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面影

友達とのプリクラが貼られた、傷だらけの二つ折りの携帯。仁専用の着信音、鍵のついた保護メール。ポスカで描かれた落書きだらけのスクールバッグには、メイクポーチと申し訳程度の勉強道具。
青春真っ盛りの私の鞄は、役に立つものは何にも入っていなかった。






「あーあ。明日学校嫌だなー」

昼間にはあれだけ高く昇っていた陽も、夕方にもなれば空の下へと沈みかけた。ここの道路は車の渋滞がひどく、夕方から夜にかけてもの凄く混む道だった。
その隣の歩道で一度も止まることなく進む、仁と私を乗せて進む自転車。ブレーキをかけると甲高い音がして間抜けだったけれど、それでも私達が速く移動するにはこのボロボロの自転車に乗るしかなく、嫌々乗っている。赤い空を映し出している夕日に照らされながら、私は仁の漕ぐ自転車の荷台の上に座っていた。

「がたがた言わずに黙って行け」

「嫌だよー、だってテストあるんだもん」

勉強なんか大っ嫌い!赤く染まった空に向かって叫んでみても、前にいる仁はおろか誰も返事をしてくれなかった。
穴やへこみだらけの古いコンクリートの道を進む私達。通るたびに自転車はガタガタと揺れ、荷台に座る私は飛び上がるような振動に太ももを痛めていた。
足首に結んだいつ切れてもおかしくないミサンガが、後輪の車輪に巻き込まれないよう私は仁の制服の裾を掴み体勢を直した。その反動で肩にかけていた小さなショッパーが仁に当たる。彼は一度は無視をした。けれど中にしまってあった紙パックのジュースが仁の肩に再度当たり、彼は私の方に振り向いた。危ないから前向いて。そう言うと彼はちらりと私の目を見て、珍しく素直に前を向いた。
仁の広い背中、カラカラと音を立てて回る車輪、少しの段差でがたつく体勢。隣の車道の渋滞の中にいる、二人乗りをしているバイクが今はやけに羨ましく思えた。
仁はハンドルから片手を離して、もう片方の手で少しふらつきながら運転をした。そして離した片手を自身のポケットに入れた。山吹の白い制服から取り出そうとしているものを私は感づき、仁の白い手を退けて彼の制服のポケットへと手を入れた。紙の箱と少し重さのあるジッポ、私はそれらを手に取りバランスを崩さないように再度体勢を直した。

「そういえば、今日隣のクラスの子に告白された」

「あ?寝言は寝て言え」

「本当だよ、一目惚れですって言ってくれたもん」

「変わった奴もいるもんだな」

「こうやって誰かが告白してくれるのも今のうちだけだよ」

きっと大人になった私に価値はないよ。
紙のパッケージの端をトントンと叩くと封の開いた所から一本煙草が頭を出した。出てきたそれをそのまま口に加え、パッケージを仁のポケットへと戻した。
ジッポで火をつけ息を吸い込むと口内には苦味が広がった。風に吹かれた煙が目に入らないよう、私はすぐに火のついた煙草を仁の手元の真横に突き出した。それを黙って受け取る仁、黙ってジッポを仁のポケットの中に片付けた私。

「貰い手なかったら仕方なく貰ってやるよ」

笑いながら煙草を一口吸い込んだ仁は一瞬だけ片手運転をし、指に挟むとまた両手でハンドルを握った。煙が後ろに回り、逃げるように私は仁の背中に額をつけた。煙草の匂いと仁の匂い。混ざり合ったいつもの香りに、私は安堵した。

「きっと仁の貰い手もないだろうから私が貰ってあげるね」

「勝手に言ってろ」

赤信号に引っかかり、自転車のスピードは見る見るうちに落ちていった。ふらつきながら斜めのまま停まる自転車に、私は仁よりも短い脚を懸命に地面につけた。短え脚。私の方をちらりと見てそう笑う仁の背中を、私は手のひらで軽く叩いた。
ちょうど真横に停まった渋滞に引っかかっている車の運転手が、仁の手元にある煙草を見て怪訝そうな顔をしていた。未成年なのに、きっとそう思われている。けれどその視線に気づいている仁は鬱陶しそうな顔をする訳でも、恐がる訳でもなかった。特に気にする様子もなく平然と喫煙している。
隣の車、仁のこと見てるよ。ほかっとけ。自分の事なのに興味なさそうに呟いた仁に、私はなんだか笑えてきてしまった。
そして訪れた静寂。まだ帰りたくない私は買い物に行きたくなり、白い煙を吐く彼を誘った。

「あのさ、服欲しいから一緒に買いに行こ」

「断る」

「なんで?」

「お前は悩む時間が長すぎる」

「次はすぐ決めるから」

「本当かよ」

ほんとほんと。適当な軽い返事をした私に、前に座る仁はため息をついた。
横断歩道の信号機の点灯が青色に変わる。短いと仁に馬鹿にされた脚を地面から離し、それを確認した彼は力強くペダルを踏み込んだ。
やはり自転車はキイキイと音を立てた。私はその音を、少し恥ずかしく思った。









私が中学生の頃には考えられなかったスマートフォン。個別に設定する事がなくなった着信音、メールボックスには迷惑メールとよく行くお店からのDM。仕事用の小さなバッグには、メイクポーチと申し訳程度の仕事道具。
若いとは言えなくなってきた私の鞄の中身は、すっかり大人になってしまっていた。




