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Young

「風が冷たーい!」

バイクに跨るのに大層な時間をかけ亜久津君に呆れられた私は、感じたことのない風圧の中で叫んだ。
運転をする亜久津君からの返事は聞こえない、耳に入ってくるのは風の音だけだった。友人達と遊び半分で乗る原付の楽しさとは比べものにならない。私は好きな人の背中に触れながら、かつてない高揚感を感じていた。

車1つ通らない静寂に包まれた住宅街を抜けると街に出た。キラキラキラ。ビルの大きな窓から漏れる部屋の光、飲食店の色鮮やかなネオンの看板、反対車線を走る車のライト。夜の街で輝く光は私達を照らしていた。私は目に入ったその景色に思わず息を飲む。
道のはるか向こうにあったように思えた信号機はすぐに頭上に現れた。人工的な夜空の中で信号機の光は黄色から赤色へと変わり、私達が乗るバイクはゆっくりと停止をした。風圧が落ち着くと周りの音が聞こえた。どこか遠くから聞こえる車のクラクション、隣の歩道を歩くカップルの笑い声、勿論私の前に座る亜久津君の声も。

「怖くねえか」

「うん、むしろ楽しいよ。曲がる時ちょっと怖いけど」

この夜がずっと続けばいいのに、生まれて初めてそんな気分にさせてくれる夜だった。
亜久津君に抱きついちゃった、そう呟くと気持ち悪いこと言うなよ。笑った彼の硬い背中が小さく揺れたのを、私は夢心地のまま身体越しに感じ取った。

「振り落とされねえようにちゃんと手回しとけよ」

「えー、抱きつくの恥ずかしい」

「アホか、照れてどうすんだよ」

お前な、グレてんのかグレてねえのかはっきりしろよ。
亜久津君が笑ってすぐ、頭上の信号機は赤色から青色へと変化をした。彼が私に発進の合図をする、私は彼の言う通りにお腹に手を回した。バイクがゆっくりと動き出す時に私は亜久津君の背中に頭をつけた。被っているサイズの合わないヘルメットがずれる。
運転中の彼に話しかけてもきっと声は届かないだろう、大声で喋るほどでもない雑談を私は彼としたくて仕方がない。風が冷たいね、今何時かな、今日学校行った?、そんなどうでもいい些細な事を。
次の赤信号はまだかな。私はいつもは歩いて通るこの道の風景を思い出しては、信号機のある場所を待ち望んでいた。信号待ちがこんなに恋しいのも、バイクの速度が早くてぼやける街並みも、寒い中風を全身で感じるのも、彼の大きな身体に身を預けるのも。私には全てが新鮮だった。
学校なんか行かずに、家にも帰らず、ずっと大好きな亜久津君と遊んでいられたらいいのに。私は叶わないであろうこの願望を、夢のような現実の中でただひたすらに祈った。




「このバイクどうやって買ったの?」

コンビニを出てから10分くらい亜久津君は運転してくれただろうか。待ちわびた何度目かの赤信号が道の先に見えた。バイクはそっと停止する、その反動で亜久津君と静かに身体がぶつかる。
地面に足をつけた彼は後ろを見ようと軽く身をよじった。ヘルメットから彼の重い一重の目が見える、私はこのあまり笑うことのない目が好きだった。

「普通に店で買った」

「本当?盗んでない?」

「そう思うなら今すぐに降りろ」

亜久津君の左手が空中で少し迷った後、彼はウインカーを出した。住宅街の方面へ。頭上の赤の光が青に変わる。あぁ少ししか話せなかった、そう思う私に亜久津君は声をかけてアクセルを握った。
彼はウインカーの矢印通りに大通りを曲がり、見慣れた住宅街の抜け道に入った。ひどく冷たい風が私の髪をなびかせていく。色とりどりの光は抜け道に入るとぱったりと姿を消し、この狭い道路と隣接する家の窓から漏れる光だけが存在していた。
もうすぐ二人が出会ったコンビニが見える、それはきっとこの二人乗りが終わるのを示している。終わって欲しくない、だって憧れを抱いた夢のような時間だったから。

