んで引き寄せる。そのまま抱き締めてやると、シャンプーの良い匂いが鼻を掠めた。
「お前あったけーな、ガキみてぇ……」
腕の力を強くする。腕の中に程よく収まった葵陽は、意外としっかりとした体格で驚いた。
しばらくして、葵陽が俺の胸板を叩き始めた。強く抱き締めすぎて息苦しくなってきたらしい。素直に離してやると、葵陽は顔を赤くしながら息を整える。
「そう、すけ……くん……」
吐息混じりに名前を呼ばれる。特に変なことなんて一切していないはずなのに、危ないことをしてしまったような背徳感が襲う。
「分かったか?俺が好きな奴のことが」
怯えている小動物のように震える葵陽を見下ろして、挑発気味に言い放つ。それに答えるように、勢いよく何回も首を縦に振る。
「わ、分かった……から……」
「ならいい。で、返事はどっちだ」
「………返事?」
「テメーは、俺のことどう思ってるんだ?」
「ど、どうって……」
「別に今答えなくてもいいけどな」
「え……?」
理解が出来ていないという顔になった葵陽との距離を詰めていく。が、それに反して葵陽は後退してしまう。
「そ、宗介く……あっ」
壁にぶつかり、逃げ場を無くした葵陽の顔の横に手を置く。所謂、壁ドンというやつだ。翼がやりたいと嘆いていた気がするが、確かに悪くない。そのまま首元に顔を埋めると、葵陽の口から艶のある声が漏れた。
「これから振り向かせてやるから、覚悟しとけ」
「!」
耳元で囁いてやると、力が抜けていくかのように座り込んでしまった。今日はやたらとコイツの別の顔って奴を見たな。笑う以外に何も出来ないのかと思っていたが、ただ隠すのが上手かったってだけなんだな。
戸惑っている葵陽に「じゃあな」と別れを告げ、その場を離れた。冗談だと思われてないといいが。もし、そう思われたとしても。
「………また教えてやるか」
もう一度、その身をもってな。



***



「うぅ……」
偶然、泣いているところを宗介くんに見つかってしまった。それだけだったら良かったのに。
(……冗談、だったのかな)
正直、宗介くんが冗談を言うような人には思えない。多くを話したことはなかったけど、誰にどんな時でも素直に気持ちをぶつけていた気がする。だけど、宗介くんが言ったことを信じられない自分がいる。
『俺のこと好きになれよ』
宗介くんの言葉が、頭の中で何度も再生される。漫画でしか起こらないようなシチュエーションを、実際に体験している感覚だ。
(宗介くんが………オレのことを、好き……?)
オレたちは、二人だけの交流が多くあったわけでもない。なのに何故?
(宗介くんなりの優しさ……なのかなぁ?)
オレが一真くんとユキホちゃんのことを喋りすぎて、嫌だったとか?それでからかわれているのだろうか。それにしては、最後に宗介くんが言っていたことが気になる。
『これから振り向かせてやるから、覚悟しとけ』
これから、とはどういう意味なのか。何の覚悟をすればいいのか、全く分からない。ただ、一つだけ分かることは。
(………しばらく、宗介くんのこと普通に見れないかも…)
宗介くんのことを考えるだけで、顔や耳が熱くなる。次に会った時、顔を合わせることが出来るのだろうか。何を悩んでいたのかを忘れてしまうくらい、しばらくそのことだけを考えるようになってしまったのは言うまでもない。
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