「あーあ、明日仕事行きたくないなー」

あれからもう10年以上経つのに、相変わらず混む道の上に私と仁はいた。先にも後にも並ぶ車達は渋滞で進む様子がない。停まっているから傾いたままの車体、私の目の前には夕日に照らされた仁の広い背中、足場のエンジンは熱さを保ったまま動いている。沈み始めた夕日を見ながら、暇を持て余した私はバイクのシートの振動に揺られていた。

「昔から変わんねえな」

「この道?本当混むよね」

「道も、お前も」

「そう?仁もそんなに変わらないよ」

私はひとりでに呟き、ジャケットのポケットに手を入れて何かを探る仁の手を見ていた。私は座ったまま前屈みになり仁の白い手を退かし、ポケットの中に手を入れた。
俺がやったほうが早い。そう呟く彼の意見を無視して中を探ると、潰れた紙の箱と少し重さのあるジッポ。私はいつも通りにそれらを取り出し、箱から一本煙草を取り出した。そしてそのまま口に咥え、もう長年使っている傷だらけのジッポで火をつけ息を吸い込んだ。
先端が赤くなり、煙は空に登っていった。隣の窓を閉めた車に乗っていたスーツを着たおじさんは、そんな私を見て怪訝そうな顔をしていた。きっとこんな所で喫煙だなんて、そう思っている。

「今はどこも禁煙だから辛いね」

「何だよ急に」

「別になにもないよ」

隣からの視線を気にする事ない仁に伝えても無駄だと、火の灯った煙草を仁の手元の方に伸ばす。やはり彼は何も言わずに受け取った。周りに窓を開けた車がいない事を確認し、暇を持て余した私は受動喫煙の事についてぼんやりと考えていた。黙ってジッポを仁のポケットの中に片付ける、前に座る彼は何も喋らない。
全く進む気配のない渋滞の中、横の歩道を自転車で走っていく男の子と女の子を見た。もう何分もバイクの上で立ち止まっている私達を横目にすいすいと進んでいく彼らを見て、私は昔の仁と私を思い出していた。

「あー、あの頃に戻りたいなー」

「いつの話だ」

「うーん、中学生くらい?」

「中学生のお前なんて、今の俺は面倒見きれねえからな」

「私も中学生の仁なんて会いたくないよ、怖いし」

「お前は怖いとか言うたまじゃねえだろ」

「えー、仁わりと怖かったよ」

「ならお前はうるせえガキだったな」

仁が笑っていると前の車のブレーキランプが消えた。ほんの少しだけ現れた前の車との隙間をつめるため、仁はハンドルを握ってバイクを進めた。横の歩道を走っていった自転車の彼らはもう見えない程遠くへと行ってしまった。私達も中学生の頃は車の渋滞なんて気にしなかったのになぁ。そう考えていると、過去の記憶がうっすらと蘇ってきた。確かに仁は怖かったし、私はうるさいガキだった気がする。

「仁中学の頃さ、私の事貰ってやるって言わなかった?」

「んなくだらねえ事覚えてねえ」

「確か言ってたよ。本当に貰ったね」

「他に欲しがる奴がいなかったから嫌々な」

「嫌々なら違う人の所行っちゃお」

アホか、仁はそう言うとわざと急発進して前の車との距離を詰めた。突然の事に私は落ちそうになり声を上げて笑い、突発的に掴んだ仁の腕を軽く叩いた。
やっている事が昔と変わらない。私達は変わらないのではなく変われないのだと、互いを見て日々得心している。

「お前、大人になった自分に価値はないとか言ってたな」

「そうだっけ?いつの話?」

「中学の頃の貰ってやるだのなんだの話」

「ほら、やっぱ仁覚えてたんじゃん」

記憶力いいもんね。笑った私の独り言に、仁はどうでもいいだろ。ごまかした様に煙草を一口吸い、渋滞の為に再度車体を傾けて停めた。

「今の私って価値ある?」

あの頃より歳を重ねたし、嫌な事も沢山覚えたし、ちやほやしてくれた人達の反応はあからさまに変わってきたし。年数を重ねてきたと、心当たりのある事が増えてきた。
きっと仁もそうだ。昔のような刺々しいあの佇まいは今はなく、目には見えないが確かに丸くなった気がする。

「アホか、価値なんざどうでもいい」

「そう?」

「俺の女なんだから、そんなくだらねえ事気にしてんじゃねえ」

それもそうか、そう妙な納得を仁にさせられた私の笑い声は小さかった。
変わらない銀髪、変えられない彼の性格。それにずっと付き合ってきた変われない私。昔の面影を残したまま、私達はずっと一緒にいた。

「そういえば、今日着たドレスはどうだった?」

「この前着たのと大差ねえ」

「どちらかと言えば?」

「…今日の方がマシだな」

「じゃあまた今度着るのと迷っとくね」

「お前な、悩む時間が長すぎる。服くらいもっと早く決められねえのか」

「だって結婚式って一生に一度だからさ」

「一生に一度?違う奴の所に行くんじゃねえのかよ」

行かないよ、私は笑いながら呟いた。返事も反応もしなかった仁が今どんな顔をしているのか、背中越しの私には見えない。けれど私はなんとなく理解している。当たり前だろ、そんな顔をしている仁がいるだろう。
進む気配のなかった車の列はやっと動き出した。夕日が沈み暗くなってきた空、遠くで青色に光る信号、前の方から順番に消えてゆく赤いブレーキランプ。
私をバイクの後ろに乗せた仁は、自転車の時と同じ様にハンドルを握った。
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