Young

玄関の扉を閉める時、家の中から親が私を叱る声が聞こえた。
ろくに返事もせずに無視をして、私は寒空の下を駆け足で急いだ。電灯の少ない静かな住宅街を走り続けていると息が上がった。白い息が小刻みに表れては消える、それでも私は足を止めなかった。
一秒でも早く行きたかった。携帯と財布だけ持って、家から五分もかからないあのコンビニに。


亜久津君はほぼ毎日あのコンビニに来るのだから、きっと近くに住んでいるのだろう。
ビルの少ない住宅街で、同じような家やアパートが沢山ある。そんな平々凡々としたこの街には、私みたいな微妙にグレた中高生がごろごろいた。治安がいいとはけして言えないけれど、私は過ごしやすくて嫌いではなかった。
寒さでかじかみ上手く動かなくなった手でスマホを取り出して時間を確認した。21時15分、やばい。いつもより遅い時間だ。いつもなら彼は既に帰宅している時間で、もうコンビニにはいないかもしれない。
今日来ていない可能性もあるのを忘れて、間に合うかどうかの不安を抱えながら小走りをした。


住宅街を抜けると暗闇の中、明るい光を放つコンビニが見えた。
息を整えて歩いて、走ってボサボサになった髪を手ぐしで急いで整えた。呼吸も整える、どきどきどき。この心臓の動きは走ったからなのか、それとも亜久津君に会えるか心配しているからか。
亜久津君帰っちゃったかな、そう焦りながら周りを見渡した。すると一人だけ。こんなに寒いんだから家で吸えばいいのに、わざわざコンビニの外で煙草をふかしている男の人がいた。携帯を見るわけでもなく、銀髪の背の高い男は暇そうにただ周りを見ていた。
亜久津君いるじゃん、心の中では今日一番の笑顔になって、嬉しかったのを悟られないように今度はゆっくり彼に近づいた。あと10メートル、あと5メートル、どきどきどき。この胸の音が聴こえないか心配になる。
そっと歩み寄った時、私の携帯が音を立てて震えだした。私がこの前変えたばかりの着信音だった。そっぽを向いていた亜久津君がその音楽の方向にちらり、発信源の私に気がついた。

「ストーカーやめたのかよ」

「やめてないですよ、亜久津君がいてよかった」

帰っちゃったかと思った、思わず心の中に隠していた笑顔が溢れて彼に向けてしまった。彼はこちらを見てアホヅラ晒すな、そう呟いて小さく笑った。
亜久津君が笑った。私はそれだけで冷えきった身体が温まったような気がし、幸福感さえ得た。

「吸わねえの?」

亜久津君は私を上から見下ろして、自分の煙草を一口吸い込んだ。それだけの動作なのに私は見惚れてしまって、彼への返事を忘れてしまうところだった。

「今日持ってきてないんです、亜久津君一本ちょうだい」

「なんでお前にやらなきゃいけねえんだよ」

言葉とは裏腹に、彼はごそごそとポケットから煙草の箱とライターを取り出して私に差し出した。亜久津君の手の中の煙草は、私の吸う煙草とは違う銘柄だった。それだけでなんだかどきどきどき、彼の新しい一面を見た気分。

「嬉しい、亜久津君のそういう所本当に好き」

馬鹿じゃねーの、彼はそう呟いて私の手に煙草とライターを押し付けた。私はニヤつくのを抑える事が出来ないまま、亜久津君の手からそっと二つ受け取った。
少し潰れたパッケージから煙草を一本取り口に咥え、借りたライターで火をつけようとした。けれどなかなか火はつかない。感覚がなくなるほどに冷たくなった手のせいで。

「お前とろくせえ」

私が火をつけるのに苦戦していると、横にいた亜久津君は背を屈めて私に顔を近づけた。
下から見上げた事しかなかった亜久津君の顔が目の前にある。高い鼻に長い睫毛、あのいつも見惚れていた鋭い目つきが私を見つめている。
名前も覚えていない男の先輩達とは違う、恋に焦がれた大好きな彼が目の前にいるのだ。どうでもいい男の人だったら何とも思わないのに、私の心臓はこれでもかというくらいうるさく動きだしていた。

「火」

「えっ」

「火やるから早くしろ」

亜久津君は鬱陶しそうに言い、加えていた煙草の火を私の煙草の先端にくっつけた。じりじりと音もせずに亜久津君の煙草が燃えていく。私はどきどきと跳ねる心臓を抑えて息を吸った。
火がついてしまったらこんな至近距離で居られることなんてないのだろう、少し名残惜しい気持ちを抱きながら私は煙草に火をつけた。
火がついたのを確認した亜久津君は背を屈ませるのをやめて、コンビニの壁にもたれかかった。亜久津君の吸う煙草は既に燃えて短くなっていて、彼は最後の一口を吸い込んで灰皿に捨てた。
そんな彼の動作についつい見惚れていた私は自分の煙草の存在を思い出し、ごまかすように急いで吸い込んだ。けれどいつものように肺に入っていかなかった。私は初めて喫煙した時のようなあの重たい煙に、こほこほとむせて咳こんだ。

「だっせ」

亜久津君がニヤリと笑った。初めて見た、亜久津君のちゃんとした笑顔。この人こう笑うのか。どきどきどき、またうるさい私の心臓。咳き込み涙目になった私を見てまた彼は笑った。

「亜久津君これタール何?こんなの吸ったことない」

「14。お前みたいなガキが吸うもんじゃねえんだよ」

「亜久津君も高校生じゃん、私とそう変わらないから!」

「馬鹿、お前まだ中学生だろ」

「そうだけど、四月から山吹行くんだよ」

「山吹?お前、見かけによらずに頭いいんだな」

「何それ、亜久津君だってそうじゃん!」

「生意気言ってんじゃねえよ」

亜久津君が笑っている。
誰かに自慢したい。あの乱暴で横暴だと有名な、悪名高い亜久津君はこう笑うんだよ、と。けれど私は誰にも言わない。 この亜久津君は私だけの秘密だと、私は心の中に彼との思い出をしまい込む。

「山吹の高等部に亜久津君いるんでしょ?」

「なんでそんな事知ってんだよ」

「先輩達がよく言ってるよ、山吹の亜久津がなんとかかんとかって。自分が思ってるよりも亜久津君この辺りでは有名人だよ」

「くだらねえ、どこのどいつだよその先輩ってのは」

「興味ないから名前忘れちゃった。亜久津君きっと狙われてるよ、だから心配してる」

「お前、俺が負けると思ってんのか」

ううん、思ってない。首を横に振ると亜久津君は鼻で笑った。
この平々凡々とした小さな町の中。勝手に作りあげた縄張りで懸命にいきがり、痛い目を見ても学習をしない若者の私達はこんなにも他愛もない話で盛り上がれる。

「帰り気をつけろよ」

亜久津君は私の背中を優しく叩いて、いつもより遅い時間の帰宅をしようとした。
凄く楽しかった。友達と馬鹿騒ぎをしたり、名前を忘れるレベルの先輩達と時間潰しをするのとは比べ物にならないくらい。寒さなんかへっちゃらで、もっと亜久津君と話したかった。でも彼が去ろうとしている今、なによりも伝えたい事があった。

「亜久津君、待って」

歩きだした彼は足を止めて振り返り、不思議そうに私を見た。

「ヤニクラでフラつくからもう少し一緒に喋って下さい」

そういう時だけ敬語使うなよ。
銀髪の背の高い彼は、笑いながらまた私の隣に戻ってきた。
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