「あんまり早く走らないでー!」

「あ!?なんだって!?」

「ゆ っ く り 走ってー!」

走行中でも私の大声は彼に届いたらしい。私の希望通りバイクのスピードはどんどん落ちていった。しっかりと目に映る住宅街、静かになっていく風音。スリルがなくてあまり楽しくない。

「なんだよ」

「そんなに早く走ったらすぐ着いちゃう。まだ帰りたくない」

「お前な、一丁前に誘ってんじゃねえよ」

「これ誘ったことになる?亜久津君、誘いにのってくれる?」

「馬鹿言うならここで降りろ」

亜久津君は私の言葉を無視して笑いながら呟いた。いやだよー、わざと泣き真似をした私の声は静かな住宅街に小さく反響した。
ずっと亜久津君の身体に回し続けた手が、寒いのを通り越して痛くなってきた。ねえ手が冷えて痛い、そう呟くと彼は狭い道の真ん中でゆっくりと停車をした。

「どうしたの?」

「手、痛えのか」

「うん、手袋とか持ってこればよかった」

亜久津君はハンドルから右手を手放した。そのまま一言も発する事なく彼のお腹に回した私の右手首を掴み、自身の上着のポケットに私の手を入れた。狭い布の中で確かに指が触れる、中には煙草の箱とライターが入っていた。すぐに離れていった亜久津君の指はハンドルへと戻っていき、私はただ呆然とした。
ポケットの中の手は暖かい、私はもう片方の手も同じく反対側のポケットに入れそのまま腕を回した。この体勢でも問題がないくらいバイクはゆっくりと走り出した。まだコンビニに着きませんように、少しでも長く亜久津君と一緒にいれますように。
数十メートル先にコンビニが見えた時、私は今までよりも強く腕を回した。






「乗せてくれてありがとう、嬉しかった」

「ああ」

「これで亜久津君が付き合ってくれたらもっと喜ぶのに」

「お前みたいなガキ興味ねえ」

首元の紐を緩め、私の軽すぎる告白を受け流した彼に被っていたヘルメットを手渡した。
どうだった、亜久津君はバイクの感想を私に求め、私は思わず笑顔で楽しかったと速答をした。

「スリルあってよかった、また乗せてね」

「次乗る時はガソリン代として1カートン持ってこいよ」

冗談っぽく言う亜久津君は少し崩れた前髪をかきあげた。次がまたあるんだ、私は彼が社交辞令を言うような性格でない事を知っているからこそ素直に嬉しくなった。

「じゃあ今回は特別無料なんだね」

「お前なんか悩んでただろ」

だから少しだけ乗せてやろうと思った。
今日彼が何かしらの理由で持っていたヘルメットは、私の悩みを軽くしてくれた。亜久津君は私の話を聞いてくれるつもりなのだろうか、黙って私を見つめて返事を待っている。
いくら彼が表面上の私を知っていたとしても、私は自分の行いの悪さを知られたくなかった。せめて好きな人の前ではただの女の子でいたかった。嫌われるのを恐れていた。けれど私は彼に全て話そうと決めた。何も言わずに、私の事をよく知らないまま誤解されて嫌われていく方が怖いと思った。私は彼に、今日学校であった出来事を正直に話し始めた。





「それでどうすんだよ」

話の全てを聞いた亜久津君の第一声は、私に対する疑問だった。
時間はとうに22時を過ぎていると思う。別に困る事は何1つないからいいけれど、親からはきっといい顔されないだろう。どんどん冷え込んでいく気温に負けないように、私は亜久津君との話に集中した。

「勿論私達も足とか財布にして悪かったと思ってるけど、やっぱり自白してほしいなぁ」

「財布ってな、どうせ飯代くらいだろ。お前の連れでそいつらと付き合った奴、一人くらいはいるだろ」

「うん、何人かいたよ。すぐに別れちゃったけど」

「そいつらも都合よく思ってただろうな。迎えに行って飯食わせるだけで簡単にやれるやつらがいるって」

「う…そう言われるとお互い様かもしれない…」

やっぱり悪い事すると悪い事で返ってくるね。
当然の事を呟く私に小さく笑った亜久津君は、ポケットから取り出した煙草に火をつけた。一瞬で香る亜久津君の煙に、落ち込む私は何故だか少し安堵を覚えた。

「原付盗んだ奴の名前分かるか」

「うん、分かるよ」

「興味ねえのに覚えてんのか」

「ううん、だから必死に覚えた」

私は冷たくかじかんだ手で携帯を取り出し、友達から教えてもらった例の先輩の名前を音読した。その名前を聞いた亜久津君は黙って考え込んだ後、何かを思い出したような顔をした。

「細身の茶髪か」

「そうだと思う、知ってる?」

「多分な」

亜久津君はどこか納得したように呟き二口目の煙草を吸った。彼の中で何か合点のいくことがあったのだろうか、私はあの先輩と亜久津君の接点があるのかとぼんやりと想像をした。
そろそろ行くか、亜久津君はそう呟くと再度私にヘルメットを差し出した。送ってくれるの?、文句あるなら一人で歩いて帰れ。バイクのシートに跨り、わざと帰るそぶりをした亜久津君に私は笑いながら近寄った。彼は手慣れたように鍵に手を伸ばした。置いていかないで、私の声はバイクのエンジン音にかき消された。





こんなに長い時間亜久津君と一緒にいたのは初めてだった。
バイクにも乗せてもらえた、包み隠さず今の悩みも話せた、それでも彼の態度は何も変わらなかった。問題は何も解決していないのにもかかわらず、まるで全てが解決したかのような爽快な気分だった。

「送ってくれてありがとう、今日会えて嬉しかった」

私はお礼を言い素直にシートから降りた後、家の玄関前で足を止めた。亜久津君は私が家に入るのを待っているのだろう、バイクの音は住宅街の中で小さく響いている。
既に家の目の前にいるというのに、帰宅するのがひどく憂鬱だった。楽しかった時間はこれでもう終わってしまう、また明日か数日後を心待ちにして眠る。ここで亜久津君があの悪い先輩達みたいに私をたぶらかしてくれたら、まだ遊ぼうと誘ってくれたら。扉一枚開けて自分の部屋に行くだけなのに、私は今それをしぶっている。

「早く家入れ、風邪引くぞ」

「うん、分かってる。でも、」

まだ一緒にいたい、私は今までに何度も口にしたその言葉が言えなかった。気恥ずかしいような、これ以上迷惑かけたらいけないような気がして。私は何も言えずに亜久津君を見ていた。彼はそんな私を見て静かに笑った。

「お前が山吹の高等部に来たらもっと構ってやるよ」

もう帰れ、携帯の番号くらいなら教えてやる。
亜久津君は鬱陶しそうに小さく呟いた。私はとてつもない寂しさに襲われていたのにもかかわらず、思わず笑みを浮かべた。

「私、亜久津君のそういうところ大好き」

「生意気言ってんじゃねえよ」

彼はバイクに跨ったまま携帯を取り出した。私は胸を踊らせながら携帯を取り出し、亜久津君の元へと駆け寄った。亜久津君が携帯番号を呟いて、私はそれを聞き逃さないように携帯に打ち込んだ。一度通話ボタンを押してみる、すると彼の携帯は静かに震えた。

「やったあ、これで亜久津君と連絡とれる」

「くだらねーことで連絡してくんなよ」

「毎日メールしたら怒る?」

それ絶対くだらねえ事だろ。亜久津君が笑う、それにつられて私も笑う。もう寒さなんて気にもならない。今はただ亜久津君と喋るのに夢中だった。

「進学の事気にすんなよ。大丈夫だから大人しくしとけ」

早く家入れ、亜久津君は笑ってハンドルを握った。素直に頷いた私を見て、彼は小さく挨拶をして去っていった。
暗闇の中で見えなくなっていく後ろ姿、遠ざかっていくバイクの音。私は亜久津君の音が聞こえなくなるまで、家の前で立っていた。
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